213 宰相派

「グレン! ちょっと、ちょっと」


 昼休み、廊下を歩いているとトーマスに呼び止められた。トーマスが慌てている。どうした、トーマス。もしや・・・・・ 宰相側から連絡があったのか?


「今日の夕方、王都の屋敷にと書簡で連絡があった」


 おい、早くないか? 聞くと朝一番、クリスは宰相府に向かって早馬を出したらしい。そして昼にアルフォンス卿より書簡が届いた。宰相の反応が非常に早い。クリスに聞いてみたいが、それどころではなさそうだ。屋敷への来訪時間は十七時、馬車を二台手配するので、分乗して来訪せよ、との事。細心の注意が払われているな。


「馬車の到着は十六時だ。頼むぞ、グレン」


 トーマスの顔がいつになく真剣だ。事が動き始めたことを実感しているのだろう。しかしこれはまだ序章の段階。ここから長い戦いが始まる。あまり気合を入れると息切れするぞ、トーマス。十六時馬車溜まりか・・・・・ よし。俺は教室に向かうのを止めた。


「グレン、何処に行くんだ?」


「ピアノを弾いてくる。演奏会も近いのでな」


 俺は手を上げてトーマスと別れると、黒屋根の屋敷にあるピアノ室に籠もった。気持ちが高揚しているのか、無性にピアノが弾きたくなったのである。練習曲もどきで指を鳴らした後、「時代劇のコッペパン」や「なんちゃら要塞」、フォーレの「シシリエンヌ」、バッハの「管弦楽組曲第二番バディネリ」、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」トレパークらしき曲を弾く。


 らしきというのは楽譜がないためで、脳内採譜によるものだからだ。そんな楽譜の全記号なんて覚えている訳がないし、そこまでやっていないのだから仕方がない。いずれも演奏会で弾く予定だ。正嫡殿下からあやふやなリクエストがあったが、あれは殿下の話や時期から考えて多分「なんちゃら要塞」だと思うので、これを弾けばいいだろう。


 ただ、一つだけ決めている事がある。図書館にあった「エレノオーレ!」全曲集やサントラ盤「エレノオーレ!」初級版だけは絶対に弾かないと。ホントにロクなピースを置いてないんだよなぁ。なんでエライ目にあっている俺が弾かなきゃいけないんだ。だから絶対に弾かない。こんなピースを置いている事自体、製作者の悪意を感じる。


 魔装具が光るので誰だと思ったらリサだった。家族での会食の後、屋敷に戻ってないな、と思ったらずっと『グラバーラス・ノルデン』に止まって、ニーナ達と共に王都周遊をしていたらしい。


「お母さんたちに屋敷を見せてもいい?」


 ニーナやロバート、ジルに屋敷の話をすると皆が見たいと言ったというので、俺に許可を求めてきたのだ。俺はもちろん快諾した。明日、三人はモンセルに帰るらしく、午前中に屋敷に寄る事になるという話。俺は昼休みまで屋敷に残ってもらうように言った。


「で、ザルツは?」


「お父さんは今日、先に出たの」


 なにぃ。知らせてくれたら良かったのにと言うと、ザルツは俺に大きな仕事を任せているから負担は掛けたくない、と王都を後にしたとのこと。ザルツらしい配慮。俺はそういうやり方が好きだ。ザルツはセシメルに寄った後、サルスディアに入り、モンセルに帰るという旅程ということだ。ハッと閃いた俺はリサに言って魔装具を切る。


 急ぎ学園受付に向かい、伝信室に入るとセシメルのザール・ジェラルド宛に手紙を書き、続いてノルト=クラウディス領の領主代行であるデイヴィッド閣下宛に封書を認めた。デイヴィッド閣下に当主ザルツとの会見をお願いし、それをザルツに伝えるべくジェラルドに伝えるのだ。後はみんな考えてくれるはず。俺は早馬を手配し、馬車溜まりに向かった。


 馬車溜まりに来ると、一人乗りの馬車が止まっていた。名を告げると乗せてくれたので、ノルト=クラウディス家が用意してくれた馬車で間違いない。紋章はないがマトモな馬車だ。もう一台の馬車はないので、クリスらは先に向かったのだろう。俺はノルト=クラウディス公爵家の王都の屋敷に向かった。


 移動中【装着】で空色の商人服に身を纏った。今回の訪問はクラウディス地方への旅以来のこと。俺が屋敷に到着すると、執事長ベスパータルト子爵の出迎えを受けた。お互い顔を知る身、ベスパータルト子爵の案内を受け、赤絨毯を踏みしめながら屋敷内を歩く。そして応接室であろう一室に通された。


 そこにはソファーに座る者七人、立っている者五人、計十二人の人間がいた。俺は下座に案内されると挨拶した。「グレン・アルフォードです」と。俺から見て正面の上座にはノルト=クラウディス公、右手には上座からクラウディス一族の長老格クラウディス=ディオール伯、アルフォンス卿、そしてクリス。こちらはノルト=クラウディス家の並び。


 対して左側は上座からシェアドーラ伯、キリヤート伯、ムステングルン子爵。こちらの方は宰相派幹部の並び。ノルト=クラウディス公の後ろには二人の従者、衛士レナード・フィーゼラーと侍女メアリー・パートリッジ。アルフォンス卿の後ろには宰相補佐官付グレゴール・フィーゼラー。クリスの後ろにはトーマスとシャロンがそれぞれ控えている。


 クラウディス=ディオール伯はノルト=クラウディス一族の長老格と言いながら、壮年で肩幅の広い人物。話によると宰相の祖父の弟の孫。つまり宰相の再従弟はとこに当たる人物で、長老格というのはクラウディス一族の中で一番家格が高いという意味なのだろう。


 因みにディオールというのは封地であるとのことで、分家筋はノルト=クラウディス家の元の姓であるクラウディスの名に、封地の名称を姓に組み込んでいるようだ。よく分からないが、徳川と松平の関係と同じようなものではないかと思う。


 シェアドーラ伯とキリヤート伯は派閥幹部。ムステングルン子爵はノルト=クラウディス家の陪臣ということで、今日はさしずめ宰相派幹部会といった感じである。俺は着座を促されたのでソファーに座ると、ベスパータルト子爵は一礼して退室した。


「アルフォード。久しいな」


「再びお目にかかれ、光栄に存じます」


 宰相は俺の挨拶にうむと頷いた。


「小麦の件、色々と骨を折らせた。礼を言うぞ」


「閣下。それはまだこれから。現在ラスカルト、ディルスデニア両王国から輸入し、王都とムファスタの倉庫に備蓄し、卸始めたところでございます」


「レジドルナにおける小麦高騰の件は」


「現在、レジドルナの小麦価格は五〇〇ラントを越えているとの話があり、ムファスタで売り捌く予定だった小麦を全てレジドルナの業者を介して卸す手配を」


 左側の並びから、どよめきが起こる。様子を見るにおそらく宰相派の幹部でさえも、現在の小麦の状況を知らされていないのだろう。真ん中に座る人物、中年貴族のキリヤート伯が俺に聞いてくる。


「して、どの程度の小麦を輸入するつもりか?」


「輸入できる限り、輸入し続けます」


 左側の三人が顔を見合わせている。右側の上位に陣取るクラウディス=ディオール伯も腕組みしながら困惑した表情を浮かべていた。それぞれ何事か理解しかねているようだ。アルフォンス卿が口を開いた。


「このグレン・アルフォードの実家、アルフォード商会をはじめとする商人連合が、これまで両国からの輸入の為に準備をしており、都度報告を受けております。凶作での混乱を避けるため、この事は全く通知しておりませんでした」


「皆の者、悪く思うな。今回の輸入方法は普通の方法ではない。近隣両国は疫病が流行り、大量の毒消し草が必要。対してこちらは小麦不足。一方、相手の国は小麦が豊作。こちらは大量の毒消し草がある。これを特定レートで交換することを条件に取引を行っている」


「何故そのような複雑な取引を?」


 左側上座の人物、壮年貴族シェアドーラ伯が宰相に問いかけた。シェアドーラ伯は派閥序列二位に相当する高位伯爵家ルボターナ。クラウディス=ディオール伯とそれほど年齢が離れているようには見えない。


「無軌道な取引を抑制するためです。双方にとって負担なく最良の形でそれぞれの物資が手に入るようにする為の措置です」


 これは俺しか答えられないだろう。宰相とシェアドーラ伯の間に割って入った。ギョッとするシェアドーラ伯。これまで貴族同士の会話に平民が割って入る体験など、一度もしたことがなかったのだろう。ビックリしている。


「一言で表すなら、国境での買い占めを防ぐ為です」


 実際は海外の小麦取引をアルフォード商会が独占するため。今、それをここで言う必要はあるまい。俺の話に納得したのか、シェアドーラ伯は何も言わなかった。それは他の貴族も同じで、それを見たアルフォンス卿がつかさず纏める。


「小麦の凶作について、現在このような対策を採っております」


 誰からの発言もない。小麦の件はこれで了だと判断したのか、ノルト=クラウディス公は『貴族ファンド』の話を始めた。貴族派と大手商会が手を結んで『貴族ファンド』の立ち上げを行う旨を話した後、ボルトン伯が受け取った回状と貴族名簿を示した。俺からクリスに渡したものだ。それを見る派閥幹部達。クラウディス=ディオール伯が思わず呟いた。


「リュクサンブール伯もか・・・・・」


 リュクサンブール伯。国王派第一派閥のウェストウィック派に属する、ボルトン家と同じ高位伯爵家ルボターナ。やはりそこに目が行くのか。


「アウストラリスめの策動か・・・・・」


 キリヤート伯が苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。 キリヤート伯は派閥幹事を務めているという。連絡や取り纏めなどの実務、というより派閥だから閥務、さしずめ事務総長ってヤツか。その閥務の中心人物がこのような反応をするくらいだから、アウストラリス派と宰相派との間の溝は大きいのだろう。


 名簿のトップ。サインも筆頭。誰がどう見ても主導しているのはアウストラリス公。それは言うまでもない話。宰相派の面々は何か知っているかもしれない。俺は例の件について話した。


「以前レジドルナよりもたらされた話では『貴族ファンド』に名を連ねる大手商会、トゥーリッド商会にアウストラリス公の陪臣モーガン伯なる方が頻繁に出入りされていたとのこと。その頃より何かあるのではと・・・・・」


「モーガンだと!」


 シェアドーラ伯がギロリと俺を見た。キリヤート伯が話す。


「アウストラリスの脇にいつも控えておるだ。なるほど、奴が暗躍していたか」


がそのように動いているとなると、もはや隠す気もないと言うことでしょうな」


 ムステングルン子爵が納得したという感じで話した。ムステングルン子爵はノルト=クラウディス家の陪臣。ノルト=クラウディス家が保持する王都周辺にある四つの飛び地の代官を統べる任を代々務めているという。白髪でシワの多さがそれまでの人生を物語っている。


「明々白々。いよいよ表に出てくるという事だな」


 クラウディス=ディオール伯の顔が紅潮している。モーガン伯の話を聞いて、闘争本能が呼び覚まされているようだ。これが人間の本質というものか。


「皆様。まだ確たるものは何一つありません。力を持っているのはこちら側です。ここは気を引き締めて・・・・・」


 アルフォンス卿の言葉に、一同の闘志が静まった。全くその通り。力を持っているのは行政権を握っている宰相派。力握らぬ者の策動は曲芸にしか過ぎない。しかしその策動に変数、たとえば凶作といった事象が加わることで、状況が変わるのだ。


「アルフォードよ。お前たちは『貴族ファンド』の出資額をどの程度の規模だと予想しておる」


 ノルト=クラウディス公が俺に問うてきた。話を変える為だな。こういう間合い一つをとっても「術」。権力を握るとはかくも労のかかるものか。一つ一つの動きに神経を行き届かせなければならない。それとは無関係な位置にいる俺は、宰相の期待に応える。


「三〇〇〇億ラントと」


「三〇〇〇億ラントだと!」


 アルフォンス卿が絶句した。聞いてきた宰相自体が驚いている。クリスも事前に話をしていなかったので目が点の状態。宰相派の貴族達も皆、硬直している。


「途方もない額だ・・・・・」


「本当にそれだけの額が積めるのか?」


 キリヤート伯はあまりの巨額に言葉も出ず、ムステングルン子爵に至っては巨額過ぎるからだろう、非常に懐疑的である。シェアドーラ伯が問うてきた。


「根拠は何だ?」


「我々が出資している『金融ギルド』は現在、出資額二六四〇億ラント。この額を越えた額を積んでくるという読みです」


「・・・・・二六四〇億ラントとな・・・・・ 三〇〇〇億といい、とてつもない額だ。もはや我々では想像がつかぬ」


 ノルト=クラウディス一族の長老格、クラウディス=ディオール伯が驚きのあまり呆れている。


「それだけの資金を持って、一体何をしよういうのか・・・・・」


 キリヤート伯の言葉に皆押し黙ってしまった。その意図、測りかねるといった感じか。部屋の中は沈黙する。それを破ったのはメゾソプラノの声だった。


「宰相の失脚」


「クリスティーナ!」


「お父様の失脚ですわ。これだけはハッキリしています」


 アルフォンス卿の制止を払いのけ、クリスはハッキリと言い放った。そう、最終地点はそこにある。『貴族ファンド』や三〇〇〇億ラントはそのための道具でしかない。しかしクリスよ。アルフォンス卿が先程言ったように、現段階で証拠は皆無。一体、どう説明するつもりだ。

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