244 帰ってきたレティ
その時、貴賓室をノックする音が聞こえた。貴賓室は本室と前室で構成され、出入り口は前室にある。トーマスが確認する為に立ち上がって前室に向かったのだが、「あっ!」というトーマスの声と共に入ってきたのは、エルダース伯爵夫人の元に赴いているはずのレティだった。
「どうした、レティ!」
レティが突然現れたので、思わず声を上げてしまった。
「エルダース伯爵夫人がグレンを連れてこいって」
「そうか・・・・・」
ミカエルの襲爵を強力に推し進めた事に対するお怒りだろうなぁ、これは。
「エルダース伯爵夫人とは、ジェミリア様の事ですか?」
「え、ええ。そうだけど・・・・・」
俺が頭を痛めている側で、クリスが問いかけた。不意を突かれたのか、レティが戸惑っている。
「昔、作法について教わりました。厳しい方で・・・・・」
「そ、そうなの!」
クリスの話にレティがびっくりしている。あの厳しさはレティだけに向けられたものじゃなかったのか。クリスはエルダース伯爵夫人に作法を学んだ話を始めた。何でも十歳の頃、王都にやってきた際に伯爵夫人の指導を受けたのだという。
二人の従者トーマスとシャロンの方を見ると、共に苦々しい顔をしている。クリスだけではなく、従者達もしごかれたのだな、これは。俺は立ったままのレティに席を勧めた。一旦座らないと、レティも落ち着かないだろう。
「エルダース伯爵夫人は
「そうだったの! ジェミリア様の後見であれば心強いですわね、レティシア」
「心強すぎて、さしものレティも毒っ気が抜けてしまっているけどな」
俺が呟くと、トーマスとシャロンが吹き出してしまった。クリスも笑っている。
「だって、心強いけれど厳しいんだもの。逃げられないし・・・・・」
あのレティがゲンナリしたといった感じでため息をついた。おそらく今日も、あれこれと指摘されたのだろうな。
「レティシア。来週、ケルメス大聖堂で行われます
「・・・・・みんな・・・・・」
クリスの言葉にレティのエメラルドの瞳から、突然大粒の涙がこぼれた。涙を拭きもせず全員を見渡す。
「レティシア。是非参列させてください」
「行かせていただきます」
「よろしくお願いします」
アイリもトーマスもシャロンもレティに声を掛けた。レティの方を見ると感無量のようだ。ポロポロと涙が滴り落ちている。
「・・・・・ありがとう。ありがとう」
「レティ。何も心配することはない。みんながついている。子爵の事なんか一切気にかける必要はないぞ」
レティは頷くと、ハンカチを取り出して涙を拭いた。本来だったらハンカチの一つも差し出さなきゃいけない場面なのだろうが、それをやったらレティでなくなるような気がしたので出来なかったのだ。それはレティの強さに相応しくないじゃないか。自分の力で立って歩むところが、レティの魅力だろう。
「そうです。世に示すぐらいの立派な襲爵式を執り行って、見せつけてやるのです!」
クリスの言葉にレティが
「グレンの配下にある『常在戦場』が襲爵式に参加する事になりました」
「え? え? え? ええっ?」
レティが一人で混乱している。そんなレティを見るに見かねたのか、アイリが説明してくれた。
「『常在戦場』の隊士の方が四百人ほど参加されるそうです」
「四百人!!! それ、いつ決まったの?」
「今だ」「今」「今です」「今決まりました」「今先程」
俺達五人がそれぞれ答える。全員の顔を見るため、首を何度も百八十度回すレティ。
「えええええ!!!!!」
「みんなと一緒に、これまでにない立派な襲爵式にするぞ、レティ!」
「おおーっ!」
俺が言うとアイリ、クリス、トーマス、シャロン、みんなが声を上げた。レティはありがとう、ありがとう、と何度も頭を下げる。本当に
――翌日。俺とレティは朝から馬車に乗り、エルダース伯爵夫人の元に向かっていた。もちろん平日なので授業があるが、今はそれどころではない。昨日はあれから皆でロタスティの個室に移動して、皆で会食しながら、襲爵式に関する打ち合わせを行った。
そこでクリスから『常在戦場』と俺がより目立つ方法を考えろと厳命されたので、その方法を考えるのに頭がいっぱいなのである。しかし、どうやったら目立つことができるのか?
一方のレティの方はというと襲爵式の用意の為、エルダース伯爵邸に寝泊まりをするように伯爵夫人から指示されたとの事で、昨日の話し合いの後は荷造りに追われたそうだ。お陰で寝不足だと嘆いている。俺もレティも頭を悩ませる事が多い。
夜、ロタスティの閉店まで会食していたので、そこから風呂に入って準備をしたとして、最低二十二時以降から始めたとすれば・・・・・ 荷造りは深夜にまで及んだ事は想像に難くない。もちろん、レティが荷造りした荷物は全て『収納』で俺が預かっているのだが。
そんなレティからエルダース伯爵夫人の様子について聞くと、言うまでもなく事に立腹していたそうである。レティが状況を報告した後、リッチェル子爵家についての小言を一時間以上延々と話し続け、最後の方には子爵のことを「あの者は救いようがない!」と吐き捨てるように言ったらしい。言われてもしょうがないよな、子爵の振る舞いを見れば。
そして最後に「グレン・アルフォードを連れて来なさい」と言ったということで、やはり俺に雷が落ちることは必定のようだ。これもまた運命だと思い受け入れるしかないだろう。俺は話を聞いて、改めてまな板の鯉になる決意を固めた。
エルダース伯爵邸に到着して部屋に案内されると、そこには既にエルダース伯爵夫人が立ち上がって待っていた。執事は俺を夫人の真向かいにある椅子に案内する。レティは俺の右側に用意された椅子に横に立った。まずはレティが挨拶し、その次に俺が挨拶する。
「グレン・アルフォード。よくお越しくださいました。お座りください」
エルダース伯爵夫人は凛とした佇まいで俺に頭を下げた。ん? 何か想像と違う。俺は内心戸惑いながらも、その素振りを見せず椅子に座る。伯爵夫人はレティに目配せすると、優雅に座った。少し遅れてレティも着席する。こちらの方はエルダース伯爵夫人の座り方と比べれば、正直
「レティシアより全ての事情を聞きました」
「私めが強力に推し進めました結果、このような事態を招き、お詫びの言葉もございません」
「グレン!」
俺はエルダース伯爵夫人に頭を下げた。これは本当に思っていた事なので、指摘されるよりも前に言っておきたかった。
「顔をお上げなさい、グレン・アルフォード」
「悪いのはエアリスです。貴方達に何ら落ち度はありません」
悪いのはエアリス。レティの父でリッチェル子爵家の現当主、エアリス・ダーヴィット・リッチェルだと伯爵夫人は断言した。受け継いだ家の現状も顧みず、見栄と己の体裁ばかりに囚われ、やること成すこと碌な事をしないと、子爵を厳しく糾弾した。
「図らずも今回の件で、貴方達の選択の正しさが証明されたのです」
エルダース伯爵夫人は俺とレティの判断を肯定した。全く予想外の展開である。
「それどころか、ケルメス大聖堂で襲爵式を行う事ができるなんて! まさかミカエルの襲爵式に立ち会えるなどと思ってもみませんでした。グレン・アルフォード、感謝しますよ」
まさかエルダース伯爵夫人から感謝されるなんて。意外過ぎる展開に驚いた。しかし見ると伯爵夫人の顔色が優れない。
「ですが子爵家には、貴方に報いる事は何もできません」
どうやらエルダース伯爵夫人は俺に支払う対価がないことを気にしているようだ。そのような事、気にする必要はないのに。
「私に関わらせて頂くだけで十分でございます」
「ですが・・・・・」
俺の言葉を中々受け入れようとしない伯爵夫人。こういう場合は、むしろバーターの条件を持ちかけた形にした方がいいだろう。
「ならば私の方から一つお願いを。実は私の元に『常在戦場』という自警団がおりまして、その者達は参加させたく存じます」
「私の方は受け入れさせていただく他はありませんが、いかほどの人数で」
「およそ四百人」
「四百人も!」
エルダース伯爵夫人は驚きの声を上げた。
「ミカエル殿はじめ参列者に対し、この四百人の隊士が儀仗を纏い、出迎えたいと存じております」
「そのような格、高位家。いえ、王族に匹敵する扱い。そこまでして頂いては・・・・・」
少し狼狽えている伯爵夫人に対し、『常在戦場』を参加させる案が生まれた経緯について説明する。大規模となり、そのまま野に置くのがマズイ状況になった『常在戦場』を宰相府に『臣従儀礼』させる案を公爵令嬢クリスティーナが考えた。
しかし宰相府と宰相派双方の中に反対意見があり、実現が難しくなってしまっている状況。そこで今回の襲爵式に『常在戦場』参加させ、その存在感を示すことで宰相府への『臣従儀礼』を推し進めようとクリスと俺は意図している。伯爵夫人にそう話した。
「まぁ! 公爵令嬢がそのような案を。御立派になられて」
エルダース伯爵夫人の声が軽やかになった。
「襲爵式には公爵令嬢も参列されます。私の友人として」
「まぁ、レティシア。貴方公爵令嬢とそのような仲に」
レティの話にエルダース伯爵夫人は嬉しそうだ。まさか自分の親戚で後見人となっているレティと、公爵令嬢であるクリスが友人であるなんて思ってもない話だろう。まして幼い日のクリスを指導していたという夫人。喜びもひとしおといった感じである。
「折角の襲爵式に、このような意図を持ち込み申し訳ございません」
「いえ。むしろこのような形で協力させて頂けるなら、むしろ望むところ。威光を示すのが貴族の本領というものですから」
見栄を張るのが貴族の仕事という訳か。力
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