272 事後処理

 エルダース伯爵邸に向かう車上、俺とアイリは襲爵式の神殿で行った『常在戦場』の行進について話していた。俺はアイリにあの行進が、人々を圧倒して心を奪ってしまう手法だと説明して、「やり過ぎた」と本心を吐露したのである。


「グレンはいつ気付いたの」


「入場の最中だよ。参列者の人が興奮して立ち上がったり、奇声を発したりした時に思ったんだ。「ああ、やり過ぎた」って」


「あっ!」


 アイリはハッとした顔になった。そして「いました、いました」と俺に同意してくる。アイリもその参列者を見ていたんだ。


「だから、入場が早く終われと思ったよ。自分勝手だけど」


「グレンは偉いですね」


「どうして?」


 俺は思わず聞き返してしまった。どうして偉いんだ?


「誤りに気付けるのですから。それは自分勝手ではありませんよ」


 そうなのか・・・・・ 自分でやってしまって、自分で始めるように提案したのに、早く終われっていうのは自分勝手だと思っていたのだが・・・・・


「自分でやったことが間違いだった、失敗だったと思っても、人に言える人は少ないですから。その点グレンは間違いを認め、次の方法を考えています。認めているから考えられるのですよ」


 なるほど。俺はアイリの言葉に納得した。アイリには人を励ましたり癒やしたりする不思議な能力がある。何度その言葉に救われたことか。次、このような事を行う機会があれば、もっと害がないようにする方法を考えよう。アイリの言葉聞いた俺は、素直にそう思った。


 アイリと話しているうちに、馬車はエルダース伯爵邸に到着した。門をくぐって屋敷の前で止まると、レティが出迎えてくれている。車上から見る限り、襲爵式の疲れはなさそうだ。俺は思わずレティに手を振る。


「グレン、アイリス。来てくれてありがとう」


 レティは満面の笑みで出迎えてくれた。陰りも皮肉もない、純粋な笑顔。レティにしては珍しい。ミカエルの襲爵が無事に執り行われたのが、レティにとってどれほど嬉しかった事なのかがよく分かる。レティの案内で屋敷に入り、応接室に通されるとミカエルやエルダース伯爵夫人らが待っていてくれた。


「ようこそ我が家へ」


 エルダース伯爵夫人の声に挨拶する。夫人の声もすごく明るい。晴れ晴れとした艷やかな声だ。横にいるミカエルが「つつがなく襲爵式を執り行うことができました。厚く御礼申し上げます」と頭を下げると、脇にいたダンチェアード男爵夫妻、後ろに控える家付き騎士のレストナックや執事長のボーワイド、侍女長のハーストも頭を下げる。


 彼らリッチェル子爵家家中の者達も、無事に式が終わったことで皆胸をなでおろしているだろう。挨拶が終わったところでエルダース伯爵夫人が着座を勧めたので、皆で席に座る。


「この度の襲爵式。参列なされた家は三百二十六家に及びました。その中で盛大な式を執り行うことができましたのもアルフォード殿のおかげです」


 エルダース伯爵夫人が謝辞を述べた。しかし三百二十六家とは。確かに入場時も退場時も貴族がゾロゾロと歩いていたが、それほどだったとは。陪臣らがアナウンスされていないので、三百家以上参列していたという感覚はなかった。この三百家と数字、全貴族の一割近い数字。一子爵家が行った襲爵式としては異例ではないか。


「この度の襲爵式、ケルメス大聖堂で執り行われる事も、多数の参列者をお迎えする事も、異例中の異例です」


 やはりそうだろうな。エルダース伯爵夫人の言葉に納得した。どこの貴族もこんな式をおっ始めたら、どこも破綻するに決まっている。それでなくとも借金まみれの家が多いのに。


「ムーンノット子爵より聞きましたが、費用の方の請求をアルフォード殿に回せとは、どのような意味でしょうか」


「今回の襲爵式。私めが会場を確保しましたがゆえ、設営や運営に係る費用は全て私の方が負担する所存」


「ですが、執り行ったのはリッチェル子爵家。執り行った家が負担するのは当然の事」


「子爵家は既に参列者の招待等、多くの費用を負担されております。この多くは地元のネルキミス教会で執り行っていれば発生しなかったもの。王都で襲爵式を執り行うと決めたのはレティシア嬢と誼を結んだ私。係る費用は全て負担させていただきます」


 俺はハッキリと言った。この式をやるときから決めていた事だ。それにこの費用をリッチェル子爵家に負担なんかさせたら、家そのものが持たない。リサから聞いた子爵家の年間歳入に近い費用がかかっている筈なのだから。


 それに招待にかかった早馬等の通信費だって相当な額のはず。おそらくはネルキミス教会で襲爵式の行う費用か、それ以上の額だろう。現実問題、リッチェル子爵家で持つことができるのは、その費用ぐらいが限界のはず。


「しかし、それでは・・・・・」


「その辺り、レティシア嬢とは最初から了解があったものと考えております」


 ミカエルの言葉にそう返して、レティの方を見ると小さく頷いた。レティは自分の家の財務状況を一番知っている人間。その者が見て見ぬ振りをして、盛大な式を挙行したという事は、最初から暗黙の了解があったと考えるのが自然であろう。しばらくの沈黙の後、エルダース伯爵夫人が口を開いた。


「分かりました。その辺りのこと、アルフォード殿に一任致します。よろしくお願いします」


 エルダース伯爵夫人は言わんとする事を察したようだ。俺の言葉を受け入れる選択をした。伯爵夫人が頭を下げると、ミカエルとレティが続き、ダンチェアード男爵を初めとする家中の者も頭を下げた。こうして通信費はリッチェル子爵家が、後の費用の一切は俺が負担する事が決まったのである。襲爵式の費用配分が今日の実質的な議題だった。


 懸案事項が片付くと和やかの空気の中で雑談となった。全ての事が終わり、皆安堵の表情を浮かべている。ミカエルは神殿への入場と退場の事を、緊張であまり覚えていなかったと話すと、後ろに続いていたダンチェアード男爵と家付き騎士のレストナックが、実は我々もよく覚えていないと告白し、皆の笑いを誘った。


 エルダース伯爵夫人はゾロゾロ出てくる『常在戦場』の隊士らを壇上から見て、いつまで続くのかと少し不安になったらしい。一方のレティは、頭が真っ白になって、あまり覚えていないと話した。


 一番傑作だったのは、侍女長のハーストが出迎えの際、続々と入ってくる貴族の列を見て「もしもこの方々がお城にやってこられましたらどうしましょうと、そればかり考えておりました」と話すと、執事長のボーワイドが「本日の受付は終了しました、と申し上げる以外にはございませんな」と返したところ。


 家中の者が堂々と貴族の行動を揶揄するなんて、普通の貴族家ではまずあり得ない話。それが出来るということは、それを許す空気がリッチェル子爵家ではあるということだ。これはリッチェル子爵家というより、レティがこの気風を作っているのだろう。


 それが分かったシーンだったので、笑いを抑えるのに必死だった。ただ、意外だったのはエルダース伯爵夫人が笑っていたことである。もしかしたらリッチェル子爵家の気風に毒されてしまったのかもしれない。


 話は俺とケルメス大聖堂との関係に移っていった。一番熱心に聞いてきたのはエルダース伯爵夫人。伯爵夫人によると枢機卿という人々はそうそう会えるものではないらしい。それがどうして俺が会えるようになったのか。喜捨についてや、学園の闘技場で行われた決闘内容の報告書の経緯などについて話をしていくと、エルダース伯爵夫人は感心した。


「それでケルメス大聖堂をお借りする事ができましたのね」


 エルダース伯爵夫人によると俺と枢機卿らとの関係が、ケルメス大聖堂を借りての襲爵式の挙行に大きな影響を与えたようだ。これまであまり深くは考えたことがなかったのだが、よくよく考えるとケルメス宗派って国教みたいなものなんだよな。その総本山の中枢部と話ができるというのは、驚かれるのも無理はないか。


「襲爵式を執り行われたデビッドソン主教の子息を介して、決闘後の体調が思わしくない教官達のことについて尋ねておりました」


 伯爵夫人が枢機卿らとの関わりについて聞いてきたので、昨日のフレディと交わした件についてあれこれと話した。仮死状態となった教官達をオルスワードという教官が古代魔法で操った結果、操られた教官達が邪気に侵されてしまい、今も国立ノルデン病院に入院していると。


「まぁ。それで枢機卿様はどうすれば治せると申されておられるのですか?」


「侵された邪気を払えばよいとの事なのですが、それが中々・・・・・」


「難しいと?」


「はい。聖なる属性を持つ者がいれば払えるとの事なのですが・・・・・」


「いるじゃない!」


 はっ? 俺とエルダース伯爵夫人とのやりとりにレティが割って入ってきた。


「だから、いるじゃない!」


「いや・・・・・ どこに・・・・・」


「ここによ!」


 あああああ!!!!! 胸に手を当てるレティを見て思い出した! そういえばアンタ聖属性だったな! 聖なる属性=聖属性だったのか。色々あり過ぎて、すっかり忘れてたよ。


「じゃあ私も?」


「そうよ。アイリスもよ」


 そうだった! アイリもレティもヒロインで、この世界の中心にして聖女だった! いやぁ、目の前に解法があるじゃないか! そんな事にも気付かないとは。肝心なところで、俺は本当に抜けてるよな。


「グレン! 今から行きましょう」


「は?」


「アイリスもよ」


 唐突なレティの誘いにアイリは反応できずに固まってしまっている。


「いや、明日出発だろ、レティは」


「今日じゃないわ」


 いや、確かにそうだけど・・・・・ 


「決闘から大分経っているのに、教官達が今まで入院していたなんで知らなかったわ。治し方が分かっているのに、そのまま置いても行けないでしょう」


 レティの言う通りだが・・・・・


「レティシア、行きましょう!」


 突然、アイリが言い出した。


「グレン、レティシアの言う通りよ。今から行きましょう!」


 ヒロイン二人が立ち上がる。一体何だこの展開は。気がつけば、俺はアイリとレティに引きずられるようにエルダース伯爵邸を後にしていた。皆への挨拶もそこそこに、何が起こったのかもよく分からないまま、馬車に乗せられ国立ノルデン病院へと向かったのである。

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