262 式典準備

 明日行われる襲爵式の会場となったケルメス大聖堂の神殿。早朝なので誰もいないと思っていたら、既に『常在戦場』の事務総長であるディーキンが来ていた。「早いですねぇ」と声を掛けてくるディーキン。俺は早速、ディーキンに襲爵式の準備状況について尋ねた。


 ディーキンの話によると、貴族来訪を告げたり案内したりする貴族応対要員が百人以上必要で、それをエルダース伯爵家から委嘱を受けたムーンノット子爵が一手に集めたらしい。主にエルベール派の貴族の元で働く執事らを動員してのことだという。


(だから派閥が必要なのか・・・・・)


 ボルトン伯が言っていた事を思い出した。派閥に入っていれば負担が少ないと。こういうことか、と改めて実感した。貴族の饗応に慣れた人材を百人以上集めるなんて、普通はまず無理。ところが派閥に属していればそれは容易。


 イベントの成否が派閥のメンツにかかってくるので、皆が支えようと挙って人を出す。それも貴族慣れした家中で仕える者達をである。リッチェル子爵家の襲爵式は、子爵家とエルダース伯爵家ら親族も所属する、エルベール派の貴族が支える事で初めて実現できるのだ。これでは派閥を抜けるなんて事は容易ではない。


「ムーンノット子爵は中々の人物ですよ」


「だろうな」


 急に頼まれたケルメス大聖堂で開かれる襲爵式の準備。儀式に参列する貴族を相手とするのにどれだけの人員、それも貴族の応対に慣れた人間が必要化を把握し、調達して配備するのだから、有能でなければ用意などはまず不可能。


 大筋の段取りはムーンノット子爵とハンナの間で出来上がっている状態で、ディーキンは『常在戦場』側ですべきことの確認作業に当たっているとのことである。そんなやり取りをしていたら初老の人物がお供を連れてやってきた。ディーキンが「ムーンノット子爵です」と耳打ちしてくれたので、立ち上がって名乗りを上げる。


「おおっ。貴殿がアルフォード殿か。エルダース伯爵夫人やハンナさんから話は伺っております」


 デルマー・ハンプトン・ムーンノットと名乗った老貴族はゆっくりと椅子に座ると、まず儀礼準備の進捗状況について話した。貴族応対の要員を百五十人以上確保できたこと、貴族が乗ってくる馬車の誘導要員も確保できたことなどである。馬車の誘導要員は、貴族のスムーズな入退場に必要不可欠と説明してくれた。


 こちら側では容易に揃えられない人員を確保して、その準備が出来たことをサラリと言える時点で只者ではない。お供だと思っていた壮年の人物は、名をカルピンという嫡嗣だという。親子で襲爵式の段取りをしているようである。


 続いて式次第の説明があった。まずは来訪する貴族の出迎え。到着した貴族の名を告げ、控室に案内する。聞けば簡単な話のようだが、三百家以上来訪する貴族の名を間違えず名を告げるだけでも、手慣れた者が行わないと間違えるだろう。


 もし間違えて呼んでしまった場合、メンツの問題となり大事になる。ここで『常在戦場』の隊士らが並んで迎え入れる手筈になっているとのこと。ここに俺やディーキンも出迎えに並ぶことを提案した。


「よろしいのですか?」


「客人を出迎えるのは団の出資者として、最低限の使命だろう」


 ディーキンの疑問に俺はすぐさま答えた。これはあくまで名分で、実のところ俺が目立つようにする演出である。が、それをおくびにも出さずに言うと、それを聞いたムーンノット子爵も、それは儀礼の姿勢として立派だということで参列に賛成してくれた。かくして出迎えには『常在戦場』の隊士の他に、俺やディーキン、ワロスらが並ぶこととなったのである。


「この点をどのようにすればよいのか、考えあぐねておりまして・・・・・」


 説明途中、ムーンノット子爵は少し困った表情となった。何がお困りでと聞くと、控室内での饗応についてだという。通例では控室で食事や酒、菓子や紅茶などが提供される。が、ここは大聖堂。どこまでが許されて、どこまでが許されるのか。その判別が難しいとムーンノット子爵は腕組みをした。なるほど、饗応か。これ一つでもああだこうだという話になるのだな。


 だったら控室の調度品も問題になるのでは? そう思ってムーンノット子爵に聞くと、通常はそうだが、今回は大聖堂の中という事で、大聖堂内の椅子やテーブルがそのまま使えるので大丈夫だとのこと。むしろケルメス宗派の総本山で使われた聖なる調度品、豪華な調度品よりも価値が高いと見做されるそうである。


 それは良かった。ということは、後は貴族の饗応だけか。俺は以前、ケルメス大聖堂で行われたというスチュアート公の叙爵式に参列されたかどうかについて、ムーンノット子爵に尋ねた。すると参列したという。年齢から考えても当然か。


「その際、控室の饗応がどのようなものであったか、覚えておられますか?」


「!!!!!」


 ムーンノット子爵の顔が変わった。俺の問いかけの意味を察したのであろう。


「もちろん覚えております。紅茶と菓子のみでございました。なるほど、これに準じたものを」


 王族の叙爵にしては質素なもの。だからムーンノット子爵の記憶にしっかりと残っていたのだろう。俺は子爵に了解を取って魔装具でウィルゴットと連絡を取った。王都内の著名菓子店を軒並み集めて欲しいと依頼したのである。


「おい、グレン。いきなりか!」


 戸惑うウィルゴットに俺は言った。


「ああ、いきなりだ。だからカネに糸目はつけない。それに一日だけとはいえケルメス大聖堂に出店して、名だたる貴族の饗応に出したとならば店に泊も付くだろう。これができるのは繁華街の商店に顔が広いウィルゴットだけだ」


「そう言われても・・・・・ うううう、分かった。やるだけのことはやるよ」


 了解したウィルゴットに俺は言った。


「すまんが、パフェ屋も頼むぞ」


 おう、と言ってウィルゴットは魔装具を切った。見るとムーンノット子爵は呆気に取られている。おそらく魔装具に驚いたのだろう。


「饗応については今から手配致します。明日改めて打ち合わせしましょう」


「・・・・・い、いや、その通りに。しかし、驚くような手配の方法でしたな。まさか、王都の菓子店を丸ごと大聖堂に持って来るなんて」


 ムーンノット子爵は半ば呆れているようだ。本来ならば先進的な菓子を出して流行を作り出す的な演出もありだろうが、目的の趣旨はそこではない。襲爵式に参列する貴族からケチが付かないレベルでの饗応を行うため、そのために出来得る限りの手を打つだけだ。ムーンノット子爵は饗応の件について了解すると、その後の式の流れについて説明した。


 控室にいる貴族を呼んで襲爵式が行われる神殿に案内し、席に案内する。全ての貴族と従者らが入場した後、平民階級の参列者が神殿に入って着席。次に儀式を執り行う主教ら教会関係者と親族が神殿袖より入り、式典の準備が整うと、襲爵予定者が従者を従え入場する。


 主教が襲爵予定者の前で襲爵を宣言し、親族代表がその受け入れを表明。見届人が見届けた旨を宣し、襲爵者が襲爵を宣言。聖歌隊が聖歌を歌った後、襲爵者が退場、これで儀式は終了する。見送りに際しては、襲爵者と親族が玄関前に立ち、参列者を見送る。これが儀式の全容である。


「『常在戦場』の協力があり、このような大きな儀式にも関わらず、負担は大変少ないです」


 え? ムーンノット子爵はにわかには信じがたい言葉を述べた。負担が少ない、どういうことか。襲爵式に限らず、貴族の儀式や集まりで一番の問題は「人」の問題なのだという。いくら用意をしても、人が集まらないと実質的には失敗となってしまう。この人を集めるのが大変なのだ、とムーンノット子爵は言った。


「参列者の数もそうですが、儀仗を行う者がこれほどいると立派な式典になります。立派な式典となれば自ずと人が集まるもの。こちらとしては安心して用意ができますので」


 なるほど、一理ある。いいコンテンツでなければ客は集まらないのは当たり前の話だ。聞けばムーンノット子爵家は貴族の儀式を執り行う事を生業としているとのことで、ムーンノット子爵からしてみれば『常在戦場』は心強い味方と写っているようである。


 いやぁ、エルダース伯爵夫人がムーンノット子爵とヘレナに委嘱してくれて良かったよ。そうでなければ、今頃大事になっていたところ。俺は自分がつくづくいきあたりばったりな人間だと思い知らされた。


 昼になって常在戦場の隊士らがやってきた。手に手に旗竿を持っている。今日は旗頭も旗も付けていない。予行のため、確認に必要な最小の装備で大聖堂にやってきたのだ。鼓笛隊のメンバーの姿も見え、今日は魔道士も同伴している。


 神殿での音響の確認をする作業だろう。鼓笛隊が演奏し、隊士達がそれに合わせ、旗竿を垂直に立てて神殿中央の通路を行進する。何度も行われる予行を俺は黙って見ていたが、四度目の行進の時、俺は行進担当者であるルカナンスに声を掛けた。


「一番先頭に鼓笛隊を入場させてはどうか」


「鼓笛隊をですか?」


 鼓笛隊は参列者の席の前、襲爵式の儀式が行われる場と参列者の席の間に位置したまま演奏していた。本来鼓笛隊は行進しながら演奏をするもの。チャイムを除く楽器と指揮者、そして魔道士がまず入場するという演出はどうか。話を聞いたルカナンスは、鼓笛隊長のニュース・ラインを呼んで俺の提案を話すと、ニュース・ラインは嬉しそうに答えた。


「隊長。おカシラの言われる通りです。是非そのように」


 ニュース・ラインは熱心に鼓笛隊の特性について説いた。また、曲のどのタイミングで入場するか等、事細かに提案する。ニュース・ラインの話は俺にはよく分かるが、ルカナンスの方は当たり前だが全く理解できていない。音楽をやっている人間の説明というもの、やっていない人間にとったら別の国の言語を聞いているようなものだ。


(「はい、はい、はい、はい、そこ?!」とか、「そう、そこ上がって!」とか、「そこを伸ばして、ピッと止める!」って言われながら、手を動かされてもなぁ)


 言ってる人間は真剣だが、やったことがない人間には意味不明な表現とジェスチャー。そういう次第で翻訳しないと、一般人にまず伝わることはない。俺はルカナンスにニュース・ラインのニュアンスについて説明した。


 因みに俺が翻訳したところで、ルカナンスが理解できるのは七割程度ではないか。これは俺の言語も、音楽をやってる人間のものだから仕方がない。ルカナンスなりに理解しようと聞いてくれた事もあって、鼓笛隊が先頭に入場する意義や、タイミングなどについて何とか理解してくれた。音楽のない世界では、音楽を理解してもらうのも一苦労である。


(音楽がない世界に音楽を持ち込むことがこんなに大変だとは・・・・・)


 俺は現実世界とエレノ世界との文化的なギャップを改めて認識した。

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