276 指弾の矛先

 国王派第三派閥で、派閥中最小勢力のスチュアート派。そのスチュアート派の中心人物で派閥の代表幹事であるステッセン伯が『常在戦場』の臣従儀礼を支持する旨の書簡を宰相府に届けてきた。


「どちらの方がその書簡を?」


「ステッセン伯の家付き騎士が届けてきた」


「ドナート候と違い、儀礼に則った形ですのね」


 アルフォンス卿からの答えを聞いたクリスは、先程までとは違い無表情で言った。聞くに宰相府へ意見する場合、ドナート候やドナート派の貴族達の様に貴族が直接赴くのではなく、ステッセン伯のように家付き騎士が書簡を届ける形が本来の儀礼であるようだ。


 つまりドナート候は儀礼を無視して乗り込んだという形。いや、徒党を組んで宰相府へと乗り込んできている時点でそれを承知で無視していたのだろう。だからクリスはドナート候とドナート派の動きについて、仔細な部分にまであれこれ聞いていたのだな。今度はアルフォンス卿の方から発言した。


「今日、遅れたのは内大臣閣下から『常在戦場』についての照会があったからだ」


「トーレンス候からですか?」


「ああ。トーレンス候自らが照会を求められた。そこで父上と共に宮中に参代することとなり、こちらに来るのが遅くなってしまったのだ。済まない」


 内大臣トーレンス候。国王フリッツ三世の側近にして、国王派第二派閥トーレンス派を率いる宮廷貴族。宮廷内を軒並みトーレンス派で固めるトーレンス候が『常在戦場』を照会するとは、どういう意味なのか。言葉を額面通りに捉えるなら、問い合わせる、あるいは何かと比べるということなのだが。


「トーレンス候は容認されましたのね」


「察しが良いな」


 アルフォンス卿はあっさりと肯定した。しかし貴族用語で照会するとは容認ということなのか? 貴族の社会は中々難しい。


「容認しないならば、わざわざ御本人が照会なんてなされません。秘密裡にお調べになるはず」


 ほう、そう読むのか。クリスは言った。


「御本人が照会をなされたら、お父様が自ら説明に赴かれるのは当然のこと。お父様とお話をするために御本人が照会されたのです」


「トーレンス候は統治の安定の為にも『常在戦場』の宰相府への臣従儀礼を進めるべきだと申されておられた」


「ですから『常在戦場』が近衛騎士団や王都警備隊より規模が大きいと分かれば、責任ある人はそれを抑える事以外考えないと申したのです。抑えられる者がいれば、その者に頼むと。こんな簡単な話が何故分からないのか不思議です」


「クリス、それは言いすぎだ」


 アルフォンス卿は制止しようとした。派閥幹事で宰相閣下の友人でもあるキリヤート伯の事を暗に非難している、そう捉えたからであろう。キリヤート伯は、実質的に王都警備隊を指揮下に置いている内大臣トーレンス候に不信感を抱かせるとして、臣従儀礼に反対していた人物。


 キリヤート伯は王都警備隊を指揮下に置いている内大臣トーレンス候との関係性を重視し、『常在戦場』の宰相府への臣従儀礼が、派閥のバランスそのものを崩しかねないとして反対していた。そのキリヤート伯に舌鋒を向けるクリス。アルフォンス卿は実妹を静止しようとしたが、クリスが止める気配は全くない。クリスはアルフォンス卿に詰め寄った。


「いいえ。年端も行かない小娘でも分かる話を、派閥の重鎮が即座に理解できない方が問題なのです。兄様!」


 妹の言葉に次兄はぐうの字も出ない。クリスの追及は続く。


「これまで御自身がなされている政治の見方で物事を判断しようとするから見誤るのです。そのような事では、ドナート候が相応の貴族を集められた場合、手も足も出ないのではありませんか」


「その話はここだけにしよう」


 不利を悟ったのか、アルフォンス卿は逃げに打って出た。だがクリスは手を緩めない。


「元よりそのつもりです。今回の事でお分かりになりましたでしょう。兄様も言うべき時に、ハッキリとおっしゃるべきです」


 次兄アルフォンス卿は妹であるクリスにやり込められている。アルフォンス卿はクリスの振りかざす正論の前に為す術がなかった。旗色が悪いと思ったのか、アルフォンス卿は俺の方に顔を向けた。


「アルフォードよ。『常在戦場』の臣従儀礼の意思、変わりはないな」


 俺の意思には変わりがない。ハッキリ言ってこの道しかないと思っている。だがグレックナーを初めとする『常在戦場』の面々には、まだこの話を通していない。おそらく話せば皆賛成してくれるだろう。しかし事後承諾なんて無責任な事は俺にはできない。


 だから「はい分かりました」という返答は無理だ。だからと言って、これだけ貴族が動いているのに「考えさせて下さい」なんて口が裂けても言えないだろう。何よりクリスの立場がなくなる。


 この状況下、アルフォンス卿にどう答えるべきか。俺はアルフォンス卿の顔をチラ見した。その表情に特段の変化はない。クリスとのやり取りから逃れる為、それとなく話題を振っただけか。だが、それだからと言って気を抜くわけにはいかない。


 答え方一つで状況が変わりうるのだ。即答はしなかった。だが、返答時間が遅くなれば疑念を持たれかねない。言葉を出すタイミングは今、この瞬間か。意を決した俺は、その場閃いた言葉を口から出した。


「『臣従儀礼』は大切な話。正式な場において表明させて頂きたいと思います」


「そうか。相判った。ならば日を改め『臣従儀礼』を行うことを表明する場を設けよう」


 なんとか乗り切った。「『臣従儀礼』は内諾で行うものではない。正式な場で表明すべきもの」という論法だ。苦し紛れとはいえ、この場を乗り切らないと、次の動きができない。


「ではアルフォードよ、近々通知を出す。今日は皆に時間を取らせ、相済まなかった」


 アルフォンス卿が立ち上がると、後ろに控えていた従者グレゴールが立ち上がった。俺やクリス、トーマス、シャロン、アイリも立ち上がりアルフォンス卿に向かって一礼する。トーマスが先に前室に赴いてドアを開けた。アルフォンス卿はグレゴールの先導で貴賓室を退室する。トーマスがドアを静かに閉めると、フゥというため息が出た。


「皆さん。ここではなんですから、ロタスティでお食事にしましょう」


 皆が着座するとクリスは言った。もう十八時、夕食にしてもいいだろう。何より消耗が激しかった。緊張感をほぐすため、しばらく貴賓室で休んだ後、俺達はロタスティへと向かった。 


 ロタスティの個室に入った俺は、脇目も振らず、まずはワインを一杯引っ掛けた。貴賓室で行われたアルフォンス卿との会見の緊張感、その緊張感を振り払うためである。今日の会見は長らく待たされて、時間だけが過ぎ去っていくばかりだった筈なのに、終わってみれば何とも言えぬ気怠い感覚に襲われた。要は酒でも呑まなくてはやってられない気分になったのだ。


「グレン。いくらなんでも行儀が悪いのでは?」


 珍しくクリスが注意をしてきた。俺が個室に入るなり『収納』でグラスを取り出し、ワインを呷ったからだろう。クリスは基本、人の振る舞いにどうこう言うことはないのだが、会食前に一人酒ということで、それはないだろうと注意をしてきたのだろう。


「すまない。今日に限って急に飲みたくなったんだ」


「待てないくらいに?」


 クリスの問いかけに「ああ」と返す。すると目を瞑ったクリスが言った。


「今日はせめぎ合いましたからね」


 まさしくクリスの指摘通りで、それが妙な緊張感を生んだのだ。アルフォンス卿が話す貴族間の綱引きだけではなく、クリスとアルフォンス卿との間での兄妹間の駆け引きや、アルフォンス卿から投げかけられた『常在戦場』の臣従儀礼の件など、慣れぬ空気が俺に酒を求めさせたのである。


 これまでの人生で、こんな緊張感は初めて体験する。まぁ、俺がいかにそういったものを避けて生きてきたか、って事なのだが。給仕が運んできた料理を食べると、ようやく気持ちが落ちついてきた。それは皆も同じだったようで、これまで口を開かなかったトーマスが俺に言ってきた。


「グレンでも緊張するんだな」


「当たり前だよ。緊張なんて日常茶飯事だよ」


「え? いつも緊張しているんだ?」


 いやいやトーマス。俺を何だと思っているんだ。この学園に来てからというもの、今まで経験したことがない事ばかりやっているからな。だから社畜経験が生きないだよ、本当に。


「慣れない事ばっかりやって、緊張の連続だぞ」


「いや、グレンはいつも余裕に見えるから。人生経験の差なんだと思ってた」


「それは俺が焦りを見せないように全力で取り繕っているだけだぞ。経験の差が生きてるのはそこだけだ」


「え? そうなの!」


 俺の言葉に驚くトーマス。どうやらトーマスには俺がいつも余裕だと見えていたようだ。


「いつも「どうしよう」とか「大変だ」て思ってるんだぞ。今日なんか、何とか乗り切った気分だ」


「「今日は何とか乗り切った」なんて。それは、いつものことでしょう」


 俺とトーマスのやり取りを聞いていたクリスが言葉を発した。


「いくら取り繕っていても、それぐらい見えますよね、アイリス」


「はい」


 クリスの言葉にアイリが即答した。もしかして見えていたのか、君たちは!


「見ていれば分かりますよね」


「微妙に「間」が開いたとき、「あっ、考えているな」って」


「本当のところは「焦っている」でしょう?」


 何を言っているんだ、クリス! 


「言ってはいけないかな、と思って」


 アイリがそう返すと、二人で笑っている。取り繕えている、と思っていたのに・・・・・


「グレンの事をよくご覧になっているのですね」


 そこへシャロンが涼しげに言う。お嬢様クリス第一主義、基本的にいつも一歩下がって振る舞うシャロンが、自分からモノを言う事自体が珍しい。


「私は毎日のように大わらわになっているグレンを見て、よく持つなと感心していますが」


「俺はそれがグレンだと思っていたよ」


 控えめに話すシャロンの言葉に、そう返すトーマス。それを聞いて皆が笑った。君たちは俺のことをそうやって見ていたのか・・・・・ 俺はグラスのワインを口に含ませながら、どう話題を変えようかと思案していた。

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