040 ドーベルウィン伯爵

 ドーベルウィン伯の「商人剣術が見たい」との要望を受け、一同で鍛錬場に移動すると、俺は【装着】で道衣に着替え、練習用に使うイスノキの枝を握りしめた。そしていつもの要領で左足を前に出し、枝を大上段に構える。奇声を発しながら立て木に向かって枝を左右に打ち込みを始め、木に煙が出てくるところまで打ち込み続けた。


 必死にやって一呼吸置くと、クルトやドーベルウィン、スクロードはおろか、ドーベルウィン伯も呆気にとられた顔で俺を見ていた。そりゃそうだよな。叫びながら打ち続けるなんて狂気にしか見えないだろう。平然と見ていたのはアーサーだけだ。


「なるほど・・・・・鬼気迫る術だ」


「極めて実践的な剣術でございます」

「初太刀で決する事を主眼に置いた術であります」


 戸惑い気味なドーベルウィン伯にアーサーはあれこれ説明している。いかにも剣士同士というような会話だ。頷くドーベルウィン伯は俺に訊いてきた。


「アルフォード殿、その枝を持たせてくれないか」


 近づいてくるドーベルウィン伯に、俺は握っていたイスの木の枝を渡す。


「やはり、な」

「借りるぞ」


 そう呟くと、今度は枝をドーベルウィンに渡した。


「なんだ、これ! 重い、重いぞ」


 実際に手にとったドーベルウィンはその重さにビックリしている。


「当然だ。この木の枝、剣と同じ、いや剣よりも重いかも知れぬ」

「ジェムズ。今からあの木にアルフォード殿と同じように打ち込んでみろ」


 父親の指示に従って打ち込みを開始したドーベルウィンだったが、持ったこともない重い枝を振り下ろすのも一苦労。スローペースで振るのだが、それでも五振目でヘロヘロになってしまった。


「どうだジェムズ。これで分かったであろう。お前はアルフォード殿の足元にも及ばぬ。日頃の鍛錬、そして心構えが違うのだ!」

「剣の流派が異なるゆえ、同じ鍛錬を行えとは言わぬ。だが、今後は日々の精進に努めよ!」


 うなだれたドーベルウィンは父の問いに対し、小声で「わかりました」と答えるのみだった。


 ――ドーベルウィン伯が学園を後にしたのは、二限目途中。一同で馬車に乗った伯爵を送り出したのだが、直後にドーベルウィンとスクロードはその場でへたり込んだ。


「やっと行った・・・・・」

「ようやく終わったぁ」


 二人にとって今日は朝から試練の場だったのだろう。ドーベルウィン伯から受ける圧力からの解放で、気が抜けてしまったようである。ただ、この場にそのままいるのはマズイので、声をかけた。


「おい、とりあえず学食に行こうぜ」


 俺は二人を誘い、アーサーとクルトと共に学食「ロタスティ」の個室に入った。個室であれば食事は給仕が持ってきてくれるので、昼食時に他の生徒と顔を合わせずに済む。


「スクロード。よく頑張ったな」


「ホントにキツかったんだ。母上のお怒りがそれはもう」


 スクロードの母親でドーベルウィン伯の姉、スクロード男爵夫人の怒りは相当なものだったらしく、ドーベルウィンの家族もスクロード男爵も閉口するレベルだったらしい。女の人は恐ろしい。レティも先日の話を聞く限り、リッチェル家がかかってくるとスクロード男爵夫人と同じ振る舞いをやりかねないな、と思ってしまった。


「でも僧院送りは回避できたよ。本当にありがとう」


「・・・・・・・・・・」


 安堵するスクロードだったが、ドーベルウィンは下を向いて沈黙している。よほど危なかったのだろう。俺はアーサーに謝罪した。


「ドーベルウィンの身請けの件、了解も得ず勝手に振ってしまって申し訳ない」


 するとアーサーが首を振った。


「いやいや。あのときは「え、聞いてないよ」だったんだ。でも実際、あの時グレンがああ言わないと、事が収まらなかったよな」


「本当にすまなかった! 俺のために!」


 いきなりドーベルウィンが机に手をついて頭を下げた。


「ああ言ってくれなかったら、叔母上の意向で俺は確実に僧院送りになっていた。俺は救われた」


 やはりドーベルウィン伯の振る舞いを主導していたのはスクロードの母親、スクロード男爵夫人だったか。女傑猛者だろうな、多分。


「そりゃそうだよな。十五でザビエルカットだけは絶対に阻止したいもん」


 そう言って俺がドーベルウィンをなだめると、緊張した空気は一変、苦笑に変わった。


「確かにあんな髪型にはしたくないよな」


「あれは勘弁して欲しい」


 アーサーとスクロードは口々に感想を述べた。貴族にとって僧院送りは牢獄行きみたいなもののようだ。俺はフレディに聞いたことを話した。


「ウチのクラスにいる神官の倅に聞いたんだが、朝三時起床、一日二食らしくて、学園入って僧院送り全力阻止だったそうだぜ。イヤなのは貴族だけじゃないらしい」


「なにかとんでもない所みたいですよね」


 クルトが呆れたように呟いた。


「俺らの知らない世界はまだまだあるって事だ。正直、親の仕事の方がずっといいだろ」


「い、いや。まぁ」


 クルトの親は宮廷に出仕する官吏。確か財政部門の官僚だったはずで、僧院なんかとは比べ物にならない環境じゃないか。


「僕はそっちじゃなくて魔道士の方を・・・・・」


「そうなんだ」


 生徒会での仕事っぷりや、話を聞いても明らかに官僚に向いていると思うのだがな、俺は。そんなことを思っていると、給仕が食事を持ってきてくれたので、食事をしながら今後の対応について話し合った。


 当面はアーサーの作ったカリキュラムに従い、ドーベルウィンとスクロードはトレーニングを行うこと、今日は二人とも授業は出席せず、寮に籠もって明日に備えることの二つの点が決まった。


「正直言うと、明日から授業に出席するのが怖い」


 ポツリとドーベルウィンが言った。そりゃそうだよなぁ。あれだけ煽って賭博が盛り上がってしまったんだから。後の跳ね返りを恐れるのは当然だ。


「実技対抗戦で勝てばいい」


「・・・・・俺に勝てるのか?」


「心配するな。お前は聖戦士だ」


「は?」


 ドーベルウィンはポカンとしている。スクロードも目が点だ。


「だ・か・ら、お前は聖戦士。黒騎士ドーベルウィン伯から生まれた聖騎士だ」

「アーサーの組んだカリキュラムを全力でこなせば、そうそう負けることはない」


「・・・・・そうだったのか」


 ドーベルウィンが戸惑っている。俺はドーベルウィンに発破をかけた。


「実技対抗戦で勝って、文句の言う連中に見せつけてやれ!」

「それがお前が今やれることだ。スクロードに助けてもらった恩を返せ」


「よし、分かった。自分で蒔いた種だ。死に物狂いでやるよ!」


 ドーベルウィンもやる気になってきたようだ。とりあえずこれでなんとかなるだろう。


「レティ。いやリッチェル子爵の息女にも言っておく。あいつの圧は強い。だから心配するな」


「レ、レティシア様」

「お前、レティシア様まで使うのか!」


 レティの名前になぜかクルトとアーサーが反応する。君たちの本当にレティ大好きだな。


「ありがとう。俺も負けずに頑張る。何から何まで迷惑をかけてすまなかった」


「礼ならスクロードに言ってやれ。いい従兄弟いとこだぜ」


 頭を下げるドーベルウィンに俺は諭すと、今日は授業に出ない二人を残し、俺とアーサーとクルトの三人は先に個室を後にした。


 ――教室に戻る途中、クリスの従者トーマスと出会った。大変でしたねぇ、とドーベルウィンの件を囁くトーマスに「そうなんだよ」と応じた。トーマスとは前回の食事以来、クリスの窓口として俺と頻繁にやり取りするようになり、自然と声を掛け合う仲になっていた。


「今日あたり、いかがですか?」


 先週、クリスから誘われていた食事の件についてトーマスが聞いてきた。


「ドーベルウィンの事が片付いたし、キリのいいタイミングだから、今日がベストだな」


「でしたら今日に段取りします。お嬢様も楽しみにしていますし」


「そんなに楽しみにしてるのか?」


「グレンの話が刺激的ですからね。お嬢様はいつなの? とソワソワしています」


 そうだったのか。あのツンツン姫にそんな一面があるのか。以外な裏話に少し驚いた。正直、こっちは行き先不明のジェットコースターに載せられてるような感覚で必死なのだが、そういう見慣れぬ生き物を傍から見ていたら面白いのかもしれない。


「まぁ、僕もシャロンも楽しみにしてますんで、全員一致ということで」


 トーマスは楽しそうにクリスの席に向かっていった。楽しみと言っているのは本当のようだな、これは。トーマスの背中を見ながらそう思った。

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