270 リディアの無双

 高級ホテル『グラバーラス・ノルデン』内にあるノルデン料理店『レスティア・ザドレ』の個室において行われているドルナの商人ドラフィルを囲んだ会合。話は佳境に入り、レジドルナにおける小麦相場の件に移った。


「レジ側の商会の買い占めもなくなったので小麦相場も落ち着きましたし、相手も打つ手なしなのでは、と」


「王都の相場も落ち着いているな」


 ドラフィルやジェドラ父が言う通り、現在小麦相場は落ち着いている。しかしレジドルナでの商人の買い占めが、まさか『貴族ファンド』への出資によって収まったというのは意外過ぎるオチだった。


 『貴族ファンド』設立の為に、買い占めるカネまで吸い上げられたという形になったという訳で、それが相場の沈静化に寄与したということである。しかし、それでも以前の三倍値という状況。王都の小麦相場は一時、十倍値である七〇〇ラントを窺う状況だったので、それと比べて沈静化したという分析なのだ。現在は二二〇ラント程度で推移している。


「まぁ、我々は上がろうが下がろうが、ただ売るだけですな」


「売れば利益ができることに違いはありませんからね」


「これもアルフォード商会のおかげだ」


 ファーナスとドラフィル、ジェドラ父の三人は大いに笑った。ウチが儲けの枠組みを作った事で、相場がどう動こうとも損が出ず、利益を得る事が確定している。その中で商売するのは非常にやり易いということ。


 商売をやっていると儲かる場合もあれば損が出る場合もある訳で、それが考えずとも利益が出るというのは商人にとって非常にありがたい話なのである。毎日出勤して決まった額の給与をもらう。その感覚と全く同じだ。


「それよりグレン。お前達の事も話題になっていたぞ」


 おお、そうか。目立つように立っていた価値があったな。ウィルゴットの話を聞いて思った。


「お前達の服装。あれは何だという話だ」


 服装の方か! 俺じゃないのか。まぁいい。俺であろうと、俺達であろうと、大して変わりはない。とにかく目立っていればいいのである。


「平民服と言うそうだよ。アルフォードどの・・発案の」


「平民服?」


 ドラフィルの解説に皆が首を傾げた。疑問を持たれるのも当然か。エレノ世界にない服だからな。俺は解説した。『常在戦場』の出席する事務方が商人階級や地主階級、農民階級と出身成分がバラバラで、何を着て襲爵式に出席したらいいのか分からないという話になった。


 だから新たに平民の共通服として、ジャケットにベスト、スラックスという三つ揃のものを作り、平民服と名付けたと。俺はそう話した。事実と微妙に異なるが、趣旨は同じなので別にいいだろう。


「どんな服なんだ?」


「実際に見て、なかなか良いものではないかと思いました」


 ドラフィルが平民服の形や色について話すと、皆が興味深げに聞いている。服に対するこだわりが強い若旦那ファーナスが「実際にこの目で見ることができたらいいんだがな」と言うと、ドラフィルがアイコンタクトを送ってきた。この場で見せろという事か。


「アルフォードどの・・。皆さんに披露してくださいよ。早着替え・・・・で」


 ケルメス大聖堂で馬車に乗る際、俺の『装着』を見たドラフィルはあれを早着替えだと思っているようだ。確かに早着替えだと言えばそうなるのかもしれないが・・・・・ 


「グレン、俺も見たい。昨日と今日は控室で全力投球したんだから」


「おお、ワシも見たいぞ。貴族達が驚く服装ってのが見てみたい」


 ジェドラ親子も迫ってくる。ええぃ、だったら見せるよ。俺は立ち上がると、『装着』で三つ揃に着替えた。


「おおおおお!!!!!」


 皆が手を叩いて喜んだ。その術はなんだとウィルゴットが聞いてきたので、商人特殊技能『装着』だと答えた。商人のレベルが上がるとサッと着替える事ができる能力が身に付けられると。


「学園ではそんな事も学べるのだな」


 俺の説明に若旦那ファーナスが勝手に感心しだした。するとジェドラ父が「我々もそういった勉強をすれば良かったな」と応じている。ウィルゴットとドラフィルがそれを聞いて頷いているのを見ると、皆勘違いしてしまっているようだ。まぁ、それで納得しているならば、それでもいいだろう。ということで、俺は放置することにした。


「どうですか、皆さん。いいでしょう」


 ドラフィルが俺の着ている平民服について、そう言うと皆が頷いた。ウィルゴットが「これでいいじゃないか」と納得した顔をしている。


「平民なら誰もが着られる服か・・・・・ いいな、その趣旨は」


 ジェドラ父が感心している。商人階層は身分的に下に置かれているので、平民なら等しくという言葉には敏感に反応するのだ。ジェドラ父に続いて、服にこだわりのあるファーナスも賛同してくれた。

 

「センス的にも申し分ありませんな。グレン君、その服は何処で仕立てたのですか?」


「『シャルダニアン』ですよ。ご紹介いただいだ」


「『シャルダニアン』か! なるほど」


 若旦那ファーナスは手を叩いて、愉快そうに笑った。まさか自分の紹介したテーラーが、三つ揃の平民服を作ったとは夢にも思わなかったようで、それがファーナスの笑いのツボに嵌まったようだ。


 ドラフィルが俺の隣にいた人物、ワロスの格好について聞いてきたので、中折れ帽やステッキを持つ経緯についても話した。髪の毛の薄さを隠すために中折れ帽を被り、弱くなった足腰を支える為にステッキを持ってきた、と。


「いやぁ、あの格好。なかなか良かったですよ。君の格好は無理だけど」


 どういう意味だ、ドラフィル。少しムッとした。


「商人が普通、剣を差さないからな」


 確かに。言われてみればその通り。俺はドラフィルの言葉のニュアンスを誤解していた。商人刀を差している人間なんか、この世界では俺だけ。言われてみれば最もな話である。ウィルゴットがどんな格好か見せてくれというので、俺は『装着』で商人刀とマントを付けた。


「確かにドラフィル殿の言う通りだな」


 俺の格好を見て、ジェドラ父はドラフィルの見立てを肯定した。


「中折れ帽とステッキ。三つ揃の服と合った組み合わせですな。私もその服を作りますよ」


「俺も作る」


「ワシも仕立てよう」


「私も注文して帰るつもりです」


 ファーナスが口火を切ると、ウィルゴットもジェドラ父もドラフィルも、みんな三つ揃を作ると言い出した。そんなに三つ揃が良かったのか。


「商人も農民も地主もない。平民の服ってのがいいじゃないか。グレンらしい発想だ。貴族と平民。区分けはそれだけでいいよ。時代遅れだ」


 ジェドラ父はそう言った。ジェドラ父は、別け隔てがない服という発想が気に入ったようである。


「貴族と商人の提携という昨今の動きを見ると、時代は確実に動いているようですな」


 ドラフィルの言葉に皆が首を縦に振る。ある面、この場がノルデンの最先端の位置にあるやもしれない。その象徴が平民服というのであれば、俺も作った甲斐があったというもの。ドラフィルを囲んだ会合は平民服で盛り上がり、お開きとなった。


 ――教室に入るとフレディとリディアの姿が見えない。クリスと二人の従者トーマスとシャロンもだ。襲爵式を終えたのに、まだ学園に帰ってきていないのか。もしかしたらクリスはノルト=クラウディス一門や陪臣、あるいは宰相派の貴族達への饗応や挨拶に追われているのかもしれない。


 昨日のクラウディス一門十二家の行列と、それに続く陪臣たちの数を見れば、クリスの動員であることは明らかだもんな。自らが率先して動員したならば、そのケアも自身が行わなければならないという話なのだろう。


 対してフレディとリディアの方は何となく察しが付く。というのも昨日、ラシーナ枢機卿ら教会幹部に礼を行う為、貴族らの見送りを終えてからケルメス大聖堂の中に入った際、デビッドソン主教やガーベル家の人々と鉢合わせしたからである。


 ムーンノット子爵が「全員退出されました」と見送りの終了を告げた時、あれガーベル家は? と思ったのだが、デビッドソン主教と居たからであることをこのとき知ったのである。もちろんこの中には、当然ながら青い神官服を着たフレディと家族と一緒に参列したリディアもいた。


「おお、これはアルフォード殿」


「デビッドソン主教、この度はご足労の上、儀式を執り行っていただきありがとうございます」


 先に声を掛けてきたデビッドソン主教に挨拶した後、ガーベル卿に「本日は襲爵式に参列いただきありがとうございます」と頭を下げた。両家の人には本当に助けてもらったよ。感謝のしようもない。


「いやいや。これほど立派な式、立ち会ったことございませんぞ。見事なものでした」


 律義者として知られるガーベル卿が、お世辞話をするとは思えない。おそらく他の貴族らに負けないくらいの式典であったのだろう。俺がデビッドソン主教やガーベル卿、長兄スタンと二、三言葉を交わしていると、リディアが満面の笑みを浮かべながら俺のジャケットの袖をグイグイと引っ張る。


「ねぇねぇ、グレン」


「ん?」


 リディアの顔を正面から見ると、リディアがニンマリとした。


「お父さんがね。認めてくれたの!」


「んん??」


「私達の仲を!」


 あああ!!! 俺は思わずガーベル卿を見た。謹厳実直、カタブツ騎士のガーベル卿が嬉しいやら恥ずかしいやら悔しいやら、何とも表現し難い表情をしている。どうやらガーベル卿はリディアとフレディのお付き合いを認めてしまったようだ。一方、デビッドソン主教の方を見るとニッコリと微笑んでいるので、こちらは最初から認めていたのだろう。


「お父さん大好き! ありがとう!」


 リディアがガーベル卿の両手を握った。ガーベル卿が嬉しそうだ。控えめながら笑っている。あ~あ、末娘の涙目に籠絡されてしまったのか、ガーベル卿。分かる、分かりますぞ、そのお気持ち。


 俺にも愛羅というドラ娘がおりますんでな。十分に気持ちが分かりまする。さしものガーベル卿も娘には勝てなかったようだ。大体で、男親は娘に弱いんだよ。今までのガーベル卿とリディアの関係の方がおかしいというか、単にリディアが引き過ぎていただけの話。


 だが、もう一人の主役であるはずのフレディの影が薄い。非常に薄い。表情を見るに、今日の式典でフレディは燃え尽きてしまったようである。そりゃ、あんな規模の式典にいきなり参加なんかしたら、魂が抜かれるのも無理はない。


 そんな気が抜けたフレディをそっちのけにして、最高のテンションのリディア。この夫婦の未来像が容易に想像ができる場面である。そりゃ、嫁が今のリディアのテンションだったら、普通に死ぬよな。既婚者の俺は佳奈がリディアだった場合の事をうっかりと想像してしまい、悪寒が走った。

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