216 第一王子
ノルデン王国には現在、王太子はいない。王太子の有力候補はマティルダ王妃の子である第二王子で正嫡殿下と呼ばれるアルフレッド王子。だが、側室マルレーネ夫人を母に持つ第一王子のウィリアム殿下というもう一人の候補者がいる。そして、このウィリアム殿下はクリスの次兄アルフォンス卿の同級生でもあった。
「兄様、ウィリアム殿下はどのようなお方なのでしょうか?」
「学園時代から非常に勉強熱心な御方だった。人の話に耳を傾け、何事にも熱心に取り組まれておられた」
アルフォンス卿はクリスからの問いかけにそう答えた。それは単に儀礼的な敬意という枠からは外れたもので、野心家だと思っていたアルフォンス卿の意外な一面を垣間見た気がする。
「アルフレッド殿下とのご関係は・・・・・」
「殿下は兄弟想いの真面目な御方だ。アルフレッド殿下とエルザ殿下の事をいつも気にかけておられた」
アルフォンス卿は実妹からの質問にそう答えた。クリスも聞きにくかっただろうに。おそらくは俺のために聞いてくれたのだ。クリスはそういう子なのである。
「御兄弟の仲が凄く良いのだ。頻繁に封書のやり取りをなされておられるらしい」
驚きである。正室の子であるアルフレッド王子と側室の子であるウィリアム王子とエルザ王女。この三人は仲が良く、封書のやり取りをされている。なかなか衝撃的な話だ。では、あの冷遇とも言える待遇は一体何なのか。ますます疑問が膨らむ。
「同学年でも、兄様とは大違いなのですね」
クリスのさりげない一言にトーマスとシャロンが凍りついた。言葉を発した瞬間に氷像になったのをリアルで見ることができたのは貴重である。見るにアルフォンス卿は怒っている訳ではなさそうだが、どこか困惑した感じである。
「俺は殿下とは違うからな・・・・・」
何か思い当たる事があるのだろうか? アルフォンス卿はポツリと呟いた。
ノルト=クラウディス公爵家の王都の屋敷を後にしたのは夜九時を過ぎての話。人目のない夜に学園に戻るということで、帰りの馬車はクリス達と同乗することになった。帰りを執事長ベスパータルト子爵が見送ってくれる。
「アルフォード殿。またのお越しを」
ベスパータルト子爵は丁寧に頭を下げてくれた。以前二度ほど顔を合わせただけの関係だが、このように声をかけてくれたのはお世辞であっても嬉しいもの。俺は去り際、ベスパータルト子爵に頭を下げた。
帰りの馬車でふと立太子礼について考えた。図書館で見た話では、王太子礼自体は簡単な儀式である。玉座の間において国王王妃両陛下
もちろんパーティー等の祝賀行事があるわけで、大変でないと言えば嘘にはなるが、遅らせなければならぬほど、大変な儀式といったものではない。しかし現実は、未だ立太子礼が行われておらず、王太子が不在のままという状態。宰相が邪魔をするメリットもなさそうだし、内大臣トーレンス候が差し止める益も考えられない。
結局のところ、原因は両陛下の気持ちなのか? そんな事を考えていると隣の様子が少しおかしい事に気付いた。最近、俺はクリスの感情の起伏を察知できるようになった。クリスは言葉よりも先に態度で出すタイプなので、察知することはクリスと話す上ですごく重要な事なのである。
「どうした?」
「
声のトーンからして、あまり喜ばしい事ではなさそうである。
「良からぬ動きをなさらなければよろしいのですが・・・・・」
クリスの言葉はそれで止まった。夜なので表情は読み取れない。ただクリスの右腕と俺の左腕は触れ合っているので、体から伝わってくるものから察するに不安そうだ。理由は小刻みにピクピクしているからである。今、これが分かるのは俺だけなのだが、クリスが口を噤んでいるのに、俺が言える訳がない。
(も、もしや・・・・・)
俺はハッとした。ボルトン伯から聞いた『ソントに戦い』の話。ボルトン伯ユリウス閣下が多勢に無勢を承知で兄フリッツ王子の元に参じ、それまで優勢だった弟アンリの継承を阻止して、同級生だったフリッツ王子の即位に道を開いた。まさかアルフォンス卿は、それと同じことをしようとしているのではないか?
そう言えばアルフォンス卿とウィリアム王子も同じ同級生。冷遇される兄王子と厚遇される弟王子という状況は『ソントの戦い』と酷似している。違いは正嫡殿下がアンリと違ってマトモという部分。俺は直感した。今これをクリスに言うべきではないと。結局、俺もクリスも学園に到着するまで、言葉を発することはなかった。
――朝、学園の告知板には複数の生徒の『糾弾文』が掲示されていた。
クラグフィードなる生徒「表向きの振る舞いと、裏で動くやり方があまりにも違いすぎる。しかも両方とも歪で合理性に欠ける。教官を続ける意味があるのか?」
シェーンなる生徒「議事録を見れば「七対一」の決闘が当事者ではなく、教官が勝手に決めている事が明らか。これを正当化するのは論外だろう」
対する教官側の『返答文』も掲げられている。
ル・ファール「当時は、それが最も適切な処置であったと判断したが、今から見れば適切ではなかった」
テンシリン「我々は既に『立木打ち』を行い、判断の誤りを含めて履行している」
タミーラ「教育そのものが合理性を追求するものではない。結論が出る前と、結論が出てからの動きや考えが全く変わるのはむしろ自然なこと」
ドムジン「我々が勝手に決めたのではなく、「一任」を受けて判断した事で、仮定に問題はない」
まぁ、教官陣の論法は圧倒的に不利だが、告知板という公開の場でイカれた論法が白日の下に晒されるのも良いだろう。生徒らと教官陣は告知板で大いに論を戦ってもらったらいい。この件に関する俺の役割は、基本的に終わりだろう。後はやりたい奴がやればいい。もうすく一限目が始まるな。俺は告知板を後にして、教室に向かった。
「お父さんの叙任式。来週の平日初日に行われることになったよ」
教室に入るとフレディが父デビッドソン司祭の叙任式の情報を教えてくれた。なぜかリディアのテンションが高い。本当はもっと早くに決まっていたのだろうが、デビッドソン司祭が俺のような早馬システムを持っていないので、フレディの元に情報が届くのが遅いからだろう。封書の到着に時間がかかり、日程が急遽決まったように感じてしまう。
「いつから始まる予定だ」
「叙任式は昼から。十五時からだよ」
「よし、行こうか」
「うん!」
俺とフレディとリディアは確認しあった。デビッドソン司祭の叙任式はケルメス宗派の総本山であるケルメス大聖堂で行われ、この式を終えるとデビッドソン司祭は正式に主教になる。
「ところで主教になると、何が変わるんだ?」
俺の質問にフレディは首をひねった。え? 知らないのかフレディ。
「複数の教会の責任者になったり、宗派の評議員になったりするけど、それ以外の違いは・・・・・ よく分からないんだけど・・・・・」
階級が上がって何が変わるのか問われたって、中にいる訳じゃないから分からないか。
「ところでフレディ。『決闘報告書』は纏まったか?」
「叙任式の時には枢機卿もお忙しいだろうから、別の日に行けばいいかな、って」
一理ある。叙任式のとき、一緒に持っていけばいいと思ったのだが・・・・・ しかしゲートについてや、こちらから見る異世界、俺にとっての現実世界の話など、聞きたい話は多い。叙任式のときでは聞けないのは、教会に疎い俺でも分かる。ここはフレディの言う通り、再度訪問したほうがいいだろう。
「グレン。演奏会、いよいよ明日よね」
「そうそう。明日だよな。ロタスティのピアノで」
二人に言われ、演奏会がいよいよ明日だと実感させられる。毎日練習はしているが、これでもかというレベルで弾き込んだのは一日だけ。練習量としては少し物足りないが、まぁ、今日の昼と明日をつぎ込んで練習するか。一夜漬けの感覚だが、こちらも予定あるので仕方がない。ロタスティのピアノも試弾できるようだから、やれるだけやってみよう。
二限目が終わった後、急いで黒屋根の屋敷に入るとリサとニーナ、ロバートとジルがいた。俺を待っていてくれたんだ。俺はロバート、ジル、そしてニーナを抱きしめた。
「こんな立派な邸宅を持っているなんて」
「グレン凄いな」
「お兄ちゃん、お金持ちだったんだね」
三人は皆、俺のことを褒めてくれた。一旦三人でモンセルに帰った後、ロバートはサルジニア王国に向かうそうだ。相変わらずアルフォード家は忙しい。
「私はこれからルカナリア地方に向かうの」
リサは今からボルトン一門の帳簿を見るため、ルカナリア地方に赴くようだ。だったらついでにルナールド男爵からコメを譲ってきてもらおうか? 量は貨車一台分でいいだろう。その程度の量【収納】で十分いけるはずだ。
「何言ってるの! そんなの無理よ! 【収納】だったら一袋か二袋しか持ってこれないわよ!」
リサは怒り始めた。もしかして本当にできないのか、リサ? 俺には出来るのに、リサは無理。おそらく【収納】にもレベルによってキャパシティが違うのだろう。俺はリサをなだめ、話自体をキャンセルした。正直、驚いたが仕方がない。どうやらこの世界で俺の【収納】は段違いのようである。俺はこれから出発する皆の安全を祈念した。
――遂に演奏会当日がやってきた。いつものように鍛錬を終えた俺は、朝から黒屋根の屋敷のピアノ部屋に籠もり、昼食も飛ばして六時間弾き続けた。昨日、三限目を抜けてロタスティにあるピアノを試弾した後、黒屋根のフルコンを六時間ぶっ通しで弾き続けたのだが、納得がいかないところが多かったので、今日再挑戦しているのだ。
しかし時間は十五時四十分。演奏会が始まるのは十六時なので、タイムリミットとなってしまった。俺は【装着】で制服に着替え、演奏会場であるロタスティに向かうため、魔導回廊を通って学園に入る。ロタスティに入ると正嫡殿下が出迎えてくれた。
「アルフォードよ。よく来てくれた」
俺は殿下に頭を下げた。ピアノの周りはテーブルが片付けられ、椅子が並べられており、演奏会場らしくなっていた。殿下によるとみんなでやったとのことである。手間を掛けさせてしまった気がした。
椅子にはアイリ、レティ、クリス、二人の従者、アーサー、カイン、ドーベルウィン、スクロード、といった馴染みのメンバーが座っていた。フレディやクリス、ディールにクラート、クルトにコレットまでが来ていた。生徒会長のアークケネッシュや副会長のエクスターナをはじめとする生徒会の面々や、朝の鍛錬組もいる。
ざっと見て五十人程度。予想よりもギャラリーが多い。しかし演奏会なんて高校以来していないな。最後に人前で弾いたのは高校時代の合唱コンクール以来。俺は無意識の内に指を動かしていた。
「これからグレン・アルフォードの演奏会を始めたいと思う。皆、静聴して欲しい。では、アルフォードよ。頼むぞ」
正嫡殿下アルフレッドは挨拶と共に、俺を激励した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます