218 エルダース伯爵夫人

 俺の「理解のないバカな貴族なぞ不要」という発言に、レティが振り返って俺を見た。なんて事を言うの、という顔をしている。そんな顔をするなレティよ。本当の事ではないか。理解がない奴なんて、千家あろうが無用の長物。クソの役にも立たないのだ。すると部屋全体に笑い声が響く。エルダース伯爵夫人のものだ。


「お座りなさい。グレン・アルフォード」


 笑いを収めたエルダース伯爵夫人が着座を促してきたので椅子に座る。


「貴方の真意、よく分かりました。レティシアを。いえ、リッチェル子爵家を宜しくお願いします」


 エルダース伯爵夫人はそう言うと俺に頭を下げてきた。声のトーンが柔らかい。先程までの尖ったもの言いとは全く違う。どうやら俺は後見人であるエルダース伯爵夫人から誼を認められたようである。


「リッチェル子爵家は私の母の実家。母はいつも子爵家の行く末を心配しておりました」


 そう言うと、エルダース伯爵夫人はリッチェル子爵家について話し始めた。リッチェル子爵家は以前より一代の優れた領主の後、愚鈍な領主が二代続くという流れだったらしい。レティの曽祖父エレモンドは、高祖父と五世の祖。つまり二代分のツケを片付けた名領主。エレモンドの曽祖父、レティから見て六世の祖ミカエル二世はその前二代の借財を精算した名領主。


従兄弟いとこのアーミン、従甥じゅうてつのエリヤスとリッチェル子爵家は愚鈍な領主が二代続いています。早々に代替わりをすることに私は賛成します」


 俺が首を傾げていると、エルダース伯爵夫人は補足してくれた。アーミンはレティの祖父、エリヤスはレティの父。リッチェル子爵のファーストネームがエアリスであることを初めて知る。しかし、一族の人間を「愚鈍」とバッサリ切って捨てるエルダース伯爵夫人は凄い。あるいはそう言わせるほど、リッチェル子爵家の歴代当主がヤバいのか。


「レティシア。宮廷への奏請そうせいは?」


「はい、既に済ませております。もう間もなく御裁可を頂けるとの話です」


「宮廷より襲爵の御裁可を頂ければ、一月内に教会で襲爵式を執り行うことになります」


 エルダース伯爵夫人は背筋を伸ばした。どうやら宮廷から襲爵の裁可を受けてから一ヶ月以内に教会において襲爵式を行う事になっているらしい。これは宮廷の裁可を教会が追認するという儀式なのだろうから、許可が下りたら早めに告知するという意味なのだろう。エルダース伯爵夫人に聞くまでもない話だ。


「襲爵式を行う事で、ミカエルは晴れて第三十四代リッチェル子爵ミカエル三世となります」


 三十四代・・・・・ とてつもない長さだ。普通に考えて六百年。そりゃレティが「ウチの家、歴史だけはやたらあるのね」と言う訳だ。口調からエルダース伯爵夫人のミカエルに対する期待は大きいのが分かる。伯爵夫人の言うリッチェル子爵家の法則から考えて、ミカエルは名領主になる訳で、その期待は当然であろう。


(だから後見しているのだなエルダース夫人は)


 俺は大いに納得した。その後、エルダース伯爵夫人はレティにあれこれ指導を行った。狩猟大会には必ず参加すること。この日はこのように振る舞い、あの日はあのように動きなさいとか、服装であるとか、宝飾品の指定であるとか、事細かな指導が行われている。それにキビキビと返事をするレティ。いつもの小悪魔レティとは大違いだ。


「来週の休日には前夜祭として、王都の繁華街でパーティーが開かれる由。レティシアも私と共に参加なさい」


「伯爵夫人。去年の狩猟大会ではそのような催し、ございませんでしたわ」


「その通りね。しかし今年はあるの。このようにエルベール公から御招待が」


 エルダース伯爵夫人は封書をレティに差し出した。開けて中を見るレティ。すると俺に顔を向けた。


「グレン。『エウロパ』よ!」


 なに・・・・・! 『エウロパ』だと! 


「カジノに併設されたフェレットが経営する高級ホテル。『グラバーラス・ノルデン』と双璧を成すホテルだ」


 エルダース伯爵夫人が何の話だか分からず戸惑っているので、つかさず俺が説明した。現在商人界は二分されており、我が方と対抗している勢力が経営するホテルで貴族の催し物が開催される、ということを。


「伯爵夫人。その商人勢力と有力貴族が手を結ぶかのような動きが最近活発になっていたのです」


「まぁ! そんな楽しい事になっていたのね。でしたらレティシア。尚更参加しないと」


 意外や意外。どう見ても堅物そうな老婦人が、まるでこれから出掛けるかのようなテンションでレティに言っている。


「リッチェル子爵家の話よりも面白そうだわ。貴族派の有力貴族がその商人勢力と手を結んだとしたら、対抗する商人勢力は宰相派と結んでいるということね、グレン・アルフォード」


 ズバリと言ってきた。これは隠しても仕方がなさそうだ。


「まさにその通りでございます。彗眼恐れ入ります」


「有力貴族はどちら様で?」


「アウストラリス公でございます。前のめりなのがバーデット候とランドレス伯」


「まぁまぁ、陰謀渦巻いていますのね。ですからエルベール公やアウストラリス公のお屋敷ではなく、わざわざホテルで前夜祭を・・・・・ レティシア。どうしてこのような面白い方を紹介しなかったの」


「伯爵夫人・・・・・」


 レティが呆気にとられている。自分が知っている従伯母いとこおばとは大きく違うからだろう。伯爵夫人が陰謀について知りたがっているので、俺は『貴族ファンド』の事を話した。レティにも言っていなかったので唖然としている。


「天文学的な額よ。三〇〇〇億ラントって。グレンはどうするつもりなの」


「こちらもカネを積むという案もあったが、意味がないということで最終的には見送られたよ」


「宰相派は?」


「情報は行っているが、向こうも動きようがないから静観するそうな」


 宰相派の話なので本当の話だ。宰相派と宰相府は違う。俺たちのやり取りを聞いていたエルダース伯爵夫人が話した。


「そのあたりの貴族よりもずっと情報を持っているじゃない。若いのに大したものよ。レティシア。大物を捕まえたわね、貴方。動けなかった私よりもずっといい立ち位置にいるわ」


 レティに向かって羨ましそうに言う。しかし伯爵夫人。俺は大物じゃないって。


「レティシア。来週の前夜祭。私と共に顔を出しましょう。誼を結んだ者のために」


 レティはエルダース伯爵夫人の言葉に了解するしかなかった。年齢と経験、そして後見人という立場、どれをとってもレティが戦える相手ではない。俺とレティは伯爵夫人とひとしきり歓談した後、屋敷を後にした。


「ああーっ。参ったわ!」


 馬車に乗ってエルダース伯爵邸を後にすると、レティは文字通りぐったりしていた。


「予想以上に大変だったわ。でも、伯爵夫人がグレンを気に入ってくれて良かった。すごく意外だったけれど」


 レティにとってもエルダース伯爵夫人の振る舞いは予想外だったようだ。レティの予定では俺を上辺だけの紹介に留めて退散するつもりだったのだという。貴族の気品をレティシアに求める堅物な老伯爵夫人が、年端も行かぬ商人などを好むわけもないだろうと。


 ところが実際のエルダース伯爵夫人は俺が語る内情を面白がり、貴族間の抗争を楽しむ人物だった。レティの思っていた堅物夫人とは全く違っており、どちらかと言えばレティにタイプの人間だったのである。


「しかしレティの大切な人だ。やり取りができて良かったよ」


 話してみて分かったことだが、エルダース伯爵夫人はグレックナーの妻室ハンナとは違ったテイストの情報を持っていた。歴とした伯爵夫人であるエルダース夫人と、グレックナーと身分違いの結婚をし、平民となったハンナでは得られる情報も、持つ視点も異なるからだろう。


 エルダース伯爵家もリッチェル子爵家と同じエーベルト派に属していること。エーベルト派の多くの貴族がアルービオ王朝以前からの貴族であること。そしてエーベルト派は他派に比べて派閥的結束が弱いことを伯爵夫人は教えてくれた。


 なんでもエーベルト派はエルダース伯爵夫人によると「負け組貴族の会」であるらしい。アルービオ朝成立の際、遅れて王朝に従属した、先見の明のない貴族の集まり。動くことに躊躇して先手でなく後手に回るし、リスクを先に考えるため全力ではなく一枚噛みに終始するのだと、伯爵夫人は独自の分析を披露。だから今回の『貴族ファンド』も当然、消極的だと。


 この辺り、長年派内を見続けている人間でなければ分からない部分。もし貴族派を崩していこうとするならば、貴族派第二派閥であるエーベルト派からであることは間違いなさそうである。


「ねぇ。【装着】で服を変えてくれない?」


 レティはそう言うと鞄を開けた。中にはグレーを基調としたシックなドレスが入っている。


「着替えるの、大変なのよ。一回やってみて」


 俺はレティの要望通り鞄の中の服を【収納】でしまった後、レティを見て【装着】した。


「で、できたわ! 凄い! こんなに簡単に着替えられるなんて、本当に凄いわ!」


 さっきまでグッタリしていたはずなのに、着替えると途端に元気になってしまった。女の着替えは大変なのはなんとなく知ってはいるが、ここまで喜ぶほどとは。後は細かい所を直したいという事なので、ブティックに寄るという話になった。俺も近くの店で服を取りに行く予定だったからである。馬車は自警団『常在戦場』の馬車溜まりに入った。


「おカシラだ!」


 隊員の一人が俺に感づくと、周りにいた十人くらいの隊士らが声を掛けてきてくれた。今日は休日だから人が少ないのか。


「今日のおカシラは彼女同伴だぜ」


「美人を連れて羨ましいぜ」


 やはり皆に眼はレティに集中する。元々美人な上に、むさ苦しい屯所に貴婦人が着るドレスなんか来ているから余計に目立つ。ガタイのいい隊士達に、少し戸惑うレティ。以前クリスと来た事があるはずだが、慣れないものは慣れないようである。そのレティを伴い、俺は事務室へと向かった。

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