189 黒屋根の屋敷

 翌日、クリスらと寮の裏側で待ち合わせをした。トーマスが場所を知っていたので、クリスとシャロンを連れてきてもらったのだ。クリスは初めて来た場所らしくキョロキョロしている。こういうクリスは可愛らしい。木々の向こうには黒屋根が見えるので、あそこが俺の屋敷だというのは、トーマスの話から知っているのだろう。


「ここから行くのですか?」


「ああ。いつもここからなんだよ」


 俺は【収納】で魔装具を取り出すと、魔導回廊を開放する。何もないところから学園と屋敷を繋ぐ道が現れた。


「わぁ」「何、これ」


 シャロンとクリスが驚いている。驚くのも無理はない。俺も最初ビックリしたんだから。


「さぁ、行こう」


 回廊を通り抜けると屋敷の敷地に入った。みんなが通った後、魔導回廊はスッと消え去り、何事もなかったように普段の光景に戻る。俺はみんなを屋敷の中に案内する。


「まぁ。立派なエントランスね」


 両階段がある吹き抜け構造のエントランスを見て、クリスは感心している。


「商人らしく飾りっ気はゼロなんだ」


 全くその通りで、管理に手が掛かりそうな調度品はリサによって全て撤去されたのだ。おかげで広くはなったのだが、貴族の屋敷と比べ殺風景なものとなっている。クリスの家、ノルト=クラウディス公爵家の王都の屋敷には、各所に絵画、彫刻、花が飾られていたのだが、この黒屋根の屋敷は皆無なので、少しやり過ぎたかもしれない。


 ただ今の所、屋敷に住んでいるのがリサのみ。俺もここに来ているのはフルコンを弾く時と書類整理の時に限られるわけで、屋敷の清掃等、人に頼むものを最小限にした結果こうなったと言える。


「使用人はいないのですか?」


「うん、いないよ。手入れは業者が週何日か来訪してやってるんだ。だから住み込みの人はいないんだよ」


「えっ。そうなんですか」


 そう答えるとシャロンは驚いている。貴族家の場合、執事長や侍女長といった家中の取りまとめ役を頂点として、組織化された管理者機構が存在しており、各実務責任者の元、多くの使用人が住み込みで働いている。シャロンの実家もそうした家。ところがこの屋敷では、そういった人がゼロだということに驚いているのだ。


「商人は実利しかないから、家の管理は基本外注なんだよ。貴族と違って主従の信頼関係というものが存在しないし」


「じゃあ、商人の結びつきはなんですか?」


「駄賃と分け前。つまりはカネなんだよ。カネが信頼関係を生んでいる。一方貴族の場合は「名誉」。この部分が違うよな」


 トーマスは俺の答えに納得したのか大きく頷いた。トーマスがノルト=クラウディス家、そしてクリスに仕えているのはまさしく「名誉」、誇りのためだからな。俺は両階段を上がり、みんなを執務室に案内し、応接セットに座ってもらった。早速クリスが聞いてきた。


「グレンはどうしてこの屋敷を持つことになったのですか?」


「学園に入った時にこの屋敷を見て気に入ったんだよ。使われていなかったから調べてもらったら、レグニアーレ候が所有しているということで、最初の価格の半値で譲ってもらった」


「半値で?」


「そう。最初一二億ラントって言われていたんだけど、俺が会いたいと言ったらさ、どんな奴かというので、仲介業者、ジェドラ商会のウィルゴットにレグニアーレ候が聞いたらしい」


「で、ウィルゴットの奴、何を思ったのか「正嫡殿下や公爵令嬢の知り合いです」なんてとんでもない説明するもんだから、レグニアーレ侯が慌てたらしく、半値でいいから会わないようにしてくれって言われたんだよ」


 トーマスとシャロンが俺の話を聞いて険しい表情となる。レグニアーレ候が宰相家と対立するアウストラリス派の有力貴族であるからだろう。しかしこの話、そんな真剣に考えるような話じゃないんだよ。


「まぁ、殿下やクリスのおかげで六億ラント得したとも言えるんだろうが・・・・・」


 俺がそうオチを付けると皆が一斉に笑い出した。


「お嬢様のお力で!」


 シャロンが一番ウケている。普段は沈黙の黒髪従者なのだが、実は笑い上戸。一度笑い出すと止まらないのだ。


「クリスとは話し始めた頃だったからいいとして、正嫡殿下なんか、あの群青色の髪の毛を見ただけだったんだぞ。それをウィルゴットときたら・・・・・」


「群青色の髪の毛って!」


 トーマスが更に吹き出す。いやいや、仮にも殿下だから、トーマスよ。


「でも六億ラントをポンと出すなんて、グレンらしいですわ」


 クリスは俺らしいと言ってくれた。いやいや、クリス。違うんだよ。こんなの成り行きなんだ。


「向こうじゃ、借金を抱えてまだ払っている状況なのに、こっちじゃ屋敷を即金だもんな。俺の人生って一体・・・・・ だよ」


「借金があるのですか? グレンに・・・・・」


「ああ、一二〇万ラントを三十五年返済で借りてるんだよ。月々四五〇〇ラントの返済。今、二十三年目だから、あと十二年あるな」


「そんなに長い年数を!」


「そうじゃないとカネが払えないからな。俺の稼ぎから考えて」


 クリスが驚いている。まぁ、こちらとは全てが違いすぎるんだよなぁ。


「夫婦で月三万ラントの稼ぎがあるが、保険や年金、税金に維持費、教育費で二万ラント以上がまぁ消える。月三、四〇〇〇ラントで暮らす日々さ」


 そう話すと皆がえっ、という顔をした。いやいやいや、俺はこちらの世界について妙な知識やスキルを身につけて、単に上手くやってるだけだから。素の俺なんてホントにダメダメなんだよな。俺自体がそう思っていても三人の捉え方は違うようだ。


 みんな、こちらの俺との違いに驚きつつも保険や年金、税金などについてあれこれ聞いてきた。話していくとどんどん理解していく。三人とも基本、頭がいいのだ。電気、ガス、電話、ネット、携帯等々の公共料金の話になると、更に興味を持って突っ込んでくる。みんな本当に好奇心が旺盛で、話していてすごく楽しい。ひとしきりこの話で盛り上がった。


「決闘の時の裂けた空。あれが前に言っていた『ゲート』ですか」


 ちょうど話題が途切れたとき、トーマスが唐突に聞いてきた。そういえば以前、トーマスと二人で喋っていた時、『ゲート』の話をしたよな。


「ああ、その通り。あれが『ゲート』だ。こちらの世界と俺の世界を繋ぐ門。ケルメス大聖堂で確認してきた。間違いない」


 みんなの顔つきが変わった。真剣な面持ちとなる。


「どちらの方が・・・・・」


「ラシーナ枢機卿とアリガリーチ枢機卿の二人だ」


 クリスが頷く。どちらの人物も知っているようだ。流石はクリス。公爵令嬢はダテじゃない。俺は枢機卿らから聞いた話をみんなに伝えた。オルスワードが禁止されている古代魔法を使ったこと、その古代魔法の代わりに大聖堂では召喚が行われていることである。


「・・・・・どうも六年前にケルメス大聖堂で行われた召喚の儀式で開かれた『ゲート』を通って、こっちの世界にやって来たようなのだよなぁ、俺」


「えええええええ!!!!!」


 三人は仰け反った。教会の上位者が言う話が元なんだから、驚くのも無理はないか。


「それで枢機卿はなんと」


 クリスがこちらを真っ直ぐに見てくる。怒っている訳でもないのだが、すごく怖い。


「俺の事は何も話していないよ」


「召喚された者はどのようになると」


 クリスは問いを変えない。最初から先のことを聞きたいのだ。俺はラシーナ枢機卿の言っていた通りの言葉を話した。


「「役目を果たされれば、魂はお帰りになります」と言われた」


「役目とはなんですか?」


「俺にもそこは分からない」


 トーマスからの問いに、そう答えるしかなかった。ラシーナ枢機卿が言う役目とはいかなるものかを聞いていないのだから。いや、本当の事を言えば聞かなくても分かる。役目とはゲームの終わりのはず。だから聞く必要がなかったのだが。


「枢機卿のお話は教会の方らしく、観念的で何を指すのか分かりにくい部分があるからぁ。聞いても分かりにくい」


 俺は敢えて本当の事を話して、真相を深く埋めた。そうしなければクリスとシャロンが何を言い出すのか分からなかったからだ。こういう場合、いくら隠そうとしても相手は察知してくる。佳奈もそうだった。ならばその領域に踏み込ませぬようにするしかあるまい。


 ――午後、俺は馬車で『常在戦場』の屯所に向かっていた。昨日、事務長のディーキンと話していたムファスタの冒険者ギルド自体を雇うという話に進展があり、責任者の選定ができて日程も決まったとの事なので赴くことになったのである。


 屯所に着くと、ディーキンが出迎えてくれた。見ると今日はむさ苦しい隊員が殆どいない。警備隊長フレミングの指揮の下、ダダーンことアスティンや白髭の盾術使いファリオと共に、新たに借り入れた駐屯所の整備業務に携わっているそうである。一方、団長のグレックナーはというと、本人は東部地域に出かけているそうだ。


「幹部候補の勧誘らしいですぜ」


 ディーキンがグレックナーの目的を教えてくれた。貴族に仕えている騎士を訪ねているとのことで、暮らしが立たない者や雇用が切れそうな者を誘っているそうだ。整った髭を持つ、盾の使い手ファリオのような人材なら安心して任せられるというもの。是非にも連れて帰ってきて欲しい。


 建物内の応接室でディーキンと協議していると二人の人物が入ってきた。一人は以前紹介してもらった青年剣士リンド。もう一人は初めて見る人物。年は壮年、髪は金髪、中肉中背だが、顔に傷跡がある。この手の物語に絶対出てくるタイプのキャラだ。


「ジワードです。かつてムファスタの冒険者ギルドに所属していたので、ギルド内の事情に精通しております」


 無愛想に頭を下げるジワード。このジワードに青年剣士リンド以下、腕の立つ者を二人つけ、四人でムファスタに向かい、冒険者ギルドとの交渉に臨むのだという。ジワードの話では、力を見せた方がスムーズに交渉ができるとの事。俺は【収納】で大金貨五〇枚、五〇〇万ラントを机の上に出すと、それを見た二人は驚いた。


「ムファスタの冒険者ギルドを是非雇用してきて欲しい」


「ギルドごと雇うなんて面白いことを考えますなぁ」


「レジドルナには負けたくないからな」


 俺がジワードにそう答えると、全員が笑った。ムファスタの冒険者ギルドをこちらの陣営に引き入れ、レジドルナの冒険者ギルド、実際にはその背後にいるトゥーリッド商会に手出しをさせない。二人にその役割を期待しつつ、ムファスタギルドの会頭ジグラニア・ホイスナー宛の手紙を託した。


 『常在戦場』の屯所を出た後、俺はそのまま『信用のワロス』に向かった。ワロスの娘マーチ・ワロスから訪問依頼があったからだ。街に出たら一つの案件だけではなく、複数の案件をこなす。基本中の基本である。


 しかし『信用のワロス』へは、本当に馬車で行きにくい。しかも『常在戦場』の屯所がある繁華街から歓楽街へは街の構造上、迂回しなければならず、しかも歓楽街へは馬車の直接の乗り入れができない。本当の事を言えば再開発をしなければならないのだろうが、歓楽街は巨額が動くので中々触ることはできないだろう。


 歓楽街近くの馬車溜まりを降りて、カジノを横切る。見ると以前より客が増えているようだ。いっとき『金利上限勅令』の影響で、客への貸付が思うようにできなくなって閑散としていたはずのカジノ。しかし博打好きの人間の性は止められないのだろう。


 俺はカジノには用がないのでそのまま横切り『信用のワロス』に向かう。小さな川の対岸にある、黄色と黒で描かれた、趣味の悪い看板が目印だ。建物の前にある小さな橋、その橋のたもとに立て札が立てられていた。


(これだ、これだ。手紙で書かれていた立て札)


 俺が初めてきたときからあった立て札。あったのは知っていたが無関係だから放置していたものだ。俺は立て札に近付いて文言を読んだ。


(『このはしわたるべからず』)


 こ、これは・・・・・ 絶対に見てはいけないものだ! 咄嗟に目先を変えると、橋の対岸で腕組みをして立っているマーチ・ワロスの姿が見える。その顔には腹黒い笑みが浮かんでいた。

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