241 反攻準備
「フレディ。すまないがデビッドソン主教に、ケルメス大聖堂でリッチェル子爵位の襲爵式を執り行ってもらうよう、頼んでもらえないか?」
「えっ?」
朝の教室。俺の話を飲み込めていない感じのフレディにもう一度行った。
「デビッドソン主教にケルメス大聖堂でリッチェル子爵位の襲爵式を執り行ってもらうよう、頼んでもらえないか?」
「えええええ!!!!!」
俺の言った意味がようやく理解できたフレディは「何故?」「なに?」「どうして?」と連発してきたので、昨日の一件を話した。その上でケルメス大聖堂のアリガリーチ枢機卿と相談した結果、デビッドソン主教にお願いする事になったと告げたのである。
「グレンの頼みだから、お父さんは聞いてくれる筈だけど・・・・・ ケルメス大聖堂で襲爵式を執り行うのがお父さんなんて信じられないよ」
戸惑いながらも同意してくれたフレディ。俺はフレディを学園玄関に連れていき、俺が書いた便箋と、レティが書いてくれた便箋を手渡した。
「早馬を待たせてある。一筆書いて渡して欲しい。デビッドソン主教の了解を得てから段取りに入るつもりだ」
「責任重大だね」
フレディはニコリとすると伝信室で便箋を書いて、みんなの便箋を纏めて封書した。そして待機していた早馬に封書を渡す。その封書を受け取ると、早馬は即座に旅立った。
「グレンといると、いつもとんでもない話に巻き込まれるからね。一度味わったらやめられないよ」
喜んでいるのか悲しんでいるのかよく分からない事を言うと、俺に向かって右手を差し出してきた。これは握手だ。俺はつかさず右手を出すと、フレディにガッチリと握られた。
――クリスの次兄、宰相補佐官のアルフォンス卿が従者グレゴール・フィーゼラーを伴い学園に来訪したのは、リッチェル子爵家からの手紙が届いた翌日の放課後。クリスらと共に貴賓室において出迎えた。
いつもと違うのは「行儀見習い」のアイリはいるが、「近侍志望」のレティがいないこと。レティは朝から後見人であるエルダース伯爵夫人の許に馬車で向かったので、今の学園にレティがいないのだ。
昨日、ケルメス大聖堂より帰ってきた後、俺とアイリとレティの三人はロタスティの個室でリサを呼び出し、一緒に夕食を摂った。理由はもちろんリッチェル子爵家の一件である。レティの弟ミカエルの襲爵式が邪魔されている経緯を一通り話すと、何故かリサの顔が引きつり笑いに変わった。
「・・・・・それで私に何を?」
引き気味に尋ねてくるリサに対し、俺は言った。
「ミカエルの一団が王都に来ている間、リッチェル城の番をして欲しい」
「えええええ!」
リサはわざとらしく驚いたフリをする。この前ボルトン一門の帳簿を見るためルカナリア地方まで行ったのに、間を置かず今度はリッチェル子爵領かよ、というアピールだ。
「リサさん、お願いします。リサさんにしか頼めません」
レティが椅子に座っているリサに駆け寄り、しゃがんで両手を握った。文字通り哀願している。目に涙を溜めて頼み込むレティに、リサは困惑している。
「・・・・・レティシアさん・・・・・」
「お願いします。家の事情を知っているのはリサさんしかいません。お願いできるのはリサさんだけなのです」
必死に迫るレティに押され、こちらの方を見てくるリサ。ここは俺も無理を承知で頼むしかない。
「然るべき者をキチンと付ける。過去にリッチェル子爵領に入った事のあるリサにしか頼めないんだ。この通りだ、頼む」
俺が頭を下げると、観念したのかリサは承諾した。
「分かったわ。子爵領に行くわ。レティシアさん、立って」
リサがそう促すと、レティは泣き出してしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、リサさん・・・・・」
これにはリサもどうしていいか分からない。そこへアイリがそっと近寄り、二、三言葉を掛け、レティを席に戻してくれた。仲の良い女同士だからできる芸当だろう。まず、俺には無理だ。
「『常在戦場』にダダーンという女性戦士が隊長の女性部隊がある。その隊を付ける」
打ち合わせの中、リサに付ける者が誰なのかとリサが聞いてきたので、俺は詳細に答えた。ダダーンだったら間違いないし、リサとの相性もいい筈だ。リサの心強い味方になってくれるはず。
「何人いるの?」
「ダダーン合わせ八名。ダダーン曰く屈強だそうだ。安心して指示を出して欲しい」
先日、アイリと屯所に赴いた際、ダダーンから話を聞いておいて良かった。まさかこんなところで出動を頼む事になろうなんて、誰も思いはしないだろう。主のいないリッチェル城を子爵以下ドラ家族から守るため、留守の間の手筈について打ち合わせる。レティはその概要を便箋に書き、明日子爵領へと早馬を飛ばす事になった。
「エルダース伯爵夫人の方はどうする」
「直接御報告に上がります。封書のみでは夫人に失礼ですから」
レティはキッパリと言った。レティの言葉から、エルダース伯爵夫人は後見人というには留まらない、大きな存在であることを改めて実感する。ゴール地点は決まっている。再来週の平日二日目。そこに向かって走るため、レティは朝から馬車を出して、エルダース伯爵家の屋敷に向かったのである。
「小麦相場は順調に下がっておるな」
アルフォンス卿はいつになく上機嫌だった。対象的なのはクリスで目を瞑ったままで、表情を崩さない。
「一時はどうなるかと思っておったが、この状態を維持できれば大過なく凌げるやもしれぬ」
気を抜いた訳ではないが、相場が一時の半値以下で推移していることの安心感が言わせているのだろう。だが、これで収まるとはとても思えない。俺は警鐘を鳴らすべく言った。
「宰相閣下が申されるに、二十年前に起こった凶作の際には、春が一つのヤマであったと。まだ三ヶ月ございます。むしろこれからが本番かと」
「うむ。私もその話は聞いておる。その点、心得ておこう」
アルフォンス卿は俺の言を率直に受け入れた。こうした点が若さであり、アルフォンス卿の良さであろう。
「
クリスの声、メゾソプラノの声は固い。おそらくアルフォンス卿の言葉に気の緩みを感じたのだろう。声質も固ければ、表情も硬かった。
「クリスティーナ。その通りだな。何事も思った以上に順調でな、このまま行けそうな気がしたのだ」
なるほど。アルフォンス卿の言わんとする事はよく分かる。輸入小麦を売り捌くまでの相場を見る方が長ければ、卸が始まった後の相場の下落があっと言う間であった事から安心するのも無理はない。
「『貴族ファンド』の方も華々しいパーティ以来、目立った動きはない。巨額貸付が行われたという話がどこからも伝わってこないのだ」
ほう。本格的に融資を始めていると思ったが・・・・・ 『金融ギルド』のようにその日から活発な活動を始めた訳ではないのか。
「アルフォード家の当主が立案した法律の効果が、早くも現れておるのではないかと思っておる」
「『貴族財産保護政令』ですね」
「そうだ。だから思ったような融資ができず、目立った活動ができないのではないか」
それは十分に考えられる。担保を取って融資を行う予定だったものが、蓋を開ければ担保を取ることが禁止されていた。予定が狂った『貴族ファンド』側は融資を先送りにして思案中。ならばザルツの読み通りということ。しかしそれはまだ推測の域を出ていない。情報が出てくるのはもう少し先のことだろう。答え合わせはその時だ。
「兄様。それより『臣従儀礼』の方はいかがでしたか」
「ああ、そうだったな」
妹からの指摘に次兄は苦笑している。どうやらクリスが刺々しかったのは、先週クリスが話していた『臣従儀礼』。大きく膨れ上がった自警団『常在戦場』が、王国に弓引く集団ではない事を示すための儀式の可否が、今日話し合われることになっていたからのようである。
おそらく週末に王都の屋敷に戻ったクリスが宰相閣下とアルフォンス卿との間で協議を行ったと推測する。しかし、その場で結論が出なかった。でなければアルフォンス卿に、どうだったかをわざわざ聞きはしないだろう。
「アルフォードよ。クリスティーナから事情は聞いているが、経緯について改めて聞きたい」
アルフォンス卿は俺に『常在戦場』について問い質してきたので、隊の結成から今日に至るまでの概略を話した。『金融ギルド』の責任者ラムセスタ・シアーズの警護を目的に結成したことに始まり、従来から彼らが持つ仕事を行ってもらいながら、こちらの仕事も行ってもらうというスタイルから人数が増えたという経緯。
結果として『常在戦場』側の仕事が増えたので、従来あった冒険者ギルドの仕事が減って登録者から不満の声が出て対立が深まったこと。対立を避ける為、希望者全てを受け入れたら冒険者ギルド自体が潰れてしまい、こちらが引き取ることになってしまったことを話した。
「ハッハッハッハッハ! 実にアルフォードらしい」
俺の話を聞いたアルフォンス卿は大笑いした。そこは笑うところじゃない! アルフォンス卿の笑いにつられてクリスも笑い始める。すると二人の従者トーマスとシャロンもそれに続く。そして事情を一番知っているアイリまでが笑い始めてしまった。あ~あ、緊張感が台無しだよ。
「それで人数はいかほどだ?」
「五百人程だと聞いております」
「おいおい。それは近衛騎士団よりも多いぞ」
「ですので、このままでは問題になると公爵令嬢に御相談させて頂きましたところ、宰相府に『臣従儀礼』を行えばよいとの助言をいただきました」
「こちらの方も今日はその聞き取りのため、学園に来たのだ」
聞き取りという事はまだ決まっていないのだな。そう思っていたら、クリスが次兄に質す。
「お話しする限り、お父様は肯定的でした。兄様はどのようにお思いなのですか?」
「もちろん賛成だ。アルフォードの方が準備できているのであれば、今すぐにでも執り行うべき話だと思っている。しかし・・・・・」
そこでアルフォンス卿が言葉に詰まった。障壁があるのだな、これは。
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