266 式典開始

「これより参列者の皆様には、会場となる神殿へお向かいいただきます。お忘れ物等なきようにお願い致します」


 平民側控室に案内役の声が響く。何処かで聞いたことのあるアナウンスだ。どの世界も案内は似たようなものになるらしい。昨日のムーンノット子爵の話では、一旦控室に入った貴族を、神殿に前からの席順で案内するという説明を受けた。


 高い身分ほど前の席となるという説明がなかったのは、もはや言うまでもない話であったからだろう。平民階級の控室に案内役が来たということは、どうやら貴族の神殿入りは終わったようである。参列者達は立ち上がり、案内役に従って神殿に向かう。


「では我々も」


 ガーベル一家も案内役に従い、式典が行われる神殿に向かう。俺とワロス、ディーキンら略礼服組は最後に控室を出た。


「いよいよですなぁ」


 調査本部長のトマールが言うと、ディーキンが「そうだな」と応じる。俺達の席は決まっている。平民席の一番後ろだ。だから出るのも最後という訳だ。俺達が神殿に入ると、既に参列者は皆、着席している。正面左側最後列に俺達が座る。真ん中の通路を起点に俺、ワロス、ディーキン、スロベニアルト、トマールの順だ。


 俺達が着席して間もなく、壇上、とはいっても一段高いだけだが。その壇上の右袖からリッチェル子爵家の親族が出てきた。エルダース伯爵夫人にレティの姿も見える。今日のレティは白をベースとした、落ち着いた色彩のドレス。


 しかもレティが長身なので、遠くから見てもドレス姿が映える。輝いて見えるのはヒロイン効果も付加されているからだろう。レティら親族は一礼の上、用意された席に着席する。一方、左袖からはデビッドソン主教ら教会関係者が出てきた。ラシーナ枢機卿もいる。その後ろには神官服を着たフレディの姿もあった。


 これで今日の襲爵式、舞台は全て整った。後は主役であるミカエル、そして『常在戦場』の登場を待つだけだ。神殿内は静寂に包まれている。ここまできての失敗は許されない。そう思うと、さしもの俺も緊張する。


 正面左に位置する鼓笛隊の位置にはチャイムだけが置かれており、まだ奏者は立ってはいない。演奏が始まってから立つつもりだな、そう思っていたら、壇上の手前に立つ司会進行役が宣言した。


「これよりリッチェル子爵位、襲爵之儀を執り行います!」


 その言葉の終了に合わせて俺達略礼服組は起立して、顔を右斜め前に向けた。それと同時に入り口の両扉のドアが開き、鼓笛隊の演奏が始まる。


(タイミングは完璧だ!)


 ドアが開く音と演奏のタイミングがピッタリ符合している。流石はニュース・ライン、渡した楽譜をしっかりと読み込んでいるな。勿体ぶった前奏が終わると鼓笛隊の演奏が神殿内に入ってきた。


 指揮杖を振る鼓笛隊長のニュース・ラインを先頭に、鼓笛隊が前を進む。その中には楽器を持たない者が二人含まれていた。彼らは『音量増幅ボリュームブースター』を唱えている魔道士なのだろう。少人数の編成とは思えない迫力の演奏だ。


(えええええ!!!!!)


 どよめく会場と俺の驚きが共鳴した。リッチェル子爵家の紋章旗を掲げた隊士ではなく、紅の大盾。『常在戦場』の紋章をあしらった大盾を持った隊士らが左右の列席者側にその大盾を向けて行進してきたのだ。


 しかも大盾の大きさが、以前ファリオさんが学園に持ってきた大盾よりも更に大きい。当然ながら盾に描かれた『常在戦場』の紋章もこれ見よがしに存在感を示している。目立つ、目立つぞ! 目立ち過ぎだぜ! 自身で興奮しているのが分かる。


 大盾部隊はおよそ三十人規模。その後ろから指揮杖を持った団長のグレックナーと、同じく指揮杖を持つ一番警備隊長のフレミングを左右の先頭にして『常在戦場』の竿頭を付け、正方形のリッチェル子爵家の紋章旗を掲げた旗竿を持つ隊士達が二列縦隊で入場してくる。


 ひたすら続く紋章旗の隊列に列席者のどよめきは更に大きくなった。紋章旗を持つ、隊士の列の最後には右に二番警備隊長のルカナンス、左に五番警備隊長のマキャリングが指揮杖を手に持ち歩いている。列の先頭が参列席の最前列に達すると、正面を向いていた紋章旗を持つ隊士がそれぞれ九十度回って通路側に体を向けた。


「襲爵予定者ミカエル・マーティン・リッチェル殿、入場!」


 進行役が宣言すると、ミカエルが神殿に入ってきた。左右に林立する、リッチェル子爵家の紋章旗の真ん中をミカエルは歩く。その後ろには、まだ若い襲爵予定者を支えるかのように、ダンチェアード男爵と家付き騎士のレストナックが付いている。


 その二人の後には三番警備隊長のカラスイマが右に、四番警備隊長のオラトニアが左にそれぞれ指揮杖を手に入場し、再び紋章旗を掲げる隊士達が二列縦隊で行進してきた。


 行進してきたカラスイマとオラトニアが、先に入場して立ち止まっていたルカナンスとマキャリングの立ち位置に差し掛かったとき、ルカナンスとマキャリングは一歩前に出て壇上正面に向けて九十度周り、ルカナンスとマキャリングと並行して歩く。


 ミカエルの後方をダンチェアード男爵、家付き騎士のレストナックが歩き、その後ろを右から二番警備隊長ルカナンス、三番警備隊長カラスイマ、四番警備隊長オラトニア、五番警備隊長マキャリングの四人が横一線となって歩くフォーメーションが完成した。


「・・・・・こちらに来てから見たこともない・・・・・ 凄まじい光景ですな・・・・・」


 ワロスは静かに呟いた。ワロスは確か、前世では戦災孤児だったはず。武装こそしていないとはいえ、こういった軍隊的な威圧行動には、本質的に嫌悪感を拭えないだろう。しかし、それをもかき消す、多数の紋章旗の存在感は半端なものではない。


 事実、神殿の正面通路を埋め尽くす、圧倒的な紋章旗の数に列席者のどよめきは高まる一方だ。中には拍手をする者、大声で声援を送る者までいる。鼓笛隊と林立する紋章旗。参列者は明らかに『常在戦場』が作り出す空気に飲み込まれていた。


 鼓笛隊が左側の所定の位置。一方、紅の大盾を持つ部隊は右側に位置して、三列横隊で整列している。正面を見ただけでも存在感がアリアリだ。そこに向かってミカエルを先頭とする一大集団は歩いていた。


 四人の隊長の後ろには紋章旗を掲げた隊士らが、二列縦隊で左右に位置して紋章旗を掲げている隊士らの間を整然と歩き続けている。ミカエルは自分の家の紋章旗に囲まれて壇上に向かっていた。


 ミカエルが参列者の席の最前列を過ぎたとき一旦止まった。左右の紋章旗が正面通路の中に一歩入り、それぞれ九十度回って壇上正面に向く。左右の紋章旗の前にいたグレックナーとフレミングは四人の隊長の前に位置した。そしてミカエルの一団は再び動き出す。


(紋章旗の四列縦隊だ・・・・・)


 ミカエルとダンチェアード男爵、家付き騎士のレストナックの後ろに位置するグレックナーと五人の隊長。その後ろには『常在戦場』の竿頭を付け、正方形のリッチェル子爵家の紋章旗を掲げた旗竿を持つ、四列縦隊となった隊士達が続く。


 旗、旗、旗、旗、旗。四列で進むリッチェル子爵家の紋章旗が延々と続く姿に、少なからぬ人が拍手をしたり、声を上げたりしている。中には興奮して立ち上がり奇声を発する者まで現れた。


(これは・・・・・ やり過ぎたか)

 

 目立つ事ばかりを考えて、この世界の人間に与える刺激というものを全く考えていなかった。少し刺激が強すぎたかもしれない。こんな事態を引き起こす事態について全く想定していなかった。このような舞台など刺激のうちにも入らないと思っていたが、それは俺が現実世界でショー慣れしすぎて、刺激に対して鈍感になっていただけだったようだ。


 だが今になって、どうこう言っても対処の仕様がない。人間一人がやれることなんて限られている。後はもう場の流れに任せる以外に方法はないだろう。カネを積んで動かせる類の話ではないからだ。もう少しで行進のショーは終わるので、早く終了する事を願うしかない。


 ミカエルが壇上に上がった。グレックナー以下隊長達が正面から見て鼓笛隊の右横に並ぶ。紋章旗を掲げ、四列縦隊で行進する常在戦場の隊士達が、正面通路を抜けた後、左右に割れた。左右にそれぞれ二列縦隊に割れた隊士の列は参列者が座る最前列の席を横切り、それぞれ壇上を背にして参列者の席の両脇をひたすら歩く。


 やがて二列縦隊のうち、一列が残って紋章旗を参列者の席に向ける。残る一列は後方、最後列の後ろを歩き、その先頭は入場してきた入口付近で鼓笛隊の演奏が終了すると共に止まった。かくしてリッチェル子爵家の紋章旗を掲げる『常在戦場』の隊士達は、神殿内に設置された参列者席を取り囲むように立ったのである。それを見届けると、俺やワロスの略礼服組は着席した。


(・・・・・終わった)


 俺が思ったのと同じタイミングで、会場にため息が広がった。まるで空気が抜けていくような感じである。それほど神殿内には、興奮と緊張が高まっていたのだ。俺は今の神殿の雰囲気を見て、やり過ぎたのだと思い知った。この因は俺の想像力の欠如。しかし、それを思っても仕方がない。今はただ襲爵式がつつがなく終わることを願うばかりである。


「リッチェル子爵位の襲爵之儀に先立ち、ケルメス大聖堂のラシーナ枢機卿猊下より、御言葉を賜ります」


 司会進行役のその言葉に、紋章旗を掲げていた隊士が旗受けバンドより旗竿を抜き、石突を床に置いた。白い法衣を纏って壇上の左側にいたラシーナ枢機卿は、壇上に設けられた講壇の前に立った。


 講壇とは演説などの前に置いてある台のことで、学校の講堂にある演台と同じだ。ラシーナ枢機卿は今回の襲爵式の意義を説き、貴族としての責任。つまり封地を安寧に治め、民を安んじることを求めた。声が最後列まで聞こえるのは『音量増幅ボリュームブースター』のおかげだろう。


 枢機卿の説法はありきたりなものだったが、先程の『常在戦場』の入場で興奮している参列者の心を静める効果があった。ありきたりであったからこそ冷却効果が高かったのだろう。


 俺には全くないが、このような部分で信仰心というものが必要なのかもしれない。ラシーナ枢機卿はさして長くもない説法の中で、参列者を落ち着かせる事に成功した。流石は枢機卿と言ったところか。最後にラシーナ枢機卿はこう締めくくった。


「今日の日に誕生する若き当主に神の加護があらんことを」

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