268 「馬場に、鶴田に、猪木に、ブッチャー♪」

 鼓笛隊が演奏する全日のプロレス中継で流れていたテーマソング「馬場に、鶴田に、猪木に、ブッチャー♪」で退出する、リッチェル子爵ミカエル三世とダンチェアード男爵、そして家付き騎士のレストナック。


 そのミカエルらの後には、団長のグレックナーと一番警備隊長のフレミングの二人が続き、次にルカナンス以下四人の隊長が後ろで横一列に並んで前に進む。その隊長達の後ろを、紋章旗を掲げた隊士らが二列縦隊で隊列を作って行進している。


 そして四人の隊長が左右に紋章旗を掲げている隊士らの最後尾に達したとき、行進が止まり左右の隊士が壇上を背に九十度回った。紋章旗を掲げた隊士の列は四列縦隊となって、ミカエルらと共に神殿から続々と退場していく。


 その間、鼓笛隊は「馬場に、鶴田に、猪木に、ブッチャー♪」を鳴らし続けていた。演奏途中で、新日のプロレス中継のテーマソングに切り替わるかと期待していたのだが、残念ながらそんな編曲にはなっていなかったようである。安心するような、残念なような不思議な気持ちである。


 紋章旗を掲げた四列縦隊の隊士の後ろには、ニュース・ラインが指揮杖を執る鼓笛隊が行進している。紋章旗を掲げた隊士の列が神殿の外に出て、行進の列が鼓笛隊のみになったとき、俺達略礼服組は立ち上がり、鼓笛隊の後に続く。


 俺とワロス、ディーキン、スロベニアルト、トマールの略礼服組の五人は『常在戦場』の隊士らの殿しんがりとなったのである。俺達が行進する隊士らの後に続いて神殿入口を抜けると、ドアが静かに閉められた。


「あー、終わったぁ」


 事務長のスロベニアルトがその場でへたり込んだ。それを見たワロスが「大変な式でしたなぁ」とステッキの柄を両手で持って体重を支えながら、へたり込んだスロベニアルトに声をかけている。


「貴族の式典がこんなに大変なものだったとは・・・・・」


 調査本部長であるトマールも疲労の色は隠せなかった。街中の事情に明るいというトマールも貴族事情については真っ暗なので、かなり気を使ったと思われる。事務総長のディーキンやワロスもおそらく同じだろう。だって俺も疲れたもん。そんなに長い時間の式ではなかったが、色々なことがあり過ぎて、とても長い時間式をしていた気がする。


 しかし、俺達にはまだやることがある。参列者の見送りだ。立ち位置は出迎えの時と並びが逆となる。その見送りを行うため、大聖堂の玄関前に俺達は向かう。途中、貴族の控室を覗くと、既にもぬけの殻。完全に片付けられていた。さすがはウィルゴット、撤収が早い。平民側の控室も片付けられている。異様なまでに段取りがいい。


 俺達略礼服組は大聖堂の玄関ドアの横に俺が立ち、その横をワロス、ディーキン、スロベニアルト、トマールの順で並んだ。出迎えの際には俺がトマールの位置で出迎えたのだが、今度は逆。


 最初に見送る立場である俺は、参列者が最初に出てくる玄関ドアの横に立たなければならないのである。しばらくすると向かいに、神殿から一足早く出たリッチェル子爵家の親族が並んだ。レティの姿もある。俺を見たレティは珍しく素直に微笑んだ。そして俺の真向かいにはミカエルが立つ。


「え? 立つのか?」


「はい」


 俺は驚いた。昨日のムーンノット子爵の話では、襲爵式では見送りに襲爵した本人は立ち会わないと聞いていたからである。そのことについて聞くと、ミカエルの隣に立ったエルダース伯が「ミカエルは子爵領に戻る為、挨拶回りができませんので、見送りをもって挨拶にと」と、事情について説明してくれた。


 なる程、それは合理的だ。現実世界でも返礼ギフトで対処とか、挨拶は簡略化されているからな。今日の返しは今日で終わり、ってのは実にいい方法。その上で伯爵が「私も伯爵領に戻りますゆえ」と付け加えると、左隣に立つエルダース伯爵夫人に睨みつけられてしまったので、思わず苦笑してしまった。そういう関係だったのね、貴方達。


 俺の真向かいはミカエルで、その隣がエルダース伯、エルダース伯爵夫人、レティ、エルダース卿ルディスの順。二列目はエルダース伯爵家の親族であるレジューム子爵夫妻、エルダース伯爵家の陪臣グリューン子爵夫妻、ルディスの妻室レイナ・アルケリーア・エルダース。


 三列目がエルダース伯爵家の親族であるグレマン=エルダース男爵夫妻と嫡嗣、ダンチェアード男爵夫妻。四列目にはエルダース伯爵家親族のヘルベッサー卿夫妻と嫡嗣、ティアリー卿夫妻。五列目はエルダース伯爵家陪臣のビロードニス男爵夫妻と、マスカニレーデ男爵夫妻と嫡嗣。


 そして六列目にリッチェル子爵家の執事長のボーワイド、エルダース伯爵家の執事長アディローダ、一日執事のドラフィル、侍女長のハースト、エルダース伯爵家の侍女長ルイネが並ぶ。リッチェル子爵家側は、親類縁者家臣合総勢三十名で参列者を見送る。構成を見ても分かるように、エルダース伯爵家一門家臣を並べることで格好をつけた形だ。


「エルベール公爵閣下がご帰還なされます!」


 最初に大聖堂の扉から出てきたのはエルベール公。公爵はミカエルにまず頭を下げた後、リッチェル子爵家側の人々に頭を下げた。見ると満面の笑みだ。そして公爵はこちらを向くと軽く頭を下げて、玄関に向かっていった。後ろには家族、騎士、陪臣夫妻、衛士が続く。居並ぶ『常在戦場』の隊士の前を通って、玄関で馬車に乗り込み、そのまま出発する。


 次々と馬車が到着し、あっという間にエルベール公一行はいなくなってしまった。その間、クリスが二人の従者トーマスとシャロン、一日侍女のアイリを伴いやってきた。クリスと目が合う。クリスはアイコンタクトを送ってくると、微笑んだ。これは・・・・・


(何かをやったときの顔だ)


 直感した。あれはクリスの悪役令嬢モードの眼だ。クリスは何かをやった。ケルメス大聖堂の中に入って何かをやったのだ。上機嫌で帰っていったエルベール公と関係があるのか? 俺はそんな事を考えながら四十五度角に頭を下げた。そこを何事も無かったかのように、クリスが通っていく。


 途中、レティに軽く声を掛けると、そのまま玄関に向かって行った。後ろには陪臣、衛士が続き、更にクラウディス一門が次々と大聖堂から出てくる。入場時よりも明らかに早い。どんどん新しい馬車がやってきて、参列者が馬車にどんどん吸い込まれている。


 ホルン=ブシャール候やシュミット伯といったエルベール派の幹部、宰相派幹部のシェアドーラ伯やキリヤート伯、中間派貴族のボルトン伯やドーベルウィン伯らが夫人や嫡嗣、陪臣共勢を引き連れ続々と大聖堂から出てきた。


 ホルン=プシャール候の次にボルトン伯、その次に宰相派のシェアドーラ伯、そしてエルベール派のシュミット伯。今日出席した高位伯爵家ルボターナ三家の中でも、ボルトン伯は最初。やはりボルトン家は別格なのだと実感する。


 見ていく中で分かった事だが、上位貴族の順でケルメス大聖堂から退出しているのだ。ひと括りに貴族、伯爵や子爵といっても、その中には明確な順位と序列がある。どこまでも順序が決められているのだ。これが身分社会というものなのか。


 現実世界ではまずお目にかかることはない、明確な、あまりにも明確なカーストに、ただただ唖然としてしまった。こんなものを見せられてしまうと、このエレノ世界の中で、俺が立っているポジションというものが如何に特異なものであるかを実感する。


「全ての参列者の方が退出なされました。式は終了でございます」


 ケルメス大聖堂の中からやってきたムーンノット子爵は宣言した。あれ? ガーベル卿の姿が見えなかったが・・・・・ リディアも見ていないぞと思っていたら、ワロスが少しよろめいたので、右手でワロスを抱えた。


「・・・・・少し足腰を鍛えなければなりませんなぁ」


「いやいや、大いに鍛えなきゃならんぞ、ワロス」


 自嘲気味に話すワロスに対して、俺がそう嗜めると皆が笑った。普段、事務仕事で座っている事が多いので、筋力が衰えているのだろう。俺もそういう仕事をやっていたので、ワロスがよろめくのは理解できる。


 しかしそんな状態の中、ワロスも本当に頑張ってくれた。俺はディーキンらにワロスを頼むと、スロベニアルトとトマールの四人はリッチェル子爵家側に一礼し、一足早く馬車で会場を後にした。


「アルフォードさん、本当にありがとうございます。貴方のお陰で襲爵之儀、無事に執り行うことができました」


「グレン。お礼の申しようもありません」


 俺に謝辞するミカエルに続いて、レティが深々と頭を下げてくる。思わず顔を上げるように言うと、レティは泣いていた。エメラルドの瞳から涙が頬を伝って落ちてくる。泣いているレティを励ましながら、エルダース伯爵夫人は俺に対して礼を述べてきた。その言葉に合わせエルダース伯からも礼を賜る。


「明日、我が家の屋敷にお越し下さい。その際にお話を」


 伯爵夫人の言葉を了解した。何も断る理由はない。今後の事もある。俺が明日の昼にお伺いする旨を伝えると、夫である伯爵がこう言った。


「私は朝に所領へと向かうので不在だがな」


「イゼル!」


 伯爵の言葉に、間髪入れず夫人が夫を睨みつけた。その姿に嫡嗣ルディスをはじめ、後ろにいるエルダース伯爵家ゆかりの人々が苦笑している。見ると最後列に位置している執事長も侍女長達も笑っているではないか。レティも先ほどまで流していた涙など嘘のように、クスクスと肩を震わせている。


 一見すると仲がよろしくなさそうな伯爵夫妻だが、本当に仲が悪ければギスギスしていて口も聞かないはず。感覚としては同じ布団で寝ているか、別々の部屋で寝ているかの違いでしかない。ウチの家では俺と佳奈は部屋は別で、佳奈の方が週一で通うパターンだ。エルダース夫妻の夫婦芸に場が和んだところで、俺はムーンノット子爵にも礼を言った。


「いえいえ、こちらも大変面白いものを見せていただきまして」


 ムーンノット子爵がこちらに顔を向けて笑った。リッチェル子爵家の側の人々が帰る準備をするために、ムーンノット子爵と共に大聖堂の中に入っていく。俺は一日執事を務めていたドラフィルを呼び止め、ケルメス大聖堂の玄関で待ち合わせする事を告げた。


 襲爵式は終わったが、俺とドラフィルにはもう一つ予定がある。王都ギルドの大手商会、ジェドラ商会のイルスムーラム・ジェドラとファーナス商会のアッシュド・ファーナスとの会食だ。

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