191 さらばコルレッツ
父親からボルトン伯爵家の報酬を返してこいと言われたリディア。リディアから家の状況についてあれこれ聞きたいのだが、リディアの落ち込みが激しく聞けるような状態ではない。仕方がないので次に知っているフレディからと思うのだが、これが大変。普段からリディアはフレディを中々離そうとしないからだ。リディアは寂しがり屋なのである。
そこで授業中、フレディと手紙の回し合いをして、放課後に中庭で落ち合うことを確認した。何か学生時代にこんな事をした記憶があるが、まさかエレノ世界でするなんて思いもしなかった。青春やんか、これ。魔装具で早馬を呼び、リディアが書いた母親宛の封書を託したので、今日中に返事が来るだろう。リディアとの話はその後、明日になりそうだ。
学園の告知板に三つの通知が張り出されたのは昼休み。俺がそれを知ったのはアーサーといつものように昼食を摂っている最中のこと。アーサーからボルトン家の陪臣キコイン男爵が『投資ギルド』のワロスとの協議のため、上京してくるという話をしている時だった。
アーサーによるとミスリル鉱石の精錬所建設にあたって、詰めの協議をする為の王都入りとの事で、アーサーも共に立ち会う事になっているらしい。そんな話をしていたところに、朝の鍛錬で顔を合わせているジェファーソンが、わざわざ俺の元にやって来て教えてくれたのだ。
「告知板にコルレッツやオルスワードの件が張り出されているよ」
「お、そうなのか。教えてくれてありがとう。恩に着るぜ!」
「いやいや。この前の決闘賭博も勝たせてもらったし、感謝しているよ」
そう言ってジェファーソンはにこやかに立ち去った。前はフェリスティームが『ジャンヌ・ソンタクズ』の一員ケンドールについて教えてくれたし、朝の鍛錬で顔を合わせる面々と話をしている訳ではないが、少しずつ距離が縮まっているように思う。人間毎日顔を合わせると情が湧くものか。俺とアーサーは配膳を片付け、急いで告知板に向かった。
「コルレッツが退学!」
告知板を見てアーサーが驚いている。コルレッツの件とは、コルレッツの退学についての通知だったからである。「ジャンヌ・コルレッツは学園在学資格を喪失した事により、退学とする」という、短く事務的で無味乾燥な文章。退学処分でも自主退学でもない「退学とする」という一文が、対応の冷たさを強調している。
(これで終わったな)
俺はコルレッツとの戦いが終わったことを実感した。処分されること、処分が決まったことは前から知っていたが、こういう形で張り出されると実感が湧いてくる。しかしコルレッツの方はといえば、新しい人生をスタートさせており、既に切り替えができている。その点から見れば、この通知は形だけのものと言えよう。
二つ目の通知はオルスワードの退職についてである。退職も何も、オルスワードはエレノ世界から見れば異次元の世界、俺の居た現実世界に吸い込まれていった訳で、こちらには影も形も存在しない。決闘の条件とはいえ、これも現状の追認のような形だ。
そして残る一つの通知は決闘仕置の未履行条件、アイリに対するコルレッツ及びコルレッツ代理人の謝罪の件に関するもの。謝罪する中心人物であるコルレッツが退学となった為に代理人のみでの謝罪となる事と、代理人の代表者を子爵嫡嗣リンゼイ・ラーキス・フィングルドン、つまり悪役令息リンゼイと定める事が書かれていた。
「謝罪の件はどうなるのかな」
「リンゼイ待ちだよな、これは」
俺はそう答えた。ドーベルウィンの時には色々あったが、最終的にドーベルウィン伯からの通知で謝罪の席が設けられることになったからである。今回も相手側、新たな代表者に指名されたリンゼイの側から、こちらの方に通知してこなければ動きようもない。告知板に張り出された通知を見ていると声を掛けられた。
「グレン、少しいいかな」
振り返ると正嫡従者フリックだ。どうしたんだろうか。
「殿下が君から話を聞きたいと申されている。同行して頂いても構わないか?」
改まった口調でそう告げるフリック。任意のように聞こえるが、ここはエレノ世界。厳然たる身分社会、殿下からの要望を断るような選択肢はどこにもない。アーサーが俺も同行して良いかとフリックに問う。するとフリックは了と答えたので、俺とアーサーはフリックの後ろに付いて行った。
フリックは俺たちを校舎裏に案内する。学園でも人影少ないポイント。校舎裏にはちょうどいい間隔で木が植わっていて、その内の一本の木陰に群青色の髪の毛の男子生徒、正嫡殿下アルフレッドが立っていた。脇には従者エディスが慎ましく控えている。
「よく来てくれた。アルフォード、ボルトン卿」
正嫡殿下は貴公子然とした振る舞いで、頭を下げる俺とアーサーに声を掛けてきた。気にかかるのはアーサーよりも俺の方を先に呼んだことで、厳しい身分社会のエレノ世界では通常あり得ないこと。まぁ、校舎裏という完全非公式の場であるから構わないのかと思った。フリックがエディスと並んで殿下の背後に位置する。従者のポジションだ。
「この度の決闘、誠に立派な戦いであった」
「お褒めいただき光栄にございます」
頭を下げ、殿下からの言葉に型通りの言葉で返す。俺は商人だから、こういうやり取りの場における、気の利いた言葉使いを知らないので、これ以上の対処法がわからないのだ。ただ正嫡殿下からは、俺への敵意や悪意は全く感じられない。
「アルフォードに問いたいのだが、この度の決闘と
「お察しの通りにございます」
殿下の手前、嘘は言えない。よって問いかけにはそう答えるしかなかった。一連の決闘話とコルレッツ退学の件は、関連しているどころか一体のもの。コルレッツの事に関しては殿下も当事者。事情を知る立場にあるわけで、決闘経緯とコルレッツの退学が繋がりがあると察しが付くのは当たり前の話か。
「ボルトン卿は存じておるのか?」
「私の方は何も聞かされておりません」
「ほぉ。ボルトン卿であってもか!」
「おそらく先日の決闘でパーティーを組んだ者も聞かされていないと推察しております」
「なんと!」
おいおい、アーサー。何を言っている。話を拡散させてどうするつもりだ!
「私見ではございますが、おそらくは
アーサーの言葉に何かを考えているような正嫡殿下。思考が終わったのか、俺に向かって問いかけてきた。
「アルフォードよ。ボルトン卿の今の話、事実であるか?」
「・・・・・事実でございます」
何を言わせるつもりだ、アーサー!
「ならばその話、いま私一人が聞いても、また同じ話を人に話さねばならぬな。ならば場を設け、関係のある者に集まってもらい、皆で話を聞くというのはどうだろうか」
えええええ。なんでそんな話に変わるんだよ。
「それならばアルフォードに要らぬ労をかけさせずに済むというものだ。どうだボルトン卿」
「妙案にございます。私めも皆に声を掛けたく思います」
「ならば明日の放課後、貴賓室ということでどうか。フリックよ」
「はっ。仰せのように」
「アルフォードよ。仔細はその時に聞かせてもらおう」
殿下はそう言い残すと、従者を従えこの場を立ち去った。なんでこうなった! 隣で立っているアーサーはニヤリと笑い「グレン、楽しみにしているぞ!」と力強く言ってきた。いやいやいや、楽しむような内容じゃねえぞ。俺は大きくため息をついた。
放課後、約束通り中庭でフレディと落ち合った。リディアの家族の事について聞くためである。今日のリディアは束縛がキツかったらしい。父親に怒られたことがショックだったのだろう。というわけで、あまり長く話せないなということになり、手短に話をすることにした。
まずリディアには二人の兄がおり、長兄は近衛騎士団に属しているが、次兄は現在家で鍛錬しているという。就職浪人って奴か。母親は専業主婦で母娘仲は良く、フレディの事は知っているそうだ。ただ問題は・・・・・
「リディアはお父さんをすごく恐れているんだよ」
聞かなくても分かる。二七〇万ラントのカネを見ても躊躇なく「返してこい」というぐらいなのだから。普通八〇〇〇万円なんて額を見たら、ぐらつくはず。王宮出仕の騎士がこの額を稼ぐのに何年勤務しなければならないのかを考えれば、ぐらつかないほうがおかしい。それが揺るがないというのだから、相当堅い人物だと考えて間違いないだろう。
リディアの家は中にまで馬車が入る事ができる広さだが、フレディはリディアを馬車で送った際、一度も敷地内に乗り入れた事がなかったとの事。リディアが父親を恐れていた為、入れなかったのである。あれやこれやと話を聞き出したのだが、リディアの警戒を恐れたフレディが、もう時間だと足早に立ち去っていった。あれは嫁に尻を敷かれるなぁ。
殿下が主催する「決闘と
「レティシアも参加すると言っていました」
アイリはレティから話を聞いたということで、おそらくアーサーからレティ、レティからアイリの順で話が流れてきたのだろう。しかし俺の知らぬ間に、強固な情報伝達網が構築されていたようである。レティが出てくる以上、アイリが出席するのは言うまでもない。
「隠すつもりはなかったんだ。ただ言うタイミングが・・・・・」
「分かっています。決闘の話でそれどころの話ではなかった事は、みなさんも承知されていると思いますよ」
言い訳がましい俺の弁明に、アイリはにこやかに返してくれた。
「ですので明日は正直に、全てお話しくださいね」
文言や声は柔らかく、表情も優しいのだが、限りなく脅迫的なアイリ。隠し事を極端に嫌うんだよなぁ、アイリは。今回の件で隠すことは何もないので、その点は問題がない。しかし、もし隠そうものなら何をやってくるのか分からない恐怖がアイリにはある。その辺り、線引きのあるクリスやレティとは大違いだ。
「あのぅ、『癒やしの指輪』もクリスティーナのつけていた『
「えっ?」
俺は思わず声を上げた。『癒やしの指輪』には守護神とかそんな設定はなかったはず。まぁ、『
「一度やってみましょう!」
アイリはおもむろに立ち上がってこちらにやってきた。それにつられて俺も席を立つ。向かい合う形となると、アイリは右手の甲をこちらに見せた。
「グレン。握って」
俺は言われるままに、アイリの右手を握りしめる。
「聞こえる?」
「何も・・・・・」
「そうなんだ・・・・・」
残念そうなアイリ。すごく子供っぽい仕草。そしてアイリは左手で俺がアイリの手を握っている右手を掴んだ。
「捕・ま・え・た・!」
両手で俺の右手を包み込むアイリ。まさか最初からそのつもりだったのか・・・・・
「私の指輪は何も聞こえませんが、グレンが見つけてくれたものに代わりはありませんから」
アイリは俺を見つめながら、両手で俺の右手を引き寄せギュッと握りしめた。まさか・・・・・ クリスへの嫉妬なのか。アイリの微笑みの裏側に隠されている心情を読み解く術が俺にはなかった。
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