016 潰え去った婚約
ノルデン国王フリッツ三世が第二王子アルフレッド殿下の婚約話を否定したとの話が学園に流れたのは、正嫡殿下と公爵令嬢が婚約話を否定した二日後の事である。
正確には王宮で開かれていた小規模な晩餐会での挨拶で「現段階で第二王子の婚約の話はない」と、婚約話の存在そのものを否定する形のものであったらしいが、額面通り受け取る者は皆無だろう。俺の予想通り、婚約話は流れたのだ。
これによって正式に正嫡殿下アルフレッド・ヴィクター・アルービオ=ノルデンと公爵令嬢クリスティーナ・セイラ・メルシーヌ・ノルト=クラウディスの婚約話は消え去り、ゲーム『エレノオーレ!』の世界観は前提は根底から覆された。軸となる話を失って、どんなシナリオが待ち受けているのか、俺には皆目想像できない。
ただ、この婚約解消。悪役令嬢クリスティーナにとっては良かったのかもしれない。婚約の束縛から開放されて、悪役として振る舞わなくてもいい可能性が高いからだ。そういえばこの『エレノオーレ!』。ヒロインが二人いるように、悪役令嬢もダブルキャストだ。
メインの悪役令嬢であるクリスティーナの他に、サブキャラ的に登場するのが悪役令嬢カテリーナ。カテリーナは自分が選択したヒロインが正嫡殿下以外の対象者を攻略した時に登場する恋仇で、色々チャチャ入れしてくるキャラである。特定の婚約者がいないので、正嫡殿下と婚約しているクリスティーナよりも影は薄いのは当然だろう。
だがしかし、今の俺には正直『エレノオーレ!』話にかまっている余裕はない。明後日に迫ったドーベルウィンとの決闘と金貸し屋問題という、二つの懸案に手一杯なのだ。正確には金貸し屋問題一つなのだが、あれもこれもという切迫感が俺を不快にさせる。
昨日はピアノと図書館の予定をキャンセルし、半日自室に籠もって金貸し屋問題を思案した。エッペル親爺から話を聞いて四日。当初に比べ幾分か心が落ち着いてきた。昨日はワインもいつもの量に戻り、比較的クリアに問題整理と対策法について冷静に向い合えるようになったことで、俺の考えも纏まってきた。
命を狙われているという、身の危険に対する焦燥感はあるものの、相手もまだ俺を特定している訳ではないので時間はある。また相手側が判れば最悪、こちらの方から刺客を雇って襲いにかかるという手もある、なんて考えていると気が楽になった。やはり発想の転換は必要、今日はピアノと図書館に行けるメンタルになっていた。
そういうことで昼、いつもと変わらずアーサーと学食「ロタスティ」でメシを食っていた。話題はもちろん婚約話の解消。アーサーは俺の読みを称えながらバクバク肉を食うという展開。あとドーベルウィン戦において、ウインズも俺のセコンドに付けたいと提案してきたので、すぐさま快諾した。
アーサー曰く「ウインズは当事者だから、キチンと行く末を見届けさせてあげなきゃいけない」とのこと。さすがアーサー、こういう目の行き届き方はきっと親譲りなのだろうな。そんな風に思っていたら、俺の脇に誰かが近寄ってきた。
「グレン。話があるの」
声のした向きを見上げると、腕組みし、エメラルドの瞳ですっくとこちらを見下ろす女子生徒。そこにはレティがいた。顔を見るに何か怒っているようだ。俺には全く覚えがないが、ここはトボケておいたほうが良さそうだ。
「よっ、レティ。どうしたの」
「どうしたもこうしたもないわよ!」
声が半音階下がった事を考えると、レティは少しイラついているようである。しかし、怒った顔がやけにキレイだ。いつもに増して美少女オーラを出している。アーサーを横目で見るとポカーンと惚けていた。周りの人間も一同こちらを凝視している。レティもやはりこの世界のヒロインだ。
「今日の放課後、時間ある?」
「ああ、大丈夫だ」
「だったら、「ロタスティ」の個室を取ってあるから来て。アイリスも心配しているから」
あ、そういうことか、と思ったのもつかの間、レティは「じゃ」と立ち去った。颯爽と歩くレティの後ろ姿がこれまた美しい。うう〜ん、オーラが出ているよなぁ、
。さすがだ。
「おいおい誰なんだ? デートのお誘いか?」
それまでと一転して、俗っぽい野郎の声で身を乗り出してきたのは、他ならぬアーサーだった。
「いやぁ、お前凄いな。人付き合いを避けてるように見えるのに、あんな美人と仲良くなってんのか」
「いやいや、勘違いだからアーサー。レティとは成り行きで知り合っただけだし」
でも誘われてるじゃん、お前。とガキのように囃し立ててくるアーサーに、レティの事を説明してやった。
「あれはレティシア・リッチェル。リッチェル子爵家の息女だ。あれの友達の件で話があるだけだ」
友達? と食いついてくるアーサーに、レティの女友達の件で相談があって、その女友達も一緒に立ち会うってことのようだ、と説明してやった。もちろんアイリの事は一言も触れない。アイリ絶対防御陣だ。
「羨ましいな、お前。あんな美人とお近づきになれて」
アーサーは女友達の件ではなく、レティの方に感心が向いているようである。こいつ硬派に見えてグダグダやがな。アイリの方に目が向かないなら、別にそれでも構わないが。
まだ女耐性のないアーサーを尻目に、じゃ行くぜ、と俺は立ち去った。
俺は三限目が終わると器楽室に入って、一日ぶりにピアノを弾きながら放課後の戦略を練った。アイリも来るという事は、おそらく図書館に俺が来ない件を問い正す為だろう。ダンジョンの件の礼を言いたいのになぜ来ない。決闘の事なのか、私が悪いことをしたのか、気にかかるとレティに相談したのだろう。
ということで考えることは一つ。二人よりも先に部屋に入るか、後に入るか、どちらが有利であるかという事。誘われているので待たせることも交渉術の一つだが、女性を待たせるのは野暮というもの。先に行くほうが素直にいいだろう。何よりもアイリと会える。今日は指の動きも軽ろやかだ。ピアノの練習を早めに切り上げ、学食「ロタスティ」に向かうことにした。
「やぁ」
レティが取ってくれた部屋に先に入ってきた俺は、後から入ってきた二人を笑顔で出迎える。アイリは俺にダンジョンの件の礼を言って頭を下げ、レティはいきなり呼び出した件を侘び、それぞれ席に座った。レティは素面だったが、アイリの方は少しこわばった感じで、心配させて申し訳ないと思った。
「早速なんだけど、何かあったの?」
おそらく事前に手配していたのだろう。ティーセットが到着すると、レティがすぐさま直球を投げてきた。
「図書館にグレンが来ないので・・・・・」
アイリが続く。やはり予想通りだった。俺は事前に用意してあった文言を詠唱した。
「いや、実はダンジョンに行った翌日、急に仕事の件が入って、その処理に追われていたんだ。大体、纏まったんだけど、どこと話をすべきかが決まらなくて」
相手側から呼ばれた際には、こちらから話を振るようにして場の空気を変え、こちらに主導権が移るようにする。向こうの質問に対し質問で返すことによって、都合が悪い部分を消してしまうのだ。ウソは言っていない訳で問題はない。
「具体的には王都ギルドの大手商会の誰と話をするべきかなんだけど」
「四大商会の事ね」
レティが返してきた。貴族なのに少しは知っているようだ。
「ああ。その四つのうち、どこと話をするべきか」
「ダメな所あるの」
「トゥーリッド商会だな。あそこはウチと同業だ」
レティの質問に俺は即答した。トゥーリッドはノルデン第二の都市レジドルナのギルドの会頭。ウチと重なる。こんなとこと組めば王都と地方の戦いの構図を作りだし、叩き出されてしまいかねない。まず無理だ。
「レジドルナを牛耳るトゥーリッドがダメとなると残る三つの中ね」
「一番小さいところからじゃダメなんですか?」
アイリがレティの呟きを遮るように言った。
「大きい所に断られて小さい所に行けば、相手の方は軽く見られたと思うのでしょうが、小さな所に断られて大きな所に行っても、相手は嫌な気持ちにならないのでは、と」
なるほど。アイリの説明に感心した。俺は誰となら話ができるか? 聞いてもらうことばかり考えていたが、この話相手がどう反応するかわからない。断られても問題がないように、次の所を回る事を考えた方がある意味確実。理にかなっている。
「小さい所から回る。総当たりを考えろってことね」
レティの言葉にうんと頷くアイリ。話を聞いて確信した俺は即断した。
「ちょっと時間をくれるか?」
二人に了解をもらって魔装具を取り出した。レティはいきなり現れた魔装具にビックリしたが、アイリが俺の商人特殊能力【収納】の力だと説明すると、俺の方を見て羨ましがっていた。ギルドの帰りは早いが今なら間に合う。俺は出した魔装具で早速エッペル親爺と連絡を取った。
「まいど!」
エッペルと俺はお互いに商人式挨拶で呼びあった。関西弁なのはおそらく仕様なのだろう。モンセルでも使っていた謎の挨拶だ。
「もうトンズラしたかと思ったぜ!」
「こちとら売れるビートは一つもねえよ!」
憎まれ口を叩きあう俺らの商人漫談に、目が点になっているアイリとレティを尻目に話を進める。
「すまんがファーナス商会と話がしたい。段取りしてくれ」
「おう分かった」
エッペルは快諾してくれた。ファーナス商会は老舗だが王都ギルドの序列第四位。アイリのアドバイスに従い、最初の交渉相手に選んだのである。
「ファーナスの方もお前さんに会いたがっていたからな。いけると思うぜ」
ファーナス商会が? ちょっと驚いた。少し希望を持ってもいいかもしれない。
「ところでグレン。お前、金貸し屋が殺し屋を募集しとるぞ」
今それ言うか!
エッペルの声に、目の前の二人が硬直している。
「気をつけろ! あいつらガチだ」
「分かった分かった、気をつけるよ、親爺。じゃ!」
俺は慌ててエッペルとの会話を切った。だが俺の顔に突き刺さる、四つの冷ややかな視線が痛い。
「グレン。どういうことですか!」
アイリの声が一オクターブ下がっている。マズイ、これはアカンやつや。俺は心の中で頭を抱えた。
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