042 アルフォード商会

 アルフォード家は、館があるノルデン王国第三の都市モンセルで、代々貿易を生業としてきた家だった。俺というか、グレンの父ザルツはその六代目にあたり、アルフォード商会の屋台骨として家業を担っている。


 父ザルツには商才があり、家業を継ぐと大きく販路を広げ、巧みな交渉術でアルフォード商会をモンセル有数の貿易商に押し上げた。現実世界でいう「敏腕営業マン」だ。ルーチンワーク一筋、社畜生活二十五年の俺とは次元の違う、非常に高い能力の持ち主である。


 ザルツは子という立場の俺から見ても仕事ができる男で、またリーダーとしても優れていた。ザルツは普段より自ら率先して仕事をしていたので、番頭のトーレンをはじめとする使用人らからの信頼が非常に厚い。現場主義の猛烈経営者と言ったところか。


(あーあ、ザルツがウチの会社の上司だったらよかったのに・・・・・)


 偽らざる本心だ。ウチの会社、マックストレードネオは旧名を三東商行という独立商社系の子会社なのだが、親会社は経営陣が本業で稼ぐという経営の本筋を忘れ、業績をM&Aなどの投機に頼って業績を維持することに汲々としている状態。そして都合が悪くなれば、子会社にしわ寄せを持っていく事しか考えない、典型的なダメ企業。


 当然ながら、そんな系列の子会社がマトモな訳もなく、上層部は非能率的な仕事ばかりに力を入れ、現場では残業だけを強いる仕え甲斐のない上司。このような環境下、社畜生活四半世紀を生きてきた俺にとって、ザルツの仕事に精励する姿は本当に新鮮だった。


 だが、俺が見たザルツは単なる仕事人間ではない。妻ニーナをいつも気遣う良き夫であり、長子ロバートをはじめとする4人の子に愛情をもって接する良き父だった。もちろん嫁を愛する心はザルツ負けない自信がある。それほど惚れ込んでいるし、佳奈と付き合ってから四半世紀経った今でも全く変わらないと公言してよい。


 が、子供に対する情愛となると話は別で、全く勝てる気にはならなかった。仕事人ザルツは、家庭人ザルツとしても優秀だったのである。子供の事を佳奈任せでろくろく知らない俺とは大違い。仕事面でも家庭面でもこれ以上無い模範的な男、それが俺から見たザルツという人物だ。


 グレンはそんなザルツの次男。兄ロバート、姉リサ、弟ジルに挟まれた三番目の子だ。この世界にやってきた当時の事を思い出すと、俺が来る前のグレンは魔法を習得したいのだが、なかなか上達しないことを悩んでいたらしい。確かに思い返せば魔法がなかなか覚えられなくて、のた打ち回った記憶が幾つもある。


 自分であって自分でない者の記憶という、限りなく奇妙な感覚・・・・・。よくよく考えたら、それが大きな悩みだったと思ってしまう俺は、やはりグレンなんだと改めて実感する。そもそも商人属性にレベルの高い魔法が習得できる訳がない、というエレノ世界では至って常識の現実を受け入れられなかったグレンは、やはり幼い子供だった。


 乙女ゲーム『エレオノーレ!』では商人属性持っているキャラ自体が登場していない。メインキャラ、サブキャラはおろか、ランダムに登場するモブキャラでさえも「商人」なんて属性を持っているキャラなんていなかった。だからゲームの世界では商人属性のキャラはモブですらない、モブ以下のキャラクター。


 しかし問題なのは、こうした出てこないキャラの設定にまで深堀りするゲームスタッフだ。こうした無駄な努力に傾注する姿には呆れ返るしかないが、考えてみればゲームの世界観を作るためだった可能性もある。しかし、それが労力に見合うものだったのか、果たして採算が合うものだったのか、という謎は尽きない。


 色々あって俺がグレンに定着・・・・・・・・するようになり、冷静に周りを見ることができるようになった頃、ザルツの家での動きが目に留まった。家庭人ザルツはどんなに忙しくとも夕方になると仕事を止め、一家団欒の時を過ごすようにしていた。しかし、ザルツは一日の仕事を終わらせていた訳ではない。


 その後ザルツは改めて執務室に潜り込み、そこから残務を片付けていたのである。家庭優先を行動で実践するザルツを見て、俺は負けを直感した。いつも佳奈に甘え、子供を投げていたんだなぁ、と思い知らされたのである。だからザルツを尊敬するし、尊敬できる人物だと胸を張ることができるのだ。気が付けば、俺はザルツの役に立ちたいと心底思うようになっていた。


 当時ザルツは昼間取引先を駆けずり回り、夜に取引書類を丹念に確認。商いをどんどん広げているのに全部一人でやっていたら、やがて身が持たなくなるだろう。当時、ザルツの役に立ちたいと思いながらも、ダタでお世話になっていることに後ろめたさを感じていた俺は、思い切って書類整理の手伝いを申し出た。


 ザルツは最初怪訝な顔をした。いくら自分の息子とはいえ社会経験もない十二歳の子がまともにできるか疑うのは至極当然の話。そんなことはわかっていたので、まずは試しからと俺が言うと、息子からの申し出が嬉しかったのだろう、スッと一綴りの書類を渡してきた。


 俺はすぐさま書類一式目を通し、書類の不備を指摘した。誤字脱字はもちろんのこと、必要書類の欠損等を含めた不備を正確に伝え、それを修正したのである。ザルツは目を丸くして違う書類を渡してきたが、それもすぐに片付けた。多分、ザルツの仕事の十倍ぐらい速いスピードだったと思う。するとザルツは頭を下げてきた。


「グレン。疑ったような態度ですまぬ。父さんの力になってくれ」


 たとえ息子であろうと、こういう頭の下げ方はなかなかできない。このような態度で臨むことができるザルツという男は、社会人としても家庭人としても素晴らしい男だ。まぁ、社畜生活で身につけた速読術と書類整理能力がこんな形で役に立つとは思わなかったが、人の上に立つに相応しいザルツの役に立つならそれを惜しむ理由はないだろう。


 俺が本格的にアルフォード商会の書類整理の仕事をはじめると、ザルツはすぐさま作業部屋を用意してくれた。部屋だけではない、書類整理をサポートする使用人まで配置してくれたのだ。ザルツの上司としての魅力や能力は、無駄残業だけを強いるウチところのアホ上司なぞ比較にもならない。


(あーあ、ザルツがウチの会社の上司だったらよかったのに・・・・・)


 偽らざる本心だ。ザルツは書類の山から開放されると、更に商いを広げて一年のうちに取引量を三倍に増やした。アルフォード商会の急伸を見て、モンセルの個人商会の中には商いを畳んでアルフォード商会入りする者まで現れ、商会は更に伸長。人が集まってくる事を見るに、やはりザルツは人の上に立つ器量を持つ人間だった。


 アルフォード商会の拡大は家の中にも大きな変化をもたらした。四歳上の兄ロバートが専門学校を辞め、アルフォード商会に入って家業を継ぐ決意をする。商会に入った直後、俺の上司役として事務仕事に回したのは、どちらかというと事務の苦手なザルツが、ロバートに事務仕事を身につけられるようにとの配慮だったのだろう。


 ただロバートはザルツに憧れ、ザルツと同じような営業マンを目指していたので事務仕事が合わず、俺が代わりに姉のリサを引っ張り出し、ロバートと交代させた。こうして兄ロバートが外回り、姉リサが事務仕事と、アルフォード家では三人の子供が家業に入り、商会は盛況していく。


 ロバートは父に付く傍らで自分の商いを増やしていった。意欲と才覚でロバートは短期間のうちにひとり立ちを果たして、アルフォード商会の主戦力となる。一方、リサは俺が教えた仕事をその場で習得する高い能力を見せつけ俺を驚かせた。リサには数理に強く、文の真贋を見抜く能力に長けていた。現実世界で教育を受ければ間違いなく上を行くだろう。


 アルフォード商会は営業をザルツとロバートが、事務所は俺とリサが仕切っている状態となり、業績は俺が入って二年余で九倍に拡大し、我が商会がモンセルの商いの六割を占めるに至った。そしてザルツが遂にモンセルの商業ギルドのトップ、会頭となったのである。


 能力があり、度量があり、配慮ができ、明敏な頭脳を持つ男ザルツ。仕事ができるヤツは多くとも、家庭人として大成している人間はそうはいない。だが、ザルツは家庭人としても優れた常識人であり、成功していると言える。ある日、家族全員が揃う夕食の席でザルツはこう呟いた。


「団欒の後、仕事をしなくてもよくなったのはロバート、リサ、グレン。みんなのおかげだ。感謝しなければ」


 すると横に座ってい母親のニーナが肩を震わせ泣きだした。


「子供たちに・・・助けてもらって・・・」


 するとザルツはそっとニーナに近づいて、優しく抱きしめたのである。子への感謝を口にする父、涙を流し喜ぶ母、それをいたわる夫。ザルツといいリサといい、これ以上ない夫婦じゃないか。だからたまらない。


(ああ、佳奈・・・・・佳奈に会いたい・・・・・)


 子に憚らず抱き合うアルフォード夫妻を見て、俺の中での佳奈への思いはますます大きくなった。俺はザルツのような立派な夫じゃないが、妻を愛する気持ちは誰にも負けない。俺もザルツのように佳奈を抱きしめたい。それができない今、胸をかきむしりたいくらいもどかしい。こんな情けない思いをいつまで続ければいいのだろうか。


 俺はアルフォード夫妻を見て、ますます現実世界へ帰るとの思いを強くした。その願いが届いたのか『商人秘術大全』を手に入れて商人属性を知り抜き、推薦枠を確保してサルンアフィア学園への入学を果たし、今帰る扉の前にいる。だから俺は何としても戻らなくてはならない。


 だが一方、モンセルにいる間、俺はアルフォード商会の基盤を盤石にすべく、次々と布石を打った。商売というか、仕事の面白さにのめり込んでいったという部分はあったと思う。現実世界への帰還と、エレノ世界での商機拡大。俺の中で相矛盾するものが生まれ大きくなり始めたのはこの頃からだ。


俺はまず事務系統に手を付けた。将来、俺やリサがいなくても同等の事務処理が行えるように人員を増やし、責任者教育を施した。おかげで俺の身体は空き、半年後にはリサは総責任者の地位となった。


 ザルツが偉いなと思うのは、そうした体制移行を年端も行かぬ、まだ十代の子供らの意向を汲んで、それを任せたという点である。こういうところに人間としての技量、度量が見えるのだ。こういう部分を見るに、ザルツは現実世界に来ても必ず成功するだろう。


 俺が学園に入る直前に傾注したのは、商圏拡大だった。元は独立商だった者をアルフォード商会に招き、彼らを国内の都市に送ってシェアを確保したのだ。王国第四の都市セシメルにはザール・ジェラルドが、第五の都市ムファスタにはジグラニア・ホイスナーが赴き、それぞれの都市ギルドの会頭に就任したのである。


 我がアルフォード商会は単一商会にこだわる他の商会と異なり、商人の有機的結合と連帯の場としての機能を高め、「企業化」していくべきだと俺はアルフォード家の面々には伝えている。それがどこまで理解されているのかはわからないが、俺が立ち去った後もアルフォード商会が隆盛を続けるには、企業への脱皮しかない。

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