239 ウィリアム殿下

 俺は王都トラニアスの丘陵部に位置する『御苑』の中にある別邸において、期せずしてノルデン王国の第一王子ウィリアム殿下と会見に臨んでいた。会見とは言っても王子付きの宮廷騎士ガーベル卿とその長男で近衛騎士団に属するスタン・ガーベルとの四人で話す、いわゆる内々の会合と呼ぶに等しいものであったが。


 その話の中で、モノの価値や貴族の領国経営を取り巻く環境の変化など、今のノルデン王国における潜在的な問題について、ウィリアム王子からの問いかけに俺が答えるという形で話が進んだ。


「国土や所領の大きさが変わっていないというのに、どうして実入りが減ったのだ」


 ウィリアム王子から下問に、俺は遠慮なく答えることにした。


「モノの価値が変わったからです。仮に申せば、取れる小麦の量は変わらなくとも、取引価格が半値になれば、所領からの収入は自ずと半値になると」


「どうして取引価格が半値になってしまったのか?」


「各領主が収入を増やすため、競って畑を増やし、品種を改良し、設備を改め、収穫を高める努力を行ったらでございます。仮に昔の取高を百とするならば、三百に増えた。ところが消費は百から百五十に増えたのみ。これでは領主が収入を三倍に増やすことを目指して開墾しても、小麦価は半値に下落します」


「・・・・・」


「ですから領主が三倍の収入を見込んで開発しても、実際には収入が一.五倍の伸びに留まる計算。これは目論見の半分に過ぎず、開墾にかかった費用がのしかかり、結果として成果が上がらないという形になります」


「・・・・・現実にはもっと大きな差があるということだな」


「はい。小麦で言えば、この三百年でおよそ四分の一の価値になったものと推察されます」


 俺の話を聞いてウィリアム王子が深刻な顔をしている。まさかダニエルの件から、この国で起こっている構造の変化についての話になろうとは、夢にも思わなかったのだろう。だから今度は、民衆の側の話をすることにした。


「一方、これによって多くの民に安価な小麦が行き渡り、飢えがなくなりました。また余剰作物のお陰で、菓子など小麦の用途が広がり、民の間に余暇が生まれました」


「なるほど。そのような見立てもできるのか。そちのように多くの眼で物事を見ると、かくも見方が変わるのだな」


「これはあくまで例であって、実際には小麦の栽培技術。より多くの小麦の品種改良や、農機具の開発などによって、生産量が増えると同時に従事するものが減り、職を失った者が他の仕事、鉱山作業や建築、製造に移ったことで社会の構造に変化をもたらしました」


 これは初歩の初歩。中学校レベルの教科書に載るレベルの話だが、文献も研究も乏しいエレノ世界ではこうした結論を導き出すのは容易ではない。


「近年言われておる貴族の困窮は、長い歳月をかけて起こった、社会構造の変化によるものということだな。それは同時に国の中でも起こっている、と」


「先程申しましたように栽培技術の発展により農業従事者が減り、減った従事者が転職に伴い、多くが都市住民となったことで収入が増えたため、貴族ほど・・ハッキリした形では見えませぬ。ですが、流れとしては同じものでございます」


「早いか遅いか、その違いでしかない、か」


 ウィリアム王子は天を見上げた。エレノ世界でこの手の話についてくる人間は少ない。クリス、シアーズ、ザルツ、リサ、宰相、アルフォンス卿・・・・・ 本当に限られているが、ウィリアム王子もそのうちの一人のようだ。アルフォンス卿の言う「勉強熱心」とはこういう部分を指しているのだろう。


「そのような価値の変化に、国や貴族はどのように対応すればよいのだろうか」


 しばらく考え込んでいたウィリアム王子が俺に問いかけてくる。俺は即座に答えた。


「一つは縮小した収入に合わせた暮らし、支出を抑えて収入と均衡させる事です」


「それは国でも取り組んでおるな。近衛騎士団の数を減らしておる。先程のダニエルを取り巻く問題に繋がる話。だが「一つ」というには、まだ方法があると・・・・・」


 俺の話にウィリアム王子が反応した。王国の置かれた状況を把握できているようだ。王国の近衛騎士団を減らすというのは、ある意味なりふりかまっていない状況とも言える。


「はい。もう一つは先程とは全く逆で、現在の支出に合わせた暮らし。収入を増やすという方法です。しかし今、多くの貴族が採用しているのは収入を増やすのではなく、借金で補うという方法」


「借金では補えぬのか?」


「借金は返済しなければなりません。借りた金額に加えて手数料、利息を加えて。全く元本を減らしていなければ三年で借りた額の倍を払う事になります。少ない収入の上に、借りた金額の倍を支払う。これでは、やっていける訳がありません」


「最近できたという『貴族ファンド』では解決しないのだな」


「借金は収入ではなく、負債。借りた金額に見合う投資、収入を増やす投資を行わなければ、全て消費に終わり、先程述べましたように後世に負担だけが残る。つまり、いくら借金ができるところが増えようと、収入と支出を何らかの形で均衡させる手立てを取らなければ、それは延命工作でしかありません」


 俺は本当の事を話した。エレノ貴族というもの、借金を収入だと半ば思っているところがある。実際には踏み倒しで乗り切っているだけなのだが、それを前提として暮らしているので、収入を増やす努力に乏しく、支出を減らす努力をしない。その結果が、多くの貴族の借金経営に繋がっているのだ。


「アルフォードよ。全くその通りだ。なるほど。ガーベル卿が申すように、実に面白い」


 ウィリアム王子はガーベル卿に向かって笑いかけた。苦笑するガーベル卿。おそらくウィリアム殿下にとって、ガーベル卿は良き「爺や」のようである。


「先日、アルフォード殿が我が家に参られた際に、色々話を聞くにつれ、これはと・・・・・」


「我が弟が『逸材』と言うだけの事はある」


 正嫡殿下は手紙に俺のことを何と書いているのだ! ウィリアム殿下とガーベル卿は何か楽しそうである。俺がそんなに面白いのか。


「今日は実に愉快であった。まずこのような話、王宮では聞けぬからな。またこのような機会を是非持ちたい」


 三時間に及んだ会見の去り際、ウィリアム王子は満足気に話した。普段、このような話をする機会を得られていないのであろう。博識ある若き王子ウィリアム殿下は好奇心が旺盛で、話はサルジニア公国の内情や貴族社会の状況、社会構造の変化に留まらず、商人世界の状況やギルド社会の構造に至るまで興味を示した事から考えても、それは明らか。


 特にアルフォード商会の目指す道、すなわち企業化や会社化に関する話に対する食いつきは、ある面ロバートやリサを上回っている。本質的に経営であるとか、統治に関して深く興味があるのだ。しかし、それは好ましくないと思われているのだろう。何者かがそう思っている。俺はガーベル卿と長兄スタンと共に御苑を後にした。


「アルフォード殿、今日は騙し討ちをするかの行為、誠に申し訳ない」


 帰りの馬車上、ガーベル卿が謝罪してきた。ガーベル邸に招待された筈なのに、気がついたら御苑で第一王子ウィリアム殿下との会見なんて、普通あり得ない話だからな。事前に聞かされていなかったから、最初は本当に驚くしかなかったし。


 だが、カタブツの律義者と評されるガーベル卿が、不意打ちを行ってでも俺を御苑に連れてこないと行けない状況があったと考えなければならないだろう。普通、王族ならば堂々と人を呼びつけて会えるはず。仮に俺が下層身分である商人であろうと、王権を用いるならば、それは容易に実行できる筈なのだ。


 ところが現実は異なる。これはウィリアム王子を取り巻く環境がそれを阻んでいると考えるべきで、それゆえ俺に一切告げず、こっそりと御苑、王宮ではなく御苑に連れてくる事にあった。しかも御苑の中でも大きな館ではなく、小さな邸宅。側室の子であるとはいえ、とてもではないが国王の長子とは思えぬ扱い。


「いえいえ。ウィリアム殿下と会見に臨むという光栄に浴し、感謝の言葉もありません」


「今日のことは内々の話、何卒ご内密のほど・・・・・」


 ガーベル卿は恐縮しながら言う。それはこちらも分かる。俺に行き先を告げず御苑に連れてくるぐらいなのだから言うまでもない。しかし重要なのはそこではない。


「殿下に場を作らぬという事は、王国にとって大きな損失ですぞ」


 俺の言葉に対面の二人は呆気にとられている。ガーベル卿も長兄スタンも言葉も出ないようだ。


「殿下にはその能力に相応しい、しっかりした表舞台が必要ですな」


 二人は何も言わなかった。しかし表情を見るに、俺の言葉を肯定している様だ。彼らには国政を動かす立場にはない。できることは冷遇されている側室の王子側をはべることのみ。もどかしいのは俺ではなく、ガーベル卿と長兄スタンの方だろう。彼らがこの件で言葉を発する事はなかった。


 ――学園の放課後、俺はアイリと図書館にいた。こちらが必要だと思われる事が書かれている本を読み尽くした最近は、図書館が単にアイリと会う場と化している。俺にとっては読む本が無くなった図書館。しかしアイリが言うには、魔法関連の書物が読みきれないほどあるとの事で、蔵書のウェイトが魔法に重きが置かれているのがよく分かる。


 アイリに先週の放課後、鍛錬場にてファリオさんら『常在戦場』の隊士らが集団盾術を披露してくれた事の話をした。アイリ自身、屯所の会議室で暴動の件を言及した事もあって、熱心に話を聞いてくる。


「皆さんが盾術を習得し、使えるようになれば防げますか?」


「そこまでは断言できないけど、死者は出ないと思ったよ」 


 それを聞いたアイリは安堵の表情を浮かべている。そこにふらりとレティがやって来た。様子がおかしいので顔を見ると、血の気が引いていて蒼白。どうしたんだ、レティ?


「襲爵式が・・・・・ 行えないんですって・・・・・」


 力なく呟くレティの言葉に、俺は思わず立ち上がった。

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