第二十二章 権と盾
275 派閥鳴動
学園にクリスの次兄で宰相補佐官のアルフォンス卿が参られるという事で、クリス達と共に貴賓室で待っているが一向にやって来る気配がない。ようやくやって来たアルフォンス卿の従者グレゴール・フィーゼラーが、主君の来訪が遅れる旨を伝えてきたので、俺達は貴賓室の本室の椅子に座り、ひたすら待つしかなかった。
これがエレノ世界の掟。身分制のルールだ。そして四十分後、前室に入ってきた従者グレゴールが、アルフォンス卿の入場を告げた。その声に俺達は立ち上がって一礼する中、アルフォンス卿が貴賓室に入ってくる。
「いやぁ、待たせたな。大変遅くなって済まぬ」
アルフォンス卿は歩きながらそう言って、本室の上座に座った。それに合わせて俺達も座る。アルフォンス卿から見て左が俺で、右がクリス。下座には左からトーマス、シャロン、そしてアイリ。アルフォンス卿の右斜め後ろにある椅子にグレゴールが座った。
「ボルトン伯の表敬が先となって済まない。こちらを優先にする訳にはいかなかったのだ」
アルフォンス卿は申し訳無さそうに釈明した。予定より大幅に遅れて来園した上に、待っている俺達がいる貴賓室ではなく、学園長室へ先に訪れた事を暗に侘びたのである。だが、向かいに座るクリスは無表情で目を瞑ったままだ。
「ボルトン伯から、宰相府への『臣従儀礼』に対する御支持を得た」
「『常在戦場』の、ですか」
「そうだ。統治の安定の為、『常在戦場』の臣従儀礼を積極的に進めるべきだという御言葉頂いた」
ボルトン伯が宰相府への『臣従儀礼』の支持を表明した。これは大きい。今回の襲爵式でボルトン伯は多くの中間派貴族の参列の取次を行い、中間派の取りまとめ役として存在感を示した。そのボルトン伯が旗幟鮮明にした事は、貴族社会に与えるインパクトが大きい。
以前、ハンナが教えてくれた勢力配分。貴族派四十五、国王派二十五、宰相派二十、中間派十を信じるなら、まずは宰相派二十と中間派十の合計三十を抑えたことになる。ここに『臣従儀礼』を提唱したエルベール公率いるエルベール派を加えるなら、限りなく過半数に近づく事になる。『臣従儀礼』を巡る多数派工作は予想以上に早く進んでいた。
予定より大幅に遅れて貴賓室に入ってきたアルフォンス卿。そのアルフォンス卿から、ボルトン伯が『常在戦場』の宰相府への『臣従儀礼』への支持を表明した事が告げられた。中間派の取り纏め役が動いたことは大きい。それもあってか、アルフォンス卿は興奮気味に話した。
「それだけではない。本日の朝、ドナート候が派閥の貴族を引き連れて宰相府に参られた。『常在戦場』の『臣従儀礼』の支持を表明され、父上にドナート派の連判状をお渡しになった」
「
クリスが驚き、アルフォンス卿に顔を向けた。クリスが驚くとは珍しい。ドナート候は貴族派第五派閥の領袖。故あり訳あり貴族を拾い集めて「はぐれ者」集団と揶揄されるドナート派という少数派閥を率いている。クリスはそのドナート派が提出したという連判状についてアルフォンス卿に尋ねたのだ。しかしどうしてそれを聞く?
「ドナート派に所属する直参貴族四十五名とドナート候の署名が入った連判状だ。ドナート候によると派閥に属する全直参の署名らしい」
直参貴族とは国王に直接封ぜられた貴族のこと。直参貴族に仕えて貴族に列せられた者を陪臣貴族という。直参と陪臣はエレノ世界の対義語である。その直参貴族がドナート候と共に連判状を回した。
その数四十六家。まるで忠臣蔵みたいだな。主君の仇の屋敷に押し入り首級を上げた話だ。あれは討ち入りの際には四十七士だったが、陪臣だった一人が抜けて、腹を切ったのが四十六人だったと書かれていたな。
士分であるとか、足軽だからだとか、現実世界に居たときには訳が分からなかったが、エレノ世界に来て、その意味が何となく分かってきた。この身分制というヤツは、実際に体験してみないと感覚が理解できないのではないか。おそらく足軽はどこまで行っても足軽なのだ。俺が商人身分から変わることがないのと同じこと。だから分かる。
「しかし、まさかドナート候自らがお出ましになるとは・・・・・」
「ドナート候は勝負に出ましたわね」
説明を聞いたクリスは思案している。今まで見たこともない顔だ。ドナート候の行動一つで、そこまで考えなければいけないことなのか?
「兄様。ドナート候と共にお父様の元に訪れられた方の数は?」
「二十二の方々だ。馬車を連ね、大挙して訪れられたので朝の宰相府は騒然となったよ」
アルフォンス卿によると、ドナート候は二十二の直参貴族と四十名近くの騎士衛士を引き連れ、多数の馬車を連ね、大挙して宰相府に訪れたとのことで、これには宰相閣下も驚いたそうだ。
ドナート候は「エルベール公が表明した「『常在戦場』なる集団の宰相府への臣従儀礼」を、国の安寧と秩序を守る観点から、全面的に賛成する」旨を宰相閣下に表明し、同行した直参貴族と共に筒状の連判状を提出して、風のように去っていったそうで帰っていったそうである。
しかしクリスの案だった『臣従儀礼』の話が、どうやってエルベール公が考えた案となったのだろうか。それを聞こうと思ったら、先にクリスが発言したので、聞くタイミングを逸してしまった。
「ドナート候はエルベール公に賛同なさいましたのね」
「そうだ。ドナート候はエルベール公の表明に賛成された」
クリスの言葉を復唱するかのようにアルフォンス卿は答えた。
「手強いですわね、ドナート候」
「どう手強いのだ?」
疑問が思わず口に出た。エルベール公が言ったという『臣従儀礼』の案に賛成すると、徒党を組んで宰相府に訪れた。それが怖いのか?
「ドナート候は『常在戦場』の宰相府への臣従儀礼を進言なされる為に来られたのではなく、エルベール公の言われる『臣従儀礼』に賛成することを表明するために訪れられたのです」
確かに違う。違うがどうしてそれが手強いのだ? 俺の表情を見たのか、クリスは説明を続ける。
「ドナート候はエルベール公の案を我が案として奨めに来られたのではなく、エルベール公の案の支持表明を行うために宰相府へ参られた。これは人の手柄を取ってアピールをしようとなされたのではなく、人の手柄を讃えつつ存在感を示されたのです。だから手強い」
「なるほど! それならばエルベール公も気分も良いし、ドナート候が睨まれる事もない」
クリスの話を聞かないと、全く気付かない部分だ。普通、人というもの人の手柄を横取りしようとするもの。エルベール公の案というものを、さも己の案であるかのように宰相に直接進言して支持を表明する。そんな人間は多いだろう。だがドナート候は宰相府に訪れながらそうはしなかった。単なる曲者ではないということだな。
「エルベール公を支持することで我が身を護りつつ、貴族派としての矜持を示す。かつ我が身を護りながら、少派閥をアピールした。並の技量ではありませんわ」
「あのような連判状、初めて見たからな。あれは間違いなく噂になる」
アルフォンス卿がクリスの言葉に続いた。しかし巻物で連判状とは。横書きのノルデン語をどうやって縦書きにしたのだろうか。一度見てみたいものである。またご大層にも血判まで押されていたとの事で、何か武士の時代の日本のようなノリだ。一体どうなっているのだ、ドナート派は。ここはエレノ世界、ノルデン王国だぞ。
「それだけではありませんわ。襲爵式が終わってまだ二日。遠方の所領に居られるはずの方の署名を、今日どのようにしてご持参なされたのでしょうか?」
「た、確かにそうだ。署名の中にあったディエル=アスフリート子爵はモンセル近くに所領を持つ人物。しかし今日、宰相府には来ていなかった」
モンセル近くなら、高速馬車でも往復で四日は見なければならない。ディエル=アスフリート子爵という人物が所領にいるなら、まずこちらから空の馬車を送って王都に入る段取りを行わなければならない。それでは今日提出された連判状の署名に、間に合うはずもない。
「おそらくドナート候は事前に連判状を準備なされていたのでしょう。今回、それを使って連判状をお出しになった」
「ま、まさか!」
「ドナート派に属されている貴族はそれを了とされているのでしょう。ドナート候にはそれだけの統率力があるということです」
クリスの見立てによると、ドナート派の直参貴族達は、どう使われるのか分からぬ状態で連判状に名を記したというのである。文字通りドナート候への白紙委任状だ。何に使われるのかも分からないものにサインをさせるという無茶。それを所属貴族に行わせるだけの実力がドナート候にはあるということ。
宰相の令嬢が『臣従儀礼』を提案しただけで賛成反対の二派に分かれた宰相派とは、結束力は段違い。貴族家の二割を占めるという最大勢力の宰相派と、少所帯のドナート派という違いがあるにせよ、ドナート派の結束の度合いがまるで違う。
「ドナート候、侮りがたし。か・・・・・」
貴族派最小派閥を率いるドナート候。直参陪臣含め百家程度、全貴族家の三%程度が属するという少派閥を率いるドナート候は、独特の嗅覚と処世術を駆使して「はぐれ者集団」と揶揄されるドナート派を率いている。
例の『貴族ファンド』に誰も名を連ねなかった、唯一の貴族派であるドナート派は、今回も独自の存在感を示した。少数派だからといって、決してナメてはいけない。
「あとスチュアート派のステッセン伯から、臣従儀礼を支持するとの書簡が届いた」
スチュアート派とは国王派第三勢力で、王族のスチュアート公を領袖と仰ぐ派閥で、本当の意味での国王派だといえよう。王族が率いる唯一の派閥ということで、派閥の格としては最上位に位置する。
ただスチュアート公が表舞台に現れず、派閥は書簡を出した
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