197 繁華街
繁華街にあるレティ行きつけのブティック『アライサ・クレーティオ』を出た俺達三人は、そのまま高級レストラン『ミアサドーラ』に入った。繁華街に来た時に利用している店である。その個室に腰掛け、コース料理を頼もうとするとレティが待ったをかけた。
「とりあえず紅茶でいいわ」
そっけなく店員に頼む。そう言えばブティックに出てからというもの、賑やかなレティが全く言葉を発していないな。アイリもだが。一体どうしたのだ。紅茶が出され、給仕が下がるとアイリが俺に向かって尋ねてきた。
「グレンは普段、あんな目で見ていたのですか?」
はぁ? あんな目とはどんな目だ?
「ひょっとして私への当てつけ?」
んん? レティよ。当てつけって何よ。言って意味が分からない。
「どうしたんだ、二人とも?」
俺が聞くと、逆に二人から睨まれた。
「よくもまぁ、白々しく言えるわね」
「いや、何を言ってるか分からない」
「言っていたじゃないの。「胸が大きい」って!」
「いつもそんな目でクリスティーナを見ていたのですか!」
なんだこの修羅場は。レティに続いてアイリも迫ってくる。俺は事実を言っただけだろ!
「見たんじゃなくて、触れたら大きいなと・・・・・」
「まぁ!」
二人が同時に声を上げた。
「貴方何てことを!」
「最低です!」
ま、ま、ま、待てい! 何を想像しているんだ、君たちは!
「おいおい、二人とも何か勘違いしているんじゃないか?」
「何を勘違いしてると言うのですか!」
アイリが詰め寄ってくる。いや、落ち着けよ。
「『
「本当なの?」
レティが冷ややかな視線でこちらを見てくる。
「事実だ。なんだったらシャロンとトーマスに聞いてもいいぞ!」
俺は両方の世界で五十年以上生きてんだぞ。今更、女の胸なんかでどうこうにはならん。胸があろうがなかろうが、乳であることに変わりはないんだから、何の問題にもならんだろ。大した話じゃない。
「で、揉んだの?」
はぁ?????
「なんで俺がそんな事をしなきゃならん!」
「だってあんなこと言うから・・・・・」
レティの追及の方向がおかしい。
「クリスティーナをそんな目で見ていたのですね」
「見ているわけ・・・・・ ないだろ! そんな目か、この眼が!」
アイリの問いかけに目を見開いて答える。俺はいい加減、こんな不毛な話からは抜け出したかった。アイリは首をかしげる。いやいや、そこでかしげるな、アイリ!
「分かったわ・・・・・ 信じることにしましょう」
レティがわざとらしく溜息をついた。コイツ、早くワインが呑みたいのだな。人を弄り倒しながらヒドい奴だ。俺はこれをつかさず利用し、方向転換を図った。
「さぁ、食べよう食べよう」
俺は店員を呼んで、コース料理と『ヴィファエル・ジュナール』という店で一番高いというワインを頼んだ。ここは呑ませてレティの口を封じるのが一番。アイリの方は話をしていけば分かってくれるだろう。
料理が運ばれてくると、それまでの殺伐とした空気は消え去って、普通の会食の空気に戻った。俺が意図的にワインを飲み、呑むことを先導したからだろう。レティもアイリも次第にいつもの調子に戻ったので一安心である。今日、この場を乗り切ることが第一だ。
「昨日、ボルトン伯爵家の紋章をつけて出ていったけれど、何かあったの?」
レティはグラスのワインを飲み干すと、昨日の件について聞いてきた。俺はレティのグラスに『ヴィファエル・ジュナール』を注ぐ。そして宮廷騎士ガーベル卿の一件について話した。
「・・・・・報酬を「返してこい!」って言われたもんだから、どういうことだ? と問い詰めに行ったんだ」
「で、報酬額は?」
「二七〇万ラント」
「そう言われても仕方がないよね。額が大きすぎるから」
「はい」
レティの意見にアイリが同意した。アイリも三〇〇万ラントの報酬をローラン夫妻に渡した際、理解してもらうのに一苦労したのだので、ガーベル家の話が分かると言った。そうだったのかアイリ。大変だったんだな。考えれば確かにそうかもしれない。愛羅がいきなり数千万持ってきたら、さすがの俺でも「この金はなんだ?」と問い詰めてしまうか。
俺はガーベル卿と話し合い、最終的に納得してもらった事を話した。するとレティがワインを片手に、良かったじゃないと労いの言葉をかけてくれた。見るとグラスが空になっていたので、また注いでやる。
「でも宮廷騎士って相当な地位よね」
「それがそうでもないらしい」
俺はガーベル卿がウィリアム第一王子に仕えていることや、長男スタンがウィリアム王子と同級生で従者がいない王子の従者のように仕えていた事、現在サルジニア公国に留学中のエルザ王女と共に長女ロザリーが御学友として同行している事を話した。
「エルザ殿下はお見かけしたことがあるわ。綺麗な方よ」
そうなのか! レティは去年のパーティで何度かお目にかかったらしい。ただレティの方も自分のお披露目で余裕がなく、遠巻きに眺めるのが精一杯の状態だったのだという。レティも初々しい頃があったんだな。
「だから私はついてもらったのよ。親がアテにならないから」
レティは去年のシーズン。親ではなく、縁故があるエルダース伯爵夫人という女性に付いて乗り切ったと話した。考えたら十四歳の女の子が単身、貴族社会で勝負という話自体がおかしいもんな。しかしエルダース伯爵夫人という人がいてくれて良かったというべきだ。レティは貴族社会の事は、何でもエルダース伯爵夫人に相談しているのだという。
「だからグレン。ミカエル襲爵の前に、エルダース伯爵夫人と顔を合わせて欲しいの」
俺は快諾した。レティと俺は誼を結んだ身。レティの後見人的な人物がいるとすれば、最低限顔は合わせておかねばならない。ミカエルの襲爵手続きの進捗について尋ねると、順調に進んでいるとのこと。ダンチェアード男爵を中心に進められているそうだ。安心した顔のレティを見ると今日、一緒に出てきたのはこれが言いたかったのかもしれない。
「あのぅ、普通身分の高い方には従者が付きますよね。どうして付いていないのですか?」
「ガーベル卿の話によると母が側室だからとの事なのだが・・・・・」
アイリの疑問にガーベル卿から聞いた話をそのまま伝えた。
「大きな差があるのですね」
「冷遇されている感じよね」
レティがアイリの感想に被せてくる。確かにそうだ。従者がいないのでガーベル家の者が従者代わりというのも、両殿下の冷遇を象徴しているように感じる。もっともガーベル卿本人からもウィリアム王子の同級生である長男スタンからも、物語にありがちな、側室生まれの悲壮感のようなものは全く感じられなかったので、杞憂であるかもしれないのだが。
ただガーベル卿の話から俺の感じた印象としてはウィリアム王子にせよ、エルザ王女にしろ、レティと同じく冷遇されているなというもの。それはリディアの学園の席次を見るに明らかではないか。
「側室の方は・・・・・」
「側室マルレーネ夫人は、既に亡くなられているそうだ」
俺はレティの問いに答えると「そう」と言葉少なだった。この国王の側室マルレーネ夫人という人物についても気にかかる。正室であるマティルダ王妃との関係性はどのようなものだったのだろうか。まぁ商人身分である俺が窺い知る事などできようはずもないのだが。
しかしこの側室と兄妹の話を人に聞くのは容易ではない。クリスに聞くのが一番良さそうだが、ノルト=クラウディス公爵家は宰相家。こちらの方が気が引ける。本来ならば正嫡殿下と婚約する身であった訳だし。フリックも知っているだろうが、こちらは正嫡殿下の従者でこちらも難しい。アーサー・・・・・ ダメだろうな、確実に。
ドーベルウィンもスクロードも難しそうだ。カインもだよな。みんな嫡嗣だが、誰もパーティーで波に乗ってそうじゃないからなぁ。ディールに至っては嫡嗣ですらないから、知りようもないのではないか。レティも今の話では全く知らないようだ。俺の周りで聞けそうなのは、グレックナーの妻室ハンナぐらいか。そんな事を考えているとアイリが俺に言ってきた。
「グレン。ピアノ、大丈夫なの?」
心配そうな顔で俺を見てくるアイリ。ワインが少し入っているからか、顔は赤く、眼がトロンとしている。
「ああ、なんとかな。五、六曲弾こうと思っている」
フリックから話があって、調律師が来週末になりそうだから演奏会はそれ以降に、ということだった。こちらも曲を決めて練習しなきゃいけないので、それぐらい後の方が都合がいい。
「忙しそうなのに、一体いつ練習していたの」
「三限終わってから放課後まで。たまにぶっ通しで弾くよ。ほぼ毎日やってるけど長い時間は弾けていない」
ガチにやっている人間は本当に八時間とか普通に弾いてるからな。一時間とか弾いたうちにも入らない。
「私が図書館に来るまでに弾いていたのですね」
「たまに没頭しすぎて夕方になったりしている」
「グレンの動きが少し分かりました」
アイリはなぜか嬉しそうだ。俺の生態を知ってそれほど面白いか? 興味があるのかレティも聞いてくる。
「どうしてピアノなんか弾いているの?」
「いや、実は商人剣術と関係があるんだ」
意外だったからだろうか。ハァ? とした顔をする二人。俺は『商人秘術大全』の話をした。商人剣術の習得には器楽の併修が必須で、俺の場合はピアノだったと。
「そんな決まりがあるの!?」
驚くレティに俺は説明する。剣技の鍛錬と同時にピアノを弾いて、相乗効果でレベルを高めるのが商人剣術の基本的な考え。これは剣技における間合いなど、戦いにおけるリズムをピアノという音楽で習得するためで、こうした考えは他の剣術では見られないらしいと話した。
「奥が深いのですね」
感心するアイリ。少ししか飲んでいないはずなのだが、もう出来上がってしまっている。「楽しみにしてますね」というと、テーブルでうつ伏せになってしまった。これはいかんと慌てた俺は、レティと一緒にアイリを担いで店を出る。その帰り際、つかまえた馬車の中でレティと二人で決めたのである。「アイリを外で飲ませちゃダメだ」と。
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