238 御苑

「アルフォード殿、いきなり、このような形となって申し訳ない」


 息子共々、自ら馬車に乗り込んできて、降りようとする俺を止めたガーベル卿は、走りだした馬車の中で俺に向かって謝罪した。ガーベル邸に招待されたのに、ガーベル邸から離れていくのだ。その上で謝られても、どのように返事をすればよいのか困る。


「あの、これから何処に・・・・・」


「御苑でござる」


「御苑!!!!!」


 俺はガーベル卿の言葉に思わず声を上げてしまった。御苑とは高級ホテル『グラバーラス・ノルデン』に隣接する、広大な王室庭園のこと。馬車は今、そこに向かっているというのである。御苑なんて平民はおろか、貴族でさえも容易には入ることができない場所であるはず。そんな場所へ俺を連れて行って歓待というのは、あまりにも大袈裟過ぎないか。


「我が子ダニエルにお力添えを頂きありがとうございます。この場を借りて改めてお礼申し上げる」


「弟ダニエルも騎士への道が開けました。感謝申し上げます」


 ガーベル卿に続き、一緒に馬車に乗り込んできた長男スタンも頭を下げる。確かに今日の招待はダニエルの子爵家採用の件のお礼という事なので、ガーベル父子の言葉はそのまま受け止めればいい。しかし問題は、それが御苑に向かう馬車での出来事だという部分。ということは、今日の招待はダニエルの礼が主目的ではないということなのか。


 『グラバーラス・ノルデン』を通り過ぎた後、馬車が止まった。大きな門が開くと、馬車はその門を通って中を走る。これが御苑の中か。想像だにしたことがない御苑の中。木々一本一本に至るまで整備されているのが分かる。馬車は木々が生い茂る道を抜けると、開けた場所に出た。幾何学的なシンメトリーの庭園。これは西洋式、フランス庭園だ。


 ガーベル卿が俺を御苑で歓待する。カタブツの律義者と評されるガーベル卿が、そんな公私混合をする訳がない。第一、ガーベル卿がそれをするには身分が低すぎる。平民、しかも下層市民である商人階層の俺を御苑の中に入れるような事ができるような力なぞ、ガーベル卿どころか並の貴族も持っていないだろう。


 だから貴族といっても高位家。しかも考えられるのは宰相ノルト=クラウディス公や、内大臣トーレンス候といった王室に近い、役付きの高位家ぐらいものではないか。あるいはマティルダ王妃の実弟ウェストウィック公や、国王の大叔父ステュアート公のような王室に近い人物。しかし、彼らに俺を御苑に招待する動機がない。そうなると・・・・・


 その庭園の後ろには壮麗な館が立っていた。あれが離宮というやつか。馬車はその館を遠巻きにして、やがてその場所から離れる。しばらく走ると、今度は牧歌的な風景が現れた。これもおそらく庭園の一つ、いわゆる自然式庭園というやつだろう。


 更に馬車が進んでいくと、別荘らしき建物が見えてきた。先程の館とは比べようもないぐらいのこぢんまりした建物。館の離れというにはあまりにも小さい。独立した別邸であると考えたほうが自然。そして馬車はこの建物の近くで止まった。


「アルフォード殿、こちらへ」


 馬車を降りると、建物内に案内された。ちらりと馬車を見ると紋章、王家の紋章が掲げられている。おそらくガーベル邸で御者らが馬車周りで何かをしていたのは、この紋章を掲げるためだったようだ。王家の紋章は俺の予想の正しさを証明している。


 男性執事がドアを開ける。俺はガーベル卿の後ろについて歩き、建物内に入った。簡素だが、廊下の赤絨毯や調度品等を見るに『グラバーラス・ノルデン』よりも上のクラスであることが、王室の施設であることを物語っている。ただ廊下で執事や女官との遭遇はなかった人員が少ないのか? そしてガーベル卿は奥のドアを開けて部屋に入る。


「殿下。グレン・アルフォードをお連れしました」


「うむ」


 返事の声は若い男のものだった。このノルデン王国には殿下と呼ばれる人間は三人しかいない。一人は正嫡殿下アルフレッド王子。しかし声はアルフレッド殿下のものではない。もう一人は女性でサルジニア公国に留学中のエルザ王女。ここにはいないし、王女は女性。すると残りは一人のみである。


「アルフォード殿。さぁ中へ」


 中に入ると、そこは広くきらびやかな応接室。別邸とは言ってもやはり王族の建物だ。その中に一人の青年が立っていた。


「アルフォード。よく来てくれた。ウィリアムだ」


「グレン・アルフォードです」


 俺は名を名乗り、頭を下げた。まさか王子が名前だけを名乗るとは思ってもなかったので、内心俺は動揺した。全名ウィリアム・フレデリック・シェルダー・アルービオ=ノルデン。アルービオ朝ノルデン王国十七代国王フリッツ三世の第一王子がそこにはいた。


「アルフォードよ。弟から手紙ではあるが存じておるぞ。此度ガーベル卿から話を聞き、是非にもと思い、場を設けさせてもらった」


 話を聞いて確信した。ガーベル卿はウィリアム王子の願いを叶えるため、一策を献じたのであると。しかしウィリアム王子と正嫡殿下が手紙のやり取りをしているという話、クリスの次兄アルフォンス卿が言っていた通りだったな。事前に話を聞いていて良かったよ。知らなければ何のことか分からずに混乱していたかもしれない。


 俺はウィリアム王子に促され、応接セットに座った。ウィリアム王子の対面。俺から向かって右にはガーベル卿、左側には長男スタンがそれぞれ座る。二人が座るということは私的な会合ということだろう。座ると女官が紅茶を運んできた。


 ウィリアム王子と二、三言葉を交わす。そこで分かった事がいくつかある。ウィリアム王子は知的好奇心が旺盛な人物であるということ。この辺りもアルフォンス卿が言っていた通り。もう一つはウィリアム王子と長男スタンの仲が良いという事である。


 学園時代、王子がサルジニア公国に留学した際にお供として随伴していたというのは、主従の縁を結ぶのに大きな役割を果たしていたのかもしれない。そしてこの場でも、留学の話が出たので、俺もモンセルを本拠とするアルフォード商会と、そのモンセルに近いサルジニア公国との関わりについて話した。


「実は我が兄がサルジニア公国に出入りしておりまして、首府ジニアに支店を開設しております」


 するとウィリアム王子以下、ガーベル卿も長兄スタンも驚いた。ノルデン王国は鎖国に近い状態で、アルフォード商会のように外国と交易を行おうとする業者が皆無だからである。


「なんと、ジニアに支店をか」


「はい。外国ですのでジニア・アルフォード商会という別の商会名でございますが」


「どうしてまた、そのような事を」


 ウィリアム王子から尋ねられたので、俺はアルフォード商会を取り巻く環境について説明した。既に王都には有力商会がひしめき、一地方商会が入り余地がない。そこで他の地方都市での商売や、周辺諸国との交易に活路を見出すことにしたと。


「なるほど。他の者がやらぬ事を手掛けておると」


「そうすれば、要らぬ摩擦も起きませぬ故」


 俺がそう言うと皆が笑った。至極当然だと。ウィリアム王子からは一つの処世、哲学で実に立派であるとお褒めの言葉を賜った。ザルツやロバートが聞けばさぞや喜ぶだろう。俺は以前から気になっていた『結界』について話した


「ノルデン王国とサルジニア公国との間には『結界』があるとか。兄の話によると透明な膜のようなもので、向こうを見ることは出来るが通ることはできないと」


「そうなのだ。両国の間で一箇所しかない検問所より出入りする他ないのだ」


 ウィリアム王子がそう応じると、サルジニア公国への留学で王子に同行した長兄スタンが口を開いた。


「こちらから通って再び王国に入るには問題がないのだが、公国側より入国するのは両国の許可が必要な為なかなか難しい」


 スタンはこの経緯について詳しく話してくれた。かつて一つの国であった両国は四百年近く前に別れ、新たに国境線ができた為に小競り合いが起こった。これを見た大魔道士サルンアフィアが国境に『結界』を張り、以後争いは無くなった、と。


「もしやそのサルンアフィアとは・・・・・」


「学園の創設者だ。忽然と姿を消したそうなのだが、誰もその理由が分からないらしい・・・・・」


 俺の疑問にウィリアム王子はそう答えてくれた。サルンアフィア。三百五十年前に学園を作った男。その男が今も存在する『結界』を作ったとは。俺は素直に驚いた。


「サルンアフィアが作った『結界』によって、我が国の平和は守られている。それはサルジニア公国が東北部で隣接しているミルメガド王国との間に小競り合いがあることを知って、ようやく意味が分かった」


 王子の言うミルメガド王国。初めて聞く名前だが、長年サルジニア公国と国境線を巡る紛争を続けている相手であるという。そのためサルジニア王国では騎士の需要が多く、留学先の『サルジニア公国アカデミー』では門戸を広げ、「騎士科」という学科までが存在していたそうである。


「騎士となれば土地が与えられる。だからサルジニア公国では騎士になりたい者が多くいた」


 なるほど、だから姓と名の間に『ヴァル』という称号が入る地主騎士が多くいるという事なのか。ウィリアム殿下とロバートの話が繋がった。実に面白い。博識見聞を持つ人物の話はワクワクする。やがて騎士に関連して、話題がガーベル卿の次男ダニエルの話、デスタトーレ子爵家に雇用された件に話題が及ぶ。ウィリアム王子が俺に聞いてきた。


「どうしてダニエルが中々任用されなかったのだろうか?」


「平和だからでございます。あと社会構造の変化、と」


「どうして、その二つが関係を持つのだ」

 

 ウィリアム王子が身を乗り出してきた。王子の手前、俺は抽象的に説明する。


「時間と共に実入りが減ったため、平和で必要がない武力、すなわち騎士を減らして節減を図っておるのです。結果、新規の雇用が皆無に等しくなりました」


「それは貴族の話か?」


「もちろん、貴族含まれます」


 俺は固有名詞を出さなかった。このエレノ世界、現実世界とは体制が違う。暫しウィリアム王子は考えた後、こう言った。


「すなわち、それは国も含まれるという事だな」


 明敏である。ウィリアム王子は躊躇なく、そう言った。そもそもノルデン王国は封建社会。貴族は王国から所領の徴税権を得て、半ば独立した統治権を持っている。だから、その点に関して言えば国も貴族もさして変わりはない。逆に大きな貴族が王族だと考えても支障がないだろう。ウィリアム王子、王族だが中々やる。これは気が抜けない。俺はそう思った。

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