245 平民服

 ミカエルの襲爵式を舞台として自警団『常在戦場』の存在感を示す場とする。クリスが考えた策とその背景についてエルダース伯爵夫人に包み隠さず話すと、夫人はそれを否定するどころか積極的に関わろうとしていた。


「公爵令嬢が夫人に相談致したい事があり、襲爵式前に是非伺いたいと」


「本来ならば、私の方から出向かなければならないところ。それをお越し頂けるなんて」


 レティの話にエルダース伯爵夫人は感激している。まさかエルダース伯爵夫人もこんなところで、かつての教え子であるクリスと接点を持つ事になろうとは、思ってもみなかっただろう。人の縁とは奇なるものである。俺はこのタイミングで、昨日の会合で出た話を切り出した。


「公爵令嬢訪問の際、ブラント子爵家の息女ハンナを同行させてよろしいでしょうか?」


「ハンナ嬢ね。分かりました」


 どうやらエルダース伯爵夫人はハンナのことを知っているようだ。さすが社交界を縦横に泳ぐハンナだけの事はある。実は昨日、クリスからハンナの帯同を求められたので、一礼を取っておかなければと思ったのだ。俺は伯爵夫人にハンナが俺の貴族アドバイザーを務めている事を説明すると、エルダース伯爵夫人のボルテージは更に上がった。


「グレン・アルフォード。貴方面白いことをしていますわね。分かりました。私もエルベール派を中心に、予定を広げて招待していきます」


 エルダース伯爵夫人が異様に張り切っていて、やる気満々。それを見たレティが固まってしまっている。おそらくこんな伯爵夫人を見たことがないのだろう。イケイケ過ぎる伯爵夫人に、こちらの方が引いてしまいそうだ。


「『常在戦場』とやらが擁する、多数の隊士からの出迎えを受ければ、それを見て心動かす貴族も現れるはず。貴方と対立している『貴族ファンド』への影響も少なからずあるでしょう。私達が今、貴方に対して唯一できる事です。ですね、レティシア」


「はい」


 振られたレティは小声で返事をした。なるほど。『常在戦場』の存在感を示せば、単に『臣従儀礼』に対する影響に留まらないということか。『常在戦場』の存在感が高まれば、『貴族ファンド』に対する牽制にも使えると。一つの行動で二つの成果を狙っていた、という訳だ。


 だからクリスは『常在戦場』と俺が目立つ方法を考えろと言ったのか。エルダース伯爵夫人の言葉で、ようやくその意味を知ることが出来た。察しのいい人間はやはり違う。こういうところで、自身の飲み込みの遅さを痛感させられる。こんな事を考えられるのは天賦の才だ。俺は屋敷に残るレティを置いて、一人繁華街に向かった。


 ――繁華街に到着した俺は、テーラー『シャルダニアン』に入った。今日は学園を休んでエルダース伯爵夫人の元を訪れたので、昼から繁華街近くにある『金融ギルド』でシアーズらと、『常在戦場』の屯所でグレックナーらと、襲爵式について協議することにしたのである。


 昼食は伯爵邸で呼ばれたので、食べる必要はない。俺は『金融ギルド』に寄る前に、テーラー『シャルダニアン』に入った。この店は王都ギルド王手のファーナス商会の当主、若旦那ファーナスことアッシュド・ファーナスが行きつけの店。


 実はファーナスと初めて会ったときから不思議だった、ファーナスの足が異様に長く見える理由について思い切って尋ねたところ、ここのテーラーの仕立てと靴に秘密がある事を教えてくれた。そこでファーナスを介して服を仕立ててもらった。その服を引き取るために店に立ち寄ったのである。


 俺は先日、御苑で行われた、ウィリアム王子との会見の際に痛感した。平民階級に相応しい、新しい服の必要性を。王子と会見するのに商人服では会えないから、学園服というドレスコードの指定。これを屈辱と捉えるのは簡単な話である。しかし俺が思っているのは屈辱という問題ではない。


 そもそもエレノ世界は不条理な身分社会。そんな社会では身分の違う人間が会って話をしようとするだけでも、着る服一つで不都合が生じてしまう。誰も望まぬにも関わらず、服装一つで容易に話せないという、この世界の問題。ウィリアム王子との会見はそれを如実に示した訳だ。エレノ世界には新しい服が必要なのである。


 そこで俺はファーナスに紹介してもらった『シャルダニアン』で、現実世界でいう略礼服の三つ揃、つまりスリーピースを注文したのである。当初、俺の注文に店主のシャルダニアンは困惑した。というのもこの世界にジャケットという概念がなかったからからである。


 貴族服はコート、商人服はロングジャケット、農民服は短上衣。現実社会では一般的な、上着丈が存在しないのだ。それを俺がイラストと口頭での説明をしただけの状態で、いきなり作れと言われた訳で困惑するのも無理がない。むしろ当然だろう。難色を示す主人シャルダニアンに拝み倒して作ってもらった。


 どうしてわざわざ略礼服だったのかというと、無難だったからに他ならない。礼服には燕尾服やモーニング、それにタキシードがあるが、燕尾服とタキシードは蝶ネクタイが執事と重なるのでアウトとか、モーニングはアスコットタイが貴族服と重なるのでアウト。結局平民だから、これでいいだろうという事で、略礼服を頼むことにしたのである。


 そして仕上がってきたものは、まさに現実世界のスーツ。その服装の懐かしさに思わず目頭が熱くなってしまった。シャツもYシャツ。指定通りダブルカフス。ネクタイの形大きさも指定通りのもので上がってきた。カフスボタンは彫金師に頼んである。もちろんアルフォードの紋章入りのヤツをだ。


 一方、注文以上のものもある。まずベスト。表面黒色背面灰色のリバーシブル仕様なのには驚いた。ネクタイも黒と白の二本が用意され、俺が頼んだ以上のものを作ってくれた。俺はシャルダニアンに感謝して、仕立て上がった服を引き取ると、その足ですぐ近くにある『金融ギルド』の事務所に赴いた。襲爵式の件で、シアーズらと協議する為である。


 『金融ギルド』の事務所は業務拡大のため、最近一棟貸しの建物に移った。これはシアーズらを警備している『常在戦場』の要求もあっての事だという。フロア貸しなら警備がしにくいと移転を求めたらしい。


 これに対し、シアーズの方もワロスの『投資ギルド』と同じ建物内で仕事をした方が効率が良いと判断して、一棟貸しの建物に移る決断をしたそうだ。こうして『金融ギルド』と『投資ギルド』、そして『常在戦場』の第二警護隊の分駐所が、一つの建物に入ったのである。


 移転した『金融ギルド』の応接室に通された俺の前に四人の人物が現れた。『金融ギルド』の責任者ラムセスタ・シアーズ、『投資ギルド』の責任者リヘエ・ワロス、そして『金融ギルド』主事のアーノルド・タイチェッター。もう一人は『金融ギルド』参与というベルダー・ピエスリキッド。


 タイチェッターの方は知っている。シアーズが『金融ギルド』の責任者に収まる前、貸金業者を営んでえいた頃から番頭として働いていた人物で、これまで何度も顔を合わせているからだ。


 『金融ギルド』参与のピエスリキッドという人物とは初対面である。この四人の中ではもっとも若く見える。三十代、いや二十代か。おそらく若旦那ファーナスよりも若い。おまけに甘いマスクが、より若く見せている。


 商人服の着こなし一つを見てもモテるだろう事は想像がつく。聞けば最近になって『金融ギルド』に参画するようになったとのこと。それまでは債権の回収の仕事をしていたのだという。いわば「取り立て屋」だ。


「今のところ目立った焦げ付きはないのだが、貸し出し規模を考えると、自家回収できるようにしておいた方が良いと考えてなぁ」


 そこで以前より目をつけていたピエスリキッドをスカウトして、参与の地位に就けた。なるほど、自家回収か。『金融ギルド』と名乗っていても金貸し屋には変わらない。カネを貸すところが予め決まっているからリスクが低いだけで、ゼロではないのだから。今後、焦げ付く貸金業者が出てもおかしくはない訳で、それに対する事前対処としてピエスリキッドを雇ったのであろう。


「だったら、いっそのこと「債権ギルド」でも立ち上げて、不良債権を集め、取り立て業務を行ってもよいのかもなぁ」


「債権ギルド?」


「ああ。貸金業者や商会が持つ回収不能な債権を引き取って、代わりに回収する。額面の五%程度で引き取って二割回収できれば、利回りが四〇〇%だ」


「!!!!!」


 四人とも呆気に取られている。これまでエレノ世界の不良債権は、殆どが債権者の泣き寝入りで終わってきた。貴族が自由に踏み倒せてきたからに他ならない。民衆の多くもそれに倣ったのだ。結果、べらぼうな高金利社会を生み出した。


 ところが『踏み倒し禁止政令』のお陰で踏み倒しは鳴りを潜め、金利は以前に比べて大幅に下がった。もっとも二八%なんて金利、現実世界のそれと比べればハッキリ言って高金利過ぎるのだが。


「既に死んだ債権を食い荒らすようで、ハイエナみたいな気もするが、誰も事業化できていない分野ではないか?」


「面白いな。検討の余地がありそうだ。どうだ、ピエスリキッド」


「貸金業者の請負というのはこれまでやってきましたけれど、商会の債権までは思いつかなかったですよ」


 話を振られたピエスリキッドは目を輝かせている。興味津々なのだろう。俺はこれまでどうやって債権回収の仕事を受けてきたのかと聞いてみた。するとピエスリキッドは、貸金業者から債権の回収業務を都度請け負って、回収分の成功報酬を受け取っていたのだと説明してくれた。


「債権そのものをこちらが引き取って回収なんて、そんな大掛かりな発想はありませんでした」


「だからグレン・アルフォードに会うべきだっただろ」


 シアーズに振られ、頷くピエスリキッド。おそらくシアーズはピエスリキッドの若さを買ったのだろう。シアーズの頭の中には若いピエスリキッドを仕込もうというプランがあるやもしれん。


 俺はリッチェル子爵位の襲爵式に至る経緯と臣従儀礼について話を始めた。大きくなり過ぎた『常在戦場』を『臣従儀礼』によって国家に追認してもらおうと考えたが、宰相派内で意見がまとまらないので襲爵式で『常在戦場』の存在感を示し、その勢いを駆って『臣従儀礼』を認知させよう、という話だ。


「宰相派内でそんな事が・・・・・」


 シアーズが信じがたいという表情をしている。おそらく俺と考えは同じ。「この程度のことで何を言っているのか」だろう。


「大きな力があると思っていましたが、案外そんなものなのですね」


「ピエスリキッド! 滅多な事を言うもんではない」


 拍子抜けしたという感じで言ったピエスリキッドをワロスがたしなめた。内輪の席とはいえ口にしていると、外でいつ口を滑らせるか分からない。そうなったらタダでは済まない、という警告だ。ピエスリキッドも指摘をされてマズイと思ったのか「気をつけます」とワロスに言って引き下がった。

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