190 「このはしわたるべからず」

 初めてここに来た時からそうだったのだが、『信用のワロス』に来ると、エレクトーンと木琴シロフォンが響く謎の曲が頭に流れてくる。今回もそうだ。エレクトーンといっても今のデジタルベースの音色じゃなくて、アナログチックな昔の電子オルガンそのものの音色、だから頭から離れない。


 しかしあの曲はアナログ式エレクトーンのはずだ。小さい頃、実機で聞いたことがある。エレクトーンも電子オルガンの一種だからな。音が違うんだが、興味のない人が聞いても分からないだろう。


(『このはしわたるべからず』)


 『信用のワロス』の前に流れる小さな川に架けられた橋。その橋の横の立て札に書かれいる文言がそれだった。橋の向かいにはいつの間にかマーチ・ワロスがいて、腕組みして立っている。


(しかしこれはマジモンのアカンやつや)


 まさか小さい頃に見た将軍様が出てくる淫欲坊主の物語が、エレノ世界に現れるなんて思いもしなかった。俺の脳裏に流れる曲がなんだったのか、俺はずっと分からず、『ワロスのテーマ』と名付けていたが、何のことはない。作麼生そもさん説破せっぱとやり合う、淫欲坊主のテーマソングのアレンジだ! やりやがったな、エレノ製作者め。


「アルフォード様、どうなさいましたか?」


 橋の向かいでは、マーチ・ワロスが意地の悪い顔をして待ち構えている。渡れるものなら渡ってみろ、といった感じだ。しかしこちらには子供の頃に見た、膨大な無駄知識がある。知識が使えるならば俺に敗北はない。俺は堂々と橋の真ん中を歩いた。


「あああああああ!」


 マーチ・ワロスは不平を鳴らした。


「アルフォード様。あの立て札、読まれなかったのですか?」


「読んだから渡っているんだよ」


「橋を渡るなと書いてあるではありませんか!」


 マーチ・ワロスが怒りを露わにした。俺の脳裏に流れる木琴シロフォンが更にテンションが上がっている。


端っこ・・・を通るな、と書いてあるから真ん中を通ったんだ」


「なんですって!」


「俺は書かれた通りに歩いただけだ。でもな、あんな屁理屈ねてたら、新右衛門さんに嫌われるぞ!」


 マーチ・ワロスの顔が引きつった。間違いない、マーチは新右衛門さんを知っている。普通のエレノ住人が新右衛門さんなんて知っているはずがないからな。間違いない、マーチも転生者だ。


「アルフォード様はどうして新右衛門様をご存知なのですか?」


「いや、新右衛門さんの子孫を知っててな」


「えええええ!!!!!」


 確か格闘家かなにかをやっていたはずだ。呆気にとられているマーチ・ワロス。マーチに格闘家について説明してもおそらく理解してもらえないだろう。というわけで、そのマーチを尻目に『信用のワロス』に入った。マーチも黙って俺の後をついてくる。


 この一戦、俺の完全勝利だな。現実世界では全く役に立たないムダ知識も、このエレノ世界では役に立つこともあるって事だ。事務所の中に入った俺は、ドカッと応接セットの椅子に座る。


「お前の親父も将軍様と悪巧みができなくてつまらんだろうな」


「最近は、アルフォード様と悪巧みができて楽しそうですよ」


「俺は義満公じゃねえぞ!」


「悪には変わりありませんわ。お父様だって言っていましたもの。「悪党同士、あの頃よりも張り合いができた」って」


 アチャー! この性格の悪さ、まさに桔梗屋の娘だよな。まぁ、あのアニメ、内容がブラック過ぎて、本当はとても子供向けと言えるような内容ではなかったから、無理もないか。


「アルフォード様があんなに意地悪な人だとは思いませんでした」


 ムスッとした顔で答えるワロスの娘マーチ・ワロス。黙っていればキレイなのに性格に難ありだな、こりゃ。しかし新右衛門さんの子孫の話を知らないということは、現実世界からの転生者ではなさそうだ。しかしその話は重要じゃない。俺はすぐさま話題を切り替え、学園生徒会への融資委託の件、いわゆる『緊急支援貸付』の話を切り出した。


「学園生徒会への貸付額が一七〇〇万ラントに減りました」


 マーチ・ワロスは要点を抑えながら説明してくれた。最盛期九〇〇〇万ラントに達した学園生徒会への融資額も、順調に減って現在では一七〇〇万ラントとなっていることから、多くの生徒が無利子返済を行ったということなのだろう。生徒会からの返済が増えたのはシーズン後ということなので、多くの生徒が休学中に金策に走った証である。


「こちらに預かっているお金は」


「約束通り半年後の返済でいいよ」


 俺の返事にマーチ・ワロスは頭を下げた。無利子の一億三〇〇〇万ラント、半年間で自由に運用すればいいと言ってるわけだから、喜ばない者はいないだろう。


「ジャンヌ・コルレッツへの徴収委託の件ですが、あれでよろしかったのですか?」


 コルレッツの借金額は以下のような構成だ。借入残金五八七万三六〇〇ラント、コルレッツ家の支払額一二六万五三七六ラント、今回の騒動に関連した手数料七万六〇〇〇ラント、俺とデビッドソン司祭の活動費四五万四二九二ラントの計七六六万九二六八ラント。これに加えて『信用のワロス』が受け取る徴収委託料三八万三四六三ラントが乗る。


 総合計八〇五万二七三一ラント。日本円にしておよそ二億四〇〇〇万強。十五、六の子が背負うような借金じゃないが、コルレッツが我欲で『世のことわり』を捻じ曲げた代償がその額ということになる。若気の至りでは片付けられない。


「ああ、頼むよ」


 『信用のワロス』が受け取る徴収委託料も俺が建て替えての先払い。もちろん負担は全てコルレッツに回る。回るが利払いはゼロなので、実はこのやり方の方がコルレッツの負担は少ない。しかしかかった費用はしっかり払ってもらう。俺は少し気になった事を聞いてみた。ここに来た時に見た、カジノの客数についてである。


「減っていましたが、最近増えているようですね。それが何か?」


「いや、どうしてなんだろうって・・・・・」


 俺の疑問にマーチ・ワロスは少し困惑した表情をする。カジノ客が『信用のワロス』にカネを借りに来ている訳でもないので、特に興味もなかったのだろう。だがマーチは「一度調べてみましょう」と応じてくれた。その後、俺とマーチは今後に向けた様々な確認事項について協議を続け、その全てが終わると俺は立ち上がって言ってやった。


「オイタが過ぎると良くありませんぞ、弥生殿」


 マーチ・ワロスの驚いた顔が美しかった。エレクトーンの音の謎が氷解した俺は、すっきりした気持ちで歓楽街の馬車溜まりに向かうことができたのである。


 ――ケルメス大聖堂の話を思い出す。オルスワードがやらかした『ゲート』の話を餌にして転生の儀式について聞こうとしただけだったのだが、予想以上の戦果を得られた。転生の儀式で召喚された魂は役目を果たせば帰ることができる。枢機卿の話を鵜呑みにすれば、ゲームがエンドを迎えるとき、俺は帰ることができる事になるわけだ。


 ならば無理矢理『ゲート』を開けず、ゲームエンドまで待つという選択肢もある。オルスワードは人間を辞めて『ゲート』をこじ開けた挙げ句、現実世界に吸い込まれて終わった。あれでは、仮に現実世界に戻ることができても後の保証が皆無じゃないか。正直、リスクが大きすぎる。


 俺は当初、『ゲート』はゲームのバグだと思っていた。そこを突いてバグを起こし『ゲート』を開く。それが俺のイメージしていた帰還戦略だった。この考えに基づき、それらしい情報があるだろうと思って学園図書館の本を読みまくったのだが、これまでナシのつぶて。全くと言っていいほど成果は上がっていない。


 代わりに全く関係なさそうな、クリスとのクラウディス地方の旅の中であるとか、フレディとの共同行動で大成果を得るという、実に分からない展開となっていた。しかしその成果も、俺が学園に入っていなければ得られなかった訳で、戦略そのものは間違っていなかったと言えるだろう。


 だが、ゲームのエンドとは一体どれを指すのだろうか。アイリのエンドなのか、レティのエンドなのか。というより、二人とも攻略対象者と深い仲になっていない。アイリに至っては俺と仲が深まってしまっている。今更、攻略対象者とアイリを仲良くさせるのは多分不可能。俺は知らぬ間に大変なことをしてしまったようだ。


 ここは仕方がないので、レティと攻略対象者の仲を取り持つしかないだろう。しかしオルスワードはこの世界から消え、天才魔導師ブラッドと悪役令息リンゼイは俺が轟沈させてしまった。残るは正嫡殿下アルフレッド、剣豪騎士カイン、正嫡従者フリックの三人だが、正嫡殿下との距離は遠すぎる。めあわせるならばカインかフリックしかない。


 しかしどちらもリアルレティと合いそうにないんだよなぁ。それどころか俺と合いそうなくらいだし、困ったものだ。何かイベントをでっち上げて親密度を高める工作をしないと、とてもくっつきそうには思えない。俺、恋のキューピットみたいな、そんな事やったことないし・・・・・ て言うか、表現がおっさん過ぎて、まずダメだわ。


 レティの事は改めて考えよう。あいつも今はミカエルの襲爵の話で頭がいっぱいだろう。そんな中でよく決闘に出場して頑張ってくれた。そして決めたのはなんとレティだったのだから、上等のワインを贈って慰労してあげなきゃいけないな。


 ――学園執行部と教官がまさかの総リタイヤで長期休学した学園。俺は残り三日の休みを鍛錬、ピアノ、そして学園図書館での調べごとに費やした。ピアノは決闘中、俺の脳内に流れ続けていた「時代劇のコッペパン」の曲と、昔の戦艦モノに使われていた「なんちゃら要塞」の二曲。屋敷のフルコンで鳴らし続け、脳内により深く刻まれてしまった。


 一方、図書館ではケルメス宗派の事と古代魔法の事を調べた。宗教について調べるというのは現実世界ではいかがわしいものを調べるのと同じ扱いだったが、こちらでは一般的な事。エレノ世界と文化の違いを改めて実感する。一方、古代魔法の方はオルスワードのような教官がいるからだろう。魔法に対する感心や興味の高さから、蔵書数が多いようだ。


 しかしこれまで『ゲート』というあいまいなモノを調べていたからか、手がかりも特になく記述を探すのがすごく大変だった。しかしこの前の凶作について調べたときと同じく、キチンと認知されたワードについて調べるときは本当に楽である。これといった決め手になる情報はないが、何かあったり起こったときには役に立つだろう。


 ようやく学園も再開した平日初日。俺は教官室に乗り込み、オルスワードの書類一切を『押収』した。以前のように高圧的に迫ってきたり歯向かってきたりする奴はいないが、どのような権限で持っていくのかと問う者がいたので、ラシーナ枢機卿が渡してくれた教会からの委任状を見せると固まってしまい、しばらくすると引き下がってしまった。


 この教官室への踏み込みで『押収』したものは、オルスワードの机、本棚、書類等、本人関連のものに留まらなかった。どさくさ紛れに『教官議事録』も押収してやったのである。いやぁ、これで教官連中がどのような経緯で、俺に対してあからさまな態度を取るようになったのか明らかになるだろう。ラシーナ枢機卿に感謝である。


 俺はフレディに朝の戦果を語ってやろうと意欲満々、気分良く教室に入った。だが、教室に入って席につくと、フレディとリディアの様子がおかしい。いつも噂話で元気なのに一体どうしたというのだ。しかしリディアに聞いても答えない。だからフレディに話を振った。


「・・・・・リディア、親父さんに怒られたようなんだ・・・・・」


 なに? 聞くとリディアは学園が休学になったので、実家に戻ったらしい。そこで母親にお金、ボルトン家で仕事をしたときの報酬を預けたところを父親に目撃されて、怒られたというのである。


「そんなお金、返してこいってお父さんが・・・・・」


 はぁ? そんなカネだと! カネにそんな・・・こんな・・・もあるか! カネに貴賤はない。なにナメたこと言ってやがるんだ! 泣きそうな顔のリディアを見て無性に腹が立ってきた。


「リディア。お父さんはいつ帰ってくる?」


「分からない。家にいないから」


「たしか・・・・・ お母さんは家にいるよな、リディア」


 フレディの問いかけにリディアは黙って頷く。


「お母さんとは話せるのか?」


 リディアは二回首を縦に振った。母親とは普通にやり取りできるようだ。


「じゃあ、リディア。お母さんに手紙を書いて、普段、お父さんが帰ってくる時間を教えてもらってくれ。早馬を出して、すぐに返事をしてもらうようにするから」


「どうするの、グレン?」


「心配するな。俺がキチンと話をするから」


 不安そうなリディアに俺はキッパリと言った。リディアにはいっぱい助けてもらっている。このケジメ、俺がしっかり取らせてもらおう。

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