006 商人秘術大全
商人属性は魔法が使えない。学園内の人間、いやこのゲーム世界の人間の常識。これは正しいよう思われているが、実は正しくない。俺が入手した本『商人秘術大全』には、商人だけが使える、この世界の人々にとっては未知の魔法が書かれている。
『商人秘術大全』は商人だけが会得できる魔法や剣術、特殊技能等を取得方法も含め、体系的に記述されている書物で、俺が育ったモンセルのギルドで保管されていた。古語で書かれているということで誰も読めない「秘伝の書」として、人知れずモンセルギルドの金庫に納められていたのである。
この本を手に入れることができたのは、実家であるアルフォード商会がモンセルギルドの会頭となり、父親のザルツがギルド内の裁量権を握ったからである。ザルツはかねがね学園入りを模索していた俺の為、ギルドの金庫から『商人秘術大全』を持ち出したのだ。
「古語が読めるかどうか分からぬが、速やかに写本するように」
ザルツはそう言って俺に手渡した。古語というものがどういうものか、幾重にも厳重に封じられている書物を紐解き、読めるかどうか分からぬ本を開いてみると、俺は思わず吹き出した。書物に記述されていた古語とはなんと「日本語」だったのである。
読めるかどうかもわからない難解な書だと身構えていた俺は、最初の段階で肩透かしを食らったのだが、本当に酷かったのはここからだった。
最初の書き出しはこうだ。
――満を持して時は変わった
――解き放たれた魂は世を震わす
なんだなんだ、この思わせぶりな前書きは! と思って次のページをめくると
「敵は本能寺にあり!」
そう大書されていた。
何が言いたい!
この世界のどこに本能寺があるのか言ってみろよという。こんな西洋じみた世界に日本丸出しの寺なんぞ、どこにも存在なぞしてはいない。元の世界に戻ろうと藁をも掴む思いで読んでいるのに、悪ふざけにも程がある。
「犯人はあいつらだ!」
俺は思わず叫んだ。犯人はあいつらゲーム世界の創造主、『エレノオーレ!』制作陣に決まっている。連中の底しれぬ悪意に心底呆れかえった。
「誰なんだ! こんなイタズラするスタッフは!」
全くふざけている。この『エレノオーレ!』というゲーム世界、知れば知るほど、暮らせば暮らすほど感じるのだが、どこまでいってもふざけてやがる。どう見ても世の役に立っていなさそうな意味不明な身分社会など、その典型ではないか。
こっちは生きるのに真剣、命と人生がかかっているのだ。こんなふざけた世界とはとっととおさらばして、俺はあるべき場に戻るべきなのである。しかしロクな手掛かりがない状況下、俺は何年も一人で格闘してきた。だがそうした努力なぞ、ゲーム世界の設定やら、こうした訳の分からん本にせせら笑われている感じがして気分が悪い。
大体、秘伝の書を日本語で書いて何が楽しいのだ。まるでこの世界に迷い込んだ俺への嘲笑じゃねえか! しかし、かといって、帰る為の手掛かりがある訳でもない。俺は腹立たしさを抑えながら、仕方なくページをめくった。
そこに書かれていたものは、ふざけた出だしと裏腹にマトモ、というかまさに「大全」といって良いぐらいの実践的で濃密な意味のある内容だった。一部読むのに難しい漢字があり、ニュアンスが掴みづらい箇所もあったが、剣術の部分に関しては図解まであり、この世界における商人の秘術を知ることができた。残念なのはあのふざけだ出だしの部分だけだ。
ドルフの言いつけどおり、俺は素早く写本すると『商人秘術大全』を返還した。写してしまえば原本はもう必要はない。本を返した際、ドルフは「どうだった」とか「読めたのか」とか聞かなかった。何も言わずに黙ってスッと受け取るのがドルフらしい。こういう辺りが男前で父親らしいところ。俺とは大違いだ。
『商人秘術大全』の方はといえは日本語で書かれていたので簡単に解読できた。というか俺には読めて当たり前。平易な日本語の記述を難解とするのだから、このゲーム世界は本当にヤキが回っている。
この『商人秘術大全』には商人だけが使えるいくつかの魔法が書かれていた。代表的なものは「付加魔法」という剣に火や雷といった属性を付け足すという、現実世界のRPGゲームではおなじみの魔法である。しかし乙女ゲーム『エレノオーレ!』でそんな魔法はなかったし、エレノ世界でも俺が知っている限り知られていない。だから「付加魔法」は、ここでは「失われた魔法」なのだ。
しかもこの魔法の習得は高いレベルが必要で、商人として普通に暮らす中では到達できるレベルではない。加えて指摘すると、そこまでの域に達しなくても商人として十分暮らせる。この世界では商人が生きていくのに基本、レベル上げ自体不要なのである。
加えて商人は他の職業に比べ、レベルが上がりにくいとも記述されていた。習得できる能力が暮らすに不要である事が、レベルが上がりにくくしている要因であるかもしれない。もしそうであるなら、尚更魔法が習得できるレベルに到達できないだろう。
だから商人は魔法を使えない。使えるレベルに達する必要がないから使えない。しかも習得できる魔法が「付加魔法」という必要性という点で微妙な魔法では、使えると分かっていたとしてもわざわざ習得しようとは思い至らないのは必定だろう。
しかしサルンアフィア学園に進学するつもりだった俺にとって、それでも使える魔法があるのはありがたかった。この『エレノオーレ!』はADV+RPGのゲーム。乙女ゲーなのにゲーム性を持たせるとかで戦闘モードがあるのだ。学園に入れば決闘やら戦闘、ダンジョン攻略が待っている。
魔法でもなんでもいい、たとえ必要性が低そうな付加魔法であっても戦える術が欲しかった。それに俺は色々なゲームの中で、付加魔法を使うのは嫌いじゃない。属性のないナチュラルな状態でバトルを始め、戦う相手によって武器の属性を変えられる付加魔法は、作業の平準化を構築し、反復作業を続ける事を得意とするルーチンワーカーの俺とは相性が良い。
まず敵の属性を知り、武器に敵攻撃の最適な属性を付加し、相手に効率的に打撃を与えて勝つ。レベル上げにはこれを繰り返せばいいだけなのだから、どういう状況でも属性を切り替えながら戦える。商人は基本レベルが上がりにくい為、限られた魔法を活かしつつ、定型化させて戦う戦術を組み立てなければならないだろう。定型化は非定型業務が苦手な俺が好む作業だ。
レベルが他の職業属性に比べて上がりにくい点については、それを克服する方法が幾つかあり、商人剣術の鍛錬を積んだり、大商いをすることでレベルを上げが加速できるという。俺の場合、ここ三年、アルフォード商会の書類仕事を一手に取り仕切っていた為、商いの取り扱いによるレベルアップが非常に大きく、この方法だけでレベル上げできそうである。
この学園に入学してから、俺はゲーム知識を使ってビートという作物の現物取引でカネを動かし、爆益を上げているのだが、相場で動かす額が膨らめば膨らむほど経験値が加速する。入学時にザルツから預かった三〇万ランドを全てビート相場につぎ込んで一ヶ月余り、今では総資産が二五億ランドに膨れ上がった。
この相場を弄るテクニックについては商人の『特殊技能』が大いに役立った。商品の仕入れ時に値段を下げられる【値切り】、品物の売却価格を上乗せできる【ふっかけ】によって、仕入れるときには八掛け、売り抜ける時には二割増で取引できるので、損せず確実に利益を上げることができた。言わばチート。商人だからこそ暴利を貪れるのだ。
商人には他にも豊富な特殊技能があり、相手の属性やレベルを見る【鑑定】。ダンジョンなどで隠れたお宝やレアアイテム、隠し扉などを探し出せる【見つける】。目を開けたまま寝ることができる【仮眠】という妙な技能もある。日頃、もっとも使う【収納】や異次元空間に収納されている服を瞬時に着替えられる【装着】など、ある面魔法よりも便利かもしれない。
『商人秘術大全』には魔法や特殊能力の他に剣技についても詳細に書かれている。それによると商人は一般的な剣技が身に付かない事や、商人だけが使える剣技の存在、剣技習得の際には何らかの器楽を併修することが記されており、本を読む以前から演奏していたピアノの時間を更に増やした。
俺は幼稚園時代からピアノを習い始めた。俺から言い出したのではなく、姉がピアノを習っていたのでそのついでみたいなところからのスタートだった。最終的には高二のときに辞めたので十二年ほど続けた計算になるのだが、やっている年数の割には本当に上達しなかったと思う。
というのも同じことを繰り返す事そのものが好きだった俺は、正確なスピードとキータッチにこだわるあまり、抑揚であるとか情感であるとか、演奏に必須の能力が抜け落ちていたからだ。生来の感受性のなさ、鈍さがモロに演奏に影響した結果と言えよう。殻が破れないというか、最初から殻を破る気がなかった。
そんな俺だがピアノには未練があった。だから娘の愛羅にピアノを習わせようと実家から使っていたアップライトを運び込んだのだが、娘が飽き性だったのか五年ほどでピアノを辞めてしまったのである。それから俺がちょいちょい弾いてはいたのだが、最近は仕事が忙しく、夜遅く帰ってくるので弾くことすらできなくなってしまっていた。
それが変わったのはこちらの世界に来てからで、アルフォード家にアップライトがあった事を機に、再びピアノを始めた。ただこの世界のピアノ教師のレベルが異様に低く、まともな楽譜もないため、俺の脳内の記憶を引っ張り出して採譜し、それを元に演奏して加筆修正している。こういうことを毎日のように繰り返すと忘れていたはずの譜面が脳内に蘇ってくるのだから面白い。
このような現実世界の記憶をたぐるトレーニングによって『エレノオーレ!』のシナリオをより詳細に思い出すことができた。皮肉なことにピアノのおかげで、エレノ世界で生き、戦う方法を身につける術を得たのである。
生きていくのに役に立たないと、面と向かって何度も言われたピアノがこんな形で助けとなるなんて思ってもなかったが、今まで自分がやってきたことにスポットを当てる機会を作った『商人秘術大全』は、俺にとってはバイブルみたいなものだ。
だが、この『商人秘術大全』。出だしの文言や日本語で書かれていた事を含めて謎が多い。例えば発刊していた「民朋書房」という出版社。このエレノ世界に漢字名の出版社が実際に存在していたのか? そもそも企業という概念のないこの世界で出版社があるのかという疑問。こんなマニアな書物が本当に「第三版」まで重版ができるのか、などなど疑問が多々あるのだ。
ただ確かな事が一つある。どういう形であるにせよ『商人秘術大全』の存在自体が、このエレノ世界にかつて「日本人」が存在していた証拠であるということだ。俺はこの本と出会った事で、以前から考えていたゲーム世界と現実世界の間を繋ぐ何らかの「ゲート」が存在する事を確信した。
過去、『商人秘術大全』に携わった日本人。彼らはかつてゲーム世界と現実世界の間を繋ぐ「ゲート」を通り、このエレノ世界にやってきて日本語の書物を残した。俺の魂も同じ様にその「ゲート」を通って、エレノ世界にやってきたと考えるのが自然だろう。
ならば逆も可能のはず。どういう形のものなのかわからないが、二つの世界を結びつける「ゲート」を見つけ出せば、俺は現実世界に帰る事ができる。早く「ゲート」を見つけ佳奈に会いたい。そして現実世界に帰るのだ。誰が、何を、どう言おうともこの一線は譲れない。そのために持てる力の全てを賭けているのだから。
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