221 あれは夢か幻か

 結局、俺とレティは『ミアサドーラ』の閉店まで黙って飲み続けた。帰りの馬車でもお互い話すことはなかった。俺が話さなかったのは佳奈のことを話してしまいそうになるからに他ならない。事情も知らないのに、いきなり俺の嫁の話をされたって困るだろう。


 お互いに話さず黙って飲んだおかげで、俺がボロが出ずに済んだのだ。レティには本当に救われている。今日、カジノに着いてきてくれたおかげで致命的な失態を犯さずに済んだ。しかし本当に俺はレティに甘えてしまっている。確かにレティは大人っぽいが、大人じゃないんだから。俺も年長者として、もっとしっかりしないといけない。


 しかし、いつもは饒舌なレティはあれから一言も発さなかった。おそらく今日は色々ありすぎて疲れたからだろう。結果、二人で黙々と飲み続けるという形となったのである。学園に着いて別れ際、お互いに礼を言ったのが唯一交わした言葉だった。


(ミルケナージ・フェレットか・・・・・)


 顔も髪も身体も声も何から何まで若い時の佳奈そのもの。間違いなく佳奈だ。だが、どうしてこのエレノ世界で佳奈がいるのだ? それも若い頃の姿で。俺なんか、グレン・アルフォードという全く別人でこの世界にいるんだぞ。いや、それを言ったらワロスなんか、米問屋の悪徳商人の人相から考えられないくらい別人だ。


 俺は三商会陣営の人間としてフェレットと対決しなければならない。いや、三商会を構築したのはある面、俺なのだから戦う義務があるのだ。あれは佳奈そのものに見えるミルケナージ・フェレット、別人だ。そう思わなくては対決なんかできない。しかし・・・・・ もしあれが本当に佳奈だったら、俺は一体どうすればよいのか?


 違う! 佳奈が逆三店方式のようなイカれた方式なんか考える訳がない! 大体、そんなこと考えられるような悪知恵があるんだったら、俺のような能のない人間と付き合ったり、結婚したりするはずがないじゃないか! あれは佳奈じゃない! 俺は自身にそう言い聞かせながら眠りについた。


 ――休日明けの平日初日。俺は朝から何かと声を掛けられた。「演奏会」のおかげである。朝の鍛錬場、廊下、教室。ピアノ演奏について言われた。多かったのが「最初から聞きたかった」で、次が「素晴らしい演奏だった」。そして「また弾いてくれ」。いずれも賛辞だと思って受け止めることにした。


 よく考えたら、このエレノ世界。ラッパ以外の音楽ってないんだよなぁ。だから俺がピアノを弾いても上手く聞こえるのかもしれない。確かに俺比では大幅に良くなっているのは分かる。だが、楽譜はないわ、指導者はおらんわで、正直言うと「なってない」状態。人前で弾くなら、演奏技量が低かろうとベストの状態で弾いてみたいものだ。


 教室に入るとリディアから封書が渡された。父ガーベル卿から預かったものだと言った。この休日、実家に帰った際に俺宛にということで渡されたそうだ。俺は早速封を開ける。


(おお。デスタトーレ子爵との面接日程が決まったか)


 リサの仲介でリディアの次兄ダニエルの面接日程が決まったという知らせとお礼だった。騎士を探しているデスタトーレ子爵との面接が通ればダニエルの、いやガーベル家の念願が叶うというもの。文面から見るにガーベル卿の喜びは相当なものだ。面接は明日であるという。おそらくデスタトーレ子爵の側は狩猟大会が始まる前に決めておきたいのだろう。


「ありがとう。グレン」


「リディア。礼を言うのはまだ早いぞ。それは面接に通ってからだ」


「うん」


 リディアは嬉しそうだ。家に帰ったら、この話で父ガーベル卿も長兄スタンも我が事のように喜んでいたそうだ。それじゃダニエルが緊張していただろう、と言ったらやっぱりそうだったらしい。しかし念願の騎士になれるチャンスということで、張り切っていたということだから、まぁ大丈夫だろう。


 俺はリディアとフレディに今日の予定を話した。昼からフレディの父、デビッドソン司祭の主教叙任式が行われる。ケルメス大聖堂に行くため、既に馬車も予約済み。叙任式は十五時から。三限目が始まってからの出発ぐらいが丁度いいだろうということで、二人には昼休み終了後、馬車溜まりで集合と伝えておいた。


「『エウロパ』だ」


「『エウロパ』?」


 昼休み。昼食後、俺は廊下でトーマスを捕まえて、エルダース伯爵夫人訪問の際に掴んだ情報、今週の休日に行われる貴族派のパーティについて話し込んでいた。


「・・・・・それは?」


 トーマスは『エウロパ』を知らなかった。なので歓楽街にある実質的にフェレットが経営する高級ホテルだと説明すると、トーマスの顔が険しくなった。


「グレン!」


「トーマス。貴族のパーティはどこでするんだ?」


「決まっているじゃないか、屋敷だよ」


「それが高級ホテルの会場っていうのは?」


「あり得ない!」


 トーマスはハッキリと否定した。若輩とはいえ、これまでクリスの従者として少なからぬパーティーに参加してきたトーマスの言葉に嘘はない。


「この前の会合でもそうだけど、思いも寄らない形で事が進んでいる。グレンから何度も話を聞いていなかったら、何が起こっているのか全く分からなかったと思うよ」


 そう話すトーマスだが、やはり不安そうだ。普通に進めば話は決まっている。主家の没落。それを回避するためにあの手この手を打っているのは分かるが、その方向への流れが起こっている、という事実に対する不安があるのだ。


「トーマス。俺はクリスと約束したんだ。「家を守る」ってな。だからなんとしても守らなくてはいけない」


 トーマスは大きく頷く。その顔は真剣そのものである。トーマスにもクリスの従者としての決意があるのだろう。


「グレン。これからが本番なんだな」


「ああ。長丁場になるだろうが、気を抜いたらダメだ」


「共にやろう!」


 トーマスは右手を差し出してきた。俺も右手を差し出すと、俺とトーマスはガッチリと握手を交わす。「共にやろう!」っていうのがいいじゃないか。俺に頼むというわけでも、自分がやるというのでもない。お互い協力してやろう、と言ってくるトーマスの姿勢には素直に共感できる。


 『エレノオーレ!』にクリスの従者として登場するトーマス。そのトーマスとがっちり握手する俺、なんてシチュエーション、全く想像だにしなかった。エレノオーレの主要キャラで一番俺と話しているのがなんとトーマス。本当に不思議なものである。俺はクリスへの封書を託すと、デビッドソン司祭の叙任式の件を伝え、馬車溜まりに向かった。


「グレン。どうしてあんなにピアノが弾けるの?」


 馬車に乗るなり、リディアが突撃してきた。教室で聞かなかったのは馬車の中で聞けるからと思ったからだろうな。


「グレンのようにピアノを弾く人を初めて見たよ」


 フレディも言ってくる。フレディの実家チャーイル教会にはピアノが置かれていたが、弾ける人がおらず、たまにやって来る奏者が弾くだけだったのだという。


「それでもグレンとは比べものにならないよ。ピアノってあんな弾き方をするんだね」


 やはりエレノ世界ではまともなピアノ奏者がいないのか。なのになんでピアノがあるんだ???


「家にピアノがあったんだよ。それを弾き続けていたのと、学園のピアノを毎日弾いていただけさ」


「じゃあ、曲は」


「曲のイメージを採譜して起こした」


「?????」


 リディアが困惑している。俺が言った意味が分からなかったらしい。俺の脳内にある曲を楽譜に書く。採譜というのだよ、と説明した。俺の説明に嘘偽りはまったくない。


「凄いわ! そんなことができるのね、グレン。また弾いてくれる?」


 リディアが目をうるうるさせて言ってくる。そんな目をしないでくれ。何か罪深い事をしている気持ちになるから。


「い、いいけど、どんな曲を?」


「ううん。静かな、うっとりするような曲かな。グレンも弾いていたじゃない。あんな曲」


 ああ、フォーレの「シシリエンヌ」だな。


「激しい曲も凄いけど、あんな曲もあるんだと思ったよ」


 なるほど。リディアだけでなくフレディも言うくらいだから、エレノ世界ではああいう曲が好まれるのか。音楽そのものが溢れていない世界だからな。それで心安らぐという事であれば、一丁弾いてやるか。


「今度、そんな曲ばかり弾くよ」


「じゃあ、ロタスティでね」


 リディアに場所まで指定されてしまった。まぁ、いいか。人がいない時にでも弾くことにしよう。


 ヘルメス大聖堂。ヘルメス派の総本山で今日、デビッドソン司祭の主教叙任が行われる。俺は商人服、フレディは神官服、リディアは騎士階級の女性が着るベルベットのワンピースを着ている。今日のために実家から持ってきたそうだ。貴族女性はドレス、騎士女性はワンピース。エレノ世界では服の指定がムダに多い。


 大聖堂の中に入ると予想外に人が多い。叙任式は幾つかの教団儀式と共に行われるようだ。神官服を着た人が多いのはもちろんだが、貴族服や騎士服を着ている人もいる。一体、どのような繋がりなのだろうか。女性もドレスやワンピースを着ている人が多いので、男と階層は同じようである。


 装飾品など付けるものが異なるが神官階級も騎士階級も女性はワンピース。だからフレディとリディアの組み合わせ、釣り合っているといえば、釣り合っている。因みに商人階級の女性は上下、ツーピースなのでこういうところにも差がある。


 俺は五〇〇万ラントを喜捨すると叙任式の会場である神殿に向かった。途中、俺をジロジロと見る視線が当たる。きっと商人服のせいだろう。見たところ、商人服を着ているのは俺だけだからだ。


「し、失礼だが・・・・・」


 貴族服を着た中年の男に呼び止められる。どうしたのかと聞くと、今のお金はと問われた。いや、世話になったので喜捨をしただけだがと答えると更に驚かれた。中年の男はガウダーと名乗った。男爵であるという。


「いくら商人とはいえ、あのような金額を喜捨するのは容易ではないはず。もし良ければ名を・・・・・」


 そう聞かれたので俺はグレン・アルフォードと答えた。


「おお。王都ギルドに加盟する大手商会の! これで納得がいった」


 ガウダー男爵によると、周りの人は喜捨の金額の多さに俺をジロジロ見ていたらしい。男爵は俺が只者ではないと思い、俺に声を掛けたそうである。なるほど、そういう事だったのか。今後、何かご縁がありましたら宜しく、と言うとガウダー男爵は去っていった。

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