227 二人の演奏会
アイリが俺のピアノを聞きたいということで、黒屋根の屋敷に招待し、両階段の下の部屋にあるフルコンで演奏することにした。指を鳴らした後の一曲目はアイリのリクエスト。この前の演奏会でも弾いたフォーレの「シシリエンヌ」を弾く。
この前の演奏会の時よりしっくり来る。この部屋の調音は良さが改めて分かった。ああいったホールにはホールに合わせた演奏技法を身につける必要があるようだ。この辺り、コンクールへの参加経験の少なさが仇になっている。
次に弾いたのはベートヴェンのピアノソナタ第八番「悲愴」第二楽章。この曲は長らく練習していたので全楽章の脳内採譜ができた曲である。全楽章を弾いたら長いので、今日は第二楽章のみを弾いた。
そして最後に弾いたのはリストの「慰め」第三番。ヤバい曲だらけなリストの曲。その中で辛うじて普通に弾ける曲である。比較的難易度が低いとされる「愛の夢」第三番とか「ため息」という手もあるが、こちらの方も中々の地雷。弾ける奴ら基準で曲を選定すると危険なのがリストの曲だ。俺が弾き終わると、アイリは立ち上がって拍手をしてくれた。
「グレン! いっぱい曲を知っているのね!」
ピアノの前で座っている俺に近寄ってきたアイリは、後ろから抱きついてきた。
「ありがとうグレン」
俺の耳元でアイリが囁く。いい匂いがする。少女特有の甘い匂い。アイリの一言で何か報われた気持ちになる。
「グレンが私の為
アイリは俺を離さない。背中に胸の感触が伝わる。どうしたアイリ。
「このまま一緒に居られたらいいね」
「アイリ・・・・・」
ハッとした。アイリは俺が帰るヒントを掴んでいることを察知したのか。ヒロインだから、潜在的にそういった能力を持っていたとしてもおかしくはない。俺は少なくともそういったものは出してはいないつもりだが・・・・・
「ずっと時が変わらなければいいのにね」
「そうだな・・・・・」
俺に抱きついたまま呟くアイリに、同意する以外の言葉しか出せなかった。こういう場面、俺は気の利いた言葉を思い浮かべることができない。佳奈しか付き合ったことがないから分からないのだ。
これが佳奈と付き合っていた
――フレディが教会から委嘱されていた『決闘報告書』をようやく纏めることができた。思ったより時間がかかったのは話を聞くに、オルスワードの心理についての部分だったようだ。結局のところ、人の深層とは他人にうかがい知れぬ部分があるということ。それを無理に解析しようとしても、結局本筋から離れてしまう。
フレディは悩んだ末に複数の推察を併記する形で報告し、判断は報告を受けた側、すなわち大聖堂に委ねることにした。それはアリだと思うし、その方が良いのではないかと思う。提出日時については大聖堂に早馬を飛ばし、確認するということでラシーナ、アリガリーチ両枢機卿と今度の休日を軸に日程調整を行う事となった。
俺は前回聞けなかった話、現実世界とエレノ世界の繋がりや召喚の術について、枢機卿が知る限りの情報を全て提供してもらおうと思っている。前回の枢機卿の話だけでも霞が取れたくらいの大きな情報だった。次はこれ以上の情報がある。大いに期待していいだろう。
ただ今度の休日、リディアは実家に帰らなくてはならないらしく、大聖堂には同行できないとのこと。俺とフレディ、二人で大聖堂に訪問する形となる。フレディは寂しいだろうが、俺にとってはリディアに気を使う必要がないという部分があるので悪くない話だ。リディアの面白くなさそうな顔はやはり見たくはないからな。
魔装具が光ったのは昨日と同じ、放課後の図書室でのこと。もちろんアイリと一緒だ。出るとやはりエッペル親爺。昨日の話、冒険者ギルドとの話し合いについての報告だった。冒険者ギルドは俺が出した条件、協議場所は取引ギルド、『常在戦場』の事務長ディーキンとエッペルの立ち会いという二つの条件をあっさりと呑んだという。
後は会う日時の設定。相手はすぐにでも協議をしたいとの意向だとエッペル親爺は言う。やっても仕方がないものはさっさと
「私も行っていいですか? いえ、行かせて下さい!」
「えっ」
俺は思わず言葉が出た。魔装具の先にいるエッペル親爺も同じ言葉が出たので、多分驚いている。
「レティシアもクリスティーナもいない間は、私が代わりに見届けたいです」
アイリが勢いよく身を乗り出してくる。その気迫に思わず同意してしまった。
「わ、分かったよ。じゃあ、俺の秘書ということで・・・・・」
「決して迷惑はかけません。宜しくお願いします」
その言葉に魔装具越しのエッペルもいきなりの話で驚いていたが「いいじゃないか、グレン」と同意してくれた。よく考えたらエッペルとアイリは顔を合わせていたんだよな。ドーベルウィン伯の所有物のを取引した際、二人は会っているのだ。では詳しいことは明日、ということで魔装具は切れる。エッペルなりに気を使ったのだろう。
「グレン・・・・・ 無理を言ってごめんなさい」
アイリは申し訳無さそうに頭を下げてきた。
「驚いたけど・・・・・ 心強いよ」
驚いたのは事実である。普段、控え目で自己主張のしないアイリが突然前のめりになって「行きたい」と言うのだから。それを有無をも言わせず認めさせるのはヒロインパワーのなせる技なのだろう。
「私ね、もっとグレンの事が知りたいの。だからついて行かせて」
それは願いと言うより強訴に近い。昨日の行動もそうなのだが、アイリは俺との距離を限りなくゼロにしたい、と思っているようだ。俺は・・・・・ 困りはしないのだが、アイリはそれでいいのか。俺と佳奈の間では、そんな事がなかったから、それがアイリの為になるのか測りかねる。
「本当にそれでいいのか?」
アイリは大きく首を縦に振った。
「私もレティシアやクリスティーナのように役に立ちたい」
「二人はそれぞれ事情があってやり取りしてるんだ。アイリが無理をして合わせなくてもいいんだよ」
そうなのだ。レティもクリスも実家を取り巻く状況の中、俺とやり取りをしているのだ。それが俺の実家であるアルフォード商会も絡むことによって、ある種の運命共同体のような状況にまでなってしまった。アイリはそんな状況に置かれていないのだから、何も自分から厄介事の中に飛び込まなくてもいい。
「いいえ。無理をしてもやります。やりたいんです」
こういう時のアイリは絶対に動かない。それはこれまでの付き合いから分かる。普段のほわ~んとした、ボケボケモードのアイリからは想像もできない、固い決意。もしかするとアイリにはレティやクリスに対する劣等感や嫉妬心があるのかもしれない。それは俺への強い思いの裏返しということになる。そうであれば・・・・・
「分かった。アイリ、明日の交渉の事について話すから頭に入れておいてくれ」
俺は観念した。頷くアイリに自警団『常在戦場』結成のあらましから、冒険者ギルドの事、冒険者ギルドに所属している者との対立事由と経過について詳細に説明。アイリは俺が【収納】で出した筆記用具を使って熱心にメモを取る。
生来真面目なアイリは、このような形で書くことで、自分の頭を整理するのだ。事実、魔術もこうやって習得しているのだから。アイリは『常在戦場』の結成動機である「暴動」に鋭く反応した。それはゲームでどのような位置付けなのかを聞いてきたので、説明すると、アイリが青ざめた。
「クリスティーナは知っているのですか!」
「もちろん。クリスは「家を守って欲しい」と頼んできた。だから俺は「守る」と約束したんだ。だからその約束は守らなきゃいけない」
「私は本当に何も知らなかったのですね」
真剣な表情のアイリ。その表情には罪悪感のようなものが漂っていた。
「これはレティにも言っていない。知っているのはクリスとトーマスとシャロンだけ。今、アイリが知ったところだ」
「レティシアには・・・・・」
「レティは自分の家のことで精一杯だ。それにいきなり「暴動が起こります」「宰相家は没落します」と言ったって信じてくれる訳もないからな」
アイリは俺の説明に納得できたようだ。俺達はその後ロタスティの個室に場所を移し、食事をしながら質疑を行った。アイリが疑問点を聞き、俺がそれに答えるという形だ。やると決めたからか、アイリは熱心に色々なことを聞いてくる。
そして話は王都ギルドの対立構造、貴族間の派閥、宰相家ノルト=クラウディス家を取り巻く状況に及んだ。クリスの実家、ノルト=クラウディス家の置かれた状況を把握しなければ、話の全容が掴めたとは言えないからである。アイリの目は真剣そのもの。結局、ロタスティの閉店まで話し続けてしまった。
――翌日。俺とアイリは学園から馬車で取引ギルドに向かった。俺は商人服、アイリはジャケットとタイトスカートのレディス上下。先日、皆でパフェを食べに行ったときに買った服だ。あのとき買っておいて良かった。巡り合わせが本当にいい。
取引ギルドに到着すると、相手を含めて既に集まっていた。こちら側からは、俺とアイリにドワイド・エッペル取引ギルド総支配人、自警団『常在戦場』事務長タロン・ディーキン。ディーキンはこの件を伝えると、多忙な中、駆けつけてくれたのだ。一方、冒険者ギルドの方はギルド総監ペルオア、主務アラヒル、
交渉の場所は取引ギルド内の会議室。殺風景で、椅子も決して良いとは言えない取引ギルド会議室で顔を合わせた両者。特別な前フリがないという常識的な商人的対応を取り、いきなり本題に入る。まずは冒険者ギルドの代表権者、ギルド総監ベルオアが口火を切った。
「『常在戦場』のオーナーであるグレン・アルフォード殿に冒険者ギルドを五〇〇〇万ラントで買い取って欲しい」
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