第二十章 襲爵式
240 叛旗
放課後、俺とアイリがいる図書館にやってきたレティ。いつもは快活なレティが、気が抜けたようになってしまっている。そのレティの口から出てきた言葉「襲爵式ができない」。一体どういうことなのか。立ち上がった俺が問うと、レティが力なく一枚の便箋を渡してきた。
「なんだこれは!」
渡された便箋を見て驚愕した。襲爵式を行うネルキミス教会のディアマンテス主教が病に伏し、式を行う日程が組めないと書かれているのである。確か襲爵式は、国王の裁可が行われてから一ヶ月以内に行わなければならないはず。もし行わなければどうなるのだ?
「襲爵自体が無効になるわ・・・・・」
崩れそうになるレティを抱きかかえた。国王陛下より襲爵の裁可が下りたのに、教会で儀式を行わない貴族が誕生すれば、このエレノ世界の秩序が保てないという事か。貴族という権力を教会が認める事で初めて力が正当化されるといったところか。レティが静かに嗚咽している。
「なんで・・・・・ なんで・・・・・」
あの気丈なレティが肩を震わせ泣いている。余りにも唐突過ぎて頭が真っ白になってしまっているのだ。動揺しているレティを見ると不憫でならない。今のレティは、その長身も体を支えるには心許ないように感じる。俺は強くレティを抱きしめた。
「・・・・・どうしてなの・・・・・」
これまで子爵家をボンクラ家族から守る為、あらゆる方策を用い、対処してきたレティ。その最終目標であり、唯一の希望が弟ミカエルの襲爵。今までそれに向かって全力で突っ走ってきたのに、最後の最後の最後で大きな障壁が立ちはだかった。しかも突然に。
この事態。俺にも責任がある。早期襲爵を強く勧めたのは他ならぬこの俺なのだ。それがミカエル襲爵のプロセスに悪影響を及ぼしているのかもしれない。大体、乙女ゲーム『エレノオーレ!』ではミカエル自体登場していないし、リッチェル子爵は爵位を譲ってすらいない。いや、少し待て! 俺はハッとした。
(これはリッチェル子爵の陰謀ではないか)
教会にとって管内にある貴族家は上得意の客であるはず。ましてリッチェル子爵家は六百年続く古参貴族。もし教会の主教が病で伏せているのであれば、代役を頼んででも襲爵式を行わなければならぬ立場だ。代役を立ててはならぬ、という規則があれば別だが、恐らくそんな筈はないだろう。俺は胸元にいるレティに聞いた。
「レティ。宮廷の御裁可に教会や主教の指定が書かれていたか?」
レティからの反応はない。俺の胸元に顔を埋めたままだ。待つと、しばらくしてレティが呟いた。
「・・・・・そんなの・・・・・ 無かったわ。どこにも・・・・・」
やはりそうだ。だったら手があるじゃないか。俺はレティの両肩を持ち、俺の身体からレティを引き離した。
「レティ、今からケルメス大聖堂に行こう!」
「えっ?」
俺の言葉が唐突過ぎたのか、レティは涙が止まり、キョトンとしている。
「宮廷の御裁可にはネルキミス教会で行うべしとも、ディアマンデス主教が執り行うべきとも書かれていないだろ。だったら他の教会で、他の人に頼めばいいんだ。ケルメス大聖堂に行って紹介してもらおう!」
「あああああ!!!!!」
意図が分かったレティは思わず叫んだ。目は真っ赤で目元が腫れているが、表情は明らかに変わった。
「他所で襲爵式をやればいいんだ!」
「そうだ。それで他の教会の人間に襲爵式を執り行ってもらえばいいんだ」
「気付かなかったわ! 私ホント、バカね」
「違うよ。こんなのをギリギリに通告してくる方が間違っているのさ」
俺は魔装具を取り出して、すぐさま馬車を呼んだ。レティは泣いて腫れてしまった目元をなんとかするため、アイリに伴われて図書館を出ていく。化粧直しをするためだ。時間がないので学園服での訪問になるがいいだろう。今更着飾って行くような関係でもない。やがて馬車が学園の馬車溜まりにやってきたので、急いで三人で乗り込んだ。
「グレン。何を考えているの・・・・・」
馬車が学園から出た後、向かいに座るアイリが聞いてきた。絶対に分かっていて聞いてるよなぁ、アイリは。隠しても仕方がないことなので、正直に答えた。
「ああ。
「
俺の言葉にレティが重ねてきた。その語気から怒りは相当なものであることを感じ取ることができる。アイリを見るとどこか不満そうだ。もっとハッキリ言って欲しいのだろう。
「リッチェル子爵にハメられたんだよ」
「どうして分かるのですか?」
「ミカエルが襲爵できなかったら子爵位はどうなると思う」
「今まで通り
俺とアイリの会話の中にレティが割って入ってきた。先程よりも声が一オクターブ下がった。ある種、殺意に近いものを感じる。俺はアイリに説明した。
「レティの父親リッチェル子爵は、これまでの
レティが膝上に置いた両手で握りこぶしを作り、唇を噛み締めている。おそらく今まで家で起こった事件の数々を思い浮かべているのであろう。我慢ならぬことを我慢させられてきた。その思いがいつ噴出するやもしれない。
「表では自身の
「そうよ! そうなの!
俺が話すと炎を吹き出す
「だから我が子ミカエルに爵位を譲りたくない子爵は、ディアマンデス主教に頼んで仮病を使ってもらった。だがリッチェル家は六百年続く名のある家。仮に主教が病気だとして、その家の重要な儀式に代役すら立てようともしないなんて、普通あり得ない事だからな。実に幼稚な方法を考えたものだ」
「だからグレンは分かったのですね」
「ああ。そこで確信したんだ」
「冷静に考えれば、すぐに見抜ける
自嘲気味に話すレティに俺は言った。
「感情が高ぶるのは人間だから仕方がないよ。当事者なんだからな」
そこで馬車はケルメス大聖堂に到着した。馬車には馬車溜まりに待機してもらって、俺達は大聖堂の中に入る。大聖堂で話を聞いた後、すぐに学園へ戻るためである。夕方だというのに、大聖堂の中は多くの人がいた。
俺はいつものように受付に顔を出す。今日は喜捨は無しなのだが、受付の女性は俺の顔を見るなり立ち上がり、俺達を別室に案内してくれた。ようやく俺の顔を覚えてくれたようである。次来た時は絶対に喜捨をしなければいけない。しばらくすると中年の枢機卿、アリガリーチ枢機卿が顔を出してくれた。
「これはアルフォード殿。今日はどのようなご用件で」
今日はラシーナ枢機卿は儀式の最中という事で、アリガリーチ枢機卿が対応してくれるとの事であった。そこで俺はリッチェル子爵家の襲爵式の件を話し、他の教会でも行うことができるかどうか尋ねた。
「もちろん可能です。しかし、ディアマンテス主教はどうして代役を頼まないのか。手続きさえ踏めば大聖堂からでも、周辺教会からでも主教が向かうというのに」
アリガリーチ枢機卿の話にレティだけではなく、アイリの表情も厳しくなった。アイリも確信したようである。そもそもこの手の話、三人の中でアイリが一番嫌う。だから心の中で静かに怒っているはず。俺はアリガリーチ枢機卿にダメ元で聞いてみた。
「このケルメス大聖堂でも行えますか」
「はい。基本的に襲爵式は各貴族領を管内とする教会で行われる事が基本ですが、時折大聖堂で執り行われる事もございます」
「どのような方が?」
「最近ではスチュアート公が爵位を授けられました際に。こちらの方は叙爵式でしたが、襲爵式も叙爵式も教会にとっては同じ儀式」
この説明に俺達は顔を見合わせた。レティが引いてしまっている。アイリの方はイマイチピンと来ていない反応だ。スチュアート公が王族を抜け臣籍降下した際、公爵位を授けられた時に叙爵式という儀式を行ったという話である。いいじゃないか、面白い。
「アリガリーチ枢機卿。ならばお願いします。日程は再来週の平日初日と二日目」
俺の言葉に全員が仰け反った。襲爵期限の一ヶ月が再来週の平日二日目。その日に襲爵式を執り行い、前日にリハーサルを行う。その為に二日借りるのである。レティが何かを言おうとしているので、その前に俺は確認した。
「できますね。枢機卿」
「・・・・・分かりました。そのように手配しましょう。ですが・・・・・」
ケルメス大聖堂で襲爵式を行うに当たって、何か問題があるのだろうか。
「襲爵式は私が執り行うことは出来ませぬ。大聖堂には主教が属しておりませんので」
アリガリーチ枢機卿が言うには、襲爵式は主教だけが執り行えるという決まりがあるため、枢機卿では行えないというのである。王都にある各教会の主教を紹介するという方法ならできますが、との事だった。
「デビッドソン主教でも可能ですか」
アイリがいきなり聞いてきた。なるほど! デビッドソン主教か。悪くない。人柄といい能力といい申し分がない。これはフレディに頼む価値があるな。アイリの問いにアリガリーチ枢機卿は膝を叩いてニッコリ笑う。
「もちろんです。いや、アルフォード殿との関係を見れば最適任では」
「グレン。でしたらデビッドソンさんにお願いしましょう!」
アリガリーチ枢機卿の答えに喜ぶアイリ。この前、フレディと一緒にケルメス大聖堂に来て、色々話を聞くことが出来たので、今のアイディアが生まれたのだろう。良策だよアイリ、ありがとう。これで再来週の平日二日目、ケルメス大聖堂でデビットソン主教を招き、ミカエルのリッチェル子爵位の襲爵式を執り行うというプランが決まった。
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