021 駄戦から喜劇へ

 正面にノルト=クラウディス公爵令嬢の姿を確認した時、そんな芸をするのかと俺は思わずニヤついてしまった。


「クリス」


 俺がゲームをやっている時に付けた公爵令嬢の略称である。クリスティーヌでは長いし、言いにくいのでクリスと勝手にこちらが略して呼んでいた。


 同じようにアイリスを「アイリ」、レティシアを「レティ」と呼んでいたのだが、今こちらの世界で俺は実際に二人をその略称で呼んでいる。しかしゲームキャラではなく、人に、しかも女の子に向かって「略称」というのは失礼かもしれない。ここは略称ではなく、愛称と言ったほうがいいだろう。


 クリスと俺が呼んでいる公爵令嬢の周りをよく見ると、横にはクラスの右前にいる女の従者シャロン・クローラルが、その後ろには同じく男の従者のトーマス・フレインがいる。周りを見ているうちに邪心を持った俺は、逆にこのじゃじゃ馬令嬢に鑑定視を送ってやった。するとクリスは一瞬怯んだ表情を見せながら、なんと逆に鑑定視してきた。


(面白いやつだな。さすが悪役令嬢)


 もちろんクリスの鑑定視は俺には効かないのだが、やり返してくるその根性が面白い。こういう活きのいいヤツは可愛げがある。横にいる女従者クローラルの顔は引きつってはいたが、クリスには怯みが全くない。この気の強さが実に面白い。そう思いながら目の前にいるドーベルウィンの両肩に枝を大上段から打ち込んだ。


決闘は緩慢に続いていた。理由は簡単で、俺がドーベルウィンの動きを遅めたことと、俺が剣や刀ではなくて木の枝で戦っているからだ。最初からこちらのペースでの戦い、ダラダラした長期戦に持ち込むことしか考えていなかったのだが、単にその通りの展開になったに過ぎない。


 ドーベルウィンの動きが鈍い。俺のせいだが鈍い。鈍いので最上段の構えから立木打ちの要領で肩の左右にどんどん打ち込みを入れる。で、ドーベルウィンが剣を振り上げようとすると距離を取ってフレア波を受け流し、やられたフリをする。そして再び前に出て、先程と同じように大上段の構えから立木打ちの要領で肩の左右に打ち込む。


 今度はひたすらこれを繰り返す。飽きもせず同じことを繰り返すラクラク決闘。これぞルーチンワーカーの為せる術。途中、体力の減ったドーベルウィンが自分に回復魔法をかける余地を与えながらの戦い。今やドーベルウィンはサンドバッグならぬ「人間イスの木」となり、俺にとっては体の良い『人間立木』となった。


 試合開始から三十分。なおもルーチンワークは続いていた。なにせ木の枝。一撃必殺とはいかない。ドーベルウィンの体力を少しずつ、薄皮を削るようにしながらダメージを与えていく。こんな面倒な方法を採らなければならないのは、魔法剣『エレクトラの剣』に原因があって、要は剣と戦う意志がない事を示すために木の枝で戦っているのだ。


 こうすることで『エレクトラの剣』が目覚めないようにしているのである。目覚めてドーベルウィンが魔物になったって、俺にはどうすることも出来ないし、魔物の浄化をできるやつがこの学園に今の所いないので、こんなつまらない戦い方で戦うのが、実は最善手。


 しかし殆どの人間はそんな事は知らないので、ダイナミックな戦いを期待していた観衆は皆肩透かしを食らってしまい、当初の熱気はどこへやら。下手なやられる演技をしながら淡々とスキームをこなす俺と、ノロノロしながらたまに効きもしないフレア波を放つだけのドーベルウィン。こんな『駄戦』に、闘技場内の空気はダレダレとなってしまっていた。


 これがゲーム上の男性攻略者、例えば正嫡殿下アルフレッドや剣豪騎士カインであればそうにはならないだろう。ゲームの進行次第だが、観客好みのドラマチックな展開で勝利を収め、ヒロインの祝福を受ける展開になるに決まっている。確かゲームの決闘イベントでもそうだった。しかしこの決闘は、ゲームの登場人物とは無関係のモブと、そのモブにすらならないモブ以下の駄戦。


 そもそもドーベルウィンというモブとグレン・アルフォードというモブ以下の存在である俺との戦いにドラマを求める方が間違っているのだ。しかもそんな駄戦に学生が二億ラント、日本円換算で60億円という巨額を賭けていること自体が狂気の沙汰というもの。そんなことを平然とできるこのエレノ世界は、全ての感覚がおかしいのだ。


 もっとも、それを煽ってしまったという部分では俺の責任がないとは言わない。しかし俺も人間、君子聖人ではない。クソ舐めた人間を見たら、その性根を叩き直してやろうという誘惑に負けることだってある。ワインの勢いもあって、ついついレティの煽りに乗っかかってしまっただけなのだ。


 そんなことを考えながらやられた演技をしていると、突然アルトの声が闘技場全体に響き渡った。


「おーいグレン! ドーベルウィンに賭けてる人達のために手加減してるの、分かってるんだからね!」


 観客席から立ち、こちらに向かってにこやかに手を振るレティ。なんてことを言うんだ、君は! 闘技場が凍ってしまってるじゃないか! レティを見てそう思っていると、なんと隣のアイリまでが立ち上がってしまった。


「グレン。すっきりと倒してあげるのも人の情けというものですよ!」


 アイリが発したソプラノの声が天をも抜けるが如く闘技場全体に響き渡った。それは天使が舞い降りるフラスコ画を彷彿させるような声質だったが、言っている内容は神罰の裁きのように残酷だった。


 やめなさいアイリ! 天然でそんなヒドイ事を言っちゃダメだ! そう思った俺はすぐさま言い返してしまった。


「キミら、本当の事を言っちゃダメだ! こっちは加減するのに必死なのに!」


 俺の発した言葉によって、静寂の中にあった闘技場の空気は一変。一気に阿鼻叫喚の叫び声に包まれた。


「おい! 手加減ってなんだ?」

「え! 俺のカネが消えるのか?」

「私、持っているお金全部賭けちゃったよ!」


 これまでの緊張感のない、だらけた・・・・、つまらない試合展開によって、勝敗の意識から遠のいていた多くの観客が一斉にリアルの世界に召喚されてしまった。レティとアイリは人々の逃避していた精神を無慈悲にも肉体に押し戻したのだ。凄いぞ主人公補正。恐るべしヒロインパワー。


「ワハハハハハ! 最高だよ、最高!」


 セコンドについているアーサーが手を叩いて思いっきり爆笑している。隣のクルトまで噴き出していた。一部の観客も爆笑している。こいつらは俺に賭けているか、博打に加わっていないかのどちらかに決まっている。観客の大多数がお焼香状態になっているのを見ても明らかだ。


 一方、俺と対するドーベルウィンは顔が蒼白になってしまっていた。尖った自慢の鼻もしおれてしまっているように見える。自分が限りなく手加減されていて嬲り者にされていることを知ってしまったからだろう。いや、そうではなくて、お前が持っている魔剣様をなだめるためにこういう戦い方をしているだけなのだが。


 しかし、そんな状況下であろうが俺は今回の決闘用にカスタマイズした戦闘のルーチンワークを続ける。やられたフリをしながらの演技も手を抜かない。たとえモロバレになろうとも、性格上、闘技場の観衆にこれ見よがしにやり続けるのが俺なのだ。


「この決闘の名誉を守るためにアルフォードは潔く負けを認めるべきである!」

「貴族が敗北してはいけない不文律によって勝者はドーベルウィンだ!」

「いい加減な戦いをやってるアルフォードは失格よ!」


 俺の揺るぎなき戦い方に我慢できなくなったのか、ドーベルウィンに賭けたと思われる連中が、頭のイカれた悲痛な叫びを闘技場のそこかしこで上げ始めた。駄戦から悲劇、そして悲劇は今、笑いにもならぬ喜劇へと昇華しようとしている。あまりにも酷いので俺は闘技場全体に向かって声を張り上げ、思っていた事を言い放ってやった。


「これがお前らの見たかった二億ラントを賭けた喜劇だ! 黙って最後まで見ろや!」


 俺の挑発に一部の観客が憤怒のあまり言葉にすらならない声を上げている。あれはもう単なる奇声だ。今や闘技場は壮大なコントの場へと変貌してしまった。総事業費六十億円のコント、無駄だと言われる国会一日数億円なんてものは比ではない。こっちの方が明らかな無駄遣いだ。


「もう下手な演技しなくていいからね。グレン!」

「面倒だからそこで一気に決めちゃいなさいよ~」


 観客席で屈託のない笑顔を振る舞いながら、絶望的な文言を誰もが聞こえるアルトの声で放ちまくるレティ。俺に手を振り、周囲の注目完全無視で突っ走るその姿はヒロインではなくて悪魔そのもの。今や俺とレティは誰が見たって完全共犯者。俺がそこから逃れられる術はどこにもなかった。


 レティの横ではアイリが観客席を絶望的な空気が覆っているのに、我関せずと無邪気に俺に手を振っている。その背後には、あいも変わらずまばゆいばかりの五光が差している。自分の周りに一人異世界を現出させるアイリ。これはもうヒロインの力の無駄遣いにしか見えない。


 俺は主人公補正の恐ろしさを改めて知った。もっと怖いのはレティもアイリもその力に対して全く自覚がなさそうなことだ。多分二人に説明しても理解してもらえないだろう。これならば事情を知らぬモブなぞ、あっという間に轟沈だ。取り扱いに気をつけるどころの話ではない。


「ブハハハハハハハハ!!!!!」


 アーサーはこの恐るべき風景を目の当たりにし、遠慮することなくリングを叩いて爆笑していた。リング脇というVIP席、360度フルパノラマで見る喜劇はさぞ壮観なのだろう。横のいる控えめなはずのクルトでさえ笑いがこらえられず、手で口すらも抑えていない。この決闘、終わる前からあらゆる意味で破綻していた。


「く、くそう!」


 ドーベルウィンが最後の力を振り絞って魔法剣を振りかざそうとしていた。この救いのない駄戦、ある意味こいつだけが真剣だった。しかし、もう既にドーベルウィンの体力も魔力も尽きている。俺は大上段の構えから枝を両肩に連続して振り下ろす。そして9発目、遂にドーベルウィンが崩れ落ちた。


「終わった。勝者は俺だ!」


 モブとモブ以下とのつまらぬ戦いはこうして終わった。俺は枝を高々と掲げた後、そのまま進行役の教官に枝先を向ける。呆然としている教官に「早く言え!」と指図してやると、ようやく仕事を始めた。


「決闘の勝者はグレン・アルフォード!」


 闘技場は大きくどよめいた。単にドーベルウィンの敗北が決まっただけではなく、ここにいるヤツの多数が賭けに負けた事が確定した瞬間だったからだ。俺は枝を両手で前に立て、地を這うような低い声で宣言した。


「私グレン・アルフォードは決闘に勝利した権利を行使し、次の事を要求する!」


「一つ! ドーベルウィン伯爵家当主に今決闘の因について対面謝罪を要求する!」

「一つ! 賭けたドーベルウィン伯爵家を今後どのようにするのか説明を要求する!」

「一つ! 『エレクトラの剣』の伯爵家内での取り扱いについての説明を要求する!」

「以上!」 


 観客席は静まり返っていた。一介の平民、しかも学生が貴族、伯爵家に向かって糾問するなど、全くあり得ない事だからである。そんな空気を尻目に俺は枝を脇に納め、ドーベルウィンに近づいて『エレクトラの剣』を取り出して封印した。


「これはドーベルウィン伯の来訪まで預かっておこう。魔法剣は魔剣。みだりに振るうものではない」


 俺の声が闘技場に響く。厳かな雰囲気にして、観客に声を発させないよう、わざと低い声を出したのだが、その意図通りとなったようである。俺は『エレクトラの剣』を持ってリングを降り、アーサーとクルトに合図して速やかにフィールドを出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る