257 シャルマン男爵家
今から百三十年前、ボルトン伯爵家が賜った飛び地リッテノキアを、第一の陪臣シャルマン男爵家を
そして遂に首が回らなくなるというところにまで至ったとき、アーサーが俺に相談を持ちかけてきた。俺はフレディとリディアに協力してもらい、伯爵家の帳簿を精査した上で貸金業者と相談し、借金問題に道筋をつけた。その際シャルマン男爵家の方は、過去に多くの投資を行っていたので、領国経営に問題がないと思われていたのである。
ところがボルトン伯より委嘱を受けたリサによって、実際にはそうではないことが判明。二つの貴族家。パルポート子爵領とイエスゲル男爵領を通る際に課せられる通行料が高額で、その支払いで物産売買の収益が飛んでしまい、男爵家の財政を圧迫している事実が明らかになった。
この件を話すことについてアーサーは消極的だった。手に合わないというのが理由であるかもしれない。だが、この話は陪臣家の問題。嫡嗣であるアーサーが無関係だとホッカムリできるようなものではなく、積極的にイニシアチブを取って存在感を示さなくてはならない話。だが、今のアーサーはまだその自覚がないようである。
ボルトン伯は俺一人が来ると思っていたらしく、アーサーもいると知って驚いて立ち上がると、応接セットに足を運んだ。俺は全員が着座すると、シャルマン男爵家の問題を解決する為のプランを説明した。いきなり話を振られた形のボルトン伯と、消極的なアーサー。二人共戸惑っているようで、どこか居心地が悪そうだ。
実は意外なことに、これまで三人だけで会ったことはなく、話らしい話をした記憶もない。おそらくボルトン父子は、普段あまり話をしないのだろう。それは分かる。俺だって祐介とまともに話した記憶がないのだから。異世界に飛ばされ薄らいだ俺の記憶を辿ると、祐介との思い出より、愛羅との思い出の方が多い。
「つまり二つの貴族家を通らぬ道を新たに作れと」
俺の話を聞いたボルトン伯はそう解釈したので、すぐに訂正した。
「作る「調査」を行いましょうと申しております」
この説明に二人は困惑している。俺の提案はこうだ。二つの貴族家を通らず幹線に接続する道を作る調査を行う。その調査を行う予定であることを二つの貴族家に伝える、というもの。ボルトン伯はそれを新線工事だと解釈したのである。
ボルトン伯爵家の財政問題は山を越したとはいえ、今ある余剰資金は借金によるもの。調査や精査をせず、これを使って道の整備みたいな冒険は、とてもではないができない。仮に成算があったとしても、収益の柱がまだ確立されていない今、手出しをするにはリスクが大きすぎる。
「作るフリだけで相手が動くだろうか・・・・・」
ボルトン伯は直球を投げ込んできた。ボルトン伯によると二つの貴族家、パルポート子爵は貴族派第三派閥バーデット派に属し、イエスゲル男爵は貴族派第一派閥アウストラリス派に身を置いているという。つまり、それぞれ後ろ盾があるから、多少の脅しでは動かないとボルトン伯は指摘したいのである。だが、今回の計画は脅しにも当たらぬもの。
確かに作るフリと言えばその通りなのだが、今回の計画は作るフリをするための調査を始めますという事をパルポート子爵とイエスゲル男爵に伝えるだけなので、実は作るフリですらない。
二つの貴族家に「ボルトン家は新線を作る」と思わせ、相手側の出方を見るというのが狙い。道を作ることが目的ではない。ボルトン伯はそこまで理解した上で、相手が動く、すなわち通行料の値下げを行うだろうかと懐疑しているのだ。これはどこまでボケて、どこまで繋がっているのかを見えないようにするボルトン芸の極致でもある。
「陪臣家が調査をしても動きますまい」
ボルトン伯がボルトン芸を出してきたので、俺は謎掛けで対抗する。さぁ、どう出るか、ボルトン伯。
「ならば我が家が調査を行っても動かぬということだな」
そう来たか。だが、その見立て、正鵠を射ている。というのもシャルマン男爵家が名門ボルトン伯爵家の陪臣であることぐらい二つの貴族家は知っているはず。その上でシャルマン男爵家に高額な通行料をふっかけているのだから、おそらくボルトン伯が直接交渉に乗り出しても、両貴族家から袖にされるのは目に見えている。
もしボルトン伯が動いて解決すると読んでいたなら、伯爵の性格から考えて、リサからの報告を受けて動くだろう。そうでないということは、ボルトン伯が動く見込みがないと判断しているからである。
「ですから動く見込みのある者を建てるべきかと」
「では誰が?」
ボルトン伯はアーサーの方を見る。チラ見して様子を見るとアーサーはすぐに目線を外してしまった。一瞬、ボルトン伯は天を見上げ、ため息をつく。おそらく息子が俺から何か策を授けられているのではないか、そう思ったのだろう。
しかしアーサーはこの話に消極的。消極的な者にどんな良策を授けても、やる気がなければ無策と同じである。だから俺は今回、アーサーには具体策を全く話していない。話す前にアーサーが逃げてしまっているとも言えるのだが。
「ですので、調査は宰相府が動くという形にすれば・・・・・」
「宰相府!」
俺の言葉にさしものボルトン伯も大声を上げた。宰相府という名前のお陰で、いつものボケボケ親父を通せなかったか。今日の勝負は俺の勝ちだな。
「既に宰相補佐官のアルフォンス卿より承諾を得ております。「宰相府が道の調査を委嘱する形」までですが・・・・・」
「アルフォード殿にはいつも驚かせられるが・・・・・ 今回は別格だ。宰相府まで使うとは・・・・・」
ボルトン伯には俺の意図が読めたようである。さすがはボルトン伯。仮にボルトン伯がこの策を立てたとしても、ボルトン伯の側からアルフォンス卿、いやノルト=クラウディス公爵家に頼むなどといった事は間違ってもできない。
そんな事をすればノルト=クラウディス家に大きな借りができるだけでなく、万が一、相手から応じられぬと門前払いなどをされてしまえば、それこそボルトン伯爵家の沽券に関わる。頼む内容が小さい割に、リスクが大きすぎるのだ。
だが、俺が事前了解を取り付けたとなれば話は別。なぜならこの話がノルト=クラウディス家とボルトン家という貴族同士の話ではなく、ボルトン家とグレン・アルフォード個人の話に変わるからだ。今度は逆に、頼む内容よりもリスクが小さい。
何故なら俺とアルフォンス卿の間には、既に何らかのバーターが成立したと考えられるからである。貴族間交渉に必要なバーターを提示しなくても良いというのは大きい。どうして政界や経済界で仲介役を果たすブローカーのような者が暗躍できるのか。一番の理由はこうしたリスクのヘッジだ。俺は今の立ち位置にいる事で、初めてそれを理解できた。
「宰相府より委嘱を受け、新線を調査する。それならば脈はありそうだ」
ボルトン伯は頷く。宰相府という文言そのものが、話に現実味を与える。ボルトン伯はそう言った。人間というもの、できる訳がないと思えば軽くあしらえるが、やってくるぞと考えると警戒して対策を練ろうとするものである。
ボルトン伯爵家が新線を検討と言っても相手にしないであろうパルポート子爵とイエスゲル男爵も、宰相府が新線調査に乗り出すとなったら話は別。仮に新線ができればこれまで入っていた通行料が全く入ってこない。さて、この二つの貴族家はどうするか?
「派閥の方に相談なされますかね」
「ないな」
珍しくボルトン伯は断言した。いくら派閥に相談しようとも、宰相府を宰相家が抑えている以上、ゴリ押しできる余地がない。それが分かっているから相談することもないし、宰相府に直接申立をすることもないとボルトン伯は説明してくれた。
その上でボルトン伯は、もし直接に宰相府へ申立でもしようものならやぶ蛇になってしまうのではないか、と笑いながら言う。つまり両貴族家が請求している通行料自体が法外なものであるということの証左。なるほど。十分見込みがありそうだな、この計画。
「で、両貴族家には誰が申し伝えに行くのかな?」
ワシではないだろう、と言いたげに問うてくるボルトン伯。分かっていて言っている。なんと人が悪い。これぞボルトン芸ではないか。横目で見ると、アーサーが一生懸命視線を逸している。視線を逸しているだけじゃ、逃げられないよな。
「シャルマン男爵家の主家であるボルトン伯爵家。その嫡嗣であるボルトン卿が適任かと」
「えっ! 俺っ!」
「うむ。ワシもそう思っておったぞ、アルフォード殿」
なんという三文芝居! 最初から決まっている結論をさも急転直下で決まってしまったかのように振る舞う三者。駆け引きにもならぬ駆け引きで、アーサーは無事、パルポート子爵とイエスゲル男爵へ宰相府からの委嘱を受け、新線整備の調査を始める通告を行う使者として選定された。
「俺にそんな大役できるのか?」
「大役もなにも、アーサーにしかできない仕事だ」
不安がるアーサーに俺は説明した。ボルトン伯は王都に出て学園長代行となったことは両貴族とも知っているはず。そこでボルトン伯が宰相府を動かす力を持つに至ったと二つの貴族家に思わせる事が可能。だから当事者たるボルトン伯が動くのではなく、ボルトン伯爵家の嫡嗣であるアーサーが、自らパルポート子爵家とイエスゲル男爵家に通告するのが一番効く。
「本当に親父じゃダメなのか?」
「ワシが出ると種明かしをするようなものじゃ」
ボルトン伯は笑いながらアーサーに言う。ボルトン伯が出た場合、相手はボルトン伯が宰相府にどこまで食い込んでいるのか探りにかかってくる。そこで食い込みが浅いと判断すれば元の木阿弥であろう、と。要はハッタリを悟らせぬ為には、貴族界ではその力が未知数のアーサーが出ていくのが良策なのだと、息子に対してそう話した。
「じゃあ、俺はどう振る舞えば・・・・・」
「心配するな。俺がアドバイスする」
俺は戸惑うアーサーに一声かけた。相手には黒幕がボルトン伯で、パシリがアーサーだと思われた方が、アーサーにとってもやりやすいはず。
「両貴族家へ申し伝えに行くならば、アーサーも
ボルトン伯はそう呟いた。何か嬉しそうである。罠を仕掛ける子供のようだ。
「どうやって「箔」なんかを・・・・・」
何を言っているのかよく分からないといった感じのアーサーに、父であるボルトン伯は言った。
「リッチェル子爵家の襲爵式にお前も参加するように。よろしいかな、アルフォード殿」
満面の笑みで話すボルトン伯に、意味が掴めていなさそうなアーサー。ボルトン伯はリッチェル子爵位の襲爵式を舞台として、我が子を参加させる事で貴族界に己の旗を示そうとしているのである。これを使って二つの貴族家に、嫡嗣の存在感を見せて交渉を優位に図ろうと考えているのだ。だからアーサーの参加を承諾する以外の選択肢はなかった。
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