253 出発

 主が不在となる、リッチェル城の留守番の為『常在戦場』の隊士とリッチェル子爵領に赴くことになったリサ。その集合場所場所である屯所に向かって、俺とアイリはリサと共に馬車に乗っていた。その車上、リサに同行する第三警護隊長の女傑ダダーンを信頼するように申し含めているのである。


 もちろんリサの能力を疑っている訳ではない。だが、ミカエル不在の子爵領には何が潜んでいるか分からない。家中には子爵夫妻に忠誠を示し、レティやミカエルを蔑ろにしている者もいるだろう。そしておそらく、その者の数は一人や二人ではない。


 まして城中に睨みを利かせていたダンチェアード男爵や執事長、侍女長までがケルメス大聖堂で襲爵式を行うミカエルに同行するのだ。有力な味方のいない、半ば敵地のようなところに突如レティの代理人として押しかける訳で、リサがいくら有能であろうと、一人で対処するには限界がある。だからダダーンを頼れ、と言い聞かせているのだ。


「アスティンさんと女隊士六人だったかしら」


「リサに同行して残るのはな」


 他にも四人の隊士、男の隊士が同行する事になっている。こちらは復路、つまりミカエル一行が王都へ上京してくる際の警護要員だ。一団はリサを合わせ十二名。この十二名が四台の高速馬車に分乗してリッチェル子爵領に向かう。本来ならば三台で良いのだが、襲爵式で必要な衣装等の品が必要なため、運ぶ為にもう一台用意したのである。


「ダダーンの隊を上手く使って、リッチェル城を守ってくれ」

 

 リサは猜疑心が強い。顔は笑っているが、腹の底では別のことを考えている。それ自体は別に構わない。腹の中で蔑もうが、嘲笑おうが、冷笑しようが、それは人の自由。人間の内心までコントロールなんてできないのだから。ただ、俺はリサにリッチェル家中とダダーン隊では、ダダーン隊の方がずっと信用できるから活用しろ、と言いたかったのだ。


「分かったわ。グレンの期待に応えるように頑張るから」


 俺を安心させるためだろう。リサはそう言った。だがそれは本心であるかどうかは別の話。しかしそれを探っても詮無き事。俺はリサに任せた。リサはそれを全うする。俺は全うするための情報と人材を渡した。今の俺がリサにできる精一杯である。


 屯所に到着してしばらく後、なんと襲爵式の準備でエルダース伯爵家の屋敷に詰めていた筈のレティがやって来た。留守番の為にリッチェル子爵領へと旅立つ一団の見送りをすべく、馬車で『常在戦場』屯所へ駆けつけてきたのである。


 俺はレティに送った封書の便箋に忙しいだろうから見送り不要と書いたのだが、自分の家の為に向かう一団に対して自身が見送らないなどという、無責任な事ができなかったのだろう。馬車から降りてきたレティは、真っ先にリサの元へ駆け寄った。


「リサさん。お願いします。よろしくお願いします」


 レティは何度もリサに頭を下げる。リサの方は「任せて下さい」とニコリと笑い、レティの両手をしっかりと持った。この二人、過去にリッチェル子爵領へ一緒に行った間柄。あのときはリッチェル子爵家の経営診断の為。今回、リサはリッチェル城の留守番。この役を任せられるのは、子爵家の内情を知るリサしかいない。


「皆さんもよろしくお願いします」


 レティはダダーンことアスティンを始めとする第三警護隊、そしてミカエルらの護衛の為に向かう第六警備隊の隊士らに頭を下げた。傍から見てもレティの切実さが伝わる。リッチェル子爵がバカ親でなければ、こんな事までしなくてもいいのになと本気で思う。しかし、一度子爵からの簒奪を決めた以上、一歩も引くことは許されない。


「みんな、リサ殿の指示に従い行動するように」


 団長のグレックナーは隊士らに訓示をした。隊長のアスティン以下、第三警護隊七名。第六警護隊はザーライル副隊長以下四名。合わせて十一名がリサと同行する。馬車の前には旅立つ同僚を見送るため、自主的に集まった隊士達が集まっていた。その数四十名程か。


 その中には事務総長のディーキンや事務長のスロベニアルト。三番警備隊長のカラスイマら幹部の姿もある。最早見送りなんてものではなく、壮行会だと言っていいだろう。俺はダダーンことアスティンに声を掛けた。


「ダダーン。しばらく家族ともお別れだが、許してくれ」


 ダダーンには旦那とまだ小さな息子と娘がいる。今回の仕事で半月以上は家を空けることになるだろう。俺はリサの同行者として真っ先にダダーンを選んだ。それはこの任にダダーンの漢気が必要だと思ったからである。しかし同時にダダーンの家族の事が気になっていた。 


「何を言ってんだよ。坊やの信頼に応えなきゃね」


 そう言うと、ダイナマイトボディで俺を思いっきり抱きしめた。その鍛え上げた腕力で羽交い締めにされた俺は身動きが取れない。顔がダダーンの胸に圧迫される。


「嬉しいよ、坊や。そこまで心配してくれるなんて! でもウチの隊、子供がいるの私だけじゃないから」


 そう言うとダダーンは、ジャンボとスティルマンという二人の女隊士を呼んだ。


「二人共、私と同じように子供を置いていくんだ」


 ダダーンがそう説明すると、文字通り体に名が宿るジャンボと細身で長身のスティルマンは、どこか気恥ずかしそうにしている。


「そうだったのか。二人共、仕事とはいえ、しばらくの間、子供と離れ離れになってしまうな。許してくれ」


「ご心配ありがとうございます。しっかり任務を果たして戻って参ります」


「頑張ってきます。お気遣いを頂き光栄です」


 ジャンボとスティルマンは俺にそう返してきた。どういった経緯で『常在戦場』に加入したのかは分からないが、両人ともダダーンと同世代のはず。子供もまだ大きくはないだろうに。みんな顔も体型も仕事も異なるが、どこか佳奈と被る。みんな家族の為、家庭の為に率先して働いているのだ。誰も特別扱いされる事を望んではいない。


「では、お願いする。みんなリサを支えてくれ」


 だから俺は、二人を含む第三警護隊の面々に声をかけた。女だけで編成された一隊、アスティン率いる第三警護隊。男尊女卑のエレノ世界にあって、こうしたむさ苦しい世界に女が、しかも既婚者が身を投ずるには相当な覚悟が必要なはず。今の俺が彼女らに言葉を掛けるなら、リサを支えるように頼むことぐらいしかない。


「じゃ、グレン。行ってくるわ」


 『常在戦場』の隊士らが馬車に乗り込んだ後、最後に馬車に乗ろうとするリサが、俺に声をかけてきた。俺はリサを引き止め、その場に駆け寄る。


「リサ。持っていけ」


 俺は右手で商人刀『燕』を差し出した。


「これは商人刀だ。商人が使うことでその能力が発揮される刀。『燕』という。持っていけ」


 以前、クラウディス地方の山間部のトスで手に入れた、刀に向いた鉄『玉鋼たまはがね』。その『玉鋼』を使い、王都の武器ギルドで五振りの商人刀が作られた。俺は出来上がった商人刀に『隼』『燕』『鷹』『鷲』『雉』と、鳥の名をそれぞれに付けて、俺自身は『隼』を愛用している。その五振りの内の一振り、『燕』をリサに差し出した。


「グレン・・・・・」


「アルフォードの紋章も入れてある。リサの好きなように使えばいい」


 はばきに刻印されたアルフォードの紋章。鎺とは鍔先に取り付けられるもので、刀がさやから抜け落ちないようにするための金具。また鞘の中で刀が浮いたままの状態にする役割もある。鎺には片面にアルフォードの紋章。もう片面には、それぞれの刀に付けた名の鳥が刻まれている。


 またアルフォードの紋章は 以外にも入っている。持ち手であるこしらえの縁先と頭の部分である縁頭にもそれぞれアルフォードの紋章が入っているのだ。だからこの『燕』を持つことができるのは、アルフォードの人間しかいない。


「いいの・・・・・」


「ああ。これはリサのものだ」


 俺が言うと、リサは片膝を付いた。


「謹んでお受け取り致します」


「頼むぞ、リサ」


 リサは俺の意図を察したようだ。場合によっては「斬れ」という意味を。それぐらいの気迫で当たらなければ、リサがやられかねない。『燕』を持ったリサは、颯爽と馬車に乗り込んだ。馬車にはダダーンと先程紹介された女隊士のスティルマンが乗っている。リサが俺に『燕』を見せると、高速馬車が動き出した。


 リサを乗せた馬車を先頭にして、四台の高速馬車が連なる姿は壮観だ。手を振るアイリとレティ。グレックナー以下、見送りに出た隊士達も手を振る。そんな中、俺は一人手を振らず、黙って高速馬車の一団を見送った。


 リサ達の一団が出発して程なく、レティが乗っていた馬車が屯所の馬車溜まりに入ってきた。見ると馬車にはハンナが乗っている。どうやらレティを降ろした後、馬車はハンナを迎えに行ったようだ。俺は屯所の中に高速馬車が滞留していたので、一時的に退避していただけかと思ったが、その間にキッチリ仕事をしていたようである。


「今日はエルダース夫人とみんなで打ち合わせをする日だから」


 レティが事情を説明してくれたので、俺もようやく理解できた。今日、エルダース伯爵邸でハンナとクリスが集まり、エルダース伯爵夫人とレティの四人で襲爵式の打ち合わせを行うことになっているのだ。


 リサ達の見送りとハンナのお迎えを一つにして、街に出てくる。なるほど。レティも考えたな。おそらくハンナを迎えに行くからと伯爵邸から出て、その足でリサ達の見送りに駆けつけたのだろう。こういう要領の良さはレティならではだ。


「連絡いただいた所には招待状を送ったわ。じゃあ、行くわね」


 俺は既に封書で先日の学園長室での出来事をレティに伝えていたが、早くもボルトン伯爵家、ドーベルウィン伯爵家、スピアリット子爵家の三家に招待状を送ったようである。手際が良いな、レティは。俺とアイリは、レティとハンナを乗せた馬車を見送った。

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