254 営舎

 リサとダダーン率いる第三警護隊がリッチェル子爵領へと出発し、レティとハンナがエルダース伯爵邸へと向かった後の屯所。レティらを乗せた馬車が出たのを見計らうように、事務総長のディーキンが声を掛けてきた。


「おカシラ。一つ相談が・・・・・」


 先日行われた学園長室での話し合いの際には不在だったので、その件について確認事項があるのかと思ったら、全く別の話だった。


「我々が襲爵式にどのような服装で参列すればよいのかと・・・・・」


 今回、事務方で襲爵式に出席する予定なのは事務総長のタロン・ディーキン、事務長のシャルド・スロベニアルト、調査本部長のチェリス・トマールの三人。ところが、地主階級のディーキン、商人階級のスロベニアルト、農民階級のトマールで皆、出身成分が違い、正装が異なるというのである。


 儀仗を行う『常在戦場』の隊士は統一された服装があるが、事務方にはそれがない。隊士の儀仗服と同じ服を着る案も考えたが、儀仗服を着ているのに儀仗しないのもおかしいということで、どうしたものかという話になったようだ。


「だったら、俺と同じ服を着ればいい」


「商人服をですか?」


「違うよ」


「では学園服ですか?」


 違ーう! ディーキンもスロベニアルトも学園に通った事がないじゃないか。それに今更学生でござると学園服を着たって違和感しか持たれないだろ。大体で、どこからそんな発想が出てきたのだ。まさか優秀な事務方のディーキンが、こんな大ボケをかましてくるなんて全くの想定外。やはりこのエレノ世界、みんなどこかズレている。


「でしたら、どのような服で・・・・・」


 ディーキンが全く思い浮かばないと、不思議そうな顔で聞いてきた。明敏なディーキンでも分からぬ事があるのか。これは説明しても、分かってもらえそうになさそうだ。そこで俺は『装着』で、テーラー『シャルダニアン』で仕立てた三つ揃の略礼服に着替えた。


「・・・・・グレン、その服は」


「平民服だ」


「平民服???」


 アイリが首を傾げた。横にいたディーキンはビックリしている。


「商人だの、地主だの、農民だの、職工だの、身分が違えば着る服が違うというのも困ったものだろ。だから貴族以外の人間が階級に関係なく、着ることができるような服を作ろうと思って頼んだんだよ。ワロスも服に困っていたから、この服を着て参列する事になった」


 先日の『金融ギルド』での会合で襲爵式への出席が決まったワロスだったが、帰り際、ワロスから服をどうすればいいのか相談があったのだ。商人の正装は商人服だが、貴族の式典にそれを着て出席をしてもいいのかという問い。そもそも商人階級の人間にとって襲爵式なんて遠すぎて、式典出席自体を想定していないレベル。ワロスの疑問は実に正しい。


 だから俺はワロスに『シャルダニアン』を紹介して、俺と同じものを仕立てて出席するように勧めた。ワロスの方も俺が着るからと、その足で『シャルダニアン』に向かったのだ。その経緯について話すと、ディーキンは言った。


「おカシラ。我々も同じ様にさせていただきます」


 ディーキンは迷わず決断した。こうして俺が勝手に「平民服」と名付けた、三つ揃の略礼服を着て襲爵式に参列する者が合わせて五人となったのである。リッチェル子爵位の襲爵式。そこでこの平民服を披露する事も、大きな目的の一つとなった。


 ――俺とアイリは王都郊外にあるという『常在戦場』の営舎に向かうため、屯所を後にした。実は俺自身、営舎に行くのは初めてのこと。広いという話は聞いたが、一体どんなところにあるのか興味がある。俺は馬車の中で、アイリに試着会の話を聞いた。


「皆さん楽しそうでしたよ」


 アイリはニコリと笑って話した。二日間に渡った学園試着会。王都のブティックが軒並み参加し、成功裡に終わったとの事である。アイリがクリスから聞いた話によると、服のオーダーも多かったようで、盛況だと言っていたらしい。俺はトーマスの様子について尋ねてみた。


「疲れていましたね。シャロンさんは元気でしたけど」


 やはりそうか。仕方がないよな、それは。トーマスにとってはツライ二日間だったな。週明けにでもねぎらってやろう。そんな事を思っていたら、今度はアイリの方から聞いてきた。


「先程の平民服でしたっけ、格好良かったですね」


「そうか」


「初めて見ましたのでビックリしました」


 驚くのも無理はないか。この国ではコートか、ロングジャケット、あるいはロングベストに短上衣が一般的な男の衣装だもんな。


「もしかしてコウイチさんの世界の服ですか」


「大正解だよ、アイリ」


 こういうところ本当に鋭いな、アイリは。


「あれは略礼服と言ってな。本来の礼服の形を略したものなんだが、俺らの世界ではあれが正装みたいなものだ」


 俺も詳しくは知らんが今のご時世、モーニングや燕尾服、タキシードなんて一般人が着る機会なんて殆どないだろう。その着分け、使い分けすら俺は知らない。だったらもうスーツでいいじゃないか。黒けりゃいいだろう。


 それに最近じゃ、ベストも着ないだろ。それどころか、今やノーネクタイにジャケットデニムじゃないか。それに一般人には、三つ揃の略礼服でも十分な儀礼服だ。現実世界の合理的な部分を、エレノ世界に導入してもバチは当たらないだろう。


「普段は?」


「あの形の服だよ。色が違うだけ。ベストを着ているヤツも少ない。ジャケットとスラックス。スーツ上下だけだ」


「コウイチさんも着ていたのですか?」


「ああ。仕事に行くときにはスーツ上下にYシャツネクタイ。それが基本。色はある程度は選べるよ。赤とか黄色とかは仕事じゃ着ないけどな」


 そうそう。スーツを着て電車通勤していたんだよな、俺。ダブルカフスは着なかったけどな。それが今じゃ学園服着た寮生活。外に出かける時には馬車である。昔を思い出して、現実世界での暮らしとエレノ世界での暮らしとの落差を改めて実感した。


「どの身分の方もそのスーツという服を」


「ああ。基本的にはそう。見た目、身分が分かることは殆どない」


「本当に異世界なんですね」


 信じられないといった表情でアイリは答えた。そう、異世界なんだよ、異世界。現実世界では身分によって服の形や素材が定められているなんて、まずあり得ない事だからなぁ。もし、そんなことでもしたら基本的人権とか言って、喚き散らして暴動になるんじゃないか。一旦、制限から解き放たれた人間が、再び制約を受けるなんて耐え難い事だからな。


「あの服、また見たいです」


「ああ、来週にまた見ることができるよ」


 ミカエルの襲爵式にあの略礼服を着て出席する。そのとき、アイリに見せることができるのだから。そんな話をしている間に、馬車は敷地の門をくぐった。これが営舎の中か。予想以上に広い。屯所の十倍はあるんじゃないか、その敷地。馬車は馬車溜まりに入って停車した。馬車溜まりも屯所のそれよりも広い。俺とアイリは馬車を降りた。


「広いですねぇ」


「本当だな」


 見ると複数の建物がある。その建物も屯所の建物より大きい。そして何よりも驚いたのは二棟ほど建築中であるということ。敷地の規模や施設内容は学園には及ばないが、屯所と比べれば一目瞭然。その規模は全く違う。


 馬の鳴き声が聞こえる。厩舎もあるようだ。もしこの施設が屯所の場所にあったら、『常在戦場』の拠点はこの施設一つで事足りるやもしれない。俺達がキョロキョロと営舎を見ていると、一人の人物が近づいてきた。


「おカシラ。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 トムティクと名乗る青年隊士が、俺とアイリを案内してくれた。聞くとトムティクは一番警備隊第二分隊長とのことで、フレミング麾下の幹部隊士のようである。そのトムティクが案内してくれたのは別棟の平屋だった。


 その建物に近づくと外から楽器の音が聞こえてくる。エレノ世界は音楽砂漠。楽器の音を聞くと心が躍る。ここで鼓笛隊が練習しているのか。平屋の中に入ると、トランペットやオーボエを鳴らした隊士達がいた。


「みんな、おカシラだ。挨拶するように」


「グレン・アルフォードだ」


 トムティクが皆に言うと同時に名を名乗った。すると皆が楽器を止めて挨拶してくる。そんな中、一人の人物が前に進み出てきた。


「私は鼓笛隊長を務めておりますニュース・ラインです」


 名前がニュースで、姓がラインか。覚えやすい! 俺の脳内に一発でインプットされた。そのニュース・ラインから俺は編成を聞いた。『常在戦場』の鼓笛隊はトランペット、トロンボーン、オーボエ、ピッコロ、ホルン、大太鼓、小太鼓、シンバルの八つの楽器で編成され、ニュース・ラインが指揮を執っているとのこと。


 俺とニュース・ラインが鼓笛隊についてやり取りしていると、トムティクは役目を終えたと思ったのか、隊に戻りますと言ってその場から外れた。おそらくトムティクは音楽の事がサッパリ分からないのだろう。俺と話をして生き生きしているニュース・ラインとは大違いだ。


 ニュース・ラインは俺が音楽が分かっているということを実感したからか、行進曲を一曲披露すると言い出した。ニュース・ラインは皆に指示を出す。その姿を見て、俺は思わず身構えてしまった。


 俺の脳裏にケルメス大聖堂の悪夢が蘇る。あのときは「モルダウ」に「ドンパン節」の歌詞を乗せるという、夢のコラボ改め、まさかの暴挙が起こった。行進曲とは言っても、どんな曲が来るのか。日本の軍楽と言えば「抜刀隊」とか「軍艦マーチ」、「海行かば」。


 これらの曲が来ても中々キツイが、飛び出してくる曲が必ずしも軍楽曲とは限らない。場合によっては「クックロビン音頭」であるとか、「お料理行進曲」などといった、アニメの系統のものが飛び出す可能性を覚悟しなければならないのである。


 これまで、トンデモ設定を散々に繰り広げたエレノ製作者のこと。何を仕込んでいるのか分からない。だって、目の前にいるニュース・ラインのフルネームなんか、連中の仕業である事は、名前を見ても明らかじゃないか。俺は緊張感を持って、鼓笛隊の演奏に望む。ニュース・ラインは指揮杖を握りしめ、演奏が始まった。


(えええええええ!!!!)


 演奏は正直言って上手い。問題は曲だ。これは行進曲なんかじゃない。アニメの曲でもない。何故に「ラジオ体操」なのだ? しかもテンポが明らかに速い。最低五割増の速さだ。まさかのラジオ体操でブラスの行進曲とは! 


 やってくれたぜ、エレノ製作者め! 誰だ、こんな無茶を考えたヤツは。連中はいつも俺の予想の上を行くぜ。音楽関連のエレノ関係者は本当にイカレている。しかし、まぁここは「ドラえもん音頭」じゃなくて良かったと思わないと仕方がないだろうな、これは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る