013 取引ギルド
朝、俺は清々しい気分で目が覚めた。これもひとえにアイリのおかげ。昨日、馬車で学園に戻ってきた際、アイリに頼んだのである。
「俺もアイリと呼んでるんだから、アイリも
「はい、グレン」
アイリはニッコリと微笑んで、俺の願いを聞き入れてくれた。別れ際、手を振ってくれるアイリを見て改めて幸せな気分になる。ああ娘もアイリみたいな子だったら良かったのになぁ、と小さい時の
「おとーさーん」と駆け寄ってくる愛羅。本当に可愛かった。それがいつの頃からか目を合わせず、口をきくこともなくなってしまった。挙げ句、進学のために家を出て一人暮らし。今頃あいつはどうしていることやら。という俺も今や学生、学園暮らしな訳だが。
その学園の方は本日もお休み。俺は入学式以来、休みの日に学園にいたことがないので、休日初の在寮日ということになる。
エレノ世界では曜日の概念がなく、平日と休日しかない。月曜火曜がないのだ。最初混乱したが時期に慣れた。一週間は七日、いわゆる五勤二休。学園の授業もこれに準じる。また国王誕生日や建国記念日などという祝日も存在するので、曜日がない以外、現実世界と変わりない。
俺は朝、平日カリキュラムと同じように動いた。七時前に鍛錬場に入り、立木の打ち込み。違うのはいつもなら九時過ぎに終えるのだが、今日は授業がないので十一時過ぎまで打ち込んだ。大体七〇〇〇回強の打ち込みは久々である。気分が良いのとドーベルウィン戦が近いこともあって、気合の入った鍛錬だった。
今日は珍しく、鍛錬次いでに学園の敷地内を散策した。実は平日は授業、休日は出かけていて、何も考えずに学園内をウロウロするなんて事は今までなかったのである。攻撃魔法を使わないので寄り付きもしなかった魔導訓練場や、素手格闘のトレーニングの為の武道館なんて施設があることを初めて知った。
俺は知らなかったのだが、店屋まである。女子生徒らが何か食べているようなので、覗いてみるとなんと「スイーツ屋」。そして屋号までも「スイーツ屋」! なんてヒドい設定なんだ、これ。どうして学内にあるのか、離れの一軒家のスタイルなのか、全く理解できない。多分、アホなエレノ制作陣による設定なのだろう。一体誰が考えたんだ、これ。
営業時間は平日十五時から十八時、休日は十時から十八時のようで、採算が取れているのかどうかは不明。けっこう人はいるので味はそこそこなのだろう。事情はどうあれ店があるわけで、機会あればアイリと一緒に来てみたいところだ。
寮の裏側に回ると、敷地外にある黒屋根の屋敷が見えてきた。屋敷は学園側から見れば目立たない位置にあるため、生徒らの間でも知られていないようである。少なくとも俺はこの建物について話を聞いたことがない。敷地の境界線まで行って見ると、相変わらず中には人はいないようだ。
よく見ると、馬車溜まりがある。馬車溜まりということになると、やはり貴族の邸宅、それも上位貴族の屋敷なのだろう。しかし、こんな立派な建物を放置できるってのは、貴族というのはどこまでも儲かるものなのだろうな、と思う。何故なら王都に、ここ以外の屋敷を持っているからこそ、この屋敷を放置できるのだろうから。
昼からは馬車で街に出た。昨日ダンジョンで回収したミスリル原石を精錬所に持ち込むためである。ついでに久々に取引ギルドに回り、挨拶がてら直接取引予約をしようと思った。商人は一つの目的の為に出歩くのは禁物、最低二つ以上の用事を抱き合わせて動かなければならない、というのはザルツの教え。
まず精錬所の方を回ったが、休みにも関わらず現場は動いていた。なんでも需要が増えたことで作業場はフル稼働らしい。仕事の依頼が増えたら働くのはどこの世界も同じだ。俺は商人特権を使って昨日回収したミスリル原石を渡し、ミスリル鉱石に精錬するよう依頼した。
こういうとき俺は手数料を払うのではなく、その対価を材料の一部として渡すことでカネを動かさない。物々交換にしてしまうのだ。カネが動かないので、金属相場に左右されずに対価を支払うことができるのと、租税回避ができることである。
更に俺の場合、手数料にも商人特殊能力【値切る】が使えるので、三五%引きの材料分の引き渡しで済む。まず損がなく、確実に利益が上がる状況を作り出す。そして最後は【ふっかけ】を使い、高値でミスリル鉱石を売りさばけばいいだけだ。
ざっと見たところ、ミスリル鉱石が四五〇〇個程度で、相場が七〇ラント程。だから三〇万ラント程度の売上。昨日の全費用を合わせても一〇万ラントいかないので、余裕で二〇万ラントの利益が出る。普通の人間が同じ手法をやってもこうにはならない。商人属性万歳だ。
俺は精錬所を後にして取引ギルドに向かった。取引ギルドとは商品取引所。ゲームでは道具屋として登場していたのだが、そこは一般向けの出店であって実際には商人だけが入ることができる場所があり、そこで商人が商品を取引している。
ここでいう商人とは文字通り仲買人のことであり、だから商品価格も変動する。もちろん取引ギルドにとって、一般向けの道具屋よりもこちらの方がメインの仕事であることは言うまでもない。俺は一般客としてではなく、商人としてここに出入りしている。
「おい、気をつけた方がいいぜ。アンタ命狙われるぞ」
久しぶりにギルドにやってきて直接取引話をしていると、応対してくれたエッペル親爺、立派な白髭を顔にたくわえた取引ギルドの責任者ドワイド・エッペルが小声で俺に囁いてきた。
「ビート相場で大損した連中にカネを貸している連中が殺気立っとる。『誰がビート相場を荒らしてやがる』と」
「俺じゃん、それ」
思わず呟いた。学園入学以来、俺はギルドに出入りして、ビート相場を主戦場として戦ってきた。ビートとは別名テンサイ、砂糖大根。この現物をギルドで売り買いし、サヤを取って利を出す。
このビートを売買して資金を増やす手法は『エレノオーレ!』でも存在した。課金必須と言われるこのゲーム。俺は無課金縛りの中、ビート相場でカネを稼き、高額レアアイテムなどをゲットして、力ずくでシナリオをクリアしたのだ。
そもそもこのビート相場、数日で価格が十五倍に上昇する昇龍拳になったり、どんなに無茶買いしようと翌週になれば価格が元に戻ったりと、いかにもエレノ世界らしいインチキ相場。価格動向のパターンを読み解けば簡単に利益が上がる。俺はそのゲーム知識を駆使し、入学以来ビート相場で爆益を得ていた。
「ああ。だから気をつけろと言ってるんだよ」
エッペル親爺の声に俺は現実に戻された。エッペルは俺の親爺の紹介状を通じて懇意になった初老の人物で、エレノ世界における取引方法について色々アドバイスしてくれた気のいい親爺。
乙女ゲーム『エレノオーレ!』では取引に色々な制約があった。例えば購入上限が最高九九九に制限されていたり、購入が取引ギルドに直接赴かなければならなかったりする事である。
購入上限のデメリットは、一度買うと相場値が変わってしまうという、ゲームの仕様によるものだ。例えば一回目九九九個のビートを買ったときには七〇ラントだったものが、次に九九九個のビートを買うときには七五ラントになったりしてしまう。つまり購入制限によって利が失われ、トータルの買値が高くなる事で、相場が下がったときに損をしやすい環境が作られ易い。
ギルドに直接行かねければならないリスクというのは、平日初日の初値が一番安いため朝の授業をサボって買いに行かねばならなかった事で、授業をサボれば不良とみなされ攻略対象者の好感度が落ちてしまうため、カネと好感度がバーターとなっていた。
活動的なレティならそこまで下がらないのだが、これが真面目なアイリだったら好感度ダダ下がりで、その低さからルートに辿り着けずジエンドで泣かされるハメになる展開となってしまう。だからゲームではレティが友達でアイリが親泣かせだった。
しかし、このエレノ世界では九九九の仕入数の上限がない事で連続注文する必要がなく、ゆえに買値が動くこともない。更に電話のように声が伝達できる魔装具によって、学校からでもギルドへ注文が可能で、わざわざ学校を抜け出して相場に出向くこともなくなった。
更に言えば予約注文や予約売却。指値取引、信用取引といったゲームではなかった様々な取引が存在しており、相場で商人特殊能力【値切り】や【ふっかけ】を駆使した取引まで可能となっていた。そうした取引ギルドの特性や商人特権の行使手法を教えてくれたのが、このエッペル親爺なのである。
「しかし、なんでまた高利貸しが殺気立ってるんだ?」
素朴な疑問をエッペルに投げかけた。ビート相場が荒れて怒るのは、取引で爆損した連中のはず。なのになぜ金貸し屋が殺気立つのか。
「相場で大損した連中が踏み倒して、カネ貸している連中が回収できんからだ」
踏み倒しの貸し倒れだ。相場が動きすぎて損するヤツが続出で、金貸し屋が回収不能に陥っている。それを逆恨みして俺ということか。他人に責任転嫁、ああいやだいやだ。
「アンタもカネを振り回すのはいいが、そのあおりでカネが回収できんようになった連中にも目配りしたほうがいいぜ。奴らもあれで商売人、広い意味では同業だからな」
この世界の商人連中は、身分が低いとされているからか妙に連帯意識が強い。ふっかけという悪徳商法が横行しているのも、商人を取り囲むカーストが大きな要因であることは間違いないだろう。
「金貸し屋には金貸し屋の言い分がある。それは分かってやれよ」
呆れている俺の表情を見てだろう、エッペルは俺の肩を叩いた。このエレノ世界、借金の踏み倒しが常態化しており、金貸し屋がカネを貸す際には年利四割みたいなべらぼうな金利を普通にかける無茶な社会である。
金貸し屋もいつ踏み倒されるかわからないから、そういうリスクを取らざる得ないという悪循環。だから金貸し屋の気持ちも分からんではない。しかし一番の問題は、多くの人間がこうしたエレノ社会の現実に懐疑を持つどころか、いたって普通に受け入れて平然と暮らしている事だ。ここの連中はどこかネジが外れている。
「エッペル。アドバイスありがとう。一度キチンと考えてみる」
「おおそうか。ワシで協力できる事は協力するから、命は大事にな」
そう言って、顔に蓄えた白髭をモシャモシャと撫で回すエッペルと握手を交わし、俺はギルドを出た。
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