014 ビート相場

 ギルドから寮に帰って来ると部屋の前でウインズとばったり出会った。俺とウインズとは寮の隣室。生活スタイルが違うのか寮で会うことは殆どなかったのだが、今日は珍しい。ウインズは俺の顔を見ると、申し訳なさそうな顔で頭を下げてきた。


「アルフォード君、決闘の話、ごめん。こんな事になってしまって」


 ウインズはドーベルウィンに絡まれた後と同じことを言ってきた。お前が悪くないと言っているのだが、気弱な性格なのだろう。あの日の事をまだ気にしている。事実、絡まれただけで全く悪くないのだが。


「前も言ったと思うけど、ウインズ、お前は何も悪くないんだ」


「でも・・・・・」


「心配するな。負けはない。お前のクラスのアーサー、ボルトン卿も言ってるだろ」


 ボルトンとウインズは同じクラスで、ボルトンにはウインズの件を頼んであった。


「うん、アルフォード君が絶対勝つからと安心しろ、と」


 実にアーサーらしいストレートな物言いだ。こんな言われ方をしている以上、勝つ以外の選択肢はない。


「だから心配する事はない。大丈夫だ」


俺はウインズに向かってニヤリと笑い、その肩を叩いて自室に入った。


 部屋の椅子に座った俺はゲンナリした。ドーベルウィンの決闘話に続いて、金貸し屋の付け狙い。どうして次から次へと面倒事が起こるのか。これじゃ昨日のアイリとの楽しいひとときなんか全部パーだ。気がつくとワインを取り出し、グラスに注いで一杯あおった。


「気をつけろと言ってもなぁ」


 エッペル親爺の言葉が俺の脳裏に反芻する。ビート相場で俺も少しやりすぎたのかもしれない。俺のゲーム知識とエッペルの助言とを組み合わせ、多い時には週利二四〇〇%という無茶な利回りを達成したりしていたからである。


「無茶と言えば無茶だよな」


 現実世界でこんな事ができてしまったら、社会が混乱するどころか破綻してしまう。しかしそれができてしまうのがエレノ世界の恐ろしさで、そんなデタラメな社会だからこそインチキ相場が存在できてしまう。俺はグラスに注いだ赤ワインを口に含ませながら考えた。


俺がゲーム知識を生かしたのはビート相場の傾向、いわゆる変動パターンを見極めて取引を行った部分だ。ゲームを進めるさなか、ビート相場に幾つかの変動パターンがあり、その結果価格が動く方向を見極めることができるようになったのである。


 変動パターンは大きく分けて急上昇型、上昇型、停滞型、下落型の四つあり、ビート相場で利益を上げるには停滞型と下落型で損をしないよう、事前に察知して売りさばく事が大きなポイント。いくら急上昇や上昇で利益を上げても、そこで損をしてしまえば意味が半減してしまう。


 またビートは二週間で腐ってしまい、価格価値が一ラントになってしまうので、さっさと価格動向を見極めて売り抜けなければ大損してしまう。であるから、同値決済や損切りで被害最小限に抑え、急上昇や上昇相場で爆益狙いという方針で戦う。それがゲーム『エレノオーレ!』におけるビート相場のセオリー。


 ところがリアルのエレノ世界は違う。商人属性を持っていればそれ以上のやり方ができてしまうのである。まず商人特殊能力【値切り】で相場値より安く仕入れることができる。今の俺なら三五%値切る事ができるので、一ビート六〇ラントならば三九ラントで買えてしまう。この値は下落型の価格よりも低い。つまり、まず損をすることがないということ。


 加えて【ふっかけ】によって二〇%ほど高値で売ることができるので、下落型で四五ラントになっていたとしても五四ラントで売れる。三九ラントで仕入れ、五十四ラントで売り抜ける。下落型で損切りするどころか、逆に四割近くの利が出せるという恐ろしい決済ができてしまう。


 これが急上昇型であれば相場は七〇〇ラントの昇龍拳となってしまうので、ふっかけて仕入値の二〇倍以上の八四〇ラントで売り払いなんていうチート取引が成立してしまう訳だ。だからビート相場で俺が負けることはなく、どこまでいっても爆益しか出ない。


「まぁ、勝てるから勝つことしか考えていなかったが、勝つことにこだわりすぎたかな」


俺は同じ作業、反復作業が大好きだ。一度いけると思ったら果てしなく続ける。反面、不定形作業やその場のフィーリングで瞬時に決めるようなアドリブ仕事が苦手で、四十七歳で課長補佐止まりなのもそれが大きな原因。世渡りや臨機に欠けているのだ。


 だからこそ社畜生活一筋のルーチンワーカーなのだが、故に定型業務を極めていく、あるいは研究していくことは大好きである。そういう気質の俺にとって、このエレノ世界でのビート相場は更に利益の高みを目指せる取引、信用取引は研究するに値するものだった。


 信用取引とは買ったビートを担保として、ビートあるいは他の品物を買うことができる取引で、現実世界にも存在し別名「二階建て」とも言われる。例えば六〇ラントのビートを一〇個買えば、それを担保として六〇〇ラント分のビートが買うことができるので、持ち金以上の取引ができるのだ。これがエレノ世界のビート取引には使える。


 ところがこの信用取引、相場が下落して四五ラントになった場合、担保のビートが六〇〇ラントから四五〇ラントとなってしまい、信用取引で六〇〇ラントのビートを買っていた場合、担保に一五〇ラントの欠損が出る。その穴埋めの為に追証といって、新たにカネを補填する必要が出てきてしまう。


 故に信用が怖いとされているのだが、商人属性の俺の場合は話は別。『値切り』で仕入れたビートであっても取引値分の担保となってしまうので、仕入値三九ラントなのに相場値六〇ラントの価値があるビートになってしまうからだ。チートレベルの下駄を履いているようなもので、信用枠いっぱいを使い切る信用全力二階建てのような無茶をしない限り追証はあり得ない。


 ビートの現物取引と信用取引、それに加えてビートを売り抜けた後にマヌタリンという金属を買って週明けに売るという方法で資金をフル回転させたことによって、入学時にザルツから預かった三〇万ラントも今や五六〇億ラント。無茶と言えば無茶かもしれぬ。


 ただ、相場取引の力の源泉だったビートの数も七桁に達した頃から、取引個数が頭打ちになってきた。無限だと思っていたビートの数が有限だったのである。現物で発注できる限界数を注文すると、それ以上ビートが買えなくなってしまった。現実世界で言う品切れが発生したのである。


 ゲーム世界だから適当な設定なので無限にあるのだろう、と思っていたのだが、それは俺の勝手な思い込みに過ぎなかったようだ。言っては何だが実需のようなものが存在し、それが七桁七〇〇万程度ということなのだろう。しかしビートを使った産業や料理を見たことがないというのが、いかにもエレノくさいインチキさではあるのだが。


「これだけカネがあってもどうだと言うのはあるんだが・・・・・」


俺の今の資産を現実世界の価値を換算してみる。仮に学食で考えたとして一〇ラント=三〇〇円とした時、一兆六八〇〇億円となってしまう。そんな無茶な額を十五歳の学生が現物で持っている方がおかしい。エレノ世界は全てがイカれているのだ。


 ただ俺の場合、金の亡者となって取引し、こんな資産になった訳ではない。商人属性の俺は大商いをすることでレベルが上がるからで、取引していかないとレベルが上がらない。タダでさえレベルが上がるのが遅く、上がっても能力が上がるペースが緩慢。その上、ダンジョン攻略や鍛錬で上がるレベルではなくなっている。


 ルーチンワーカーとしての俺の気質と商人特性を考えた時、取引をやめる、あるいは縮小するなんてことは考えられない。だが、今のままでは金貸し屋の恨みを買い、エッペル親爺の言うように命を付け狙われて怯えながら暮らさなければならないことになる。恨まれたところで、この世界とおさらばするので問題ないが、その前に殺されたらたまったものではない。


 チビチビ飲んでいたグラスのワインがなくなった。いつもなら一日一杯に制限しているのだが、今日はグラスにワインを注ぐ。昨日といい、ちょっと飲みすぎかなとは思うが、命を付け狙われていると言われて平静である方がおかしい。


 しかしよく考えてみれば、現実世界でも殺人事件の多くがカネ絡みだったような気がする。確かにカネは怖い。人を変えてしまう魔力がある。そう考えればエッペル親爺の警鐘は聞くに値するものだ。


「いっそのこと、俺があいつらにカネを貸すことができればいいのにな」


 今ある俺の資産の半分を連中に回せば、金貸し屋もおとなしくなるかもしれない。連中から見ても俺の資産は天文学的金額だろうから。それを低利で貸し、連中は高利で人に貸す。そうすれば金貸し屋は自己資金を使わずして、巨額の融資を行い、金利のサヤをとって儲けることができる。


 この世界の金貸し屋は個人事業なので、カネは基本自己資金だ。だから金貸し屋がカネを貸す能力に限界があるし、踏み倒されれば商売がたちまち行き詰まる。ここの連中に人からカネを借り、そのカネを人に貸して商売するなんて発想はない。


「だが俺みたいな若造の言うことなんかマトモに聞かんだろうからな」


 カネを借りて利ザヤを稼ぐスキームを渡す。アイディアとして悪くはないだろうが、あいつら、多分一学生にしか過ぎない俺の考えなんざ相手にもしないだろう。もう少し熟考する必要がある。頭を回していたら、なんだか眠たくなってきた。俺はグラスのワインを飲み干すと、そのままベットに潜り込んだ。

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