217 ピアノ演奏会

 殿下は演奏会の挨拶を終えると、空いている従者フリックとエディスの間の席に座った。殿下も含め、全員が同じ椅子というのがいい。殿下の気質がいかなるものかよく分かる。兄弟で相争うような感じがしないもんな。俺は皆に一礼すると、一段高いステージにあるピアノの椅子に座った。


 本来なら演奏会のテーマ性やプログラム進行、曲に関する事など話さなければならないのであろうが、おそらく誰も曲自体を知らないので話しても無駄だろう。ここは黙って演奏するのが一番だ。俺は昨日試弾した「HEAZENDOLGER」のピアノに指を立てた。


 まずは悪役令息リンゼイの武器と同じ名前のゲーム曲の一つ。ゲームオーバーした後、ランキングにエントリーする際に流れる曲という、知っている人は知っている曲である。曲自体は十秒程度なので、終わらせるのは簡単だ。十六時までの時間、これを弾いて指鳴らしをすればいいだろう。


 十六時となった。よし、あれから弾こう。グリッサンドから始まる、戦隊モノの元祖のエンディング。戦隊モノだけあってノリの良さは一品だ。しかしロタスティ、昨日も思ったが本当に音響がいいな。


 二曲目は「時代劇のコッペパン」。戦隊モノの次に大河ドラマの曲とは何の脈絡もないので笑えるが、年齢層のターゲットが違うので、ノリだけでは弾ききれないのがポイントか。原譜すら見たことがないので、最初からアレンジ状態なのは仕方がない。


 次弾いたのはフォーレ「シシリエンヌ」。敢えて少し遅く弾く。実は意外と早いんだよなぁ、この曲。元々オケ曲なのだから、早いのは当然か。楽譜があれば、もっと表現を追えるのだが、脳内採譜のなんちゃって楽譜だから、自分のイメージだけで弾くしかない。


 続いて弾くのはチャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」トレパーク。とにかく跳ねるが。ノリが良い曲なので仕方がない。しかし俺も本当に指がよく回るようになったな。その勢いのまま、戦隊モノのオープニングを弾く。三人戦隊の忍者もので、最終的には三人プラス二人プラス一人だったはず。愛羅が好きで弾くと喜んだものだ。


 愛羅にピアノを弾かせようと、ウチの実家にあったアップライトを運び込んだのは確か五歳の頃だったか。もうこの忍者の戦隊モノは終わっていたのだが、愛羅がハマったのか、この曲を弾いてとせがんできたのはよく覚えている。ああいうところにオタの属性があったんだな、愛羅は。


 そして次に弾いたのはバッハの「管弦楽組曲第二番バディネリ」。合奏曲をピアノ一台で弾くというある種の暴挙。今日の中で、この曲が多分一番難しい。ピアノ楽譜では合奏よりも落としているが、俺は合奏と同じ速さで弾いている。この速さ、俺比では神レベルだ。しかし、ここまで弾けるのなら本当に楽譜が欲しいぜ。


 そして七曲目。この学園と同じ様に決闘システムがある、愛羅が大好きだったアニメの挿入曲。こっちと違って何故か女の子の胸の中から剣が抜かれるんだよな。愛羅がこっちの世界に来たら大喜びして、そのまま居付きそうだもんな、あのオタ娘。この曲はアニメのテーマで作中によく使われている。一緒に見ている間に曲が頭に入った。


 そして殿下所望の「なんちゃら要塞」。分散オクターブが多用されており、とにかく指が走る。今となっては一部のマニアしか知らない曲だろう。仮にこの中に転生者がいたとしても、この曲を知る者は殆どいないだろう。


 最後の曲に選んだのは日曜日の午後十八時五十五分くらいに流れるあの曲だ。この曲を聴くと「ああ、明日は学校だな」とか「また仕事が始まるのか」という気分にさせられるアニメのエンディングテーマだ。俺はトーンを落として静かに弾いた。最後はノリが悪くとも静かに終わらせたかったからだ。


 予定していた曲を全て弾き終えると、タイミングが一つ遅れてから拍手が起こった。拍手が大きい。どうして? と思って周りを見ると人だかりができていた。いつの間にギャラリーが増えていたんだ。というか、君たちどこにいたんだ。俺は思わず立ち上がり、一礼した。


「アルフォードよ。やはり私の眼は間違っていなかった。素晴らしい演奏だったよ」


 拍手をしながら殿下が近づいてくる。俺は「ありがとうございます」と言うのが精一杯だった。そもそも殿下の要望で演奏会を開くことになったんだもんな。これで責任は果たせたというもの。


「皆の者よ。アルフォードの素晴らしい演奏に今一度拍手を!」


 殿下が気恥ずかしい言葉を言うので、顔を隠すのを兼ねて俺は深々と一礼した。大変だったが、多くの人の面前で弾く事ができた爽快感。俺の心は不思議と充足していた。


 ――昨日の演奏会には参った。終わった後、取り囲まれて質問攻めにあったのだ。「曲名は?」「どこで習った?」「どうしてピアノを?」など、次々に聞かれて大いに困った。現実世界の曲で、現実世界で習い、現実世界でピアノをやろうと思ったわけで、これを一体、どう話せというのか。


 エレノ世界にはマトモな楽譜がなく、マトモな教師がおらず、音楽がロクにないのでマトモな動機がない。話の整合を合わせることができないのだ。だから俺は「まぁね」「さぁな」「どうしてかな」などと言ってごまかしては、打鍵して何曲か弾くしかなかった。


 ただ、有り難いことに正嫡殿下が「今日のアルファードは、演奏会に集中しておるから」と、その場をとりなしてくれた事でなんとかなった。しかし、何らかの言い訳を考えておかないと、何度も説明しなければならなくなってしまうよな。


「なに考えてるの?」


 向かいに座るレティに声を掛けられた。休日の昼下がり、俺とレティは馬車でエルダース伯爵家の王都の屋敷に向かっていた。以前から約束していたレティの後見人とも呼べる存在、エルダース伯爵夫人と顔合わせする為である。


 聞くとエルダース伯爵夫人は従祖伯母いとこおおおばに当たる人物で、レティの曽祖父の姉がエルダース伯爵家に嫁ぎ、その娘であるエルダース伯爵夫人が婿を取って、エルダース伯爵家を継いでいるのだという。ということは、旦那に比べて発言力が強くなるのは当然か。


 このエレノ世界、男尊女卑社会なので、爵位の継承も当然男性しかできない。なのでこのエルダース伯爵夫人のように婿養子を取って爵位を維持するケースはままある事。エルダース伯爵夫人の母は先々代のリッチェル子爵の姉ということで、嫁に行ったレティの娘が生まれた家を継承して、ミカエルの孫娘の面倒を見るという図式か。・・・・・あり得る話だな。


「いや、昨日の演奏会が大変だったな、って」


「話から演奏できそうとは思っていたけれども、あそこまでできるなんて」


「いやいや、大したことないよ。あれでは演奏家なんて無理だ」


「この国に演奏家なんてどこにもいないわ!」


 あ、そうだった。確かに演奏家なんて見たことがないな。演奏家がいないのにピアノだけはなぜかある。どうなってんだ、エレノ世界。


「私もピアノを習っていたけど、グレンのように弾くなんて無理よ」


「先生がいたんだ!」


「ええ、家にいたときに。でもその先生よりもグレンの方が上手いわ」


 そうだったのか。レティがピアノを習っていたなんて。リサ以外、ピアノの話を間近にできる人物がいたのが素直に嬉しい。


「一度聞かせて」


「無理よ。もう二年やっていないし。誰かに聞かれたら恥ずかしいわ」


「じゃあ、誰もいない場所を用意するよ。俺が一人で練習している場所だ」


「ええっ!」


「一度だけでもいいからさぁ」


 珍しく戸惑った表情をしているレティ。しかし昨日の演奏会で高ぶっている俺はレティに迫った。純粋に他人の演奏が聞きたいのだ。リサの弾くピアノを聞ける機会が少ない事もあって、俺は他人の音に飢えていたのである。


(今度レティを誘って黒屋根のフルコンを弾いてもらおう)


 そんな事を考えていたら、レティが言ってきた。


「今日の夜、カジノに潜り込みましょうか?」


「いいのか、おい!」


 いきなりの申し出に戸惑う俺だが、カジノに出入りしているレティからの話。持ってきた鞄の中身は、カジノに入る用の衣装だという。俺は快諾すると魔装具を取り出し、『常在戦場』の事務長ディーキンに連絡を取って、夕刻に寄る段取りをした。そしてカジノに行く詳細な打ち合わせは帰り際に行おうと話すと、レティの顔が曇る。一体どうした?


「エルダース伯爵夫人は作法に厳しいのよ。あ~あ、今日も怒られちゃうわ」


 あの小悪魔レティが恐れている。レティが尻込みするエルダース伯爵夫人とはどんな人物なのか。レティに聞くと普段は優しく頼りになるが、貴族の作法となると途端に厳しくなるらしい。


 レティが頭の上がらないのは間違いないようである。やがて馬車はエルダース伯爵家の屋敷に到着。迎えに出てきた執事の案内で屋敷に入り応接室に通される。そこには一人の老婦人が椅子に座っていた。


(この人物がエルダース伯爵夫人か)


 六十代と思われるが、凛としているのが座っていても分かる。丸い眼鏡をかけている姿を見るに、中々の猛者のようだ。俺より一歩前に立つレティが明らかに緊張している。レティはエルダース伯爵夫人に向かって優雅に挨拶をした。


「リッチェル子爵家のレティシアがエルダース伯爵夫人にご挨拶を申し上げます」


「レティシア! もう一度ご挨拶なさい」


 レティの後ろ姿が小刻みに震えている。しばらくしてレティがもう一度挨拶をする。先程よりも更にスピードを遅くした挨拶である。


「リッチェル子爵家のレティシアがエルダース伯爵夫人にご挨拶を申し上げます」


「レティシア。今日はよく来てくれましたね。お座りなさい」


 言葉を受け、レティは静々と椅子に座る。お連れの方もと声を掛けられたので、俺も着座した。椅子本体や椅子の位置にレティと差がある。レティの椅子は肘当てがあるが、俺の椅子にはない。位置もレティより少し斜め後ろだ。作法に厳しいと言ったのはこういうことか。


 レティが嫡嗣ミカエルの襲爵に向けた進捗状況を報告した後、俺のことを紹介した。


「先日、お手紙を差し上げました際、書きましたグレン・アルフォードです」


「アルフォード商会の次男、グレン・アルフォードと申します」


 俺は椅子から立ち一礼した。エルダース伯爵夫人がこちらの方を見る。眼鏡越しの眼は鋭い。


「手紙を読みましたところ、レティシアと誼を結んだとのことですが、どうして誼を結ばれる事にされたのですか」


「レティシア嬢は、商人に対して理解のある御方であったからです」


「理解とはいかなるものですか」


「偏見によらぬ眼をお持ちであったこと」


 エルダース伯爵夫人は表情を変えず俺を見る。


「貴方は貴族に取り入るため、理解のある貴族と誼を結んでいるのですか?」


「誼を結ぶのであれば理解のある者を選ぶのは自然なことかと」


「貴族の名が欲しいわけですね」


 エルダース伯爵夫人のトーンが変わらない。何が言いたい老婦人。


「私が欲しているのは理解のある賢い貴族であって、理解のないバカな貴族なぞ不要」


 俺は敢えて本音を出した。 

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