229 ジョゼッペ・ケルメス

 ケルメス大聖堂に向かう馬車の中。俺とアイリ、フレディの三人で話をしていると大聖堂に到着した。早速受付で喜捨をする。今回はフレディの父デビッドソン司祭の主教叙任記念で一〇〇〇万ラントを渡す。日本円で三億円。【収納】で一〇万ラント金貨百枚を出すと、受付の女性は血相を変えて席を離れる。しばらくするとラシーナ枢機卿が現れた。


「やはりアルフォード殿でしたか」


 ラシーナ枢機卿は呆れたように言ってきた。


「これはフレディの父上が主教に叙任された、そのお礼ということで」


 俺がそう言うと、フレディが後に続く。


「本日は学園で行われました決闘について纏めました報告書を提出しに参りました」


 フレディの申し出に目を細めるラシーナ枢機卿。神官子弟の仕事を喜んでいるようだ。ラシーナ枢機卿は俺達を別室に案内してくれた。途中、アリガリーチ枢機卿とあと一人、別の人物が入ってくる。白く長い顎鬚が長老という雰囲気、この前の叙任式で立っていた人物だ。


「こちらはニベルーテル枢機卿。枢機卿の長老格のお方だ」


 俺達は頭を下げた。特にフレディは俺よりも頭を下げている。叙任式を見た感じ、ケルメス大聖堂では八人の枢機卿より上の身分の人物がいなさそうなので、この長老格の枢機卿ニベルーテルが序列一位ということなのか。フレディは頭を上げると口を開いた。


「先日依頼がありました、学園で行われた決闘について報告書が纏まりましたのて、提出させていただきます」


 恭しく『決闘報告書』を提出するフレディ。その報告書をラシーナ枢機卿が受け取った。


「依頼した報告書。確かに受け取ったぞ。デビッドソン、ご苦労だった」


 ラシーナ枢機卿に声を掛けられると、フレディは「ありがとうございます」と頭を下げて応じている。するとアリガリーチ枢機卿がフレディに声を掛けた。


「父君はこの度主教に叙任された。おめでとう」


 アリガリーチ枢機卿はフレディに父親の主教叙任を祝福した。フレディは「ありがとうございます」と先程のラシーナ枢機卿のときと同じく深々と頭を下げる。神官の子であるフレディにとって、枢機卿からの直接の言葉掛けは大変光栄なものなのだろう。


 ラシーナ枢機卿はフレディから受け取った『決闘報告書』を長老格のニベルーテル枢機卿に手渡す。するとニベルーテルは報告書を真剣な眼差しで読み始めた。部屋には沈黙の時が流れる。


 俺は何もすることがないので、報告書を読んでいるニベルーテル枢機卿を観察することにした。見るとニベルーテル枢機卿の手が震えている。高齢になると筋力の低下から同じ姿勢を維持する事が難しくなり、震えが出るという。ニベルーテル枢機卿のそれも加齢によるものなのか?  


「こ、これは・・・・・ 間違いなく古代魔法じゃ。よくもこんな術を使いよったものよ! 術師で異界の門を開けた者など近年はおらぬというのに・・・・・」


 ニベルーテル枢機卿が嘆いた。先程の震えはオルスワードの所業を読んでの事だったのか。両脇にいるラシーナ、アリガリーチ両枢機卿が興味深そうにニベルーテルを見ている。


「禁忌を破り、異界へ飛ばされるとは・・・・・ あまりにも愚かじゃ。六百年前、召喚の術が禁止された理由が全く分かっておらぬ」


 遠い昔、魔術師は異世界の扉を開ける術、即ち召喚の術を用いて強力な魔法を展開する方法を編み出した。その対価は己の魂を失うことであったが『屍術師ネクロマンサー』や『呪術師チャーマー』になることで、自己の存在を維持する術を身に付けたのである。後世、そうした魔術師を暗黒術師と呼び、禁忌とされた。


 当時、このエレノ世界は王もおらぬ群雄割拠の世。巨大な力を持つ暗黒術師を諸侯が競うように抱え、やがてその力をアテにした戦いが各地で起こった。そもそも異世界の扉を開ける術は自然の摂理に反したもの。生者と死者の区別なき暗黒術師が大きく力を持つに至ったエレノ世界は本来の秩序が乱れ、魔の蔓延る世に変わり果てたのである。


 そんな中、ジョゼッペ・ケルメスなる人物が異世界の扉を封じ『屍術師ネクロマンサー』や『呪術師チャーマー』となった暗黒術師の力を弱めることに成功。これにより現れる魔物の数が減り、荒廃する世に疲れた人々に光明を与えたことで、ケルメスは人々の信望を集めるようになった。


 乱れに乱れた世の中で、暗黒術師を使った戦いに危機感を覚える諸侯も現れた。彼らは反暗黒術師連合とも呼べる勢力を作り、その中で勢力が最も勢力が大きかったムバラージクを盟主として聖騎せいき軍を結成。暗黒術師を使って戦っていた諸侯を術師共々一掃する。


 古代魔法を操る暗黒術師が全て討たれた後、ムバラージクが神代儀礼を以て王に即位。アステル一世となり、トラニアスを王都とするムバラージク朝ノルデン王国が成立する。アステル一世は暗黒術師討伐に功績のあった諸侯や騎士を授爵し、今に続く貴族制度の礎を築いた。


 クリスの先祖クラウディス家もレティの先祖リッチェル家もこの時に授爵したのであろう。それぞれの家が授爵したのは共に六百年前なのだから。クラウディス地方のトス地域に土着していたクリスの先祖アイムアリス家は、クラウディス地方を安堵され公爵を授爵すると、その家名を治める地方名のクラウディスと改めた。


 このクラウディス家が現在の家名となるのは、現王朝アルービオ朝からクラウディス地方に隣接するノルト地方を賜った時で、その際にノルトの地名を名に組み入れノルト=クラウディスを家名とする。


 一方、リッチェル家の方はと言えば、子爵の授爵と同時に「リッチェル」という家名も賜っている。クラウディス家は自ら名乗り、リッチェル家は前王朝から賜った点が異なる。リッチェル家の以前の家名はアムルンヘルンという名であったと、先日のエルダース伯爵夫人と会った際に話があった。


 初代ノルデン王アステル一世の統治事業は貴族制度の整備に留まらなかった。人々の信望を集めていたジョゼッペ・ケルメスに法聖の称号と授け、聖堂を寄進。この聖堂こそが現在のケルメス大聖堂であり、ケルメス宗派成立の契機となった。そしてアステル一世は異世界の扉を封じ、暗黒術師の力を弱めたケルメスに召喚の裁量権を一任したのである。


 これによってケルメス宗派はエレノ世界において召喚が行うことが唯一許された集団となり、その儀式はケルメス大聖堂の中でのみ行われる事となった。結果、召喚はケルメス宗派の秘儀とされ、やがて召喚そのものが多くの人々の記憶から消えたのである。


「長い時間をかけ、古代魔法を使えぬ世となっておったものを・・・・・ 先人の苦労も知らずに・・・・・」


 さすが長老格と目されるニベルーテル枢機卿。召喚にまつわる謎が次々と氷解していく。しかしオルスワードの奴、相当な無茶をやったということだよな、これは。ケルメス宗派が俺達とオルスワードとの決闘の状況を詳しく知りたがった理由がようやく分かった。


 ケルメス大聖堂における長老格の枢機卿ニベルーテルが語った召喚にまつわるエレノ世界の歴史。異世界の扉を開けて魔力を得た暗黒術師と、それを封印して魔力を弱めたケルメス宗派の創設者ジョゼッペ・ケルメスの物語。その話が終わったのを見計らい、俺は老枢機卿に尋ねた。


「古代魔法の召喚と、大聖堂での召喚の儀式。何が違うのですか」


「良い質問じゃ。どちらも召喚、本質的には同じもの。だが召喚の目的が違う。古代魔法は力のため。大聖堂の儀式は世界を改める為じゃ」


 呼び込む目的が違えば、来るものも異なるということか。ラシーナ枢機卿もアリガリーチ枢機卿もニベルーテル枢機卿の話に釘付けである。おそらく初めて聞く話なのだろう。


「古代魔法で召喚された多くのものは力、即ち魔力。無限の魔力を求めて力を召喚した。それに対し大聖堂の召喚したものは魂。魂によってこの世界の空気が入れ替わり、空気が変わる事で魔力が弱まる。魔力が弱まれば魔物も力を得られず、異界の扉を開けるだけの魔力も得られぬ」


 ケルメス大聖堂が異世界、つまり俺の住んでいる現実世界の魂を召喚してきたのはエレノ世界を魔力の少ない世界に変えるため、一種の浄化を行う為のものだったのか。そして話に従えば、俺はその犠牲者という事になる。恨む気はないが、何か複雑な気持ちだ。この世界の為に俺が犠牲になった。そういう話だからな。


 勝手に召喚されるという犠牲を強いられた。この恨み忘れまじ。復讐に燃える主人公はエレノ世界を破壊する。なんて展開を望む人もいるかもしれないが、ホントに我が身に降り掛かってくると、正直そんな気持ちなんて起こらない。まず何が起こったのか把握するのに精一杯で、次にこの世界に対応して暮らしていくのに手一杯。


 その後、自分が成したい方向に進んでいく事で頭がいっぱい。つまり恨みや復讐なんて考える余裕は全く無い。まず確実に生きられるから、そんな事が考えられるのだ。訳が分からんのに、そんな事を考える余裕はない。体験した者が言うのだから間違いない話。


「ニベルーテル枢機卿。以前ラシーナ枢機卿から、大聖堂の儀式で召喚された魂は役目を終えた後はお帰りになるとの説明がございましたが、この意味はどのようなものなのですか?」


「それは私にも分からないのだ」


 なんだと! 分からないのに断定しているのか! それはおかしいだろ。俺は思わず言葉が出た。


「分からないのに、分かるというのは何か根拠でも・・・・・」


「それは法聖猊下ほうせいげいかがそのように申していたからだ」


 ケルメス大聖堂の長老格が話す、あまりに根拠がない理由に俺は唖然とした。

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