265 入場終了

 ケルメス大聖堂で行われるリッチェル子爵位の襲爵式。その式典に参列する貴族が続々と入場してくる。既にボルトン伯やドーベルウィン伯、公爵令嬢であるクリスを筆頭とするノルト=クラウディス家の一門陪臣は大聖堂の中に入った。


「ブラント子爵閣下、嫡嗣様、御入場」


 グレックナーの妻室ハンナの実家、ブラント子爵が入場してきた。ブラント子爵夫妻と嫡嗣夫妻、その後ろに陪臣夫妻が続き、最後にハンナと女性が並んで歩いている。あの女性は姉妹なのだろうか。


 ハンナと目が合うと、ハンナはニッコリと笑ってきた。昨日ハンナから届いた封書には、従来より詳しい貴族派閥の情報が書かれていた。それを書きながら襲爵式の実現の為、駆けずり回るという大車輪の活躍。今回の事が終われば、ハンナには慰労の声を掛けなければいけない。


「ガウダー男爵閣下、御入場!」


 デビッドソン主教の叙任式の際、俺に声を掛けてきたガウダー男爵も夫人を伴って入ってくる。あのとき見届人という立場で叙任式に参列していたが、聞くと見届人というのは門徒宗の代表者のような立場であるらしい。


 ケルメス宗派の信者団体の幹部、あるいは世話役といったところか。ということで、ガウダー男爵も信仰心があるのだろう。俺の姿を見ると、ガウダー男爵は軽く会釈してきた。どういう訳か、ガウダー男爵という人物、俺に好意的である。


 貴族らが次々に通る中、シェアドーラ伯やキリヤート伯といった宰相派閥幹部が夫人や陪臣、嫡嗣や家付き騎士を伴い入場してきた。皆、俺を見て驚いている。まずは我々に話を通してからと、宰相派の会合で言ったというレイムシャイド伯も夫人と共に入ってきた。この辺りの貴族は皆、宰相派に属する貴族なのだろう。


 だが宰相派に属しているはずの財務卿のグローズ子爵や民部卿のトルーゼン子爵の姿は見えない。おそらく宰相府の役職者は参列しないようにしているのであろう。行政の中立、あるいは宰相閣下であるノルト=クラウディス公が直接関与している印象を下げる狙いがあるのか。この辺り、後日クリスに聞いてみる必要がある。


「ヴェンタール伯爵閣下、嫡嗣様、御入場!」


 何組かの貴族が入場した後、学園の同窓会組織『園友会』の副会長でもあるヴェンタール伯が肥満気味の体を揺らしながら入場してきた。俺を見て驚いている。心の中で思わずニヤリとしてしまった。オルスワードとの決闘に際して姿形に似つかわしくなく、一番俺達に好意的な振る舞いをしていたのがヴェンタール伯だった。伯爵は夫人と嫡嗣、家付き騎士に二組の陪臣夫妻を連れて大聖堂に入っていく。


 続いて入場してきたのは『貴族ファンド』に名を連ねていたシュミット伯。伯爵は夫人と共に入場する。その次は同じく『貴族ファンド』に名を連ねたホルン=ブシャール候。ホルン=ブシャール候の方は夫人、嫡嗣夫妻と令息令嬢。四組の陪臣夫妻、八人の騎士衛士を引き連れて入ってきた。


 やはり伯爵と侯爵という爵位の間には、資力に大きな差があるのだろう。列の規模がまるで違う。それがこのような式でハッキリと見えてしまうのは、実に恐ろしいことだ。羨望の傍らで生まれる嫉妬が、何を生み出すのかを考えればゾッとする。


「エルベール公爵閣下、嫡嗣様、御入場!」


 貴族派第二派閥エルベール派の領袖、エルベール公が夫人や嫡嗣、令嬢を伴い入場してきた。見ると初老のなんの変哲もないおっさんだ。俺よりも少し上ではないのか。この人物が貴族派第二派閥の領袖。


 『貴族ファンド』と『襲爵式』を天秤にかけてツバをつけ、美味しい所を獲得したいという、いかにもおっさん的発想の人物。発想と容貌が完全一致しているのは分かりやすい。このエルベール公、エルベール派を切り崩す事が俺にとっての重要なミッションである。ただこのエルベール公、見たところ気質は悪くなさそうだ。


 気質は切り崩し工作を行うにあたって、重要である。気質の悪いヤツを切り崩すなんて、それだけで気分が悪いだろう。仕事だから割り切れと言われたって「いや、仕事じゃないから、これ」と言い返してやる。ただエルベール公がボルトン伯的な、タヌキ気質の持ち主である可能性も捨てきれないので警戒心を捨ててはいけない。


 エルベール公と家族の後ろには、六人の騎士が続く。そして陪臣と思われる夫妻が次々と並んで入ってくる。その数九組。そして最後に三列縦隊の衛士が二十一人。これが高位貴族の入場の仕方か、と妙に感心してしまった。クリスの時も似たような入り方だったが、あれが宰相閣下ならこれ以上の規模の入場となっていた事は間違いないだろう。


 このエルベール公の入場をもって、今日の襲爵式に参列する、全ての貴族の入場は終わった。


「いやいや、疲れましたわい」


 貴族の入場が終わると、ワロスはステッキを両手で持って体重を掛けた。ワロスも初老の身、慣れぬ行事に疲れるのも無理はない。少しウェイトが多い事も長時間の起立で疲れる一因だろう。そもそもワロスの仕事は、俺と同じ事務仕事だったな。普段、一日座っているのに、いきなりの立ちっぱなしは疲れて当たり前か。


 俺はディーキンらも誘って控室に向かうことにした。控室。とは言っても平民の控室。貴族の控室とは別だ。当たり前の話だが、控室も貴族用と平民用に分けられている。昨日、ウィルゴットに頼んで店の手配をしてもらったのは貴族の控室。対して平民の控室の方はなんの手当もしていない。


 こちらの方についても考えなければいけなかったと、今更ながらに後悔した。というのも、貴族出身で騎士あるいは地主身分になった者は貴族出身であろうと、平民用の控室を利用する事になるからだ。貴族用の控室に入るのは、あくまで貴族と従者のみである。


「アルフォード殿」


 控室に入ると黒い軍礼装を身に纏った、長身痩躯の人物が声を掛けてきた。年の頃は壮年、確かドーベルウィン伯の後ろを歩いていた人物だ。俺はワロスらと別れ、軍礼装の人物と話す事にした。


「レアクレーナ・カルタス・ドーベルウィンです。お見知りおきを」


 ああっ! 確かドーベルウィン伯とスクロード男爵夫人の弟君。ドーベルウィンとスクロードの叔父上だ。


「私はグレン・アルフォード。ドーベルウィン伯にはお世話になっております」


「いえいえ、我が兄や我が姉、甥たちの方が君の世話になっているではないか」


 レアクレーナ卿は苦笑した。兄であるドーベルウィン伯から「面白い式があるから、一緒に来い」と言われて帯同してみたら、グレックナーはいるわ、フレミングはいるわ、統率された一団はいるわでビックリしてしまったらしい。


 レアクレーナ卿は現在、近衛騎士団で義兄スクロード男爵と共に団長の地位にある。義兄でもあり同僚でもあるスクロード男爵の方も、間違いなく驚いているだろうと話してくれた。


「しかし、スクロード男爵夫人は驚かれていはいないでしょうなぁ」


「ほう、どうして?」


「肝が据わっておられますから。ドーベル・・・・・ いや、ドーベルウィン卿を引きずり出す女傑ですし」


 そう言うと、レアクレーナ卿は声を上げて大爆笑してしてしまった。俺の今の称賛はきっと姉上も喜ぶはずだ、と付け加えるレアクレーナ卿。おそらくレアクレーナ卿も、自身の姉であるスクロード男爵夫人の事を、虎とか猛者だと思っているようである。しかも俺と一緒の感覚で。


 意気投合してしばらく話をしているとレアクレーナ卿を呼ぶ者がいたので、レアクレーナ卿とはそこで別れた。しかし、思わぬ出会いがあるものだな。濃厚過ぎる関係性。恐るべし貴族社会である。


「グレン?!」


 俺を呼ぶ甲高い声が聞こえた。振り向くまでもない。この声はリディアだ。見ると後ろにはガーベル卿夫妻と長男スタンもいる。俺はサッと、リディアの方に駆け寄った。


「いやいや、大変な式ですな」


 俺が式典参列の礼を述べると、ガーベル卿が言ってきた。ケルメス大聖堂で襲爵式を行うというだけでも驚きだったが、参列する貴族の多さと、儀杖している者の数にも驚いたと。ガーベル卿によると王宮の儀式並みの規模であるらしい。


 横にいた長男スタンも父を肯定している。気になっていた饗応の方だが、給仕が参列者の世話をしている姿が目に入った。おそらく儀礼に詳しいムーンノット子爵が手配してくれたのだろう。一安心する俺に、ガーベル卿が聞いてきた。


「あの儀仗をしている者は?」


「『常在戦場』です。襲爵式の見栄えを良くするために依頼しました」


 嘘ではない。当初俺が『常在戦場』をリッチェル子爵位の襲爵式で使おうと思った動機は見栄えだったのだから。また『常在戦場』俺がカネを出している訳で、俺が俺に依頼するという形になってはいるが、依頼したこと自体は事実。


「あれが『常在戦場』か。騎士団並の訓練を受けておる」


 ガーベル卿は感心している。よく考えればガーベル卿も軍人。やはり見るところはそういう部分か。


「グレン。この服は?」


 俺とガーベル卿の会話にリディアが割って入ってくる。


「平民服だ」


「平民服?」


 首を傾げているリディアに俺は説明した。『常在戦場』の事務方で働いている者が地主身分、農民身分、商人身分と出身成分が違うので、式典の参加するに際して共通の服が着られない。そこで皆が着られる服として、この『平民服』を作ったのだと。するとリディアは「そうなんだ」と素直に納得した。


「なるほど。その発想はありませんでしたな」


「いつまでも学園の生徒ではありませんし」


 ふむ、とガーベル卿は頷く。リディアは俺が言った言葉にちんぷんかんぷんだが、ガーベル卿と長男スタンは察しが付いたようだ。


「つまりは平民の共通服を作ったと」


「そんなところですよね。出身に対して気兼ねがなくなりますから」


 問いかけてくるスタンに対して、俺は踏み込んで話した。ガーベル家も騎士身分とはいえ平民であり、服装ドレスコードでは苦労が絶えない筈。そう思って言ったのだが、俺の言葉に意外な人物が反応した。


「女の平民服もあれば、よろしいですのにね」


 なんと言葉を発したのはガーベル卿の妻室であるヘザー・ガーベルだった。リディアと同じ赤色の髪を持つ母ヘザーは、この世界の細かすぎる服装ドレスコードにうんざりしているようである。


「平民服、いい発想ですわ。そうは思いません?」


「そうだな・・・・・」


 妻であるヘザーの言葉に、ガーベル卿は肯定した。心なしか、たじろいでいる・・・・・・・ような感じだ。リディアが意外そうな表情をしているので、自分の両親の知らない一面を見たのだろう。亭主関白のように見えるガーベル家だが、夫婦関係は微妙に異なる。そういったところではないか。


 だがリディアよ、これが夫婦というものなのだ。体験者が断言するのだから間違いない。愛羅も俺と佳奈の事を、リディアと同じくこういう眼で見ていたのだろうか。帰ったら一度聞いてみたいところだ。その前に話せるのか、という大きな問題が横たわっているのだが。

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