248 鼓笛隊
自警団『常在戦場』で編成されている鼓笛隊。その鼓笛隊が襲爵式でどんな曲を演奏するのか尋ねると、グレックナーが不思議そうな顔をした。俺は曲について聞いているだけだぞ。どうしてそんな顔をするのだ。
「いえ、鼓笛隊は行進する際に演奏するので、今回は不要かと・・・・・」
「はぁ?」
俺は呆気にとられた。式典に音楽は不可欠だろう。音楽がなければ式典そのものが締まらないではないか。
「襲爵式に鼓笛隊とは聞いたことがありません」
「私も見たことがありませんわ」
グレックナーに続き、ルカナンスとグレックナーの妻室ハンナまでが声を上げた。
「もしかして式典に演奏がないのか?」
「はい」
皆が異口同音に答える。何ということだ! まさかエレノ世界が儀式の際に音楽を使わない世界だったとは! 思いよらぬ真実に衝撃を受けた。よく考えれば入学式の際にも、叙任式の際にも器楽演奏はなかったな。どうして今まで気付かなかったのか!
だからエレノ世界は音楽環境が貧弱だったのか。この世界にやって来て六年余。俺は今頃になって、その現実を知ってしまった。ああ、今頃になって気付くなんて・・・・・ もっと早く気付けるだろ、普通。本当に鈍いよな、俺は! だがしかし、今更そんな事を思っていても仕方がない。俺はリセットして、ゼロベースで考えることにした。
「よし、だったら襲爵式で演奏を入れよう。ミカエルと『常在戦場』が神殿に入場するシーンで」
「そんな事ができるのですか!」
「ああ。曲はある」
ルカナンスが聞いてきたので、俺は『収納』で楽譜を出して曲を示す。それを見たルカナンスとカラスイマはビックリしている。どうやら商人特殊技能『収納』を見たのは初めてのようだ。
「こ、これは・・・・・」
「主に大太鼓と小太鼓、トランペットと鐘で演奏できる曲だ。そこそこの技量があれば習得に時間はかからん」
どうやって知ったかは覚えていないが、確か海外ゲームの曲だ。古代ローマをテーマにしたゲームだったか。使っている楽器やフレーズは少ないのに、やたら壮大な曲。これなら短期間で形を作ることもできるだろう。
「おカシラは演奏ができるのですか?」
「多少だが、ピアノをな。鼓笛隊の楽器は弾けぬが、リズムぐらいは分かる」
カラスイマが興味深そうに聞いてきたので、そう答えた。カラスイマの話では楽器の奏者自体が少ないらしく、俺の存在自体が稀有であるらしい。グレックナーによると鼓笛隊のメンバーは合わせて九人。一番警備隊に属しているという鼓笛隊に楽譜を届けるよう指示すると、近く鼓笛隊がいる営舎へ訪問する事を決めた。
「グレックナー。儀仗の用意は大丈夫か?」
「はい、そちらの方は」
俺は話題を変え、『常在戦場』の隊士が着る服装や装備の状況について聞いた。グレックナーによれば、冒険者ギルドのメンバーを受け入れた際、ディーキンが服や装備を大まかに発注したので間に合うとのこと。流石はディーキン。俺はディーキンに労いの言葉をかけた。
「いえいえ。おかげで隊士の体格に合わない服や装備が在庫となってしまいましたが」
「いいんだよ。それは予備だ。むしろ、予備があったくらいの方がいい。隊士の体格の傾向を見て在庫を確保しておくように」
このエレノ世界では在庫管理の概念が弱い。というか、ハッキリ言って「ない」。だから管理にシビアさに欠けるのだ。だが物流が貧弱なため、シビア過ぎると貨車の運行が滞った場合、在庫がなくなり手がつけられない状態になる。
何しろディルスデニア、ラスカルト両王国からの小麦輸入が機能するようになるのにも、数ヶ月を要したのだ。現実世界における貨物船を使った輸入並の感覚で動かないと、モノが滞って大変なことになってしまう。俺は続けてハンナに依頼した。
「ハンナ。すまないが公爵令嬢と共にエルダース伯爵夫人という人物の元へ赴いてくれないか」
「エルダース伯爵夫人の元に!」
ハンナが驚きの声を上げた。これまでに見たことがないハンナの反応だ。あの夫人、もしかして有名人なのか?
「どうして伯爵夫人を?」
「リッチェル子爵家の縁者で、レティシア嬢の後見人となっているからだ。それより知っているのか、エルダース伯爵夫人を」
「はい。貴族社会では数少ない作法の先生として有名ですの。作法の先生では、エルダース伯爵夫人ともうお一方、イゼーナ伯爵夫人が知られていますわ」
なに! カジノで悪態をつきまくった、あのヒステリックな車椅子のババアがか! あんなヤツが作法なんかを教えているのか! そんな奴に教えてもらった貴族の娘がマトモな人間になるわけないだろうが。レティやクリスがマトモに育ったのはそのイゼーナというババアじゃなくて、エルダース伯爵夫人みたいなキチンとした人物から指導を受けたからだ。
「ただ、あまり仲がよろしくないという話ですが・・・・・」
当然だ。エルダース伯爵夫人は厳しいがマトモ。あのヒステリックババアは人を踏みつけにするイカれた野郎。俺がアイツに作法を教えてやらなきゃいけないぐらいだ。あんなのとエルダース伯爵夫人を一緒にすること自体間違い。
「そのイゼーナ伯爵夫人とやらの派閥は?」
「アウストラリス派ですが・・・・・」
そうか。ならば尚更の話。エルダース伯爵夫人に恥をかかせることはできん。
「ハンナ。公爵令嬢と共にエルダース伯爵夫人と協力し、しっかりやって欲しい。間違ってもあんな車椅子ババアの後塵を拝する事があってはならん!」
俺の言葉にハンナはビックリしたようだ。こちらをまじまじと見てくる。皆、困ったような表情をしているのを見ると、誰も俺とハンナの会話が理解できていないようだ。その空気を察してか、ハンナの夫であるグレックナーが聞いてきた。
「そのイゼーナ伯爵夫人という人物と面識が?」
「ああ。先日潜り込んだカジノでな目撃した。人を足蹴にする様な振る舞いをしていた
俺が事情を話すと全員が引いてしまった。まぁそれぐらい、あのイゼーナというババアがヤバいということだ。ハンナによると、夫であるイゼーナ伯は温厚な人物であるとのこと。王都にあって、宮内府や宰相府が出す通達を一元的に知らせる『ノルデン報知結社』の幹事を務めているらしい。
「結社」という名前が付くから、何かおどろおどろしい儀式を行う集団のように思えるが、このエレノ世界における「結社」は「ギルド」と並んでよく使われる言葉で、ニュアンスとしては「会社」に近い。このノルデン報知結社は、現実世界で言えば官報を集めて伝える貴族向け冊子『グラフノルデン』を刊行している事から分かるように、貴族結社の一つである。
なんで『グラフノルデン』という名前なのかは分からない。最近では自分達に影響を及ぼす政令や通達を確認するため、王都の新興地主や商人達もその冊子を購読しているという。俺にはどうでもいい情報なので取っていないが、ジェドラ商会は購読しているという話を跡取り息子であるウィルゴットから聞いた。
他にも『第七文明』とか『照明』、『嵐』とかいう名の雑誌を出しているのだが、どんなジャンルの雑誌なのか不明である。今まで手に取った事もないし、ノルデンの時事情報なんか知ったって、現実世界じゃ役に立たない。第一、エレノ世界の情報を現実世界の人間が欲しがるのかって話だ。少なくとも俺は要らん!
「ノルデン報知結社といえば、最近『翻訳
ルカナンスが奇妙な雑誌名を口走った。はぁ????? それ、猫型ロボットが映画の時に好んで使う道具じゃねえか! エレノ製作者もここまで焼きが回っているとは。
「なんでも「世の中を翻訳する」とかで・・・・・ 女の編集者が作っているらしいです」
こんなエレノみたいな作り物の世界を翻訳して何が知りたいというのか? 全くいい加減にしろって話だ。ディーキンによると、世の中をわかり易く解説する、という趣旨が市民受けしているらしい。要は人に分かったフリをさせる文章を載せているだけじゃねえか。女の編集者の名はセント・ロードと言うらしい。下らん、実にどうでもいい。
しかし考えれば『ノルデン報知結社』って、ローマ字で略したらNHKになるんだな。考えたら現実世界でも似たような名称のところがあるな。今頃になって気付いたよ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というが、あの車椅子ババアと繋がりがあると思ったら、こっちの方もムカついてくる。
「アイツはな、人の尊厳を踏みにじるような輩。絶対に許さん!」
「おカシラはその人物を本当に気に入らないようですな。しかし貴方は貴族であろうと本当に容赦がない」
俺の怒りを見てか、ディーキンは苦笑気味に話した。大人げない事は承知している。しかしこちらにも現実世界で、こういった種族からの不条理を我慢させられてきたんだ。どうせ俺はここから立ち去る身。だから本当に嫌なヤツに対して、嫌じゃコイツと堂々と言ってもいいじゃないか。会合がお開きになる中、俺はそう思った。
――翌日の昼休み。
「今日、盾術披露の隊士が来るんだろ。いいなぁ・・・・・」
トーマスが廊下で嘆いた。今日の放課後に行われるファリオが麾下の第三警護隊に加え、リンド率いる第五警備隊を伴い、学園にやってくることになっている。その話はトーマスの耳にも届いていた。
「俺も参加したいよ」
はぁ、とトーマスはため息をつく。理由は分かる。明日と明後日の二日間に渡って行われる『試着会』の用意に駆り出されるのがイヤなのだ。しかし、トーマスはホントに試着に対するトラウマが強いな。
「ローランさんも手伝うことになっているんだよ」
「アイリもか!」
クリスはシャロンとトーマスのみならず、アイリにも助勢を頼んだようだ。この調子じゃ、レティがエルダース伯爵夫人の元に赴いていなかったら、絶対に駆り出されていただろうな、これは。悪役令嬢に使われるヒロインという構図。今のエレノ世界は、もはや俺が知るゲーム世界ではない。
「なんで女は試着が好きなんだ?」
トーマスが本気で呆れている。おい、それをクリスやシャロンの前で言ったらダメだぞ。おそらく嫌われるだけでは済まないだろう。学園は明日と明後日は女の園となる。おそらく男子生徒の居場所はないだろう。みんなどうするつもりなのか? 俺は、とりあえず二日間の辛抱だからとトーマスを慰めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます