194 リディア・ガーベル

 俺とリディアの二人で、リディアの実家であるガーベル邸を訪問した。目的はリディアが「そんなお金、返してこい」と言われたボルトン伯爵家の報酬。これをリディアの父エリック・ガーベル卿に認めさせる為である。カネに「そんな金」も「こんな金」もない。リディアが受け取った正当な報酬を何人も妨げる事はできない。たとえ親であろうとも。


 リディアの父ガーベル卿の案内で邸内に入ると応接室に通された。上座に俺、その横にリディア。向かいにガーベル卿と二人の子息。順に長男、次男が座る。暫くして小柄で慎み深そうな女性が緩やかに頭を下げ、応接室に入ってきた。


「ヘザーと申します」


 リディアの髪と同じ、赤い髪の女性。間違いなくリディアの母親だ。そのヘザーだが、紅茶を出してくれたのだが、深々と頭を下げるとそのまま部屋を退出してしまった。男尊女卑はエレノの基本だが、どうやらガーベル家、相当な亭主関白の家のようである。


 続いて二人の兄の紹介があった。長男スタンは近衛騎士団に所属する騎士、次男ダニエルは今年学園を卒業したばかりなのだが、現在部屋住みであるとのこと。要は無職、長男スタンの二歳下であるという。ん? ということは長男スタンは・・・・・


「グレゴールと同じ・・・・・」


「!!! フィーゼラーの事か」


 スタンが問うてきた。やはりそうか。思わず口に出てしまったが、どうやら記憶が合っていたようだ。スタンとアルフォンス卿の従者グレゴール・フィーゼラーは同級生。当然ながらアルフォンス卿も同い年だ。


「はい。実はクラウディス地方に赴いた際、意気投合したもので」


「フィーゼラーは故郷に戻っていたのか。それで元気だったか」


「はい。聞くとアルフォンス卿の従者だった聞き、中々の者と見ましたので家族共々王都の方にお連れしました」


「なんと!」


 リディアの父ガーベル卿が身を乗り出してきた。


「ノルト=クラウディス家の家中の者をそのように・・・・・」


「嫡嗣デイヴィット閣下の了解を得ての事」


 俺の説明にエリック・ガーベルがにかわに信じ難いという顔をしている。少し突飛だったか?


「いや、そのようなことが・・・・・」


 長男スタンも戸惑っている。この話、少し分かりにくかったのかもしれない。俺はグレゴール・フィーゼラーの父レナード・フィーゼラーが宰相閣下の従者であったことから、ならばと馬車を改造して家族ごとお連れしたと。


「・・・・・」


 ガーベル家の男三人が顔を見合わせている。ガーベル卿が聞いてきた。


「それで宰相閣下は・・・・・」


「大変喜ばれておりました。思うに従者はやはり主の元におらねば従者とは言いますまい」


「た、確かにその通りだが・・・・・ 君は家業でクラウディス地方に赴いたのかね」


「いえいえ。個人的な理由です。商人刀の原材料である『玉鋼たまはがね』という特殊な鉄が、クラウディス地方の奥地でしか手に入らなかったもので」


「商人刀?」


 またガーベル卿の男三人が顔を見合わせている。よく考えたら皆、剣士。武具刀剣には興味があるか。俺は【収納】で商人刀『隼』を出した。


「!!!!!」


 いきなり刀が出た事に三人が驚いている。よく考えたら【収納】なんて見たことがないか。俺は商人特殊能力について説明して納得してもらった後、『隼』をガーベル卿に手渡した。


「研ぎ澄まされた片刃刀だ。まさか商人用の刀があるとは」


 ガーベル卿は感心している。長男スタン、次男ダニエルにも刀を回す。皆、まじまじと刀を見ている。その眼は真剣そのもの。この家の男は皆剣士なのだ。一方、この光景を横にいたリディアは不思議そうに見ている。おそらく初めて見る家族の顔なのだろう。


「商人剣術もございます。「商いに剣術は不要」との事で長年途絶えておりましたが」


「そのような剣術が・・・・・」


 長男スタンの問いに商人剣術について解説した。絶えたものを復活させた事に驚かれたが、剣士の術とは全く違うことを話だけで理解する辺り、全員が剣士であることの証明だろう。『隼』を引き取った俺は、今日の訪問の事由である本題に入る。


「本日お伺い致しましたのは・・・・・」


「その前に貴殿がボルトン伯爵家の代理人である事由を明らかにしていただきたい」


 なるほど、そう来たか。ガーベル卿はやはり堅物・・。俺が本物であるかどうかを試しに来たというわけだ。封書にせよ、馬車の紋章にせよ、学園の人間関係で頼めばなんとかなる。まさか本当に十五、十六の代理人を任せるというのか? 実に疑わしい。流石は宮廷騎士。それくらいの猜疑心は必要だ。俺は【収納】で一枚の書類を出した。


「こ、これは・・・・・」


「ボルトン伯から任されました『ボルトン伯爵家再建計画』の契約書でございます。「甲」とはボルトン伯爵家のこと。その上でその第四項を御覧ください」


「・・・・・甲に係る資産及び資金一切の交渉について代理人・・・グレン・アルフォードに委嘱する・・・・・ 本当なのか!」


「はい。ボルトン伯のサインもある正真正銘の原本です」


 ガーベル卿は信じられないという顔をしている。俺は話を続ける。


「続いて第八項を御覧ください」


「・・・・・本契約に基づく交渉により資金の新規調達に成功した場合、甲は成功報酬として新規調達資金の内、グレン・アルフォードに二%、アーサー・レジエール・ボルトンに一%、フレディ・デビッドソンに一%、リディア・・・・・ リディア・ガーベルに一%を支払うものとする・・・・・」


 文字を読む声が震えている。ガーベル卿もここまでハッキリした書類があるとは思っていなかったのだろう。我が目を疑うと言わんばかりに契約書を見ている。一方、父親の朗読を聞いた長男スタンも次男ダニエルも理解が追いついていないのか、首をかしげるばかり。俺はつかさず【収納】でもう一通の書類を取り出し、ガーベル卿に渡した。


「二、二億! 二億七〇〇〇万ラント!」


「貸金業者二十二業者より新規に調達した資金合計です。その額の一%がガーベル嬢の報酬」


「し、しかし額が・・・・・」


「これは正規の契約に則った報酬。これはご理解いただけますな」


「だが・・・・・」


 ここが勝負どころ。一気に認めさせてやる。


「いかなる理由があろうとも契約は契約。これを阻むことは何人たりともできません。ましてルボターナであるボルトン伯爵家との契約。よもやお認めにならぬと?」


「・・・・・いや、そうではない。認めておる」


 よし、一つ譲った。ボルトン家の名を最大限利用して認めさせる手法。卑劣と言われようと、交渉というもの、付け込めるモノはなんでも利用しなければならない。一つ譲れば二つ譲る。後は押すのみ。


「さすれば、ガーベル嬢は正当な契約に基づき、正当な報酬を得た事。これはお認めなさいますな」


「・・・・・認める。認めよう。しかしこのような多額を・・・・・」


「二七〇万ラントは、二億七〇〇〇万ラントに比べれば多額ではありますまい。ガーベル卿は御息女が安い仕事をなされたとお思いか」


 リディアが俺の左袖を見えぬように引っ張る。俺の攻めを危惧しての事だろう。だが今が攻め時、しっかりと認めさせる好機なのだ。


「い、い、いや、そ、そうではない。どのような仕事なのか書面では知り得ぬ事ではないか」


 狼狽しつつも、陣地を守るガーベル卿。冷静さは失ってはいない。さすがは宮廷騎士といったところか。俺はリディアとフレディの携わった仕事、金利計算について説明した。


 その上で計算仕事は貴族ができないこと、ボルトン家の動揺を避けるため家中の人間がたずさわれなかったこと、秘密を守らなければならなかったこと、緊急性を要したことを列挙した。そのような事情で、この仕事がフレディとリディアの二人にしかできなかったと話した。


「確かにこのような話、外部に漏洩させるわけにはいかぬ」


「その点、ガーベル嬢は資質、人柄を考えるに信頼すべき人物であると考え、お願いした訳であります」


「いや娘をそのように買われても・・・・・」


 ガーベル卿は明らかに困惑している。リディアが他の人間では携わることが難しい仕事をこなしたことを理解したため、娘を否定する事はできない。しかし認めると「返してこい」と娘を叱責した非を認めなければならなくなる。そのジレンマに気付いたようだ。


「君の家業なのだから、君の家の者が行えば良かったのではないか」


 苦しい。相当に苦しい。契約書に書いてあるではないか。アルフォード商会ではなく、グレン・アルフォードと。


「我がアルフォード商会は商人同士の仲介が仕事。この件はあくまで私グレン・アルフォード個人で行ったもので、アルフォード商会とは何ら関係ございません」


「なんと! 君の親は関わっていないというのか!」


「ザルツ、我が商会の当主は商人取引とは違います故、話すらも知りませぬ。私も当主ザルツがいかなる商いをしておるのか具体的に存じておりませんし、ザルツの側も私の動きを知ることはございません」


「ところで・・・・・ ザルツとはどのような方で」


 長男スタンが訝しげに尋ねてきた。なるほど、確かにそうだ。


「父です。現当主ザルツ・アルフォード。普段からザルツと呼んでおりますが」


「父親を呼び捨てに・・・・・」


 三人とも呆気にとられている。やはり親を呼び捨てにするのは相当インパクトがあるのか。


「ザルツは商人として優秀で、当主として度量があり、父親として立派。夫としても優れている。仕えるに相応しい尊敬すべき人物ですよ」


 俺がザルツ評を述べるとガーベル卿が言った。


「私の負けだよ。負けだ。娘が、リディアが正当に働いて得た報酬だということを認めよう」


「お父さん・・・・・」


「お前が過った方法で得たものではないのは分かっておる。しかしあまりにも額が大きすぎるではないか。それは不相応なもので身を滅ぼす元。だから返すように申し伝えたのだ」


 分かっていた事ではあるが、ガーベル卿はリディアの事を思って言った。正確にはリディアの事を思ったつもりで言ったのである。


「しかし今日、お前はとんでもない人物を連れてきた。私ではとても太刀打ちできる相手ではない。認めよう」


「じゃあ、お金は・・・・・」


「認めよう。お母さんに預けるつもりなら預けなさい」


「お父さん!」


 リディアは感極まったのか涙を流した。ガーベル卿は自身の過ちを認めたのである。

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