ゴーストバスターナナカマド:track1 ナナカマドとタキジ

「千蔵六郎という人から手紙が来たらすぐにここへ逃げなさい」と母親に言われたのは俺が十五の時だった。その頃には父親は発狂していて、その傍についている母親はいつも疲れ切った顔をしていた。母親は俺に地図の挟まった黒い手帳を渡して、次の日の朝に父親と一緒に死んだ。まあまあショッキングな出来事だが、今の今まで忘れていた。けれど思い出してしまった。

 昨日の夜。

 バイトから帰ってきて、アパートの郵便受けを覗くと、白い封筒が入っていた。その白い封筒には、見慣れないが、聞いた覚えのある名前が書いてあった。

 ——「千蔵六郎」と。


 そして俺は、始発の電車に揺られて、母親の渡してくれた手帳に書いてあった住所へ向かった。田舎という言葉がこれ以上ない程に似合う、田んぼの中に住宅がぽつりぽつりとあるその集落の山際、古くさいアパートが建っている。そのアパートの二階の角部屋に、白いカーテンが引いてあるのが見えた。

 錆で赤茶けたアパートの階段の手すりに触れないようにして、階段を上がる。僅かに、テクノっぽい音楽があの角部屋から聞こえてくる。誰かがいるのは間違いないだろう。そう思ってノックをしたが、誰も出てこない。もう一度ノックをする。すると、音楽が途切れてドアが開いた。

「なんだ!宗教と新聞は間に合ってる。算数教室ならもうやめた!」

 そんな怒号のような言葉を、俺は目を見開いて聞いていた。そこにいたのは、どう見ても子どもだったからだ。見た感じ、小学生くらいだろうか。少し癖のある髪を二つに結って、黒いワンピースを着た女の子だった。

「……君、ひょっとして……」

 女の子は俺の顔をじっと見て、呟くようにそう言った。

「ひょっとして、和田滝二くんか?」

「……そうだけど。あなたは……?」

 母親は、ここに住む人間だけは俺に味方をしてくれると、繰り返し言っていた。名前は、確か——

「私は森村七竈! 君を脅威から救う人間の名前だ。覚えておけ」

 そう、「森村七竈」だ。朧げな記憶をたぐり寄せたのと同時に、女の子はそう名乗った。そうして、こちらの腕をぐいと引っ張ってくる。

「立ち話もなんだ。お茶でも淹れるよ」

「いや、そんなわけには……」

「謙虚だな君は。だが、謙虚すぎるのも考えものだ。そら——来たぞ」

 えっ、と思う暇もなかった。彼女に強く腕を引っ張られ、俺は玄関に倒れ込んでしまった。森村七竈は扉をきちんと閉めず、そのまま履いていたサンダルを脱ぎ捨てて、二つに結った髪がワンルームの部屋の奥に一瞬だけ消えた。そのまま玄関に座りこんでいると、突然足音が聞こえた。カツン、カツンという音。それはアパートの階段を上がってくる時の音だった。怖いのは、人影が現れるでもなく、その音だけがいきなり聞こえてきたことだった。

「早く入ってくれ。邪魔になる」

 少女の声が聞こえて正面を見ると、七竈が刀を持って立っていた。

「……えっ?」

 疑問が限界に達して、思わず声を上げた俺の腕を、少女の小さな手が引く。

「いいから上がれ! 早く!」

 その声に鬼気迫るものを感じて、俺は靴を脱ぐのも忘れて部屋に入った。カツンカツンという音はまだ聞こえている。だが、その音の主が二階に姿を見せることはない。七竈は扉を蹴り上げた。

「いるな。いるんだろう——千蔵六郎」

 玄関の扉が開け放たれた先。先程と何も変わっていない景色。だが、禍々しい何かがそこにいる気配がはっきりと感じ取れた。思わず後ずさった俺を庇うように前に出て、七竈は刀の柄に手をかけた。

「くたばれ」

 一閃。

 禍々しい空気を、七竈は刃で打ち払った。チッ、と舌打ちが聞こえる。一瞬だけこちらを見た七竈の顔が、気のせいか、笑っているように見えた。

「滝二くん。私は今非常に興奮している。出来るだけ努力はするが——脚や腕が飛ぶ可能性もあるぞ。奥へ逃げろ」

 言うなり、七竈はまた禍々しい空気に向かって斬りかかった。こちらからは見えないが、七竈の目は何かを捉えているのだろうか、どこか一点に向かって攻撃を加えている。目を凝らしてそれを見ようとした瞬間、体が重くなった。

「っ、づ……?!」

 まずい、と本能が告げている。ただちょっと『よくない気がする』だけだった空気が、突然重くなり、腐ったような臭いが当たり一面に漂った。鼻を塞ぎたくとも、指先が動かない。

 何故動かないのか。それは肩に何かが乗っているからだ。人の腕のような重みが、親密な間柄の人間にするように肩を組んでいる。冷たい指先が、口元に触れた。

「■■■■くん?」

 それは俺の名前ではなかった。けれど、呼ばれているのは俺なのだ、という気がして、返事をしそうになってしまう。先程まで呻きと荒い吐息しか吐き出さなかった唇が、動こうとしている。

「目を逸らすな!」

 その瞬間、少女の叫び声が響いた。刀が振り下ろされて、冷たい指先と腕の重みが消えた。

 七竈は俺を見ていない。俺の近くにいる何かを——『千蔵六郎』を見ながら、どこか狂気的な笑みを浮かべている。

「小僧如きに目を奪われるな。私を見ろ。貴様を地の果てから殺しに戻ってきた、この森村七竈を見ろ!」

 叫び声が聞こえる。俺の斜め後ろからだ。七竈は小さく刀を振るった。多分血か何かをふるい落としたのだ、と思った。

「見つめるから、刺してしまったぞ」

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