269 一日執事

 「一日執事」としてリッチェル子爵家の家中の者となり、ケルメス大聖堂で行われた襲爵式に参加したレジドルナの商人レットフィールド・ドラフィルは俺と共に馬車に乗りこみ、高級ホテル『グラバーラス・ノルデン』に向かっていた。


「いやぁ、今日の式典は全く大変なものだったな」


 半分は疲れ、半分は感激といった感じでドラフィルは話した。


「まったく。あれだけの式を君が挙行するなんてね。レティシア様もお目が高かったよ」


「きっかけは、ドラフィルさんとの出会いでしょうに」


 そうなのだ。レティは十四歳のとき、ダンチェアード男爵を介してドラフィルと知り合った。そこからリッチェル子爵家に出入りしていたデタラメな業者を家から叩き出し、ドラフィルと取引を行い、レティは家の実権を握っていったのである。つまり今回の襲爵式の諸端となったのが、レティとドラフィルとの出会いだと言っても過言ではない。


「まぁ、確かにそうなのだが・・・・・ しかし私を取り巻く環境も大きく変わったよ。まさか王都の大手商会と懇意になるなんて、思っても見なかったからな」


 リッチェル子爵家に出入りしているドラフィル商会は、レジドルナとムファスタという二つの都市ギルドに加盟し、レジドルナを構成する一方の街、ドルナの中心的な商会にまでのし上がった。


 ドラフィルは王都で俺と結んで三商会側にくみしつつ、王都ギルドに加盟しながらレジの街を本拠に置いてレジドルナを牛耳るトゥーリッド商会と、実質的に対峙する規模にまで拡大させたのである。


「それを言ったら俺も同じだ。まさかこんなに貴族を集めて襲爵式をすることになるなんて、思いもしなかったよ」


 本当なのだ。一週間前まで、こんなことになろうとは想像だにしなかった。クリスやスクロード伯爵夫人、ボルトン伯や派閥領袖のエルベール公の思惑が複雑に交錯した結果、このような規模になってしまったのである。皮肉なことに、能動的に動いていたと思っていた俺が、気がついたら受動的に動いていただけだったというお話。


「『常在戦場』だったかな。あれ程の軍団がいるならトゥーリッドのゴロツキなんざ目じゃない。連中は手も足も出ない」


 トゥーリッド商会がレジドルナの冒険者ギルドと結び、荒事を絡めながら商いをしている話は、ドラフィルだけではなくリサとレティからも聞いている。また、そのレジドルナの冒険者ギルドが、ムファスタの冒険者ギルドにちょっかいを出していたのを、こちら側がムファスタの冒険者ギルドごと借り上げて、防いだのはこの前の出来事。


 そのムファスタの冒険者ギルドは、今『常在戦場』との合流話を進めている最中である。『常在戦場』の隊士らは、素手でトゥーリッド商会と対峙しているに等しいドラフィルにとって魅力的に写っているようだ。今後『常在戦場』を使って、何らかの形でドラフィルを支援する方法を考えなければならないだろう。


 ドラフィルと馬車に乗り込む前、残っていた『常在戦場』の隊士に声を掛けて労った。残っていた隊士らは二番警備隊の面々で、後の隊員らは貴族の退場と合わせて順次撤収を行っていたらしい。鼓笛隊や大盾軍団などは真っ先にケルメス大聖堂を後にしていたということで、撤収に関する手際の良さが際立っている。


 撤収の方法は、一つの警備隊が儀仗している間に他の警備隊の面々が準備をし、他の警備隊が立っている間にその前に儀杖していた警備隊が撤収するというもので、実に合理的なもの。その中で、最後に残ったのが二番警備隊と隊長のルカナンスであった。


「おカシラ。素晴らしい式でしたな」


「グレックナー。よくぞ儀仗をやりきってくれたな。見事だった」


 二番警備隊と一緒に残っていた『常在戦場』の団長グレックナーが俺に声を掛けてくれた。ハンナと共に夫婦揃って、本当によくやってくれたよ。二人がいなければ、襲爵式がこのように立派な式にはなっていなかっただろう。俺はグレックナーと二言三言話をした後、伝えておかなければならないと思った事を言った。


「これからが本番だ」


「承知しております」


 グレックナーはスキンヘッドを垂れた。かつて近衛騎士団に属した事がある男は、今日の襲爵式における『常在戦場』公然登場の意味を理解しておるようである。『常在戦場』が多数の人員を擁する集団であることを知らしめた以上、これまで通りの対応では通らない事があるということを。


 これに対し、心してかかるという気構えをグレックナーから感じ取られたので、俺はそれ以上何も言わなかった。ケルメス大聖堂の玄関前で交わされたグレックナーとの会話を思い出していると、馬車はトラニアスの丘陵地にある『グラバーラス・ノルデン』に到着し、俺とドラフィルは素早く下車する。


 俺とドラフィルはそのままお決まりの店であるノルデン料理店『レスティア・ザドレ』の個室に入る。個室の中では、既にジェドラ商会のイルスムーラム・ジェドラとウィルゴット・ジェドラのジェドラ親子と、ファーナス商会のアッシュド・ファーナスが席に座って歓談していた。


「おお、よく来たなグレン。ウィルゴットから話は聞いたぞ」


「襲爵式。規模も内容も凄かったそうじゃないか」


 ジェドラ父は上機嫌で俺に声を掛けてきた。それに若旦那ファーナスが続く。二人共既にウィルゴットから話を聞いたようだ。俺はドラフィルを三人に紹介すると用意された席に座り、早速皆で乾杯した。


 やっと終わった! ワインを一杯飲み干して、襲爵式が終わったことをようやく実感する。俺とドラフィルが話す襲爵式の話を、ジェドラ父も若旦那ファーナスも食いつくように聞いてきた。二人共好奇心アリアリだ。ウィルゴットから聞いた話を、更に詳しく知りたい。そんな感じである。


「しかし『一日執事』だなんて、よくそのような・・・・・」


「中々できない体験でした」


 ファーナスからの問いかけに対して、軽妙に答えるドラフィル。そのやり取りに皆が笑う。俺が話を合わせてドラフィルとリッチェル子爵家の関わりや、襲爵式に至る経緯について語ると、それは更に加速した


「貴族は実に面倒な暮らしを強いられている」


「しかし、そこに入っていく商人魂が逞しいですな」


 ジェドラ父や若旦那は半ば呆れつつも、それぞれ感想を述べながら笑った。ウィルゴットが貴族の控室での出来事を話し始める。それは商人があまり知らない貴族の習性であったり、控室で出された各種のスイーツに対する反応であったりした。


 スイーツに対する反応は上々で、男女問わずよく売れたらしい。今後、各店とも貴族からの注文も増えるのは確実だろう。だが皆が食いついたのは、控室で貴族らが話題にしていた内容であった。


「『貴族ファンド』にはガッカリした。と話していた」


 ウィルゴットの話に一同がかじりつく。ジェドラ父が「どうガッカリしたのだ」と、ウィルゴットを急かした。皆、聞きたいよなぁ、それ。


「思ったほど融資を受けられなかったとボヤいていた。それを聞いていた貴族も「言うほどには・・・・・」と返していたから、一人二人じゃないと思う」


 『貴族ファンド』の評判がイマイチ。ウィルゴットは俺達が欲しかった情報を、ケルメス大聖堂の貴族控室で手に入れた。俺が貴族への饗応の為、急遽ウィルゴットに店の調達を頼んだ事が、思わぬ成果をもたらした形だ。やはりザルツが考えた「貴族から担保を取ること禁じた政令」は、『貴族ファンド』の足を封じていたのである。


「では『貴族ファンド』は思惑通りに事が進んでいない、という訳ですな」


「今のところ、と言ったほうがいいかもですが・・・・・」


 ドラフィルの呟きに、ファーナスが答える。この二人、見たところ同世代のようだし気が合いそうだな。両人の言葉は共に正しい。貴族からの不満が出ている時点で『貴族ファンド』が当初の予定に狂いが生じている事が確実だからである。


 商人界の支持を得られている『金融ギルド』に対して、『貴族ファンド』の支持基盤は貴族となるはず。ところが当の貴族から不満が出ているとなれば、支持基盤そのものが固められていない事になる。もちろんファーナスの言うように現時点では、という話なのだが。


「しかし今回もアルフォード殿の予見が的中したな」


「全くですな。『金融ギルド』の出資金の話といい、小麦の采配といい、読みを外さない」


 要所で決まるザルツの読み。使うカネや労力は同じでも効果がまるで違う。いくら『金融ギルド』の出資金以上の額である三〇〇〇億ラントを積み上げようと、それが思惑通りに動かせなければ積み上げたカネは意味を成さない。今頃フェレットの若き領導ミルケナージ・フェレットは歯噛みしているだろう。若い頃の佳奈の顔で・・・・・


「トゥーリッドも無理をして出資したというのに」


 わざと肩をすくめながらドラフィルは言った。どうもトゥーリッド商会は『貴族ファンド』立ち上げに際し、色々な無茶をやったようだ。


「レジドルナギルドからカネを徴収した上に、レジ側の商会から別に資金を出資させたのですよ」


「いかほどの額を?」


「レジドルナギルドから七十億ラントほど。内訳は積立金三十億ラント、残りは加盟商会が規模に応じて負担させられました」


 ジェドラ父からの問いかけにドラフィルはそう話した。出資すれば取引先の融資の優先枠が付いてくる『金融ギルド』と異なり、単に貴族に貸すためのカネを出すだけの『貴族ファンド』。どちらの方が商人が乗りたがるのかは言うまでもないだろう。


このような事をギルドの会頭から有無を言わせず強要された、レジドルナギルドの加盟商会が本当に気の毒である。そのレジドルナギルドの加盟者であるドラフィルに、若旦那ファーナスが聞いた。


「ドラフィル商会は?」


「一億ラントほどを。ドルナ側はそれで済みましたが、レジ側の連中はそれプラスの出資。まぁ、一番カネを出しているのがトゥーリッドですから、何も言えない空気なのですが」


 出したくもないカネをお付き合いで出さなければならない。しかも踏み倒されて焦げ付いたら、そのカネは返ってこない。融資を受ける際に銀行に出資を求められてカネを出し、やがてその銀行が合併したが為に低い交換比率を提示され、カネが蒸発してしまったのと同じようなものだろう。


 因みにトゥーリッド商会は総額五五〇億ラント程を出資したらしい。見栄と体面の為に随分と無理をしたようだ。ドラフィルの話を総合すると、レジドルナの街からは七〇〇億ラント程度のカネが『貴族ファンド』へと流れた計算となる。『貴族ファンド』にカネを積む価値を俺は見出だせなかった。

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