095 出発前夜

「グレン、大変だ。公爵閣下の許可が下りてしまった」


(ああ、やはりそうか)


 クリスの従者トーマスが顔を引きつらせて、学園に舞い戻ってきたのは俺が街に出た翌日のこと。そのトーマスにはノルト=クラウディス公爵家の者も同行していた。


「ノルト=クラウディス公爵家中・王都警護衛士長であるブレーマーだ。本日は令嬢の命に従い、フレインと共に参った」


 そう名乗るブレーマーとトーマスをロタスティの個室に引き入れ、そこで打ち合わせをすることにした。


「警護責任者としては最低でも十人は警備に帯同させたい」


 ブレーマーはブラウンの髪を持つ壮年の人物で、顔からも分かる見るからに堅苦しそうな男だった。トーマスは完全に萎縮してしまっている。


「そこまでは無理だ。四人が限界だ」


「何故だ!」


 俺は説明した。現在使える高速馬車は四台しかなく、途中で乗り換えるので二台しか使えない。合計八人しか乗れないので、令嬢と二人の従者、俺の四名を除くと四人しか乗れないと。


「では馬で帯同するのはどうか」


「高速馬車は途中何度も馬を変えて走り抜く。帯同する者が単騎で同行したとして、馬の乗り換えはどうされるのか?」


「・・・・・普通の馬車でなら・・・・・」


「一週間の時間をかけて令嬢にクラウディス地方に赴けと言われるのか?」


「・・・・・」


 ブレーマーは沈黙した。俺は分かった。クリスがトーマスにブレーマーを帯同させたのは「いいからコイツを黙らせろ!」というメッセージだ、ということを。


「貴殿の任務は限られた環境下、令嬢をお守りすることにあるはず。それができぬと申されるか?」


「いや、そのようには・・・・・」


「ならばまずは四人の警備要員を選抜なされよ。それが貴殿の第一の仕事。次にやらなければならないのは本領への行程の通知。その次にやらなければならないのはセシメルでの宿泊施設の確保。そして警備要員の配置だ」


「まだ、そこまでは・・・・・」


「ならば早急におやりになることだ」


 俺は往路日程を書き込んだ紙を【収納】で取り出した。呆気にとられるブレーマーを尻目に詳細なスケジュールを説明し、即座に本領に通知し、手配を開始するように伝えた。


「しかし・・・・・」


「直ぐに動かれよ。令嬢の怒りを買いますぞ! さぁ、馬車に!」


 俺がそう言うとブレーマーとトーマスが立ち上がった。


「トーマス。警備の事はブレーマー卿の専権事項。お前は俺と一緒に高速馬車の運行業者と詳細な打ち合わせだ」


 そう言ってトーマスを引き止め、ブレーマーのみを屋敷に引き上げさせた。慌てて個室から飛び出たブレーマーの姿が見えなくなると安心したのか、トーマスは崩れるように椅子にへたり込んだ。


「ありがとう。グレン・・・・・」


「大変だったな、トーマス」


「参ったよ。まさか閣下が許可を出すとは思わなかったから・・・・・」


 トーマスは経緯を話してくれた。クリスは屋敷に帰るなり自分から宰相の部屋を訪れ、説得して帰ってきたのだという。行くときに自信満々だったから大丈夫かなと思ったが、出てきたときには「やったわよ」と勝ち誇ったように言ったので、シャロンもトーマスもビックリしてしまったらしい。


「今のような話は・・・・・」


「初めてですよ、こんなの。ですからブレーマーさんにも散々小言を言われてしまって」


「で、俺に言われて引きつったという訳だ」


 クリス。あんなに気が強いのに、家ではあまりモノが言えなかったんだな。警備担当のブレーマーに対してさえ。まぁ、自分から言ってきたから宰相閣下は認めたのだろう。俺が同じ立場だったらそうするからな。


(しかし、宰相は俺をどう見ているんだ?)


 疑問はあるが、相手は雲の上の存在。考えたってしょうがない。俺は気になることを聞いてみた。


「ところでトーマスは『女神ヴェスタの指輪』を知っているのか?」


「実は・・・・・ 何も・・・・・」


 なんだと。知らないのか、トーマス!


「お嬢様が指輪を取りに行くなんて言われて何のことか・・・・・」


 これはこれは。じゃあ、場所や云われを知っているのはクリスだけか。向こうに行ってから聞くしかなさそうだ。困ったもんだな。


「あんなお嬢様は初めて見ました。閣下に言われるなんて・・・・・」


 戸惑うトーマスを見ると、これまでのクリスはツンツンしていても、決められた予定には従ってきたのだろう。ところが今回は、ということで面食らっている。そういう次第だ。食事をしながらトーマスから事情を聞くにつれ、クリスはクリスなりに自分が本当にやりたいことを模索しているようにも感じられた。


 俺とトーマスは高速馬車の運行業者の元に走って詳細な打ち合わせを行い、今後の日程調整一切をトーマスに委ねる事となった。その方が合理的だからで、後はノルト=クラウディス側の段取りに合わせる形としたのである。


 クリスとクラウディス地方に向かうということで、少し日程を延ばさなくてはならなくなった為、リサを夕食に誘って打ち合わせをすることにした。リサに事情を話すと、「へぇ、令嬢が」と呟いた後、「モテるわね」と言い出すものだから、口に含ませていたワインを吹き出しそうになってしまった。


「俺は『玉鋼』を、クリスは『女神ヴェスタの指輪』を、それぞれ回収しに行くだけだ」


「はいはい、分かりました」


 にこやかに答えるリサ。だが口調は明らかに「私そうは思ってませんから」と言っている。まぁいい。ここで言っても間違いなく堂々巡りだ。だからこの話題は放置して、本題に入る。


「二週間程度空ける。ザルツ、ロバートには手紙を送っているが、行き違いがあっては困る。受付でリサが封書を受け取られるようにしておくから対処してくれ」


「誰のものでも開けてもいいのね」


 もちろん、と答えた。リサなら適正に対処してくれるはずだ。


「屋敷の方だけど二期工事を始めるわ。今回の工事は一階部分の改修よ」


「炊事場なんかの水回りだな」


 当たり前だが、電気がないので風呂などの水回りは全て一階に集約されている。ここの工事に入るという訳だ。


「ハンナさんとお手紙のやりとりをしたわ。近々会うことになったから」


「貴族情報の整理を頼む。これは売ることも視野に入れて欲しい。確実に売れる」


 処理能力の高いリサと、立場がフラットで地獄耳のハンナが組み合わされば、立派な貴族相関図が出来上がる。この上にシアールやワロスが持っている貴族の情報を重ねれば、価値のある商品の出来上がりだ。問題はどこまで出して、どこまで売るか、だが。俺は後事をリサに頼み、クラウディス地方に旅立つ準備を進めた。


 俺たちがクラウディス地方に旅立つことができるようになったのは、トーマスが警備担当者のブルーマーと一緒にやってきた日から五日程経過した、平日最終日の事であった。しかも話を聞くと、遅々として進まない日程調整に業を煮やしたクリスの怒りによって、出発日が決められてしまったのだという。俺は思った。


(ブルーマー。あれはダメだ。トーリスと一緒だ)


 俺は出発当日、出発地点であるノルト=クラウディス家の屋敷に馬車をつけた。出発時間は二十一時なのだが、念の為、十九時には屋敷入りするようにしておいた。どんな不測の事態が起こるか分からないからである。屋敷に通されるとトーマスが応対に当たってくれた。


 クリスと帯同する警護担当責任者アッカード卿以下、三人の衛士の紹介を受けた後、トーマスと暫し雑談していると、立派な白い口髭を持つ黒い執事服を着た初老の人物がやって来た。その姿を確認したトーマスが直立姿勢となる。その人物は執事長のベスパータルトと名乗った。


(ノルト=クラウディス公爵家陪臣ベスパータルト子爵か)


「閣下がお呼びです」


 閣下! 宰相が俺をか。心配そうなトーマスに目配せをすると、背を向けて歩き出すベスパータルト子爵の後に続いた。豪壮な屋敷の赤絨毯を踏みしめながら歩いていくと、その先にある両開きの扉が開き、中に入るように促された。その部屋にはこの屋敷の主人であり、クリスの父親である宰相ノルト=クラウディス公がいた。


 宰相は俺に着座を勧めると人払いをした。ベスパータルト子爵ら家中の者は一礼して下がっていく。宰相は「久しいな」と言うと、いきなり頭を下げてきた。


「わがままな娘だが、一つよろしく頼む」


 俺はビックリした。いきなり頭を下げてくるとは思わなかったからだ。


「閣下、お顔をお上げ下さい。意に沿うように尽くしますので」


 すると宰相はクリスとのやり取りについて話しだした。


「クリスティーナがお前から、私が娘と会話を持つ努力をしている事を理解するように、と諭されたと言っておってな。礼を言わねばならんと」

「私は国事を優先にするあまり、子供らの事は専ら妻に委ねておったのでな。特に末娘のクリスティーナとは接触する機会が少なかった」

「どうすれば良いものかと思っておったが、クリスティーナの話を聞いて、私なりのやり方でも通じたのかと思うと気が楽になった」


 俺は黙って聞いていた。その言葉、全て俺の心境だ。ただクリスと宰相との間と違って、愛羅との間には心を通じあわせている部分がないのだが、それは宰相と俺の努力の差だ。


「礼を言うぞ、アルフォード。よろしく頼む」


 ここで何かを言うのは野暮というもの。宰相の言葉に俺は黙って一礼した。

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