261 ニュース・ライン
自警団『常在戦場』の営舎にアイリと一緒に訪れた俺は、隊士らの行進を確認した後、鼓笛隊の練習棟に顔を出した。やはり気になるのは演奏の上がり具合。鼓笛隊長のニュース・ラインが俺とアイリを上機嫌で迎えてくれて、先週会ってから後の話をしてくれた。
小太鼓奏者のダルトの知り合いにチャイムを演奏する者がいるという事だったが。首尾よく入団が決まったというのである。しかもフルートとクラリネット、サクソフォンの奏者まで加わったとの事。ないのはチューバとファゴットぐらいじゃないか、これ。いいじゃないか、ニュース・ライン。
「そうか。だったら、パートを増やしてもいいな」
「おカシラ、そんな事できるのですか?」
「できるよ」
俺は収納で源譜を出し、ニュース・ラインにフルートとクラリネット、サクスフォンに弾いて貰おうと話す。するとニュース・ラインは「元々パートがあったのですな」と驚きつつも、当該のパートを指でなぞり、別の紙に写し始めた。
「『転記』なんですよ。複写魔法の一つです」
「器用だな。そんな事ができるんだ」
ニュース・ラインは『転記』で、あっという間にフルートとクラリネット、サクスフォンの楽譜を作ってしまった。その楽譜を新たに加入した奏者達に渡す。彼らは何度か楽譜を流し読むと、難なく演奏を始めた。楽器が増えると当然ながら、演奏の厚みが増す。練習で精度を上げた事も相俟って、重量感のある演奏となった。
しかし初見でこれだけ弾けるということは、三人共譜面に強い証拠。俺なんかとは大違いである。俺は初見に弱い。だからひたすらルーチンで練習し続けて、弾けるようにしていく。実力の差はこういう所で出てくる訳だ。
「素晴らしい演奏だ!」
演奏が終わると俺とアイリは拍手をした。いい演奏だから自然と拍手をするのである。新たに加わった三人の奏者を合わせ、指揮者のニュース・ライン以下十三名の鼓笛隊が本番時の主役。このエレノ世界には音楽が少ない。
彼らが演奏で存在感を示せば、エレノにおける音楽の地位向上に一役買うだろう。襲爵式まであと二日。出来得る限りの準備はできた。後は明日の予行演習で最終調整をするのみ。時は確実に満ちようとしている。
――夕方『グラバーラス・ノルデン』に着くと、デビッドソン主教とフレディ、そしてリディアがラウンジで待っていてくれた。到着してから三十分程経過しているということで、体を休めるにはいい時間だったようだ。
馬車移動は体力がいる。馬車に初めて乗ったとき、体のあちこちが痛くてビックリした。サスペンションが悪すぎて、体力を消耗したのである。その点高速馬車は車並みのサスペンションを持っているが、アスファルトで舗装された道ではないので、体へのダメージは車の比ではない。
比較的道が整備されている王都内を移動する分には問題が少ないのだが、郊外を移動する際に問題がある。だから長距離馬車移動の後は、しばらく体を休める必要があるのだ。ただ、デビッドソン家の本拠であるチャーイル教会と王都は比較的近いので、それほど休まなくても良いとは思うが。
俺はデビッドソン主教に挨拶をし、迎えに行ったフレディとリディアを労った。フレディの方はニュートラルだがリディアが絶好調だったので、出発時、無茶に乗り込んだ甲斐があったという事だろう。俺は初対面となるアイリをデビッドソン主教に紹介し、襲爵式に至る概要と経過について話した。その上で、無理強いするかのように頼んだ事について謝罪した。
「このような話をいきなりお願いして申し訳ない」
「いやいや。大聖堂での襲爵式の立ち会いなどという大役。一生の間に回ってくることなどまず無い事。光栄な話。感謝するよ」
デビッドソン主教は笑って応じた。が、その直後、表情が険しくなる。
「ネルキミス教会のディアマンテス主教殿は、事が明るみに出る※大事となる」
デビッドソン主教は言った。事実であれば国王陛下からの
全く何も考えていないからなんだよな、両方共。そちらの方の処置については、もうケルメス大聖堂とリッチェル子爵家の判断次第ということになるな。俺はこの件について、そう思った。
「明日、大聖堂に上がってご挨拶した後、襲爵式の手筈について確認を行う考えだ」
「こちらの側も明日予行を行う事になっております。リッチェル家側、大聖堂側、そして我々とそれぞれが調整をして明後日の襲爵式に臨みたいと思います」
「俺も予行に立ち会いたいと思っています。我が家にとっても二度と巡り合う事がない事業。将来は司祭となる身、この目でしっかりと確認しておきたい」
俺とデビッドソン主教との会話にフレディが割って入ってきた。見るとデビッドソン主教は嬉しそうだ。自分の仕事を継ぐ為、意欲的な息子を見て喜ばぬ親はいない。俺なんかそんな仕事はないので、当然ながら祐介とはデビッドソン親子のような関係になることはないのだが・・・・・
話している間に時間が経ち馬車酔いの可能性が下がったので、俺達は今話しているラウンジから、予約していたレストラン『レスティア・ザドレ』の個室に移動して、会食しながら話をすることにした。
話題は学園話や教会での日常の出来事といった他愛もない話。リディアを見るとすっかりデビッドソン主教と打ち解けあったようだ。しかし、他人の親とはこれだけ打ち解け合えるのに、どうして自分の家族とはそうならないんだ?
愛羅を見てもそうなのだが、娘とはよく分からない部分がある。アイリやクリスもそうなのかな、なんて考えていると、話題は小麦の話に移っていった。チャーイルの街でも小麦の値が上がったということである。
「一時よりも下がったが、それでも普段の四倍値だ。ウチはフレディからグレン君の話を聞いていたから備蓄できていたが、庶民はそこまで手が回らないだろう」
「庶民は備蓄できるだけの財力はございませんから」
ある面その日暮らしな部分があるので、備蓄。仮に半年分を備蓄しようにも、それをやるためには借財を負わなければならなくなる。また、全ての庶民が挙って借財を背負いながら備蓄に走れば、それこそ相場が高騰してしまう。だから手を差し伸べる手立てがないのだ。
ここにいる四人、神官フレディ、騎士リディア、地主アイリ、商人俺という階級にいる者からすれば、明日食うにも困る状況というのは中々想像できないものである。学園の中には貴族平民の差があれど、外から見れば通える事自体、特権階級みたいなものなのだ。
「我々にできることは間断なく小麦を輸入し、間断なく売り続けて相場を沈静化させるのみです」
デビッドソン主教は頷いた。門外漢であるデビッドソン主教には俺が言うことを受け入れるしかない訳で、デビッドソン主教もその辺り、重々理解しているようである。
「あと半年。あと半年持てば、来年の出来高を見て、相場は沈静化する筈ですから」
「あと半年の辛抱か。そこまで大過がない事を願うばかりだな」
俺の言葉にデビッドソン主教はそう答えた。全くその通りである。上手くやり過ごせばよいのだが・・・・・ しかし来年の春に起こるであろう暴動。それを考えたとき、小麦相場がこのまま終わるとは思えない。しかし今の所安定していて不安要素がない。
結局は出たとこ勝負でいくしかない訳で、手立てもないのに考えてもしょうがないだろう。会食を終えた俺達四人は『グラバーラス・ノルデン』で宿泊するデビッドソン主教と別れ、馬車で学園に戻った。
――俺は予行に立ち会うため、馬車でケルメス大聖堂に向かっていた。今日大聖堂入りするデビッドソン主教と帯同する予定のフレディも同乗している。今日のフレディは父親と一日行動を共にした後、デビッドソン主教の泊まる『グラバーラス・ノルデン』に宿泊し、襲爵式当日は主教と共に大聖堂に入る予定。
リディアは今日、実家に戻って家族と共に大聖堂に、アイリは当日、ノルト=クラウディス公爵邸に赴いてクリスと合流してから大聖堂に、それぞれ向かう事となっている。道中、フレディにボルトン伯から聞いた三教官の話。俺と決闘したブランシャール、ド・ゴーモン、モールスの三教官が邪気に侵され入院している話をした。
「病院での治療は効かないらしい。というか、邪気に侵されているならば、治療では難しいのではと思っているのだ」
「三人の教官はオルスワードに死人として操られていたからね。浄化か何かをしないと治らないということだな」
さすがは神官の息子。驚きつつも、察しがいい。
「ニベルーテル枢機卿ならご存知ではないかと思うんだ」
「枢機卿猊下! 確かに・・・・・ あれだけご存知ならば・・・・・」
「俺も会ったら是非お聞きしたいと思うのだが、何分襲爵式で聞けるかどうかは分からん」
「でも俺だったらお父さんと一緒にいるから、猊下のお目通りが適うかもしれない。ということだね、グレン」
そうだ! 今の状況を考えると、俺よりフレディの方がニベルーテル枢機卿と遭遇する可能性が高いもんな。
「その時には必ずお聞きするよ」
「頼むぞ、フレディ!」
俺は三教官に纏わり付く邪気の解法について、ニベルーテル枢機卿に確認する件をフレディに任せた。馬車がケルメス大聖堂に到着すると、今日の大聖堂は人影がない。襲爵式の儀式の為、俺が貸し切ったからである。「本日、参拝できません」と大書された看板を横目に俺達は大聖堂の玄関ロビーに入る。
襲爵式の関係者である事を告げるとすぐに大聖堂の中に入れてくれた。中に入るとそこでフレディと別れる。『常在戦場』やリッチェル子爵側と打ち合わせをする俺と、デビッドソン主教と共に動くフレディで動きが違うからだ。俺は別れた後、そのまま襲爵式が行われる神殿に向かった。
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