255 ラジオ体操行進曲

 まさかの一、五倍速での「ラジオ体操行進曲」という暴挙に出てきたニュース・ライン指揮下の鼓笛隊。ピアノの譜面をよくぞ鼓笛隊に合わせて書いたものだと関心した。ブラスアレンジなどではなく、本当にピアノ楽譜をそのまま置き換えたもの。俺は吹奏楽に詳しくないが、楽器の特質が違うので普通はやらないはず。だが、それをやった。


 こんな暴挙、というより無茶な事をやらかす犯人はあやつ、エレノ製作者の仕業に決まっている。しかしそれを難なくやりこなす、鼓笛隊の面々の演奏技量の高さが素晴らしい。だがその実力と選曲との落差の激しさに、どうアクションするべきか困ってしまう。


「いかがでしたか」


 演奏が終わるとニュース・ラインが尋ねてきた。アイリは拍手をしている。アイリにとったら音楽を聴くこと自体が新鮮か。俺としては選曲を無視して評価するしかなさそうだ。もし選曲を突いたら、もしかすると「モスラの歌」で行進曲なんてことをやりかねない。


「予想以上に演奏技量が高い。演奏で俺から言うことは何もないよ」


「ありがとうございます」


 ニュース・ラインは頭を下げると、次は俺が渡した曲を演奏するという。その言葉に俺は安心してしまった。曲が事前に分かっているというのが、こんなに気が楽だとは。ニュース・ラインが指揮杖を振るう。鼓笛隊の隊士達がその指揮に合わせて演奏を始めた。管楽も打楽器も予想以上に技量が高い。俺が渡した楽譜を難なく読み込んでいる。


 このまま本番で即演奏できるレベルだ。これならば鼓笛隊が襲爵式で演奏するのに何ら問題がないだろう。いや必要十分。楽譜には入れてあった打楽器系のチャイムがないが、エレノ世界にはそういった楽器がないのだろう。ないのは残念だが、まぁ、無くても格好がつく。演奏が終わると、俺とアイリは鼓笛隊に拍手を送った。


「大したものだ。楽譜を渡して数日で、ここまで仕上げてくるとは」


「私どもはこれが本職ですから」


 鼓笛隊隊士の音楽に対する意識は俺なんかよりもずっと高いようだ。俺は素人だが、彼らは給金をもらい、四六時中楽器を触るプロだからな。ニューズ・ラインが楽譜を持って聞いてきた。


「ここを受け持つ者がいませんで・・・・・」


 チャイムのパートについてだ。ニュース・ラインも気になっていたようである。楽譜を読めているのだから当然だな。


「該当する楽器がないのだな」


「いえ。あるにはあるのですが、ここにいる者が誰も触ったことがないもので・・・・・」


 ニュース・ライナーは鼓笛隊の隊士に楽器を持ってくるように言った。しばらくして持ってきたのはなんとチャイムだった。


「あるじゃないか!」


 現実世界のチャイムと少し形状が異なるが、チャイムだ。鐘が音階順にぶら下がっている。きちんと鐘を鳴らすハンマーまである。俺は思わず両手にハンマーを手に取り、「NHKのど自慢」のテーマを演奏してしまった。


 一回目はチャイムのパートだけを演奏したのだがチャイムしかないので物足りなかった。なので二回目はチャイムだけで旋律を演奏する。チャイム単独の演奏ならば、この方が曲らしく聞こえる。すると俺の演奏を聞いた鼓笛隊一同がどよめいた。


「おカシラは演奏できるのですね」


「いやいや、俺はピアノだけだ」


 鼓笛隊の隊士から声を掛けられたので、そう答えた。チャイムだって、きちんとした奏法がある。楽器の奏法は奥が深い。いくら楽譜が読めても、一日で習得なんかできる訳がない。俺はチャイムの奏法を知らないので、単に叩いて奏でただけ。そんなに褒められるような演奏モノじゃない。


「誰か、チャイムを演奏できるヤツを知っているか?」


 鼓笛隊の隊士に問うと、小太鼓を担当している隊士が手を上げた。ダルドという小太鼓を演奏する隊士の知り合いにチャイムを演奏する者がいるという。俺はニュース・ラインとダルドに、その者をすぐに雇うように申し伝える。


「よろしいのですか?」


「団長に通しておく。本人が一時雇いを望むのならそれで。入団希望ならばそれで構わん」


 鼓笛隊がここまでの精度で演奏できている上に、楽器もあるのだから奏者も確保すべきだ。ただ、気になる点もある。音量だ。鼓笛隊のこの人数でケルメス大聖堂の神殿に鼓笛隊の演奏が響くのだろうか。そこが気になる。俺はニュース・ラインにそのことを相談すると、一笑に付された。


「おカシラ、ご安心を。『音量増幅ボリュームブースター』で神殿内に響かせることができます」


「魔法か!」


 ニュース・ラインは頷いた。なるほど。ここはエレノ世界。ご都合主義の魔法が存在するんだったな。それを聞いて安心したよ。その後、俺とニュース・ラインら鼓笛隊の面々は、譜面の中にある詳細なニュアンスについてのやり取りに時間を費やした。


 音についての話をするのは実に楽しい。まして相手はピアノ奏者じゃないから、こちらの方が新鮮だ。やり取りをする内に俺のピアノが聞きたいという話となり、襲爵式が終わったら演奏を披露する約束までする羽目になってしまった。


「グレンは本当に音楽が好きなのですね」


 鼓笛隊の練習棟を出た後、アイリが言ってきた。そうだよな。アイリの言う通りなんだよな。誰に聞かせる訳でもないのに、五十過ぎてもピアノにしがみついているのだから。どう考えても好きという以外の理由を見いだせないよ、本当に。


「身についているもんだからな」


「鼓笛隊の人たちもグレンも音楽の話をしているとき、とても楽しそうでした」


「お互い楽器は違うが、音楽を触っている立場は同じだからね」


 アイリにとっては待っているだけで、つまらないものだっただろう。これから繁華街に戻って『ミアサドーラ』で一緒に食事をしよう。そう思っていたら、グラウンドから「一、二。一、二」の掛け声が聞こえてくる。行進の練習だな。そう思って声の方を見ると、二番警備隊長のルカナンスが隊士らの行進を指導していた。


「一、二。一、二。一、二。足を合わせて! 一、二。一、二」


 ルカナンスは指揮杖を手に持ち、何人かの旗手を先頭にして行進する隊士らと並走して行進している。行進の指導は現実世界のそれと同じなのだろうか? そんな事を思いながら行進の列を見る。四列縦隊で二十列。全部で八十名ぐらい。それでこれか。


 四百人だとしても百列。人が歩くだけでは少し迫力に欠ける。行進を見た俺はそう感じた。ならば同じ四百人の行進で、もっと迫力を出せないものか。俺が思案していると、旗を掲げて歩く旗手を見て、俺は閃いた。


「そうだ! 全員旗手になればいいんだ!」


 四百人の隊士全員がリッチェル子爵家の紋章の入ったバナーを掲げて入場する。バナーは正方形。通常の旗は横で止めて掲げるが、バナーは旗竿の上からぶら下げる形で掲げる。


 リッチェル子爵家の紋章旗も上からぶら下げる形。四百の紋章旗がケルメス大聖堂の神殿を覆い尽くせば、かなりの迫力があるだろう。俺は行進の指導をしているルカナンスを呼び止めた。


「え! 隊士全員が旗手に!」


「そうだ。ただ行進するよりかは迫力があると思ってな」


「目立つようにという指示でしたが、中々いい案が思いつきませんでした。しかし、隊士全員が旗手になるというのは妙案。おカシラ、是非やりましょう!」


 ルカナンスは俺の案に乗った。これで襲爵式の式典で『常在戦場』が目立つのは間違いない。だが、旗の用意が間に合うのだろうか。俺が心配していると、それを察したのかルカナンスが言ってきた。


「旗頭も紋章旗も、今から頼んでも十分間に合います。複製魔法で量産できますから」


「そうだったか! 魔法という手があったか!」


 さっきも魔法なら、今度も魔法。いやぁ、こんなところで魔法が大活躍しているとはな。エレノ世界は電気もガスもネットもないが、魔法や特殊技能で妙なところで便利な世界だ。魔法がある世界での価値観に未だ慣れない俺だった。


 ――昨日は『常在戦場』の営舎に初めて赴き、鼓笛隊の演奏に立ち会って久々に音楽を堪能する事ができた。初っ端でいきなり「ラジオ体操行進曲」なるものがぶっ放されたのには驚いたが、鼓笛隊の面々の演奏技量は高く、少し形は違っていたがチャイムに触ることができたのは心が躍る。


 ただ、俺が音楽に夢中になり過ぎてしまって、一緒について来てくれたアイリが放置プレイ状態となってしまった。何かに集中してしまうと、それ以外の事は眼中になくなってしまう。俺の悪い癖だ。その点、アイリに対して申し訳ない思いでいっぱいだ。


 しかし営舎からの帰り、アイリと『ミアサドーラ』で食事をした際にそのことを詫びると、逆に「楽しかったです」と言われてしまった。最初俺に気を使って、そう言っているのか? そう思っていたら、アイリは鼓笛隊なるものを初めて見たとのことで、鼓笛隊の演奏にワクワクしたらしい。


「あんな楽器を見たことがないのか?」


「はい。今日初めてでした」 


 楽しそうに答えるアイリ。エレノ世界は本当に音楽が貧弱だ。考えたら俺のレベルの演奏で驚嘆されていたもんな。あのとき気付くべきだったんだよ。俺は本当にニブイ。


「行進というのも初めて見ましたし。グレンは色々な事に詳しいな、って」


「いやいや。俺は今まで見ていただけだし」

 

「でもよく知っているじゃないですか」


「向こうの世界にはテレビというのがあって、家で見ることができるんだよ。録画もできる。だから数十年前の光景も今、この瞬間に見ることができるんだ」


 アイリが目を輝かせている。アイリにとって現実世界は、異世界であり空想の世界。アイリは現実世界の話が大好きだ。話が好きなのはクリスやトーマス、シャロンも負けてはいないが。対照的なのはレティで、こうした話にもならない。レティは本当にリアリスト。徹底している。


「それにネットで、分からないところは簡単に調べられる。例えば「行進 方法」とか入力すれば、一発でな」


「前に図書館でグレンが言っていた蔵書の文章検索の話ですよね。それ、こちらにあれば、本当に便利ですよ」 


 あれば本当に便利だよ。貴族なんかを調べるとき「〇〇家 派閥」とかで一発検索できるもんな。「異世界 帰還」「召喚 儀式 方法」とか検索できれば、俺が帰る方法もすぐに見つかるのではないかと、勝手に想像した。アイリとはひとしきり現実世界の話で盛り上がり、『ミアサドーラ』を出ると時は既に夕方。空はあかに染まっている。


 本当に時間が過ぎるのはあっという間だ。それは現実世界も変わらない。しかし、アイリの時間をこんな形で使って良かったのだろうか。帰りの馬車の中でそう思っていると、アイリが言ってきた。「今日は楽しかった」と。まぁ、本人が楽しかったら良しとするか。窓越しに見える夕焼けを見ながら、俺は一人で納得することにした。

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