278 手柄は人にあげましょう

 自警団『常在戦場』の宰相府への臣従儀礼。クリスは自身で考えたその案を、言葉巧みにエルベール公の案とし、その案を父である宰相閣下に伝える事で実現させようと画策していた。


「エルベール公の提案を受け入れ、宰相府への臣従儀礼を行えば、お父様は度量の広さを示すことができますわ。エルベール公も国の為に献策した案が採用された事で名望が高まるでしょう。お互い何も困りません」


「しかしアウストラリス公はお困りだろう」


「さぁ、それはどうでしょうか」


 クリスは含み笑いをした。アウストラリス公。反宰相の急先鋒にして宰相派に次ぐ勢力を誇る、貴族派第一派閥の領袖であり『貴族ファンド』の中心人物。今回のリッチェル子爵位の襲爵式に、リッチェル子爵が属する貴族派第二派閥エルベール派とクリスが主導して参加した宰相派、そしてボルトン伯が仲介人として中間派に属する貴族が多く参列した。


 これだけでもアウストラリス公には面白い話ではないはずである。なぜならエルベール公が派閥幹部らと共に、宰相派と名を連ねているからで、そこに中間派の貴族も加わっているからだ。宰相を追い落とす為に『貴族ファンド』を立ち上げた筈が、中間派を取り込めず、それどころか貴族派第二派閥のエルベール派までも離反しているかのような状況。


 これは思い通りにならないどころか屈辱ものであろう。加えて国王フリッツ三世の側近で内大臣のトーレンス候率いる国王派第二派閥トーレンス派、第三派閥のスチュアート派、そして貴族派第五派閥のドナート派までも『臣従儀礼』の支持に回った。


 エレナの話によるとこれは全貴族の六割に達する勢力だという。対して貴族派筆頭のアウストラリス公は自派であるアウストラリス派と第三派閥バーデット派、第四派閥ランドレス派の三派のみ。全貴族の三割すら抑えられていない。つまり貴族会議を招集できるだけの力すら保持できていない状況。


 乙女ゲーム『エレノオーレ!』で描かれていた貴族勢力は単純なものだった。貴族派、国王派、宰相派、中間派の四つ。勢力数は貴族派四十五、国王派二十五、宰相派二十、中間派十。宰相派は小さく見える。だが実際には貴族派には五つの派閥があり、国王派には王妃派と内大臣派、そして少数だが王族派の三派閥がある。


 五つの貴族派、アウストラリス派、エルベール派、バーデット派、ランドレス派、そしてドナート派の勢力配分はアウストラリス三十五、エルベール三十一、バーデット十六、ランドレス十一、ドナート七。これを貴族派比率四十五に合わせると、アウストラリス十六、エルベール十四、バーデット七、ランドレス五、ドナート三となる。


 国王派の三派の場合、国王派比率二十五で計算すると王妃派であるウェストウィック派が十二、内大臣トーレンス派が十一、王族派のスチュアート派が二。


 こうやって見るとゲーム上の設定で当てはめた宰相派二十は小さく見えるが、実際にはノルデン貴族最大派閥。二位が貴族派第一派閥のアウストラリス派の十六、三位が同二位のエルベール派が十四、四位が国王派第一派閥のウェストウィック派の十二、五位が国王派第二派閥のトーレンス派の十一。


 『常在戦場』の宰相府へ臣従儀礼を支持したのは一位の宰相派、三位のエルベール派、五位のトーレンス派に加え、中間派と貴族派第五派閥のドナート派、そして王族派のスチュアート派。合わせて六十。派閥単位で計算すれば全貴族の六割を抑えたことになる。


 対してアウストラリス公の勢力を『貴族ファンド』を元に見ると、自派とバーデット、ランドレスの貴族派二派のみ。合計二十八と貴族会議の招集に必要な三割の貴族数を割り込む計算。


 問題は王妃派である国王派第一派閥ウェストウィック派だが、この派閥の動きについてクリスの分析は明快だった。曰く、勢いのある方に靡くというもの。理由を聞くと、クリスは即座に答えた。


「『貴族ファンド』に名を連ねず、設立パーティーにも出席されなかったのですよ」


 確かにそうだ。ウェストウィック派は『貴族ファンド』の回状に、派閥に属する高位伯爵家ルボターナのリュクサンブール伯が名を連ねていたが、領袖であるウェストウィック公は署名しなかった。更に『エウロパ』で行われた設立パーティーでは、ウェストウィック公どころかリュクサンブール伯さえも参加しなかった。


「まさに血のなせる業ですわ」


 クリスの反応は冷ややかだ。アイリもトーマスもシャロンも、クリスの呟きの意味が分からないようだが、俺には分かる。今から百三十年に起こった『ソントの戦い』。ウェストウィック家は当初アンリ側に付きながら、形勢不利と見るや掌を返し、アンリ派を弱体化させたとして侯爵から公爵へちゃっかりと陞爵しょうしゃくしたのである。



 ウェストウィック家は風見鶏。それをクリスは言いたいのである。


「今後は『常在戦場』から宰相府への臣従儀礼の正式な申し込みと宰相府が受理した時が、各派が動くタイミングとなるでしょう」


 つまりは俺達の動きに、アウストラリス公やウェストウィック公が合わせてくるということか。なるほど。日程自体が駆け引きになるとならば、主導権を握る側も、それを取ろうとする側も神経質になるのは無理がないな。


 ならば宰相府への申し入れの日取りも、クリスと相談の上で決めたほうがいいだろう。クリスには頼りっきりの状態となるが、確実に進むためにはそれが最善手。俺はクリスに感謝した。


「何から何までクリスのおかげだ。ありがとう」


 クリスは目を瞑ったまま、頭を振った。


「私なんて何もしていませんわ。だって何の力もないのですから」


 目を瞑ったまま、そう言ったクリスの声に力はなかった。どうしたクリス?


「今回の一件で明らかになりましたもの。私が宰相の娘であろうと、派閥の前ではただの小娘にしか過ぎないということが」


「お嬢様!」


 制止するトーマス。だがクリスは意に介さず言葉を続ける。


「私を支持して下さいますのは、一門の皆様と陪臣の方々だけだということが明らかになったではありませんか」


「ですがお嬢様・・・・・」


 言葉に詰まるトーマスを振り払い、話を続けた。


「私にはテオドール様を初めとする一門の皆様と、ノルト=クラウディス家の陪臣の方々が付いている事が実感できました。ですが、私が動くことで一門陪臣の方々が結束する一方、直参貴族や官僚貴族との間に溝が生じる恐れがあることが明らかになってしまったのです」


 派中派の件だ。クリスが動いたことで、宰相派の中にクリス派ともいうべきクラウディス一門と陪臣のグループを誕生させてしまった。ノルト=クラウディス家ゆかりの貴族とそうでない貴族。親藩譜代を纏めるクリスと外様というべき直参あるいは官僚貴族とが、角を突き合わせ対立する局面が起こりうる事を、渦中にいるクリス本人が認めたのである。


「宰相派を割らないようにする為には私が自重するしかありません。動けば割れます、確実に。宰相派は脆い」


 クリスは宰相派の弱点が自分であるとズバリと言った。これはクリスがシャープな感覚の持ち主である証左なのだが、時としてその矛先が自身に向かってしまう。今回の場合、まさにそれだ。


 それは分かるのだが、そんなクリスにどんな言葉をかければいいのか、全く思い浮かばない。人生経験があっても本当に役に立たないよな、俺は。そんな俺の思いをよそに、クリスの言葉は止まらない。


「私がいくらノルト=クラウディスの血を引き継ごうとも、宰相派の直参貴族一人でさえも動かすことはできないのです。ですがドナート候は小なりと言えど、派閥に属する直参貴族全員に署名捺印をさせて連判状を作り、馬車を連ねて宰相府へ乗り込んでくるだけの力、他人を動かす力があります。この差は天と地ほどの違い」


 クリスは自派の直参貴族の連判状を提出したドナート侯を引き合いに出し、自身との力の差を話すと目を瞑った。怒っているとか、嫉妬しているとか、嘆いているという訳ではないが、クリスの肩はどこか寂しそうである。


「クリスティーナは最善を尽くしたと思います」


 アイリが言った。


「同じようにドナート侯も最善を尽くしたと思います。クリスティーナもドナート候も各々の立場で最善を尽くした事に変わりはありません」


「アイリス・・・・・」


「大切なのは最善を尽くす事だと思います。でも最善を尽くすことは難しい。クリスティーナはその難しい取り組みに挑みました。違いますか」


 そうだ。アイリの言う通りだ。公爵令嬢とはいえ、クリスには権限らしきものは全く無い。そんな中、母の兄であるクラウディス=ディオール伯の助力を受け、一門陪臣を味方に付けて皆で襲爵式に参列した。


 結果、宰相派の直参貴族は半ばクリス達に引きずられる状態でそれに続き、『常在戦場』の存在感を目の当たりにして、宰相府への臣従儀礼へと傾いていった。その流れを作ったのは他ならぬクリスだ。アイリは立ち上がってクリスに近づく。するとクリスも席を立つ。


「クリスティーナは頑張りました。だから胸を張って下さい」


「アイリス・・・・・ 分かったわ」


 二人はごく自然に手を握りあった。アイリの方が少し身長が低いのだが、クリスよりも大きく見える。アイリは握った手を離すとクリスを抱きしめた。するとクリスもギュッと、無言のままアイリを抱きしめ「ありがとう」と呟いた。


 トーマスやシャロンは女同士の友情だと思うだろう。もちろんそれは否定はしないが、それだけではない。これはアイリが持つ「癒やしの力」だ。それが証拠にクリスは先程までの強張った顔から一変して、安堵の表情になっている。それが「癒やしの力」の証。


「ありがとう、アイリス」


 首を小さく振るアイリを、クリスは強く抱きしめた。本当に役立たずだな、俺は。黙って抱き合う二人を見ながら寂しさを感じてしまった。


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