243 クリスの喝破

 クリスの次兄で宰相補佐官を務めているアルフォンス卿との会合は、自警団『常在戦場』の宰相府への『臣従儀礼』に対する反対意見の多さに、発案者のクリスがヘソを曲げて沈黙してしまったが故、会合場所である貴賓室は微妙な空気に包まれてしまった。そこで俺は口も聞かないクリスに代わって、アルフォンス卿に頼み事をする事にした。


「一つお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」


「私が聞ける話であれば・・・・・」


「道路調査を宰相府が委嘱した形にして頂きたいのです」


「誰に委嘱を?」


「ボルトン伯爵嫡嗣に」


 俺の話にアルフォンス卿がギョッとした顔をしたので、事情を話した。ボルトン伯爵家の陪臣男爵家の封地が、幹線に出るために二つの貴族領を通らなければならないが、通行料が大きな負担になっているので別の道を作る為の調査を、宰相府の委嘱を受けた形にしたいと。


「アルフォードよ。その「形」とはなんだ?」


「道を作れば通行料が取れなくなるので、通行料を下げなさいという意味ですわ」


 目を瞑ったまま答えるクリス。さすがはクリス! 大正解である。それを聞いたアルフォンス卿が大いに笑った。


「実に愉快な発想だ。道路を作ろうとするフリをするとは。いいだろう。道路は内務部の所轄。内務部から委嘱を受けた形にすれば良い。できるのはあくまで「形」のみだがな」


「それで十分でございます」


 俺は深々と頭を下げる。本当に形ばかりではあるが、了解を得るだけでもありがたい。アルフォンス卿は上機嫌で貴賓室を退室した。


「本当に解せませんわ!」


 アルフォンス卿が退出した後、クリスがやはりというか当然というか、案の定荒ぶっている。こうなる展開になるのは、アルフォンス卿が居たときから読めていた。おそらくアルフォンス卿も分かっていたのではないかと思う。だから用件が済んだらさっさと退散したのであろう。それだけクリスの怒りには棘があるということだ。


「近衛騎士団や王都警備隊が数の上で『常在戦場』に負けるという、こんな単純な事がどうして分からないのか、理解に苦しみますわ」


 クリスの言葉はもっともだ。それは正しい。しかしそれはあくまでも数の上。相手の方が権威と権力を持っている。それを差っ引くと、相手の方が勝るはず。


「もし仮に我が家の騎士団と『常在戦場』が戦った場合、我が家の騎士団が勝てる見込みは皆無です」


「お嬢様!」


 トーマスが大声で叫んだ。クリスの言動が行き過ぎだと判断しての事だろう。従者トーマスにとって主家の敗北など、たとえ主人であるクリスの言であろうと受け入れることはできまい。


「トーマス、考えるのです。グレンは咄嗟に三百人以上の人員を雇い入れる事が出来ました。我が家でそれと同じことができますか?」


「しかし!」


「この国で貴族と平民、どちらが多いですか? 圧倒的に平民です。平民の部隊である『常在戦場』と貴族の騎士団。平民がどちらの味方をするのか自明の理」


「ですが・・・・・」


「多数の領民を抑えるため、我が家の騎士団も全てを出すわけには行きません。対して『常在戦場』には抑える相手がいないため、全勢力を注ぎ込めます。どちらが勝つか明らか」


「・・・・・」


「グレンにはそれを決断する能力と、それだけの人員を抱えるだけの資力を持っているのです。この国でそのような貴族がいますか? いえ、国ですらできないのに貴族ができる訳がありません」


「さすがに国までは・・・・・」


 沈黙してしまったトーマスの代わりに俺は反論した。クリスが俺を買ってくれるのは悪い気分じゃないが、少し買いかぶり過ぎだ。


「いえ。グレンが一声掛ければ千でも二千でも雇い入れることができるでしょう。しかも多数の平民は『常在戦場』に付いてしまう。しかし王国にはそんな資力がありません。現に騎士や衛士を解雇しているのですから。それに事が起これは、貴族達は理由を付けて皆所領に引きこもってしまい、王国の求心力は働く事はないでしょう」


 全くその通り。返す言葉もなかった。クリスは自身の立場を抜きとして、冷徹に分析できていた。当事者である俺よりも。


「ですから私は宰相府での『臣従儀礼』を考えたのです。今のノルデン王国で今のグレンを抑えうるのはお父様以外には見当たらないので」


 正しい。俺はこの国を憂いるとか、変えるとかなんて露ほどにも思っていないのだが、クリスは俺の存在自体が脅威になり得ると看破していたのである。だから宰相府との『臣従儀礼』を考えた。国と争いたくない俺と、首輪を掛けたいクリスの思惑が一致したということか。


「グレンは悔しくありませんか!」


 クリスの舌鋒はこちらに向かってくる。俺の場合、悔しいというより、せっかくクリスが考えて動いてくれたのに、無に帰すような事になって申し訳ないという気持ちしかなかった。だが、今のクリスに「ありがとう」とか「よくやってくれた」などと言ってはいけない。それは誇り高きクリスの心を傷つける行為。だから俺は聞いてみた。


「一体、どうすれば宰相派と宰相府の首を縦に振らせることができるのだろうなぁ」


「・・・・・」


 クリスは黙って目を瞑った。怒りを抑え、考えているのだ。即座に気持ちを切り替えられる。クリスはこれができるから偉い。しばらくの沈黙の後、何か思い至ったのか、クリスが口を開く。


「存在感を示すことができれば・・・・・」


「存在感?」


「ええ。『常在戦場』がここにいる、と世に示すことです。ただ、今の私にはそのような場が思い至りません」


 場? 場なら・・・・・ あるじゃないか!


「クリス、あるぞ」


「え?」


「来週、ケルメス大聖堂でリッチェル子爵位の襲爵式がある。その儀式の場に『常在戦場』の隊士を参加させるというのはどうだ。少なくとも四百人は参加できるはず」


「四百人!」


 トーマスが驚いている。シャロンとアイリはビックリしたのか、声も出ない。クリスは断言した。


「そこに貴族も呼べば、存在感を出せます」


「そうすれば財務卿のグローズ子爵などは黙らせることはできるが、宰相派ナンバー二のシェアドーラ伯や派閥幹事のキリヤート伯はどうなのだろうか?」


「『常在戦場』の隊士が多数いることを貴族の前で示せば、貴族派は沈黙してシェアドーラ伯の危惧は杞憂であると示せます。そしてキリヤート伯の言う「バランス」とやらは崩れるでしょう」


 キリヤート伯の言う「バランス」。それは宮廷を握るトーレンス派と、宰相府を握る宰相派とのバランス。今は拮抗しているが『常在戦場』が宰相と『臣従儀礼』を結ぶことで宰相派の力の方が上回るというもの。


「王都警備隊よりも『常在戦場』の方が人数が多いから「バランス」が崩れると言いますが、宮内府と宰相府の官吏の数、トーレンス派と宰相派の貴族の数、双方を見れば最初から「バランス」なんてものは存在しないのですが・・・・・」


 クリスはキリヤート伯の論を辛辣に批評した。おそらく当人がいれば顔を真っ赤にして反論するか、青ざめて沈黙するしかないだろう。クリスの舌鋒は止まらない。


「大体、宮内府で押さえつけられないものを誰が抑えるというのですか? 人は己の力で止められなければ、他の人を頼るものです」


 ・・・・・トーレンス候の配下にある王都警備隊よりも『常在戦場』の方が数が多い。つまりトーレンス候は自力で『常在戦場』を押さえつけられないということ。それが分かった後、宰相閣下が『常在戦場』を抑えれば・・・・・ 文句は出ないということか。


「ですから襲爵式で『常在戦場』はしっかりと目立って頂かなければなりません。しかし、どうしてケルメス大聖堂で襲爵式を・・・・・ 通常襲爵式は所領の教会か、管内の教会のはず」


 クリスの疑問はもっともだ。そこで俺はそこに至る流れについて説明する。そしてリッチェル子爵家で起こっている子爵とレティの暗闘について一通り話すと、クリスが怒りだした。


「酷いですわ! それほど爵位を譲るのが嫌でしたら、日頃から努めを果たせばよろしいのです。それをせずによくも! おのれ子爵め、許せぬ!」


 最後の方は男言葉になったクリス。本当に怒っているのだな、クリスは。


「私はレティシアの友人として襲爵式に臨みます。皆さんもそうですよね」


 クリスは三人を見る。トーマスとシャロンはすぐに返事をした。が、アイリは躊躇している。


「私なんかが参加しても・・・・・」


「アイリス。レティシアの弟の襲爵式、一番の親友が参加するのは当然の努めですわ」


「はい!」


 アイリはクリスに諭されると、元気に返事をした。この二人、本当にいい関係だよなぁ。現実世界でこんな関係を持っている人間なんて少ないんじゃないか。俺なんか皆無だしな。クリスはアイリにこの「行儀見習い」という身分で良ければ、共に出席しないかと誘った。クリスの提案に頷くアイリ。なるほど、そういう手があったか。


「グレンの世界ではリッチェル子爵家はどんな描かれ方をしていたのですか?」


 クリスがゲームの話を聞いてきた。このエレノ世界にはゲームの概念がないので、「俺の世界」がすなわち『エレノオーレ!』の世界という扱いだ。俺はこの前アイリに話したように説明した。


「リッチェル子爵が作った借金を、レティが学園で恋仲となった男子生徒と一緒に片付けて、二人が結ばれる話だった」


「結ばれる・・・・・ 誰とですか?」


「正嫡殿下、カイン、フリック、リンゼイ、ブラッド、それといなくなったがオルスワード」


 シャロンからの質問に答えると黙ってしまった。そのメンバーの誰とも恋仲なんかになっていないもんなぁ、レティが。トーマスが言ってきた。


「今の状況と違い過ぎではありませんか?」


「ああ違う。レティが学園に来る前にそうした芽を全て刈り取って、子爵家の采配権を手中に収めているからな。偉いよレティは」


「レティシアの動きは話とは全く違うと」


 そうだ。クリスの言う通り。動き自体が違う。今のレティは本当に先手必勝だ。


「だから弟のミカエルなんか出てきてないし、襲爵式なんて話もない。もう全く別の話ぐらい違う話になっているんだ。リッチェル子爵家の話は」


「話と現実、どちらの方が酷いのですか?」


「現実だな。話ではやらかしているのが子爵だけだったのだが、実際には子爵、母親、兄、姉。四人もやらかしている人間がいる。四つも荷物を抱えて、リッチェル子爵家をここまで立て直したのだから大したものだ」


 シャロンからの問いに答えながら、改めて思う。大したものだと。普通、十四、五の少女が親を押さえつけるなんて事はできない。陪臣であるダンチェアード男爵以下、心ある臣下を纏めてよく立て直した。その統率力、並じゃない。


「だから俺は実態と名目を合わせる為、襲爵式を急がせた形になったのだが、結果としてこんな話になってしまって申し訳ないことをしたよ」


「そのような輩が考える事、遅かれ早かれこの事態が発生していましたわ。グレンは何も悪くはありません。むしろ早くに露見した事を是とするべきです」


 その時、貴賓室をノックする音が聞こえた。貴賓室は本室と前室で構成され、出入り口は前室にある。トーマスが確認する為に立ち上がって前室に向かったのだが、そのトーマスの「あっ!」という声と共に入ってきたのは、エルダース伯爵夫人の元に赴いているはずのレティだった。

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