263 予行演習

 音楽に携わる者特有のモノであるかどうかは分からないが、フフフフフフンのニュアンスか、ドレミファソラシドのニュアンスの違いで理解しろと言われたって、音楽をやったことがない者がどうやって理解しろという話。まさに異世界次元のモノなのだが、説明する側はこんな程度のものがどうして分からないのか、と思ってしまう。


 隊士の行進方法を考える立場である、二番警備隊長のルカナンスに対する鼓笛隊長ニュース・ラインの感覚がまさにそれで、いくら真剣にそのニュアンスをニュース・ラインが伝えても、受け手であるルカナンスがそれを全くキャッチできなかった。


 結局、俺が間に入り、提案という形でニュース・ラインのニュアンスについて説明し、あれこれ話をする中で、その内容について一定の理解を得た。その上でルカナンスが一度やってみましょうと応じた事で、ようやく話が前に進む。そんな感じだ。


 鼓笛隊が入場口に移動して演奏を始めた。演奏開始後、足踏みを始める鼓笛隊。そして前奏が終わった瞬間、前に進み始めた。主題のところで行進を始めたのである。鼓笛隊の後ろに控えていた隊士らは鼓笛隊に引きずられるように、足を揃えて行進している。


「おおお、これは・・・・・」


 ルカナンスが驚いている。ニュース・ラインがやりたかった行進はこれだったのだ。ニュース・ラインは一生懸命説明していたが、ついに言語ではルカナンスに伝わらなかった。「百聞は一見に如かず」と言うが、それが実演一つでニュアンスが理解されたのだから皮肉なものである。


 こうして鼓笛隊が隊列の先頭に立つのは決まった。ただ、俺は隊士の入場部分がどうも気に食わない。ミカエルの後ろをリッチェル子爵家の紋章旗を掲げた隊士が、四列縦隊で行進するだけでは芸がないではないか。


(そうだ! 左右にリッチェル子爵家の紋章旗が無数に掲げられているところをミカエルが入場するのはどうだろう?)


 紋章旗を掲げて行進する隊士は約四百名。それを四つに割ると百名。まず鼓笛隊が先頭に入場して二列縦隊で二百名の隊士が紋章旗を掲げて入ってくる。入場した隊士は左右それぞれ通路側を向き、襲爵予定者であるミカエル、従者であるダンチェアード男爵と家付き騎士のレストナックを迎える。


 その後ろにリッチェル子爵家の紋章旗を掲げた二百人の隊士が二列縦隊で付いて行く。そしてミカエルと二人の従者が、紋章旗を掲げる隊列の最前列を過ぎ去った後、左右にいて紋章旗を掲げていた隊士らが隊列に加わり、四列縦隊でミカエルの後ろを歩く。左右の隊士がくるりと九十度回って合流すれば、きれいな四列縦隊が出来るはずだ。


 ミカエルが式場に上がった後に隊士は左右後方に周り、会場を取り囲むようにリッチェル子爵家の紋章旗を掲げながら、旗受けから竿を外し石突を地面に立てる。我ながらいいプランだ。俺は早速ルカナンスに提案すると、「面白いですね!」と乗ってきた。


 ルカナンスは隊列に加わっていたカラスイマやオラトリオ、マキャリングといった隊長連を呼び寄せ、協議を始めた。みんな指揮杖を持っている。木剣よりもずっといい。指揮杖を持ってはどうかと提案をしておいて本当に良かった。


 隊士らを休憩させた後、協議が始まったのだが、時間が長い。最初、俺の案を巡って紛糾しているのかと思ったらそうではなく、各隊長の立つ位置についての協議で長引いているようだ。おいおい、人より俺かいな。こういう所はどの世界でも同じである。やがて協議が終わって、行進の練習が再開される。


 団長であるグレックナーも警備隊長の中心人物であるフレミングも不在な訳で、不毛な協議は一旦打ち切られたようである。入場方法や行進方法のいきなりの変更で最初戸惑っていた隊士達だったが、何度か行進を繰り返していく内に慣れていき、徐々に形となっていく。今日は旗竿に旗頭と紋章旗を付けていないが、付けると絶対に壮観なはず。そう思っていたら、神殿内に続々と人が入ってきた。


 ミカエルやダンチェアード男爵、ラシーナ枢機卿にデビッドソン主教。フレディの姿もある。ムーンノット子爵やグレックナー、フレミングもその中にはいた。どうやら襲爵式の儀礼の方の打ち合わせが終わり、これから予行に入るようだ。俺は鼓笛隊の演奏を止めるように指示して、代わりに「一! 一! 一、二!」と掛け声を出すように伝えた。


 『常在戦場』が行進の練習をする傍らで、デビッドソン主教らが襲爵の儀式の予行を行っている。俺は襲爵式で実際に座る位置。正面左側一番後方で立ちながら二つの予行を見ていた。やがて教会側の予行が終わると、ミカエルやダンチェアード男爵、家付き騎士のレストナックを交え、入場の練習と退出の練習を行う。結局、この日の予行は夜まで続いた。


 ――襲爵式当日。俺はいつもと変わらぬ朝を迎えていた。朝四時五十分に起きてストレッチをした後、ロタスティに五時四十五分に入り朝食を食べる。六時半からランニングを始めた後、鍛錬場に入って打ち込みを行う。いつもと違うのはここからで、八時に切り上げて浴場に入り、そのまま馬車溜まりに向かって馬車に乗り込んだ事だ。目的地はもちろんケルメス大聖堂である。


 ケルメス大聖堂に着くと、既に多くの人々が襲爵式の準備を行っていた。大聖堂前では交通整理を行う者や、馬車を誘導する者が確認作業に追われている。中では清掃作業を行う者や、モノを移動させる者がせせこましく動き、列席者を迎え入れる準備が着々と進められていた。


 俺が控室に顔を出すと、ジェドラ商会のウィルゴットが、店員と思しき者たちに指示を飛ばしている。そんなウィルゴットと目が合ったら、お互い出てくる言葉は商人の挨拶「まいどっ!」だ。


「よう、グレン。早いな」


「いやぁ、ウィルゴットの方がもっと早いよ」


 ウィルゴットは朝の七時からケルメス大聖堂に詰めているらしい。昨日、ウィルゴットはスイーツの名店を回って頭を下げ、この控室に「臨時出店」してもらったということである。


 ケーキで有名な『シャルレ・デマンド』、クッキーで知られた『オーガスタイム』、老舗カステラの『ムシャヒディン』、王都でプリンブームを巻き起こした『ホイポイ・ホイポイ』など、名だたる店が九軒も出している。繁華街に強いというジェドラ商会の力を改めて思い知った。


「だから王都のスイーツ店は軒並み閉店だ」


「今日一日だけは市民に我慢をしてもらわないと仕方がない」


 俺とウィルゴットは互いに笑い合った。無茶を言っている俺と、無茶を受けているウィルゴット。しかしお互い、キツイ事をやらせているという感覚はない。それは俺の仕事をこなせばこなすほど、ジェドラ父からの評価が高まって、より大きな仕事を任されるからだろう。ウィルゴットが意欲的に仕事をやっているから、無理強いしている感じにはならないのだ。


 そんなウィルゴットに各店の店主に対し、心付けをしてもいいかを聞いた。帰ってきた返事は「もちろん」。俺は『収納』で十万ラント金貨を出すと、各店主に気持ちだと伝えて渡す。すると皆が恐縮してしまった。まぁ、現実世界で三百万。引かれても仕方がないか。そこで俺は控室にいる全ての者に挨拶をした。


「皆さんには無理を言って出店していただきありがとうございます。今日行われるリッチェル子爵位の襲爵式。私はなんとしても成功させねばなりません。その為には参列者の皆様に、ノルデン最高のおもてなしを行わなければいけない、そう考えている次第。この式の成功は皆様にかかっております。皆様の腕をしっかりと参列者の皆様にお見せして頂きたい。宜しくお願い致します」


 俺が頭を下げると、「頑張ります!」「お任せ下さい!」という声が飛んだ。控室は俄然熱気を帯びてくる。ウィルゴットが「成功したな」と声を掛けてきた。出店している店々も、自分の店の存在感を示す好機だと捉えているという。


 俺の言葉でそれが明確に見えてきたので、みんなやる気になったと、ウィルゴットは説明してくれた。これなら控室は大丈夫そうだな。控室での饗応の件はウィルゴットに託し、俺は神殿に向かった。


 神殿では昨日に引き続き、教会側の予行が行われていた。昨日との違いは、教会関係者の多さ。アリガリーチ枢機卿の姿があり、トンスラの一団も見える。今回も聖歌隊が出動するのだろう。


 デビッドソン主教の叙任式の際は、まさかの『モルダウ』で『ドンパン節』だった。今回はあのような悲劇がないようにしてもらいものだ。壇上に居たフレディが俺に気付いて、左手の人差し指と親指で丸を作って見せてきた。


 もしや例の件、三人の教官に纏わり付いている邪気を払う術について、ニベルーテル枢機卿から聞けたのか。フレディから今すぐ話を聞きたいところだが、今日は襲爵式で無理だ。話は後日、聞く事にしよう。そんな事を思っていたら、エルダース伯爵とムーンノット子爵が壇上で何かを確認し合っている。


 おそらく親族代表の挨拶についてだ。式の進行そのものは現実世界のそれよりシンプルだが、失敗できないという緊張感はこちらの方が上。心してかからなければならない。俺は自身の出迎えの立ち位置を確認するため、大聖堂の入口部分に戻った。すると『常在戦場』の面々がやってきたところ。俺と面々はお互い挨拶を交わした。


 昨日までとは違って、今日は白地に金モールという儀仗用の服。靴も半長靴だ。途中、やってきたフレミングやルカナンス、カラスイマら隊長連と会話を交わし、進捗を確認する。今日は朝から屯所や営舎で準備をしてきたとのことで、こちらも調整の最終段階に入っている感じだ。


 事務総長のディーキン、事務長のスロベニアルト、調査本部長のトマールも現れた。共に黒の上下に白のネクタイ、銀のベストの略礼服姿。胸には白いポケットチーフ。三人とも現実世界で歩いていても違和感がないぞ。


 もっとも外国人の略礼服姿なんて見たこともないが・・・・・ 『投資ギルド』のワロスも到着した。こちらも皆と同じく略礼服。違うのは黒い中折れ帽を被り、とステッキを持っているところだ。昔の写真でそんな格好の人間を見たことがあるぞ。それをどこで仕入れてきたんだ、ワロス。

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