147 帰投

 今後のボルトン伯爵家の運営方針について俺はボルトン親子に話した。当面の間、起債した資金を使いながら伯爵家の運営を行うこと、『投資ギルド』と協議して鉱山の権利の一部を売却して資金を作りつつ、鉱山設備の更新とミスリル精錬所の建設を行う。鉱山の収益が上がり始めたら、商品作物の栽培を推進するため農業投資を行うこと、である。


「どうして農業なんだ?」


「いつまでも採掘できるわけじゃないからな」


 アーサーが聞いてきたので俺は答えた。鉱山は取れば取るほど採掘できる量が減っていく。新たに生産している訳ではなく、あるものを掘り出しているだけなのだから。もちろんより大きな投資を行ったり新しい技術を使って、従来では掘り出せなかったものが掘り出せるようになったりもするが、採算性を確保するにはより高度な判断能力が求められる。


「鉱山への集中投資はあくまで借金払いのためと割り切ればいい」


 だから鉱山収入により掛かるだけではなく、農業経営にも投資を割り当てるべきであると言っているのだ。借金を減らしておけば、将来、鉱山収入が減ったとしても、増えた農業収入で領国経営が成り立つように今から準備しておくのである。鉱山一本槍だけならば、いつか収入が減り、また同じような危機が発生するだろう。一点集中は危険である。


「今までは利払いだけで歳入の六割を占めており、これが元で行き詰まった。今回の交渉でそれが五割強まで下がる」


「二億ラント以上借金が増えたのにか?」


 アーサーが懐疑の声を上げた。借金総額四億五四七六万一二九三ラント、計画ではこれに二億七〇〇〇万ラントが乗る。合計七億二四七六万一二九三ラント。借金が一、六倍に膨れ上がっているのに、利払いが減ったのは金利を半分近くまで圧縮できたからである。


「もちろん借入総額は増えているから、返さなきゃいけない金額は増えた。だが、利払い総額が減ったことと、起債が出来たことで投資ができるようになった。これで歳入を増やせば歳入に対する利払いの割合が減る。減れば元本の払いができるようになる。元本が減れば、歳入に対する利払いの割合が更に減る」


「なにかの魔術のようだ・・・・・」


 ボルトン伯は驚嘆している。数理や経営術であるとかそういったものから縁が遠ければ、何か新しい魔法だと思われても仕方がない。何故なら書類のコピーを人が【転写】という魔法を使って実現しているのを見てビックリしたからな。あれを見た俺と同じ感覚だろう。


「投資への払いが一段落してから、手元資金を見て元本返済に着手したらいいでしょう。新たに借り入れて使える二億五〇〇〇万ラントの内、一億ラントを返済に回すことが出来たなら二三〇〇万ラントの利払いが減ります。今の歳入の比率から言うと約六%、歳入に占める利払いが五割を切り、利払い比であれば十三%減る。これは大きい」


 俺が話すとボルトン親子は大きく頷いた。共に納得できたようである。俺は脇でじっと座っていたリディアとフレディに声を掛けた。


「これでボルトン伯爵領での仕事は終わった。大変な仕事をやってくれたお陰でなんとかなりそうだよ。ありがとう」


「デビッドソン殿、ガーベル殿。このような退屈な話に付き合わせてしまって申し訳ない」


 ボルトン伯が二人に頭を下げた。フレディとリディアは、本業でもないのに他の人にやってもらいにくい仕事をいきなり振られた状態でもやってくれた。だから返済計画も立てることが出来たし、貸金業者との交渉を行うことも出来たのだ。


「いえ。今回、初めて見ることばかりで本当に勉強になりました」


「貴族の家の大変さが理解できてよかったです」


 フレディとリディアはボルトン伯に恐縮しながらそれぞれの感想を述べる。


「デビッドソン君、ガーベルさん、本当にありがとう」


 アーサーは二人に頭を下げた。


「よし、帰ろう、王都に」


 俺が声をかけると皆頷いて、王都に帰る準備を始めた。


 ――俺たちがボルトン城を後にしたのは夕方一七時のことだった。四頭立ての高速馬車に俺とフレディ、リディアと行きは乗っていなかったアーサーの合わせて四人での搭乗。見送りにはボルトン伯と夫人、アーサーの三人の兄弟、農業代官ルナールド男爵、鉱山代官キコイン男爵、勘定方のケンプ等、伯爵家の家人らが総出状態であった。


「ふぅ。ようやく終わった」


 ボルトンの街を通り、ボルトン城が見えなくなった頃、アーサーが大きくため息をついた。


「もう当分の間、城には返りたくないよ、俺」


「どうしてだ?」


 聞くまでもない話だったが、敢えて聞いてやった。


「だって、いきなり連行されて勉強させられるんだぜ。たまったもんじゃないよ、もう」


「よくあることだ」


「ねえよ! そんなの」


 俺とアーサーのやり取りを見ていたフレディとリディアが笑い出した。


「ないよね、そんなの」

「いきなり言ってくるのはグレンの得意技じゃん」


「だろ、だろ、だろ」


 二人の感想に全力肯定するアーサー。大分調子を戻してきたようだ。


「しかし、あんなこと何回もやっていてよく持つよな、グレン」


「やりたくてやっているんじゃないんだがな」


「ドーベルウィン家も世話になったとは聞いてはいたが、凄かったなぁ、本当に」


 アーサーは感心している。するとフレディが口を開いた。


「それをやりながらコルレッツ調査だろ。考えられないよ」


「それはデビッドソン家の協力あってのことだ」


「でも街にも協力者がいるんだろ。本当に大変だよなグレンは」


 二人の言うことは否定できない。しかし言っても詮無きこと。俺はやるべきことをやっていくしかない。


「明日は王都で別れよう。フレディとリディアは学園に戻ってもらい、俺とアーサーは『投資ギルド』に向かう。今アーサーの頭にあるものが残った状態で交渉しないと・・・・・」


「俺の頭はパンパンだよ」


 嘆くアーサーに皆が笑った。やがて日が落ち、夜が更けると言葉が少なくなり、それぞれが眠りにつく。馬車は魔灯具を付け、馬車を繋ぎ変えながら道を進んだ。夜中にはボルトン家の所領があるルカナリア地方を抜け、シャムル地方に入り、行きにも寄ったクラートに到着したのは早朝五時だった。


「え? もうクラートなのか?」


 アーサーは驚いている。おそらくアーサーの感覚ではまだルカナリア地方を走っている感覚なのだろう。俺たちは軽い朝食を摂って休息をとった後、出発した。


「凄いな、高速馬車は」


「本当に速いよね、高速馬車。馬車とは全然違うよ」


 驚くアーサーに同意するフレディ。だがこれがリディアになるとまた違う感覚だ。


「やっぱり速いんだ・・・・・」


「早い早い。馬車と言いながら別物だよ。だって俺、城に着くのに三日かかったもん」


「行きは一日だったわ」


「だからそれだけ速い。高速馬車は本当に速いよ」


 アーサーはリディアに向かって、高速馬車の速さを力説している。こういう無駄なところにエネルギーを使うのがアーサーだ。元に戻ったと言っても差し支えないだろう。


「昨日のチョンオンという人、悪い人だったよね」


 フレディが唐突に言ってきた。おそらく昨日の貸金業者との交渉を思い出したのだろう。


「そうそう、本当に悪態をついてビックリしたわ」


「グレンの出した条件なんか無視していたもんね」


 リディアとフレディの会話を聞いて何事かと問うたアーサーに、二人は一生懸命顛末を話している。


「グレン・・・・・ そんな交渉を・・・・・」


「ああ。昨日は九件やったよ。その内の一件の話だ」


「その中で一番悪かった業者が、あのチョンオンという人じゃないの」


「いや違うよ。違うんだ。一番悪いヤツはチョンオンじゃない」


 リディアの見解を俺が否定したので、立ち会っていた二人はギョッとした目で俺を見た。


「じゃあ誰が一番悪いんだ?」


「最後に出てきたバーガーだよ」


 フレディの問いかけにそう答えると、二人は疑問だらけの顔をしている。どうしてなのか? という疑問をリディアが言語化してきた。


「でも最後の人はグレンの話、全部応じたじゃない。すんなりと」


「即座に応じたからだよ。全てをな・・・・


 俺は説明した。他の業者が抵抗したり反発したりしたのは、自分達が不利益を被ると考えたからだ。それは自分の利害が絡むことだから当然の話。他のヤツとチョンオンが違っていたのは、書面が信じられたのかそうでなかったか。チョンオンはカネだけを信じたから他の人間と違う振る舞いをして、悪態をついた。しかしバーガーは全く違う。


 バーガーは俺の名を見て、快く条件を受け入れた。これは見返りを想定できていたからだ。加えてチョンオンの受領書を素早く受け取ったのは、俺に貸しを作ったほうが得という判断。そして地域貸金組合の提案に応じたのは、俺の意図が自分の利となるという計算からだ。感情ではなく、全て損得だけでの判断。


「それって頭がいいって事だよね」


「ああ、そうだ。悪知恵が働くとも言う」


「でもどこが悪いの?」


「俺から引き出した条件を最大限利用して、のし上がろうところだ」


 俺に聞いてきたフレディもリディアも「のし上がろう」という言葉のところで反応した。


「チョンオンの受領書。あれを素早く引き取って俺にカネを払った事で、俺とチョンオンの問題を、実質的にバーガーとチョンオンの問題にすり替えたんだよ。だから組合話をした」


「組合がバーガーという人間にとってどんなメリットが有るのだ?」


「自分のカネや労を使わずより大きなモノを動かせる」


「例えば?」


「同業を潰す、とか」


 俺の答えに質問してきたアーサーが固まった。


「皆で一業者を潰せば、他の業者はバーガーの言うことを聞くだろう」


「その潰される業者は・・・・・ チョンオンって事かぁ」


「そして一番得をするのがバーガーって人なのね」


 ため息が混じるフレディとリディアの感想に対し、俺は言った。


「だから悪なのさ。悪というのは横車をする奴じゃない。流れを読んで人の意思を我がモノとするヤツのことを言うのだ」


 そうなのだ。多くの人は勘違いしている。本当の悪というものを。絵に描いたような分かりやすい悪は、実は悪ではない。本当の悪とは、悪とは見えない、意識のできないものなのだ。見えるヤツはずっと親切だと言える。判別できて警戒できるのだから・・・・・皆でそんな話をしている中、高速馬車は王都トラニアスに入った。

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