066 さらば故郷

 俺とニーナが離れると、リサが皆を応接間に案内してくれた。そこでアイリとレティにニーナとジルを紹介する。ザルツとロバートは仕事で今日は不在らしい。


「お父さんはムファスタへ、お兄さんはザルジニア公国へ行ってるわ」


「ザルジニア公国へ? あそこは出入りが厳しいだろ」


 ザルジニア公国はモンセルの先にあり、元はノルデン王国と同じ国だったのだが、三百五十年くらい前に起こった王朝交代の辺りで独立した国である。ゆえに同じ言語、同じ文化を持っている、言わば「ノルデン文化圏」に入る国なのだが、ノルデンと違って隣国との戦争を何度か行っており、ノルデン王国側からの出入りが制限されているのだ。


「厳しいけど関係自体は険悪じゃないから、重要な経済活動であれば大丈夫なのよ」


 ノルデン王国はザルジニア公国に対して結界は張っているが、理由が戦争なだけで、両国の宮廷の行き来はあり、関係自体は全く悪くない。そこにロバートが切り込んで拠点を作っているというのである。そんな話をしているとニーナが紅茶を用意してくれた。


「お客様がいらしゃっているのに、二人がお仕事のお話ばかりで、申し訳ありません」


 ニーナがアイリとレティに詫びつつ、みんなに紅茶を出す。二人はニーナにいえいえと言いながら会釈した。リサは全く悪びれるそぶりを見せず、笑顔で言う。


「アルフォードは仕事が日常会話ですので」


「リサ。お前という子は」


「お母さん。アイリスさんもレティシアさんもそこは理解されていますので。そうでなければグレンと付き合えませんよ」


 ですよね、と二人に同意を求める素振りを見せ頷かせるリサの手法に、ニーナは呆れてしまっているようだ。とは言ってもリサ自身、今日に出立するわけで母親に遠慮してか、これ以上の発言を控えた。


 ニーナは俺のことについてアイリとレティに聞き始めた。二人の話にニーナは嬉しそうに俺のことを話す。すると今度は二人が俺の事を聞き始める。他愛もない話だが、こういう話のほうがニーナにとっては幸せなのだ。むしろ仕事の事にしか頭がない、俺やリサの方が問題だろう。


 今日は王都に戻る日ということで、早めの夕食を出してくれた。馬車移動の際に乗り物酔い、気分が悪くならないよう、乗るよりも少し前の時間に食べるのだ。この辺りのスケジューリングは、馬車移動だらけのアルフォード家にとってはお手の物。その事を説明するニーナの話に、アイリとレティは感心していた。


「テスラプタ商会がウチの傘下に入りたいと申し出てきたわ」

「これで私の仕事は終わりね。いいでしょ」


 食事が終わった後、リサは言ってきた。俺がモンセルを去る際の課題の一つだったからだ。レティが小声で「どういうことなの」と説明を求めてきたので、テスラプタ商会はモンセルの有力商会だと教えた。


「これでモンセルの全ての商会はアルフォード傘下になったわ」


 二人の目が点になっている。リサは説明した。俺の目標が三つあり、海外進出、地方都市攻略、モンセル制圧で、そのうちリサが受け持っていたモンセル制圧が完了したのだと。


「敵がいなければ戦うこともないからな」


「相変わらず無茶よね」


 レティが呆れ返っている。レティが全部アルフォード商会で他所は不満がないの? というので、アルフォード自体が商会からギルド化していくことになるので大丈夫だと伝えた。レティは分かったような、分からないようなという顔を見せたので、リサがウチが裏判押すことで、焦げ付きが減って倒れないと説明すると、今度は納得してくれた。


 出立の時間が迫ったので、俺たちはアルフォード商会を後にすることになった。俺はジルに後事を任せたぞと声をかけ、改めてニーナを抱きしめる。ニーナも俺を抱きしめてきた。


「ごめんよ。リサを連れて行って」


「いいのよグレン。リサをお願いね」


 ニーナの声を聞くと涙が止まらなくなった。モンセルに来るのはこれで最後。ニーナと会うのもこれが最後だろう。俺は何も言わずにこの世界から立ち去ることになる。そう思うと申し訳なくなって、涙が止まらない。


「行こうグレン。お母さん、また帰ってくるから」


 俺とは対照的に明るく声を掛けるリサ。俺たちはアルフォード商会を離れ、市街地にある馬車溜まりに向かった。


 モンセル中心街の馬車溜まりから二頭立ての馬車で停留所まで移動し、そこからチャーターしてあった四頭立ての高速馬車で王都目指して出発したのは十七時過ぎの事だった。そこから中継地トルスデンの町まで二度の小休止を挟んで一気に向かう。今回の旅程では馬車を二台、馬を四回繋ぎ変えして計二十四頭使っているので、移動が早い。


 一日ゆっくり出来たことやリサの搭乗ということもあり、行きと違って会話が盛り上がった。アイリとレティは俺が泣いていたことに驚いたらしく、意外と涙もろいと思ったと口々に言うと、リサが俺が泣いているのを初めて見たと話す。俺はこの件に関して何も言わなかった。夜が更け、数時間するとみんな眠たくなったようで誰も話さなくなる。おそらく皆疲れたのだろう。


 夜明け前、中継地トルスデンに到着した。行きと同じくパンを少しばかり食べると、既に係留してあった別の四頭立て高速馬車に乗り換えて、一路王都に向かう。


 俺がダンジョン内で確保したお金の総額が一四万五二四八ラントだと説明すると、アイリが「よく数えたね」と感心した。いや、そうじゃなくて【収納】すると勝手に数字が脳内で表示されるようになっているからなのだが、説明しても大変そうなので、ああそうだ、と言っておく。お金はアイリとレティが半分ずつ受け取ることになった。


「ジェドラ商会のウィルゴットさんだっけ。なに真剣な顔をしていたの?」


 レティが唐突に聞いてきた。俺は思わず身構える。出発当日の昼休み。俺とウィルゴットとの話の後に来たレティが、俺の顔を見て言ってたな、と思い出した。


「いや、宿題が与えられていてな」


「宿題?」


 俺は説明した。『金融ギルド』は貸金業者に低利融資を行うが、貸金業者が貸す金利は青天井のままで、これでは焦げ付きや踏み倒し、貸し渋りなどの問題が減らない。だから金利の上限規制を設けるべきだ。しかし商人は身分低く、宮廷工作ができるものがいない。だから俺にやれという話となった、と。


「どうしてグレンなのですか?」


「学園に通っているからという理由だ」


「それだけで! バカじゃないの」


 アイリの質問に答えると、レティが呆れ返った。


「学園にいると貴族の知り合いも多いだろうと」


「学生よ。当主なんて誰もいないじゃない! 何も出来ないじゃない!」

「安易よ! 安易すぎるわ! 商人は賢いと思ってたけど、例に洩れずお目出度いのね」


 そりゃエレノ世界だからこんなもんだよ、とはさすがに言えなかった。


「クリスティーナさんにお願いしては・・・・・」


「ダメだ!」


 アイリがハッとした顔になった。あ、言い過ぎたか、これは。


「どうしてダメなの?」


「開明的なザルツでさえ、リサが言うと露骨に嫌な顔をすることがあるのに、宰相がそれ以上に開明的なのか・・・・・」


 全員が下を向いた。みんな心当たりがあるのだ。この世界の女性はまだまだ地位が低い。


「クリスの家での立ち位置が分からない。この件を頼んで立場が悪くなるのはマズイ」


 みんな俺の言いたいことを理解してくれたようだ。娘が親の職務についてモノを言うのはそれだけでリスクのあること。しかもその話がダメだとなれば、クリスにもこちらにも打撃は大きい。迂闊にやれることではない。


「ウインズ君ならどうなの? 確か官僚の子のはず」


「そういえばそうだったな」


 童顔の男子生徒クルト・ウインズの顔が浮かんだ。


「クルトの父親は財政部門の官吏だ」


 父親ジェフ・ウインズは財政部門の宮廷官吏。どのような地位かはわからないが、財政部門に出仕している点は大きい。もしかすると、金融に強い官僚に橋渡しをしてくれる可能性がある。しかし、それはあくまで仮定の話。


「だったら話ができるんじゃないの?」


「どうだろうか・・・・・」


 しかし、それほど簡単に話ができるのだろうか。思案しているとアイリが言った。


「でしたら、素案をしたためて、お渡ししてみてはどうでしょうか」


「だったら私が素案を書くわ」


 アイリの案を聞いて、リサが名乗りを上げる。そこにレティが声を上げた。


「だったらそれをウインズ君に託して、お父様に届けてもらうのはどう?」


 悪くない。悪くはないが・・・・・


「「こちらの方から説明に伺います」とか、そんな文書を同封するというのはいかがですか?」


「いいと思いますわ」


「グレン。どうなの?」


 リサもいいという、この案の可否についてレティが聞いてきた。


「よし、それで行こう」


 クルトから父親に、リサが書面を作り、俺が一筆書いたものを手渡してもらうという案。現状では一番妥当な方法だろう。リサと明日にでも打ち合わせをしようと話した頃、馬車は王都に入った。


 ホテル『グラバーラス・ノルデン』に到着した俺たち四人は馬車を降り、レストラン「レスティア・ザドレ」の個室に入った。日が落ちてから学園に入ったほうがいいという判断が働いたからである。ここで俺たちは休憩後ゆっくり食事を摂り、リサは宿泊を、俺たちは学園への帰途につく。


 長かったようで短かった俺たちのモンセル訪問は終わった。

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