193 『勇者の指輪』
正嫡殿下アルフレッドが俺の手の平に載せた指輪。それは紛れもなく『勇者の指輪』だった。殿下の髪の毛と同じ群青色をした宝石が渋い光沢を放っている。しかしこれは正嫡殿下アルフレッドの証。こんなもの、とてもじゃないが受け取れない。
「殿下! この指輪は受け・・・・・」
「受け取り給え、アルフォード。君がつけるに相応しい」
俺が断るのを察知していたのか、言葉の途中で遮られてしまった。
「しかし殿下。この指輪は勇者属性を持つ殿下がつけてこそ能力が発揮されるもの。私のような一介の商人がつけても・・・・・」
「アルフォードよ。いくらその属性を持とうと、その
「殿下・・・・・」
いや、言いたいことはよく分かるが、そんな事をしたらエレノ世界の秩序が成立しない。世界観が崩壊してしまう。
「この指輪の意味、私は分かっているつもりだ。だからこそ言うのだ。アルフォードよ、この指輪を受け取り、身につけるのだ」
殿下は俺の左手に拳を作らせ、指輪を握りしめさせる。そして俺の左手を両手で握った。
「受け取るがよい。右手の薬指につけるのだ」
殿下の決意は固いようだ。ここは一旦受け取って引き下がるしかないか・・・・・
「謹んで頂戴します」
「うむ」
俺が頭を下げると殿下は大きく頷いた。
「デビッドソンよ。貴公と父君の行動、不名誉を恐れず勇敢であり賞するに値するものだ。私の方からもヘルメス大聖堂に申し伝えようぞ」
「はっ。勿体なきお言葉」
フレディは恭しく頭を下げた。感激しているようである。
「アルフォードよ。代わりと言ってはなんだが、一つ願いを聞き入れてはくれぬか?」
「はっ」
一体どのような望みなのか・・・・・
「ピアノを聴かせてはもらえぬか」
えええええ! なんで知っているんだ?????
「実は以前、器楽室で演奏している姿を見てな、相当な腕前を持っていると確信したのだ」
ああ、器楽室で練習していた時に見たのか・・・・・ いや、見られていること全く気付かなかったよ、俺。まさか殿下に見られていたとは。
「ちょうどロタスティにピアノがある。あそこで演奏するというのはどうか」
いやいや、勝手に演奏する話になっているぞ。
「あのピアノは全く弾かれていないため、調整が・・・・・」
「ならば調整すれば弾けるのだな」
どうしてそうなる。
「皆もアルフォードの演奏が聞きたいであろう」
殿下の呼びかけに「はい」「是非にも」「聞きたいです」と答える面々。不安そうな顔をしているのはアイリぐらいなもので、クリスに至っては目を輝かせていた。とても人に聴かせられるような
「アルフォードよ。放課後に演奏会を開催しようではないか。ピアノの調整は手配しておこう」
いつの間にかピアノの演奏会が設定されてしまっていた。日程は追って決めるという話になる一方、曲目は殿下から器楽室で練習していた曲を、という大変アバウトなリクエストを頂いた。大体の話が終わって説明会もこれにて終了、というところでアイリが声を上げた。
「・・・・・コルレッツさんはどうなったのですか?」
アイリが心配そうに聞いてきた。立ち上がって帰ろうとしていた皆の動きが止まる。やっぱりそこが気になるのか、アイリは。
「退学手続きの際、学園側から斡旋業者に連絡があって、最後は馬車で引き取られた。雇用先が支度金と部屋を用意している。本人も納得済みという話だ」
「それって!」
レティが何かに気付いたようである。俺は説明を続けた。
「前、コルレッツが「セタモーレ」って名前で働いていたお店だ」
「やっぱり! だったら稼げるよね。心配しなくてもいいわよ、アイリス。図太く生きていくから、絶対」
レティの言葉にアイリは安堵の表情を浮かべた。
「それはどのような仕事なのだろうか?」
フリックが聞くとレティがつかさず答える。
「男の客をおだてまくって、高い酒を呑ませる仕事よ。高ければ高いほど報酬が上がるの。コルレッツが一番得意な仕事。天職よ!」
話を聞いた一同が一斉に笑い出した。なんという説明をするんだ、レティは。仕方がないので、俺が補足する。
「コルレッツはシーズン中そこで一〇〇万ラント以上売り上げたらしい。仕事仲間からの評判も上々だったそうだ。ただレティと競争したらレティの方が勝ちそうだが・・・・・」
「えええ、どうしてよ!」
「だって俺に一番高いワイン買い漁れ、って言ってるじゃん」
「・・・・・」
レティは顔を真っ赤にした。場は大きな笑いで包まれている。
「だって、あれが呑みたいなぁ、って言ったら買ってくれるからじゃない!」
「『シュタルフェル ナターシュレイ』や『マクシミーダ ジェラトル』は言ってすぐに手に入る銘柄ではありませんね」
「・・・・・」
クリスの言葉にレティは固まってしまった。皆の笑いが止まらない。
「せびる術はコルレッツと双璧。総合力じゃレティの方が上のはずだ」
俺が力説する中、説明会は無事に終わった。
――俺は寮の部屋で一人チビチビとワインを飲んでいた。酒の肴は机の上に置かれた『勇者の指輪』。正嫡殿下アルフレッド専用アイテム。それを殿下は俺に「下賜」された。これをどう捉えればよいのか。
『勇者の指輪』。装備する者の各ステータスが上がり、攻撃回避力と魔力のレベルがアップする特殊アイテム。但し、装備して効果があるのは勇者属性を持つ者のみ。そしてエレノ世界で勇者属性を持つ者はただ一人、アイテム所有者の正嫡殿下アルフレッドだけである。それ故に『勇者の指輪』は正嫡殿下の専用アイテムなのである。
だから勇者ではない俺が装備したって意味がないのだ。大体で商人属性を持つ勇者なんて、そんな無茶な設定なんて聞いたこともない。正嫡殿下はアイリ、レティ、クリスと並んで『
それなのに指輪を外してしまったら、物語のリングから降りたのと同じになってしまう。まして残された者は全員女の子。それでは恋愛がテーマの乙女ゲームが成立しないではないか。
確かに俺が今いるリアルエレノは、ゲームとは全く違う方向に話が進んでしまっている。まず正嫡殿下とクリスの婚約そのものが成立していない。二人のヒロインと六人の攻略対象者との関係が全く進展しない。しかもそのうちの一人は人間を辞めて、現実世界という異世界に飛ばされた。
対立しているはずのヒロイン達とクリスは仲良くなっているし、ブラッドとリンゼイという二人の攻略対象者は、コルレッツというモブ外の人間にやられている。ここまでシナリオや登場人物設定が叩き潰されてしまっていると、かえって清々しい気分になる。
学園入学当初、俺はモブ外だからシナリオがどうなろうと無関係だと考えていたのだが、これまでの経緯を考えると、とてもじゃないが無関係だとは言えない。というのも、俺が様々な形で絡んでしまっているからだ。『勇者の指輪』の件だって、殿下や従者フリックとの絡みの中で起こってしまったことなのだから。
絡みと言えば、明日だってリディアの父親であるガーベル卿との話し合いが待っている。これもボルトン伯爵家との絡みの中で起こっていること。俺が学園に来たことで、乙女ゲーム『エレノオーレ!』の登場人物との絡みだけではなく、モブとの絡みができて、それが更に違う絡みを生み出しているのではないか。そんな気がする。
しかし明日に会う堅物親父であろうガーベル卿はどんな人物なのだろうか。少なくとも俺みたいなタイプではなさそうだ。騎士というのだから、宰相閣下の従者であるレナード・フィーゼラーのように体格のよい人物か、それとも白い口髭を蓄えたファリオさんのようなタイプか。ま、ボルトン家の名前を使うのだから、少なくとも門前払いはされないだろう。
ガーベル卿は宮廷騎士ということなのだが、どんな仕事に就いているのか分からない。娘のリディアが知らないのだから、こちらが分かるはずがないのだ。親なのに何故知らないのだ? まぁ、知らないのをどうこう言っても仕方がない。しかしリディアの席次、クラスの末席、を見るにそれほど身分の高い騎士ではなさそうだ。
とはいっても、寮の部屋の隣にいるクルトのケースであれば、父親のジェフ・ウインズは宰相府の少壮官僚。現実世界だったら高級官僚だ。しかも宰相補佐官アルフォンス卿に近い有望な官僚。学園での家の席次が低いのは、ジェフ・ウインズが自作農の子であったからな訳で、家と個人の資質はまた別の話。さて、ガーベル卿がどんな職なのか。
俺はグラスを持ちながら、目の前にある『勇者の指輪』に目を転じた。俺はこの『勇者の指輪』をどう扱えば良いのか。この指輪をつけたって現実世界に帰られる訳ではない。しかし正嫡殿下は俺に効果がなくとも『勇者の指輪』をつけろと言った。渡された以上、つけないといけない。俺はグラスに入っていたワインを飲み干すと天を仰いだ。
――翌日、俺は商人服に身を包み、リディアと共にガーベル家に向かっていた。黒塗りの馬車にはボルトン伯爵家の紋章が掲げられている。俺がボルトン伯爵家の代理人という身分でガーベル家を訪問するからだ。リディアが恐れる父ガーベル卿、おそらくリディアの同級生というだけでは話どころか会ってさえもらえないだろう。
出発前、リディアは心細いからだろう、フレディとの同行にこだわった。しかしフレディは難色を示す。今まで会った事すらないのに、こんな席で押しかけたりしたら、できる話もできなくなるとリディアをなだめたのである。リディアはああだこうだと子供のように駄々をこねたが、最終的にはフレディの話を受け入れた。
リディアが嫌々ながらも受け入れたのは、フレディが「今日の話がダメになったら、僕たちの話も難しくなるよ」という、ある意味殺し文句で黙らせたからである。そして「だからグレンの言うことを聞いて、お父さんを納得させてきてくれ」と送り出されたので、リディアはなんとしても父親を説得しなければと息巻いた。
とは言うものの、馬車が実家に近づくにつれ、リディアは全く話さなくなってしまった。リディアは本当に父親を恐れているようだ。しかし普段は快活なリディアが、これほど緊張するとはどんな父親なのだろうか。
ガーベル邸は王宮からほど近い騎士階級や貴族の邸宅が並ぶ区域の一角にあった。地主や官吏が住む地域にあったウインズ家よりも学園からは近い。普通の馬車で一時間半程度、直線距離で十キロ程度か。街中の馬車は安全のために遅く走るので、大体こんなものである。
馬車はガーベル邸の中に入っていく。騎士の家といいつつ、二頭立て四人乗りの貴族用馬車が入るわけで、邸宅内は中々広い。建物の玄関前には騎士の装束に身を包んだ三人の人物が立っている。正面から見て一番右の人物。中肉中背の中年騎士、あれがガーベル卿か。隣に並んでいるのがリディアの長兄と次兄のようだ。両方とも父より背が高い。
馬車が静かに停車する。流石は貴族の馬車。止まると御者が扉を開けてくれた。今日はボルトン家の代理人という立場。開けてもらわないと格好がつかない。まずリディアが降り、次に俺が馬車から降りる。俺はリディアと共にガーベル卿と向かい合わせに並ぶと名乗りを上げた。
「ボルトン伯爵家が代理人、グレン・アルフォード。ガーベル卿にお伝えしたき事があり参上した」
「エリック・ガーベルと申す。本日は我が家へ足をお運び頂き恐縮次第。どうぞお入りください」
俺はガーベル卿から邸内に促された。想像したものと違うからだろう、狐につままれたような顔をしているリディア。そのリディアに目で合図をすると、俺とリディアはガーベル邸に入った。
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