242 派内の理屈
クリスが発案してくれた自警団『常在戦場』の宰相府への『臣従儀礼』。今や近衛騎士団を越えるノルデン最大規模の武装集団になったらしい『常在戦場』が、王国から睨まれることなく活動していくには妙案だと思っていたが、どうやら宰相府の中で問題があるらしい。
「兄様、宰相府内で何かありましたか?」
「ああ。反対の声が出ている」
「反対!」
宰相府の中で反対の声が出ている。クリスにとって、それは以外だったのか、少し驚いている。
「財務卿のクローズ子爵が反対しておる」
「どのような理由で」
「『常在戦場』という得体の知れない集団の『臣従儀礼』を、宰相府が受け入れるのは体面に関わると・・・・・」
「まぁ!」
アルフォンス卿からグローズ子爵の反対事由を聞いたクリスは呆れている。
「体面のない方が、体面を申されても意味がありませんわ!」
体面のない方。クリスは辛辣な表現で批評した。この場合「体面」とは所領のこと。つまり「体面のない方」とは、所領のない貴族を指した言葉であり、もしこの場にグローズ子爵がいたとしたら色を失っていたであろう。
国王に封ぜられ、自らの所領を持っているのが貴族。ところが時代と共に所領を持たぬ貴族が増えた。理由は二つ。一つは官僚たちの勲功に爵位で報いたこと、一つは渡せる所領が無かったこと、である。
かくして所領を賜ることができなかった新興貴族達だが、その多くは俸禄で王都の土地を所有し、人に貸して所領持ちの貴族より裕福な暮らしを手にした。彼らは所領を維持する費用を負担せずに済んだことに加え、貴族の特権で地代が免税された為、人に貸した土地の
グローズ子爵ももうした新興貴族の一人。故に縋るのは貴族の地位ではなく、自身の肩書となるのは自然なこと。グローズ子爵にとって『臣従儀礼』は宰相府の権威にはマイナスになると判断したのだろう。
「対して民部卿のトルーゼン子爵は賛成だ。長年域外に置かれた冒険者ギルドが整理統合され、行政に恭順する形となる好機であると主張していた」
俺は民部卿のトルーゼン子爵という人物とは会ったことがない。ないが冒険者ギルドへの見解を聞く限り、今起こっている状況を把握しており商人界の内情に理解があると思われる。
「しかし本当の問題は宰相府ではない・・・・・」
「宰相派からも反対が?」
クリスの問いにアルフォンス卿は頷いた。なるほど、宰相府だけでなく、宰相派からも反対論が出ているのだな。アルフォンス卿が歯切れが悪いのも当然だ。
「どちら様が反対なされておられますか」
「シェアドーラ伯とキリヤート伯。あとレイムシャイド伯からも」
シェアドーラ伯は
ただ分かるのは宰相派の複数の幹部が反対していること。そして宰相府の主要幹部である財務卿のクロード子爵も反対している。双方とも宰相にとっては重要人物であるはず。これでは宰相が乗り気であったとしても、『臣従儀礼』を推し進めるのは容易ではない。
よく、こうした反対意見を押し切ってリーダーシップ! みたいな話があるが、出だしの段階からそれをやるというバカな話は実際には存在しない。そんなものは安いドラマか小説の世界。そんな事をしていたら、その組織はいずれ潰れてしまう。
まして今回の話、実行すればリアクションがあるが、放置しても変化がない。つまりリスクがない訳で、スルーしても問題がないのだ。だから組織人なら、放置プレイで乗り切ろうとするだろう。
「賛成しているのはクラウディス=ディオール伯とムステングルン子爵」
「テオドール様が・・・・・」
「クリスティーナの申す事だから間違いないだろうと推しておられたが・・・・・」
クリスの言うテオドール様とは、一族の長老格で宰相閣下の
「ムステングルン子爵は、相手から『臣従儀礼』の申し出を行ってきている訳で、他所からとやかく言われるような話ではない、との意見。もっともだと思う」
ムステングルン子爵はノルト=クラウディス公爵家の陪臣。アルフォンス卿もムステングルン子爵と同意見のようだ。しかし一門筋と陪臣がクリスの案を支持し、派閥メンバーが反対とは・・・・・
シェアドーラ伯とキリヤート伯らの反対事由が如何なるものであるかは分からない。が、その真意を勘ぐれば、派閥の主導権を一門筋や陪臣に奪われたくないという意図かとか、女を絡ませるなとか、クリス本人の派閥への
宰相派はノルト=クラウディス公の一門陪臣が多い事もあって派閥構成員の比重が高い。その人々が「お嬢様」を担ぐ形となれば、身内贔屓となって派閥メンバーの離反も起こり得る。クリスの提言が、思わぬ形で宰相派の問題点を炙り出す事になってしまった。これでは宰相閣下もますます動けないのではないか。
「賛成の方の意見は分かりました。では、反対の方はどのような理由で反対されているのですか?」
クリスは厳しい口調で次兄に問うた。クリスの厳しい口調に圧されてか、アルフォンス卿はそれぞれの反対意見について話し始めた。まずキリヤート伯は内大臣トーレンス候との関係性が壊れることを危惧しての反対との事。
今の王国は国王フリッツ三世の元、宮廷を内大臣トーレンス候が、行政を宰相ノルト=クラウディス公が執り行い、この両者が協調することで機能している。つまり国王派第二派閥トーレンス派と宰相派が同盟し、この国を抑えている状態。確かに『貴族ファンド』の発起人にトーレンス派の人間は一人もいなかった。
要は現在のノルデン王国、宰相ノルト=クラウディス公と内大臣トーレンス候の連立政権であるということ。それを宰相府が『常在戦場』の『臣従儀礼』を受け入れれば、王都警備隊の『臣従儀礼』を行っている宮内府、つまり内大臣が持つ兵力を上回る兵力を宰相府が持つと思われる事によって、トーレンス派の不信感を抱かせることになりはしないか。
その不信感から現在の同盟、宰相派とトーレンス派の連立政権が崩れる事をキリヤート伯は恐れているというのだ。しかし今や『常在戦場』の幹部、第三警備隊長となったカラスイマが言っていたように、『常在戦場』が近衛騎士団と王都警備隊の二つを合わせた規模よりも大きいのであれば、バランスも何もあったものではないとは思うのだが・・・・・
「シェアドーラ伯は、宰相府が『常在戦場』を取り込む形となることで貴族派が反発し、それを名分にして結束する事を危惧していた」
一方宰相派ナンバー二に位置するシェアドーラ伯は、派閥幹事のキリヤート伯とは全く違った点からの反対意見だった。『臣従儀礼』を発火点として現在五派に分かれている貴族派が結束して宰相派と対峙する事になるのではないかという危惧。
危惧自体は過ったものではない。宰相派とトーレンス派が与党連立政権だとすると貴族派は野党。地位高くとも閣僚を一人も送り出せている状態にはないのだから。ハンナによると現在、全貴族を一〇〇とするならば、宰相派二〇、国王派三派で二五、貴族派五派で四五、中間派一〇で構成されているという。
その数字を信じるならば、貴族派が結束すれば宰相派とは四五対二〇で貴族派の圧勝。宰相派と国王派合わせて四五で貴族派と互角。貴族派が中間派を取り込めば、宰相派国王派連合を凌駕する事ができる。
ところが先の『貴族ファンド』を見る限り、第五派閥のドナート派は出だしから参加していないし、第二派閥のエルベール派は美味しいとこ取りの様子見状態。取り込めるかもしれない国王派第一派閥のウェストウィック派は、踏み出すか踏み出さぬのか分からぬ微妙なポジション。
実際、見たことがないのでなんとも言えないのだが、第一派閥の領袖で貴族派の盟主と目されるアウストラリス公が、イマイチだから結束できないのではないかと思ってしまう。それぐらい動きが鈍く感じる。打つ手にシャープさを感じることが出来ないのだ。エレノ仕様と言ってしまえばそれまでだが、シェアドーラ伯の危惧は杞憂であると断じていい。
「それでレイムシャイド伯はなんと・・・・・」
次兄アルフォンス卿に説明を促すクリス。そのトーンは限りなく冷ややか。おそらくクリスにとって反対事由が論評にも値しないものだからであろう。今日の公爵令嬢は限りなく厳しい。
「もっと派閥メンバーに意見を通すべきではと・・・・・」
「何を仰っておられるのですか?」
クリスは不快感を表した。そりゃそうだ。レイムシャイド伯のそれは反対意見ですらなく、単なるやっかみだ。『臣従儀礼』すら無関係の話。しかもこのレイムシャイド伯の意見に賛同する者が何人もいたというのだから、呆れて物が言えない。シェアドーラ伯やキリヤート伯がマトモに見える。
アルフォンス卿が宰相派と宰相府の内情を話したのは、口にこそ出さないがクリスが唱えた自警団『常在戦場』の宰相府に対する『臣従儀礼』の件は難しいという事を伝える為だったのではないか。
クリスがそれが察知できない訳がない。だからクリスは出だしから不機嫌だった。いや、目を瞑っているだけなのだが、その周辺から醸し出しているものだけで、それが分かってしまう。俺もそれだけクリスを見たということなのだろう。貴賓室には微妙な空気が漂っていた。
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