002 異世界憑依

「こんなことに巻き込んでゴメン」


 職員室を出ると脇にいたウインズは泣きそうな顔で俺に謝る。こういう弱々しそうな所をドーベルウィンが組み易しと、弄くりにかかっているんだろうなと思う。が、ドーベルウィンは分かっちゃいない。ウインズが珍しい風魔法の使い手であるということを。まぁ、本人も自分の才能に気付いていないが。


「気にするな。それより四限目が始まるぞ。早くいけよ」


 うん分かった、とウインズは俺に頭を下げながら教室に向かっていった。ああ見ると実年齢より幼く見える。ウインズはゲーム『エレノオーレ!』ではもちろんモブだが、キャラとしては女子ウケがいいかもしれない。俺はウインズの後ろ姿を見てそう思った。


 この世界。乙女ゲーム「エレオノーレ!」の世界に俺がやって来たのは今から五年前のこと。朝起きたらいきなりグレン・アルフォードという少年になっていたのである。俺は最初混乱した。当たり前だ。妻子ある四十代、社畜一筋のサラリーマンが会社に出勤しようと目を覚ましたら、見たこともない部屋で、見たこともない服を着て、体が縮こまっていたら誰でも混乱する。


 最初は悪い夢かと現実逃避したが、寝ても寝ても覚めても覚めても俺が知っている世界は変わらない。信じたくはなかったが現実、異世界に生きているという事実を受け入れざる得なかった。


「これが噂に聞く異世界転生か」


 いわゆるライトノベルなどで多く扱われる、別の世界で生まれ変わって生きて行くお話。異世界転生という物語。娘がその手の本を読み漁っていたので、そういうジャンルがあるのは知っていたが、まさか我が身に降りかかるなどとは思っても見なかった。まさに青天の霹靂ってヤツだ。だが、実際体験する側となればこれほど不愉快な話はない。


 ただ、俺には現実世界で死んだ記憶がない。「エレオノーレ!」をプレイしている最中に寝落ちして、目が覚めたらこの世界だったのだ。つまり死んで生まれ変わる「転生」ではなく、この世界に俺の魂が迷い込み、グレン・アルフォードという人間に「憑依」したのではないかと俺は勝手に分析している。


 俺には妻がいる。子供は二人いるがこっちのほうは正直どうでもいい。いずれにせよ子供は親元から離れていくのだから。しかし妻には、佳奈にはどうしても会いたい。俺たちは同学年で恋愛結婚。付き合い始めてから四半世紀経つが、未だ付き合った頃の熱は冷めていない。俺は人から「仲が良い夫婦ですね」と言われるのが嬉しかった。


 今までの人生、付き合ったのは佳奈一人。知っている女も佳奈一人だ。俺には佳奈だけで十分。佳奈に会いたい。しかし佳奈に再び会うためには現実世界に戻る以外に道はない。これは誰が、何を、どう言おうと譲れない一線。現実世界で死んでいないのだから戻る方法は必ずあるはず。問題は戻る方法をどう探すかだ。


 この世界が「エレオノーレ!」の世界であると知ったとき、俺は最初愕然とした。というか正直絶望した。なんで俺が作りものの世界にいなきゃならんのだ、と。だが、時間が経ち、冷静に物事を考えることができるようになった頃、ゲームの舞台である学園、サルンアフィア学園に潜り込めばゲームが始まり、刻が動くのではないかと考えるようになった。


 俺の「刻が動く」というイメージというのは、ゲームをロードしている最中だというもので、現実世界がビッグバンという「極小の粒が爆発するように一気に膨張して宇宙が生まれた」とされているのと同じく、このエレノ世界は円盤が回って動いているというものだ。


 つまり円盤が回っている間、すなわち『エレノオーレ!』のゲーム時間だけが、この世界の「刻が動く」時間ではないかと。では、なぜ刻が動いていなければならないのか? ゲームが起動している間、つまり円盤が回っている間でないと不具合、いわゆるバグが発生しないからに他ならない。俺は長く逡巡するするうちに一つの仮説を立てるに至った。


 そもそも現実世界に生きているはずの人間がゲームの世界、エレノ世界にいる。少なくとも意識体として存在している事自体、起こってはならない事態。この「起こってはならない事態」=「不具合バグ」こそ、現実世界とエレノ世界が繋がれてしまっている事そのものを指すのではないかと考えたのである。


 もし仮にそうであるならば、二つの世界のつなぎ目という「不具合バグ」、俺は勝手に「ゲート」と名付けたが、それを現出させれば「ゲート」が現れ、俺はその「ゲート」を通って現実世界に帰ることができるのではないか。だとすれば、ゲーム中であれば「不具合バグ」が発生する可能性があるわけで、その「不具合バグ」が発生したとき現実世界のゲートが開かれる。


 科学的、技術的なものに疎い、俺の未熟で勝手な解釈だが、それでも絶望ゼロとは雲泥の差だ。帰ることができる、佳奈に再び会えると可能性がある、という考えは、俺を奮い立たせるには十分だ。望みが薄い所で戦うのは、これまでの社会経験で慣れている。さして希望がない社畜一筋二十五年のキャリアが、こういう所で活きてくる。


 何にせよこのエレノ世界は『エレノオーレ!』が動いているときだけ「刻が動く」。だからゲームの舞台であるサルンアフィア学園に入り、体を鍛え、金を稼ぎ、情報を集めれば現実世界に戻る手段「ゲート」を得られるはず。


 野郎というか四十代のおっさんながら、このゲームをやりこなしてきた身としては、学園は馴染みのある世界であり、攻略方法を含め様々なゲーム知識が駆使できる。この点は非常に大きなアドバンテージであり、その部分では十分に闘っていける。そこまで考えが纏まると、さぁ学園入りだということになるのだが、まず出鼻から挫かれた。


 理由は俺の家が商人の家で貴族学園であるサルンアフィア学園に入るつて・・が全く無かった事にある。身分絶対のエレノ社会では、上級平民ではない商人が貴族の庭である学園に入り込める素地は殆どなかった。そもそもこのゲームでは商人属性は剣技が使えず、攻撃魔法も回復魔法も使えないため、それを重点的に教えている学園に通ってもメリットが皆無。


 商人子弟の殆どは実業学校である国立ノルデン学院に通うか、家に入って修行するかのいずれかの道を進む。そうすることによって、商人としての知識心得を得て、暮らしていくのだ。それで十分暮らせるため、わざわざ他の知識を入れる必要は皆無なのがこの世界の常識。よってエレノ世界で学園に通う商人子弟はいない。


 よく考えてみれば、確かにゲームの中で商人属性のキャラクターは誰もいなかった。このような有様で、いきなり入学不可能な状況に陥っていたのである。そんな八方塞がりの状況が変わったのが一年前のこと。俺の家があるモンセルで、実家のアルフォード商会がモンセルギルドの会頭に選出された事から状況は好転する。


 アルフォード商会は代々、ノルデン王国第三の都市モンセルを拠点として活動している老舗商会の一つ。現当主で俺の父であるザルツ・アルフォードは優秀な商人だったが、多くの雑務を一人で抱えていた為、商会の業績は頭打ちとなっていた。


 そこで俺が家業に入り、社畜生活で得た事務処理スキルを使って取引書類を引き受けた。そしてザルツが営業に専念する形となった事から商会の業績が急進。モンセルにおいて大きなシェアを持つに至ったアルフォード商会が、モンセルギルドの会頭の椅子に座ることになったのである。


 このモンセルギルドの会頭の椅子は俺に福音をもたらした。ギルドには伝統的に学園推薦枠が存在していたのである。ただ、商人には学園進学は無意味ということで、長らくこの枠を誰も使っていなかった。しかしザルツはこの枠を俺の為に使ったことで、塞がっていた学園への扉が開き、晴れて念願の入学が叶ったのだ。


 学園への入学が決まると、俺は入寮解禁日初日にすぐさま入寮した。佳奈に会えると思えば心も沸き立つ。一刻も早く学園に入る事こそ、その近道であるように感じられた俺は、居ても立っても居られなくなり、初日の朝一番に入寮手続きを行った。


 以来、クエストで外出した日を除けば、ほぼ毎日学園の図書館に出入りし、情報集めに傾注している。目的はこのエレノ世界から現実世界に戻るためのヒント、「ゲート」探しであることは言うまでもない。


 サルンアフィア学園の図書館は学校創設三百五十年ということもあって蔵書量が多く、王国内でここを超える規模を持つのは、貴族のみが閲覧することができる王宮図書館だけである。つまり平民が立ち入ることができる最大の図書館が、この学園の図書館なのだ。


 俺にとって学ぶものがないこの学園。しかし他にない規模の図書館があるというのはそれだけでも価値がある。というのもモンセルの図書館なぞ、学園図書館とは比べるまでもないくらい見劣りするもので、俺が調べたいような情報は皆無に近かった。


 当たり前の話だがネットもないこの世界で、人脈や権力など皆無の俺が情報を仕入れる事ができる唯一の方法が「本」からの情報である。本に書かれた過去の事象などからこの世界と現実世界との繋がりを知り、両方の世界の間にあるはずの「ゲート」を見つけ出す。


 そういった「ゲート」に関して直接の言及はなくとも、ヒントになるような話は必ずあるはず。例えば神話、例えば伝承、例えば事象の記録。何らかの形で残っているはず。それを探し出すために時間が許す範囲で図書館に通っていた。俺が座る席は決まっていて、図書館奥の窓際にある四人掛けの机。


 そこに本棚からガバっと見繕った10冊程度の本を持ち込む。俺の本の読み方は机の上に書見台を置き、座った姿勢を崩さずに視点を文章に集中し、行単位に「縦追い」する方法。譜面を読む時にも使っていたやり方なのだが、これで一冊辺り10分から15分程度で読み抜いていく。


 俺が現実世界で働いていたとき、書類を精読して誤字や間違いを見つけて修正するという、仕事上の環境から身につけた術で、アルフォード商会の手伝いをしていたときにも活用していた速読法なのだが、一般的な「速読術」という方法とは異なるのかもしれない。


 このやり方で仕事を処理して暮らしの糧を得ることはできたが、目を酷使してしまい、おかげで30代の時に眼鏡をかける事になってしまった。まぁ、この世界でグレン・アルフォードになったら眼鏡から開放されたのだが、それはこっちに来て良かった数少ない出来事である。


「ここ、いいですか、グレンさん」


 ドーベルウィンの件で予定が狂ったが、図書館に入っていつもの要領で本を処理していると、向かいに輝くようなプラチナブロンドの髪と大きな青い瞳が印象的な女子生徒が座ってきた。


 彼女の名はアイリス・エレノオーレ・ローラン。ミドルネームが示すようにゲーム『エレノオーレ!』の主人公である。俺は名を略して「アイリ」と呼んでいる。


「よう、アイリか」


 10代らしい透き通ったソプラノで俺を呼んできたアイリに内心ドキッとしたが、俺は心中を悟られぬよう自然に返し、目の前の書見台に集中した。


(やっぱりかわいいよなぁ)


 改めて対面に座るアイリをチラ見する。美しいプラチナブロンドの髪をミディアムに整え、きれいな大きな青い瞳を持つ、どこか幼さを残した美少女。まだ15歳だというのに神々しいまでの美しさ。これはまさに女神というやつだ。


 ゲーム補正ここに極まれり、なのかもしれないが美少女オーラが凄い。気を抜けばとにかく惹かれる。このままでは危険なので、俺はこれまでの社会経験を駆使して微妙に視線をずらし、なんとか殺人光線的なオーラを回避しているのである。


 俺がこの学園で最初に出会い、言葉を交わしたゲームキャラ。それがアイリだった。

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